今回は、特定非営利活動法人manmaの代表を務める越智未空さんをお招きしました。
これまでのキャリアの歩み、国内外多様な家族の在り方を見てきて感じたことについて伺います。
育った家庭環境以外の家族の在り方を知る、家族留学
–会社について教えてください。
特定非営利活動法人manma(以下、manma)では、国内の子育て家庭に訪問することができる体験型プログラム「家族留学」の提供を行っています。 子どもとの触れ合い体験 や多様なロールモデルとの出会いを通して「結婚・子育て」と「働く」の両面から自身のライフキャリアと向き合うプログラムです。
社会環境の変化や家族のカタチの多様化によって生きる道筋が様々になっている一方で、結婚や子育てといった家族形成に関して情報収集できる機会が少ないですよね。だからこそ、家族留学を通じて「自分はどのような生き方をしていきたいのか」を職業キャリアだけでなくパートナーシップや子育てといった家族形成についても情報収集し、考え、選択する機会にしてほしいと思っています。
–仕事内容を教えてください。
私は代表を務め、 ビジョン・ミッションや事業戦略の策定、事業運営、組織運営など全般に携わっています。
もともと私自身がプログラムの参加者であり、ファンでした。初めて参加した時、自分が生まれた家族以外の家族を知り、自身の家族を客観視できたと同時に家族観、結婚観、将来のイメージが深まるきっかけになりました。そうした機会をより広く届けていきたいと思っています。
誰もが家族形成について学ぶ機会を当たり前のように得られる社会環境づくりに向けて、現在は自治体との連携を強化しています。特定の地域内の若者と子育て家庭と交流する家族留学プログラムの実施や、大学生や若手社会人を対象としたライフデザインセミナーを行っています。少子化の進展という社会課題がある中で、若い世代に向けたライフデザイン支援の取り組みとして国や地方自治体から問い合わせいただくケースが増えています。
–家族留学の利用事例を教えてください。
結婚を間近に控えたカップルが参加したケースをご紹介します。男性は共働き家庭で育っていて、仕事や子育ての両立には大きな不安を感じてはいませんでした。一方で、専業主婦家庭で育った女性は「働きながら子育てができるイメージが湧かない」と話していました。
家族留学を通じて、3歳と0歳の子どもがいる共働き家庭と交流しました。参加した女性は、訪問先のお母さんから出産前後の気持ちの変化や仕事との両立の話などを聞いて「仕事と家庭の両立が不安だったのは、子供に時間をかけることができず、十分な愛情を注ぐことができないんじゃないかと思っていたからでした。訪問先の夫婦の話を聞き、漠然とした不安が解消されました。かけられる時間=愛情ではないと気づけたことが大きかったです」と話してくれました。 一緒に参加した男性は、当時育児休業中だったお父さんから産後の大変さのエピソードを聞いて、「産後1か月は絶対に育児休業を取ろう」と意識が変わったそうです。
「他人を家にあげるのはハードルあるのでは?」とおっしゃる方もいますが、実は利用者よりも受け入れ側として登録している家庭の数の方が多くなっているんです。理由を伺うと、「自分の経験を社会に還元して次世代の役に立ちたいから」「子育てのポジティブな面を伝えたいから」とのことでした。
※写真はイメージです。
完璧な家族なんてない。肩の力が抜けた瞬間
–幼少期はどのような環境で過ごしましたか。
私はテレビ局に勤める父、フリーランス編集者として働く母のもとに生まれ、姉二人とともに育ちました。父は職業柄転勤が多く、一時期は単身赴任をしていたため、 働きながら3人の子どもを育てる母の姿を見て育ちました。
母自身は働く意欲を持っていましたが、結婚と妊娠に際して仕事を辞め 、父の転勤と共に愛媛県松山市に住むことになります 。当時は男女雇用機会均等法ができた時代。バリバリ働く同世代の女性を見ていて葛藤を抱えていたと聞いたことがあります。 母は子ども達の出産を経て、私が保育園の頃に編集プロダクションで働き始め、小学校3年生の時に会社を立ち上げて独立しました。
父は単身赴任の期間が長かったため、母が自分の会社の仕事がある中でご飯を作ったり子ども達の世話をしたり…大変そうな姿を見ていました。家族関係で悩んでいた時期もあり、家族の在り方や意味、女性のキャリアについて考えるようになりました。
「家族とは」
「母親が働くとは」
「家族が幸せでいるためには」
–学生時代はどのように過ごしていましたか。
