ギャルマインドが日本を変える!ギャル式ブレストCGO・ぱにぱにぱにぱにともちんぱ

挑戦と転職の連続

ー高校卒業後の進路はどのように決められたのですか。

舞台やミュージカル、コンサートなどが好きだったので芸術系の勉強ができる専門学校への進学を決めました。母が元々クラシック歌手で小さい頃から音楽が身近にあり、そこから徐々にミュージカルも好きになり、その道に関われる仕事に就きたいなと思ったのが理由です。

ミュージックビジネス学科に進学したのですが、将来は芸能人のマネージャーになりたいと思っていましたね。

ー結果的にその夢に挑戦されることになったのですか。

専門学校時代は楽しく過ごせたのですが、卒業前に就職先が決まっていないことに気づき(笑)。急いで就活して、高校卒業時の夢通り、俳優事務所のマネージャー業に急いで応募しました。幸運にも合格することができたのですが、いざ働き始めてみると激務で。給料も低く、パワハラやモラハラも多い業界だったので3ヶ月でやめてみました。

ー夢だったマネージャーを3ヶ月で辞められた後、どうされたのでしょうか。

ディズニーキャストになりました。仲のいい友達がやっていてとても楽しそうだったのでという安易な理由で応募し、これまた幸運なことに合格。1年程ディズニーキャストとして働かせていただきました。

ーディズニーキャストを辞められた理由は何だったのですか。

ディズニーの世界にいると、社会の流れが全く分からなくなったことが理由です。もっと外の世界をみたい、世の中と関わりたいと思い、知り合いの派遣会社をされている方に頼んで、仕事を紹介してもらいました。

そしてパルコでのお仕事が始まったのですが、その頃、渋谷のパルコがちょうど建設中でそこを舞台にしてイベントをするという話があったんです。そこで知り合いのアーティストを紹介して彼女のファッションショーをやりたいとお偉いさんにプレゼンしたら自分の案が通ったこともありました。ファッションショーに関わることができるなど、様々な経験をさせていただいて楽しかったです。

一方で、自分は何したいんだろうということを考えるようになり、何か技術をつけないとなと思ってそこからエステサロンで2年間働きました。

自分ならではの表現方法を探し続け、ギャルになった。

ーギャルとの出会いはこの頃ですか。

ギャルに興味を持つようになったのはディズニーキャストとして働いていた時のことです。モヤモヤしていた時に、元ギャルの親友に「あなたにはパラパラが必要だと思う」と言われたことがあって。パラパラをかっこいいと思ったことがなく、やりたいと思ったこともなかったんですが、彼女に誘われるがままに代々木公園でパラパラを教えてもらったんです。そしたら意外にも面白くなって、このパラパラを踊ってきたギャルたちは何なんだろうと興味を持つようになりました。

ーそこからご自身がギャルとなるまでは、どのような経緯があったのでしょうか。

すぐにギャルになろうと思った訳ではなく、気になったらとにかく調べる性格なのでギャルに関する文献を調べるところから始めたんです。ギャルの研究をされている方の本を読んでみたらなんでギャルが生まれたのかということを学術的に考えるきっかけがもらえて、社会問題とギャルがどう結びついているかについて知ることができました。その後も、姫ギャルパラダイスギャル医者あやっぺという漫画を読んだことでギャルの魅力を知ることができ……2年間近くギャルに関して調べたり考えたりした結果、ギャルマインドって最高だと思ったと共に、世の中にはギャルが必要だと思ったんです。

そんなタイミングで出会ったのがキンキーブーツというミュージカルでした。ドラァグクイーンの方が主人公のお話だったのですが、そのミュージカルにハマってエステの仕事をやめて連日ミュージカルを見に行きました。

ーキンキーブーツの何に惹かれたのでしょうか。

作品に含まれた「ありのままの他人そして自分を愛してください。自分が変われば世界も変わります」というメッセージが素敵だなと。日本に必要なメッセージだと思いました。

また、言葉の表現方法など、とにかく表現方法がユニークで私もこんな表現ができたらと憧れたんです。私もドラァグクイーンになりたいと思ったんですが、ステージに立つことにはあまり興味がないなと思った時に、もしかしてドラァグクイーンとギャルの考え方が似ているんではないかと思いました。ギャル特有の世界観とドラァグクイーンならではの世界観が似ているなと。クィーンさんみたいな独特の表現方法で世の中の社会問題などに発言する存在に自分がなりたいと思った結果、ギャルになろうと決めました。

ーそこから正式にギャルになるための行動を始められたのですね。

まず初めはギャルになる前にショーパブで働いてみることにしました。ショーパブにはいろんな方が働かれているので勉強になると思ったんです。また、踊ることで自分が表現できるかを確認してみたいという思惑もありました。

結果的に踊ることは自分の表現方法ではないと思ったので、次に挑戦したのがギャルのアイドルグループの新メンバーに応募することでした。しかしこちらも言葉で表現する機会は少なく、辞めてしまいました。

ー自分に合った表現方法はその後見つかったのでしょうか。

次は渋谷のギャルカフェというところで働いてみることに。そこでついに自分がやりたいことを既にサービスとして始めているバブリーちゃんに出会ったんです。彼女がやっているギャル式ブレストがまさにギャルフィルターを通して社会のルールを変え、社会問題を解決したいと考えていた私のやりたいことと合致していました。同じバイブスのギャルと出会えて、ギャル式ブレストのCGOとして働くことが決まって、今に至るという感じになります。