やりたいことを言い続けると、周りの支援や信頼を得やすくなる。ジークス株式会社代表 村上嘉一のミッション

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第988回目となる今回は、ジークス株式会社代表、村上嘉一さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

小児のオンライン診療アプリ『あんよ』をリリースした村上さん。ご自身の経験から、医療に興味をもったきっかけや、掲げているミッションについても教えていただきました。

伝記好きの小学生

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

ジークス株式会社代表の村上嘉一(むらかみ・かいち)と申します。1999年生まれの23歳で、今年24歳です。現在は名古屋大学情報学部コンピュータ科学科に所属しています。

在学中に合同会社ジークスを創業して、約4年事業に関わらせていただいています。

ありがたいことに、企業の新規事業や業務効率化に取り組むシードラウンドのファイナンスもやらせていただき、名古屋大学・名古屋工業大学発のベンチャー企業としても活動しています。

事業内容は、医療にフォーカスをしたオンライン診療アプリ『あんよ』の開発です。子どもが自宅で診療を受けられる子育て世帯と、ライフイベントのために現場から離れざるを得ない女性医師の在宅時間をマッチングするアプリです。よろしくお願いします。

ーここからは、村上さんの過去を振り返ってお伺いします。どのような幼少期を過ごされたのでしょうか?

すごく活発で、よく怒られる子どもでした。保育園に扇風機があったときは、「扇風機にぼうしを入れたらどうなるんだろう?」と、ぼうしを投げ続けてめちゃくちゃ怒られた記憶があります。

気になったことは行動に移してしまう性格が、結果的にいたずらにつながったんだと思うんですよね。好奇心旺盛だったなと思います。

当時は漫画が好きで、図書館にある漫画は伝記しかありませんでした。読み始めてみたら、はるか昔の人なのに、僕がその人のことについて知っていて、興味をもっていること自体がすごいことだなと思いました。

当時憧れやロマンを感じて、伝記が大好きな小学生になり、図書館にある漫画の伝記を何回も読みあさっていました。

ー特に印象に残っている偉人を教えてください。

新しいものを生み出した過程や、今まで誰もやってこなかったことを成し遂げた人たちが印象に残っています。

例えば、発明家のエジソンとか、織田信長のリーダーシップで天下統一に向けて動いたとか、卑弥呼も邪馬台国の人たちに強いインパクトを残しています。

いつか伝記に載っている人たちみたいに、自分が残したもので有名になりたいと思うようになりました。

叔母の死去から医療の道へ

ー高校1年生のときに、その後の人生に関わる転換点があったそうですね?

高校1年のときに、叔母が難しい病気で倒れ、闘病の末亡くなりました。

それまでは伝記に載るような人になれるなら、なんでもいいからがんばればいいと思っていましたが、叔母のことがあってから、医療が人生にものすごいインパクトを残すものなんだなと感じました。

同時に恐怖心も沸いたんです。倒れてから一度は奇跡的に生還して、その後また倒れて亡くなってしまったけれど、奇跡的な生還がなかったら1年は生きられなかった。僕の家族や大事な人、誰かの大事な人に同じような奇跡が起こる確証はない。

その人の置かれている環境や条件によって、結末が変わってきてしまうところに、違和感や絶望感がありました。そこを変えていくと、その人の人生に大きな影響を残せるんじゃないかと思うようになり、医療に関わりたいと思いました。

難しい分野ではあるのですが、それでも人生の礎になるのも医療なんですよね。

ー大事な方との別れから医療の分野に興味をもたれて、そこからは医学部を目指されたのでしょうか?

そうですね。医学部を志望しました。進学校からの受験でしたが、医学部に入るには学力が少し足らず、諦めることになります。

それでも医療に関わりたいとずっと思い続けていたので、どうやったら関われるんだろうとひたすら考えていました。考えているうちに、医療現場や患者さんに直接的に貢献する以外にも、その周りにもまだまだできることがたくさんあるんじゃないかなと感じました。

そこからどういう形であれば、社会にインパクトを残せるかなと考えました。患者さんが医療を受けやすく、医師が働きやすい仕組みを整えていく。また仕組みとしては、持続性も重要だと思います。

ビジネスに興味をもち、医療分野で起業するために情報学部に行こうと決意しました。

一方で、同じように医学部を目指していた生徒が、医学部に行っている悔しさはありました。僕も触発されて、「何がなんでもやってやる」と、メラメラした気持ちになりましたね。

ー医学部から情報学部に方向を変えて、名古屋大学を選ばれたのには理由があるのでしょうか?

元々は、名古屋大学の医学部を目指していたこともあり、名古屋大学の環境に慣れていました。それから、情報学部は比較的新しい環境で挑戦できる。

現在では起業家が増えてきていますが、当時は「スタートアップに先進的に取り組んでいこう」みたいなメッセージがあったので、じゃあここに行こうと決めました。大学が起業の後押しをする雰囲気があったことが決め手でしたね。