もともと身体を動かすのが好きで、中学時代はバスケットボール部、高校時代はハンドボール部で活動していました。高校時代の女子ハンドボール部ではキャプテンに就任し、自分が頑張れば全体に影響し、次第にチームが変わっていく過程に手応えを感じることができたことが楽しくて、自信にもつながりました。コーチから「越智は最高のキャプテンだ」といいう言葉をいただいた時は嬉しかったですね。この経験からチームや組織を作っていくことを学びたくて経営学部への進学を決めました。
大学入学後は、新歓で惹かれた体育会ヨット部に入ったのですが、途中からヨットという競技が怖くなってしまい1年生の終わりに退部しました。1年生の春休みにアメリカ・サンフランシスコでのスタディツアーに参加したことをきっかけに海外留学を目指し始めました。
–manmaとの出会いについて教えてください。
大学2年生の頃にたまたま流れてきたFacebook広告で「家族留学」と出会い、直感的に「面白そう」と思って参加してみることにしました。
–ご自身が初めて参加してみていかがでしたか。
都内に住み、3歳と0歳の2人の子供を育てる家族を訪問しました。一緒に公園で遊んだり餃子パーティーをしたりして過ごしました。
見ず知らずの大学生を温かく受け入れてくれて、(受け入れ家庭のご夫婦は)結婚に至ったプロセスや仕事と子育ての両立に関する良い面、葛藤している面も包み隠さず話してくれました。「将来は子供が欲しい」「こんな家族を作りたい」という想像が膨らみました。本当に楽しく、学びある1日を過ごせて、帰り道は高揚感で胸がいっぱいだったことを覚えています。
それから、何度か家族留学に参加していろんな家族と出会いました。どのご家族も「またいつでもおいで」と言ってくれて、嬉しかったです。 SNSで発信されている情報ではついキラキラしているように見えてしまうのですが、家族留学で訪問したご家庭はありのままの日常をオープンに見せてくれる方が多くいて、部屋の中は一部散らかっていたり、ご夫婦で言い合いをしたりして…当たり前のことですが「完璧な家族はいない、完璧でなくていいんだ」と思えて、肩の力が抜けるような感覚でした。
育った家庭とは異なる他の家族と過ごしてみることで自分の家族を客観視できて、「自分の家族は完璧でもなければ問題ばかりでもない、それでいいんだ」と思えて肯定的に捉えられるようになりました。
–海外でもさまざまな家族の形を見てこられたと伺いました。
オーストラリアへの留学経験も転機となりました。現地では複数の子育て家庭宅でホームステイをして 、さまざまな家族の在り方を知ることができました。
最初にお世話になったのは、70代夫婦のご家庭でした。その夫婦の奥様 は3回目の結婚で、その子供たちも2、3回くらい結婚歴を持っていました。このご家族に出会うまでは「一度離婚したら、そこで関係が疎遠になるもの」と思っていましたが、このご家族は再婚相手との結婚式に以前のパートナーを呼んだりと離婚した後も関係が続いていて、こういう家族の在り方もあるんだと知りました。
次にお世話になったのは、9歳と6歳の子どもを育てる専業主婦のお母さん・エンジニアのお父さんのご家庭でした 。夕食後によく話をしていたのですが、「翌年から二人目の息子が小学校に上がるから仕事を再開したいと思っているけど、9年間もブランクがある私を雇ってくれるところなんてないよね…」と悩んでいました。日本だけでなくオーストラリアでも母親のキャリアの問題があることを知りました。
3番目にホームステイをした先は、3歳と0歳の子どもを育てるシングルマザーのご家庭でした。家族のように仲の良いシッターさんが毎日来てくれたり、同じアパートに住むシングルマザーの友達と子どもを預けあったりして、周りの人達を含めてみんなで子育てしている姿を見ました。
–生まれた家族以外の家族を知ることの大切さがよくわかりました。
manmaの家族留学やオーストラリア留学時のホームステイ、それ以外にも中国やメキシコ・コロンビアでのホームステイ等、様々な家族の在り方を見てきました。一概に「家族」といっても多種多様な形があることを理解しました。様々な家族との出会いによって、パッと思い浮かぶ家族のイメージ像が「自分が育った家族」だけでなく「これまで出会った様々な家族」が加わりました。
こうした経験を経て、育った家庭環境以外の多様な家族の在り方に出会えるmanmaの家族留学の価値を深く体感しました。
就活、営業職経験を通じて仕事観がアップデート
–大学卒業後の進路はどのように考えていましたか。
manmaでやりたいことを出来ている実感があったのですが、それだけでは生計を立てていけないと考え、迷っていました。周りからは心配されつつも、manmaに複業として関わり続けられる会社に入ろうと考えました。
何度も面接に臨み、「自分はこういう社会にしたい。こういう活動をしてきた」と伝え続けたのですが、採用していただける会社がなかなか見つかりませんでした。父に模擬面接を頼み、フィードバックを受けました。
