ちょっとした焦りとわくわくをシグナルに。映像ディレクター岡村未来の“ご縁”を大切にする生き方

ちょっとの焦りとわくわく感をシグナルに

その後卒業されて、大学に編入されたのですよね。大学はどのような選び方をしたのでしょうか。

高専から筑波大学の3年生に編入しました。私がやりたい研究をしている研究室は、どこだろうという基準で探していました。

編入試験は大学院の試験に近いところがあり、「今まで高専でやってきた研究はこれです」と発表して、質疑応答を受ける。その後に「大学でやりたい研究はこういう研究で、ここの研究室に入りたいと思っています」と面接で話します。

そのため、研究室ベースで選ぶんです。やってみたい研究がある大学を選んだのが一番大きな理由です。

筑波大学を選んだもう1つの理由は、自分の学部以外の授業も受けられて、単位を取得できるという点です。高専では触れてこなかったようなことも、学んでみたいという思いがあったので、魅力的でした。

奈良からつくばに出てきて、何かご自身の中で変化はありましたか?

めちゃめちゃありました。奈良から関東へ、高専から総合大学への変化は、川から大きな海に出たような感覚でした。

筑波大学は、理系や文系の学部もあるのですが、体育専門学部や芸術専門学部などもあり、そこに関心を持って勉強している人もいるんだなと気付いたタイミングでした。

学生以外の方にも出会わせてもらいました。大学のそばには、学生だけではなく社会人の方たちも集まるコミュニティスペースがあり、イベントの告知を聞いて編入直後にふらっと遊びに行ったんです。

つくばは周りに研究所が多い地域で、そこの研究者さんや大企業の方、ベンチャーの方もたくさんいらっしゃいました。様々な属性の方が集まる場で、やりたいことや好きなことに全力で取り組んでいる姿を見て衝撃を受けました。

出会う人たちが、それぞれ自分の軸を持っているんです。いろいろな人と出会っていくなかで、自己紹介ができるような、得意なものや好きなものがあるのかなと考えたときに、「いや、ないな」と気が付いて。

今まで知らなかった世界を知ることで、いい意味の焦りや私も得意とするものが欲しいな、好きなことに挑戦してみたいなという気持ちが芽生えました。

今でもその感覚を味わうことがあるそうですが、その感覚は大切にされているのですか?

そうですね。今でもそういう感覚に陥ることがあるのですが、「いいな」「楽しそう」というわくわく感と、「あれ?自分はどうだろう」という焦り。

反対の感覚ですが、大事にしています。ちょっとの焦りとわくわく感を感じたときは、「今だな、動くべきときだな」というシグナルだと思っています。

動画制作をスタートするものの心身を崩す

大学で、ちょっとの焦りとわくわく感を感じたときは、何か行動に移されたのですか?

研究からすごく飛躍しているんですが、映像を作る仕事をしようと思いました。

SNSやFacebook、紹介などを通じて、いろいろな人に出会いに行きました。そのなかで偶然YouTubeをしている方と知り合い、何かを伝えることが好きという気持ちから、「そうか、YouTubeや映像の形でも伝えられる」と気が付いたんです。

「何かお手伝いができないですか」とお声かけをして、映像編集をさせてもらえることになりました。意外と自分に合っているなと感じ、本格的にやってみたいなと思いましたね。

元々自分で仕事を作っていく、フリーランスや起業に憧れがありました。働き方と思いを伝える手段としての映像制作がマッチしたので、フリーランスの映像制作を食べていけるぐらいになるまでやると決心して、活動を始めました。

そこから本格的に映像制作を始められて、大学生活との両立は大変ではなかったですか?

大変でしたね。残り2年間の大学生活で、映像制作をするのには時間が足りないなと思っていました。そこで1年間休学することにしたんです。

休学するにあたって、まず大学の費用を一時的に出してくれている両親に、納得してもらわないといけないと思いました。

休学中の学費は無料ですが、「1年間でこのくらいの生活費がかかって、これぐらいお仕事をして頑張るから、ちゃんと生活できます」と、プレゼンで考えを伝えて休学の許可をもらいました。

休学期間中は、個人で受ける映像制作の他に、初心者OKのブライダル映像の仕事や、ビジネスを学ぶためにインターンなどをしながら、節約生活をしていましたね。

それから今までに出会った方に、「映像の仕事をしています」と発信するようにもしていました。発信を見た方からお声掛けいただいて、5,000円でロゴアニメーションを作ったのが、初めて個人でいただいた映像のお仕事でした。

少しずつお仕事の幅が広がってゆき、いただける報酬も上がっていき、食べていけるくらいの収入を得ることができました。

現在まで営業をしなくても、周りの方々からの紹介や直接お声掛けいただくことばかりです。とても有難いことだと思い、関わってくださる全員に感謝しています。出会いって本当に大事だなと思います。

ー当時目標にしていたことはありますか?

数字的な目標はありませんでした。軸になっているのは、ご縁を大切に丁寧に仕事をすることです。

ただ自分の関心がある分野として、理系の分野や研究をわかりやすく伝えたい、地方の魅力を伝えたい思いがあり、それに関係する仕事をしたいと思っていました。「こういう仕事もやってみたいです」と周りの方にお話していたこともあり、今は夢がかなっています。

ー休学からいつ復帰されたのですか?

休学は1年だけと決めていたので、1年後には復学しました。学校の単位をとりながら、仕事と卒業研究を同時に進めていました。

忙しいなかでも楽しくはあったのですが、2021年の年末に心身ともに疲弊してしまい、夜になると高熱が出る日が続いたり、耳が聞こえづらくなったりしたんです。

少し体調を崩してしまうと、心も崩してしまい、糸が切れたような状態になってしまいました。心のほうが体より回復しづらく、1年間はできるだけお仕事を減らして、休むことに意識を向けることにしました。

これまでは、「とにかく動く」と思っていたので、正反対のことをすると焦りもあったのですが、休まないと克服できないなと思いました。

糸が切れた後は感情もないし、したいことも思い浮かばない。それでも少し休んでいくと、「今、外に散歩に行きたいぞ」という感情が出てきたり、「カフェでゆっくり本を読みたいな」と思ったりしました。

もう少し元気になると、「そういえば日本一周もしたかったな」と、思いが少しずつ出てきました。この頃から多拠点生活が始まりましたね。

自分の感情に素直になり、ちょっとでもやりたいと思ったことをやってみるうちに、少しずつ回復していきました。