今回は、APCO Worldwide合同会社に勤める笹尾望美さんをお招きしました。
これまでのキャリアの歩み、国内外多様な人材と協働する経験を通じて感じた人との繋がりの重要性について伺います。
達成感を分かち合えることがよろこび
–お勤めの会社について教えてください。
ワシントンD.C.に本社を置き、戦略的コミュニケーションを専門にするコンサルティング会社であるAPCOでパブリックアフェアーズのコミュニケーションコンサルタントとして勤めています。
パブリックアフェアーズとは、大きく説明すると、ステークホルダー(政治家、アカデミア、業界団体、ビジネス、市民社会、メディアなど)と協力して、社会の仕組みや考え方に変革を起こしていくことです。このプロセスは一方通行ではありません。変化を訴求する上で、各自のニーズを理解したり、理想として、協力の相乗効果により、お互いのビジネスや目的を達成することができたりします。パブリックアフェーアズのコンサルタントとして、変化に向けた活動の戦略策定を含む、ステークホルダー間のコミュニケーションをサポートしています。
弊社は世界30か所以上のオフィスで約1,100人が働いています。それぞれの専門性やバックグラウンドを活かし、世界中のオフィスが連携してプロジェクトを進めています。
–仕事内容を教えてください。
一言で言うと、「社会を変えるための幅広い仕事」を行うのですが、お客さんによって具体的な内容は変わります。
例えば、企業がとある分野や社会課題に対して影響力をもったリーダーとして認知されるためのストーリーを組み立て、それに沿った活動や広報プランを打ち出して実施したり、お客さんに影響する政策に関する政府内の議論についてレポートを作成したり、特定の分野におけるメディア露出を調べたり、同じ問題意識を持っているステークホルダーを繋げて仲間作りを支援したり、本当に幅広い業務を行っています。同じ作業を行う日はまずありません。
–仕事をする上で心がけていることを教えてください。
多岐にわたる業界、役職、バックグラウンドや繋がりを持っている人たちと仕事をする中で、みんなが合意するポイントを探すのは難しいです。そのため、まだまだではありますが、各自に理解していただきやすい方法で対話・説明することを工夫したり、調整を行ったりしています。
–やりがいを感じる瞬間はありますか。
私は、1人で何かをやり遂げるより、チームで、または誰かと一緒に頑張って乗り越えていくプロセスにやりがいを感じます。毎日必死にお仕事していますが、周りに一緒に頑張れるチームメンバーがいるからこそ、時には壁に直面しても、もう一踏ん張りすることができていると思います。
また、チームワークが大事な職場であることから、同僚の得意不得意と自分の特性を考えながら仕事を進め、お互いの成長に繋げることにもやりがいを感じます。私はまだまだ学ぶばかりなので、これからはもっと周りに貢献できるように頑張っていきたいです。
人と人を繋げる場や機会を作る楽しみ
–幼少期、学生時代はどのように過ごしていましたか。
小さい頃から周りに色んなバックグラウンドを持っている人たちが多く、恵まれた環境で幼少期を過ごしました。小学校時代は日本の学校からアメリカの現地校、そしてまた日本に戻ってきたり、小学校5年生から日本でインターナショナルスクールに通ったりで常にバタバタしていた記憶があります。
子どもの頃から音楽や歌うことが好きで、舞台に立つことも好きでした。小さい時から移動が多かったので、自分を表現する力が備わったのだと思います。
–どのように進学先の大学を選びましたか。
インターナショナルスクールの卒業時期に合わせ、9月に入学ができる国際基督教大学(ICU)に入学しました。学部時代は、国際関係学を専攻して図書館で東アジア関係に関する論文を読んでいるか、友達と音楽をしているかのどちらかでした。大学3年生の時に、米バーモント州のMiddlebury Collegeに留学しました。それまでは、「日本で育った日本人っぽくない人」として生きていましたが、いざアメリカの大学にいくと、「異様に英語がうまい日本人」として認知され、自分のアイデンティティに悩むこともありました。Middleburyでは、主にヨーロッパ系の留学生と仲良くなり、今でも交流が続いています。
–在学中に得た経験の中で印象に残っているものはありますか。
留学から帰ってきた直後、日中韓ユース・サミットという学生交流事業に参加する機会がありました。様々な考えやバックグラウンドを持っている仲間たちと楽しいことから難しい話まで、色んなことについて考えて話し合う、とても良い経験でした。この交流事業に参加したことがきっかけとなり、のちに私のファーストキャリアが決まりました。
学部で進めていた研究を継続するために、大学4年生から大学院の授業を履修して5年間で学士と修士が取れる、ICUの5年プログラムに参加しました。5年目には、台湾に何度か研究旅行に行って調査を行ったり、担当教授のサポートをしながら、大学院生っぽい生活を送っていました。
–ファーストキャリアはどのように決めましたか。
就活中には、大学3年生の時に参加した、日中韓ユース・サミットで経験したような、色んなバックグラウンドを持った人たちが繋がり、価値を生み出していく場を作っていきたいと考えていました。そして、当時ユース・サミットの後援をしていた、日中韓三国協力事務局(TCS)の社会・文化部で働くことになりました。事務局は韓国・ソウルにあるので、大学院卒業式の次の日にソウルに飛び立ちました。就職後は、自分も参加したユース・サミットの企画・運営を行ったり、学生以外にも記者や公務員の交流事業、文化交流イベントの実施も行いました。日中韓の各大臣会合や協議のロジサポートやそれに伴う調査事業などにも携わり、とても貴重な経験をすることができました。
その後、自分の意見や考え、クリエイティビティをより発揮するためにAPCOに転職しました。転職はしましたが、自分が軸にしていることは変わらず、さらに幅広い分野のステークホルダーを繋ぎ、話し合う場所や機会を提供し、社会を変えていくことに日々励んでいます。
–転職後はいかがですか。
これまでには考えることのなかったビジネスサイドの制限や事業の進め方に直面するも、目の前で社会のルールや世論情勢が変わっていくのはとてもエキサイティングです。今の仕事では、本当に多岐にわたる業界の色んなプロジェクトに携わることができるので、毎日が学びの繰り返しです。
チームにもさまざまなバックグラウンドや考えを持つ人がいて、一人で考えるよりも数人で話し合う方が俄然良いアイディアが生まれるような環境で働けていることも嬉しいです。個人のアイディアが尊重されるとても良い職場環境にいると感じています。
ただ待っていても、機会は勝手に降ってこない
–これまでのキャリアにおいて、大事にしてきたことはありますか。
これまでの学生時代、キャリアを通してさまざまな出会いを通じて、経験を重ねることができました。これらの機会は、もちろん必然的なものもあったと思いますが、自分で切り開いてきたものだと自信を持っていえます。ただの自信家に聞こえるかもしれませんが、これまでの努力に関しては自分を褒めることも大事だと思います。スムーズにいかないこともありますが、行き詰まった時は、周りに助けを求め、柔軟に対応しながら突破口を見つけてきました。
「人との繋がり」は、私の人生にとってかけがえのない大事なものなのです。
–今後実現したいこと、挑戦したいことはありますか。
今はとにかく経験をつみ、自分の仕事を板につけられるように頑張りたいです。将来的には仕事の外でも人と人を繋げる場所を作ったり、プラスアルファが生まれるような活動ができればいいなと思っています。
取材・執筆=山崎 貴大