「やりたいことはどうでもいい、会社でどう貢献してくれるか求めてるんだ」
今思えば当たり前のことですが、当時の自分には大きな気づきでした。
リクルートの社内の方と会う中で選考が進み、幸いにも面白がってくれて、「もっと社会的インパクトを生み出すために大きな組織でやってみれば?」と言っていただき入社が決まりました。
–入社後はどのような業務を経験されましたか。
リクルート入社後は転職サイトを扱う人材領域の部署に配属となり、中小企業向けの中途採用支援に携わりました。
架電、アポ獲得、商談、契約、求人広告作成の為の取材、採用に至るまでの伴走サポートまで幅広く担当し、経験を積むことができました。当初は慣れない土地に住み、山道をハイヒールで登りながら商談先企業のもとへ出向き、新規営業に一生懸命取り組みました。
–営業職として当時働く中でどのようなことを学びましたか。
大学時代にmanmaで企業営業をしていた経験があったのである程度できるものだと思っていましたが、やってみると最初の3か月全く売れなかったんです。ショックでした。結果がでない日々が続いて、不安と焦りと悔しさで帰り道によく泣いていました。
入社から3か月経った頃、初受注がかかった案件で失態をおかしてしまいました。その日は会社のトイレで2時間近く泣いてしまいました(笑)。当時の上司はその失態を優しくなだめるのではなくちゃんと叱ってくれたり、自分自身ノートで振り返って内省できたことで、「自分のお客様に責任感を持って誠実に向き合おう」とスタンスを改めることができました。それが転機となり、社内で何度も表彰をもらえるまでに成長しました。
–ご自身が家族を持つと決心したのはいつごろですか。
愛知県にいた頃は、一人暮らしをしていました。付き合っていた彼は東京にいて、当時はまだ一緒に暮らすことや将来家族を作ることは考えづらい遠距離状態でした。彼との関係を優先して東京で働ける会社に転職するというのも選択肢にはなかった中で、これからのことを悩んでいました。
その時に思い浮かんだのが、家族留学を通して知り合ったさまざまな形の家族。気持ちがふっと軽くなり、考えがシンプルになりました。その後、遠距離恋愛中に結婚しました。
家族に関わる多様な一次体験を得てほしい
–代表に就任した経緯を教えてください。
2020年、manma創業者の新居さんが代表を退こうと思っていると話してくれました。「今後のmanmaをどうしようか」と考え直す機会が生まれ、選択肢は3つでした。
「manmaの存続を断念する」
「事業譲渡する」
「私が引き継ぐ」
正直私は起業したい、トップに立ちたいという気持ちが あまりない性格だったので、すぐには答えが出せず、悩みました。「家族留学はインフラではないから、家族留学がなくても社会は回る。でも、私は家族留学が無くなったら悲しい。とはいえ、代表を引き継ぐ勇気はない…」とグルグル考えていました。
私自身が家族留学を体験した時の高揚感。これまでに家族留学を体験してくれた方々からいただいた「将来の選択肢が増えました」「仕事と子育ての両立は無理だと思っていたけど、できるかもと思えました」「夫婦のパートナーシップを見直すきっかけになりました」といった嬉しい声の数々。同じビジョンを持って一歩ずつ進み続けるメンバー。そうしたものを思い浮かべていると、「私自身が家族留学という事業が大好きで、家族留学を体験してくれた方々の声を聞くのが大好きで、manmaメンバーが大好きで…家族留学がある未来を残したいんだ」という根っこの気持ちに気づき、代表を引き継ぐことを決めました。
代表引き継ぎの背景は、こちらのnoteにも書いています。
https://note.com/misora_ochi_/n/n63990bd4cd40
–今後の展望、実現したいことはありますか。
家族形成に関心や不安のある若い世代の人々が、育った家庭環境以外の様々なパートナーシップや子育てなどの家族の在り方を学ぶ機会を得ることができ、家族形成に関して納得感を持って自分らしい選択ができる社会の実現を目指していきます。
この記事を読んでいる方の中に、将来の結婚や子育てのことを考えている方がいれば、百聞は一見に如かずと言いますが、ぜひ体験してみることを大事にしていただきたいと思います。SNSやYoutube等で結婚や子育に関する二次情報が溢れている社会ですが、自分が体験してこそ、自分で見聞きしてこそ自分ごととして考えることができ、得られるヒントがたくさんあります。
家族留学を体験してみたい方がいれば、是非HPよりお申込みいただけたら嬉しいです!
https://manma.co
取材・執筆=山崎 貴大