妥協した大学入試を経て、勉強と向き合い大学院に進学
ー大学進学の決め手はありましたか?
自分の学力で行ける大学のなかで、よりいいと思う滋賀大学を選びました。
ラグビーは冬のスポーツで、引退が高校3年生の11月中旬ぐらいなんです。引退から1、2ヵ月後にセンター試験を迎えるので、本当に勉強できていませんでした。志望校があったというより、選べる学校が限られた状況でした。
ー大学生活はどのように過ごされていましたか?
大学でも勉強はせず、カラオケやボーリングに行って遊んでいました。学生生活をエンジョイしていましたね。
高校時代は部活がキツすぎて終わる時間も遅いので、あまり遊んでいませんでした。大学生になって超フィーバー状態になったので、めちゃめちゃ楽しかったです。
ー大学院に進学されたのはなぜですか?
理系は大学院に行くのが当たり前という感覚があったからです。周囲の人もほぼ全員大学院へ行きましたし、大学院に行かず就職を選ぶ人のほうが珍しかったです。
ですがいざ大学院進学を考えたときに「自分の人生このままで本当に大丈夫か」と不安になりました。大学では勉強もせず遊びまくって、このままの状態で大学院に行って卒業して大丈夫なのかと思ったんです。
一度真面目に勉強しようと大学3年生の冬に決めました。いろいろ調べたときに東北大学の大学院が面白い研究をしていると知り、関心を持ちました。
当時大学は実家から通っていましたが、ひとり暮らしをしたくて東北大学の大学院に行きたかったという思いもあります。
時間と場所にとらわれない生活に憧れ、大手企業から独立を目指す
ーその後東北大学の大学院で学ばれて、就職活動はどのように進められたのですか?
一般的な就職活動とは異なり、旧帝大院卒の就職活動は志望する企業に行けるんです。大学主催の就職フェアに有名企業のリクルーターの方が来て、自社紹介後に学生が企業を選ぶフローで進みます。
たくさんの企業のなかでも、日産にとても興味を抱きました。日産のリクルーターの方が声をかけてくださり、仕事に対してすごく熱心に語られている姿が素敵だと思ったんです。
他に何社か話は聞いたのですが、日産に行きたいと思いました。もともと自動車業界を志望していたので、日産のリクルーターの方の熱量と事業内容に魅力を感じたんです。その後日産の本選考を受けて、就職しました。
ー日産に数年務め、自由な生活に憧れるようになったそうですね。
海外で活躍しているYouTuberの方を観て、海外で映像を撮影した後に視聴者に配信して、場所と時間を選ばない自由な働き方がめっちゃいいなと思ってたんですよ。ちょうどYouTuberが流行り出した時期でしたね。
勉強もスポーツも頑張って、いい高校いい大学、いい会社に入るといったようなエリート街道を歩んできて「人生そういうもんだ」と自分の生き方を疑ったことがなかったんですよ。YouTuberとの出会いは、今までの価値観を変えたように思います。
ーさらに黒山さん自身に考え方の変化があったと伺いました。
初めは芸能人を観る感覚でYouTuberの方を観ていたのですが、ふいに「僕でもできるんじゃないか?」と思ったんです。自己肯定感の高さや今まで習得したスキルを活かせば、できないことはないと思いました。
YouTuberの方は自分より優れていて手の届かない存在ではなく、行動をした人だと見方が変わりました。行動に移してないから、できてないだけと思ったので「やればできる!」と勉強をはじめました。1番の人生の転機だと思っています。
ー「自分ならできる」というモチベーションはどこから湧いてくるのでしょうか?
人と比べるのがめっちゃ好きなんです。人と比べないことは不可能だと思っています。たとえば、勉強では順位がつくし、スポーツも勝つか負けるかの世界ですよね。
他の人に勝つために、人と比べながら努力をたくさん重ねています。勝つことも好きなんです。常に人と比べて勝ちつづけてきたので、成功体験も多く、自己肯定感も高くなり、いろんなことに挑戦できるのだと思います。このプロセスは新しいことに挑戦するときの自信につながっています。
あとは昨日の自分と比べることもすごく大切です。自分と他人の双方と比べることが大事だと思います。世間に求められる以上の結果を出すためには、昨日の自分より一歩でも前進してるかを把握する必要もあると考えています。
師とする代表との出会いから会社の創業メンバーになる
ーどのようなタイミングでフリーランスになられたのですか?
副業の収入が日産の収入と同じくらいになったタイミングで、会社を辞めました。学んだプログラミングを活かして、副業ではHP制作をしていました。
ーフリーランスとしてどのような働き方をされていましたか?
都内のドミトリーを転々としながら、フリーランスの仕事をしていました。
時間と場所を選ばずに働くために独立したので、ずっと海外に行きたかったんです。ですが独立したタイミングがコロナ真っ只中で、すぐ海外には行けませんでした。自由な働き方を実現するために、国内を移動しようという考えに至りました。
ードミトリーを転々とするなかで、印象的な出会いはありましたか?
現在の会社の代表との出会いです。いろいろ話して「この人本当にすごいな」と思いました。代表は若くして起業していたので、ゴリゴリの仕事人でした。普通の人生を歩んできたら、経営者の方と話す機会なんてないじゃないですか。この人からいろいろ学びたいなと思って、代表がいる大阪に行きました。
当初はフリーランスとして働いていましたが、仕事の内容も近しかったので、「一緒に会社やろう」という話になり、創業しました。このときに現在の役職も決めたんです。
ーCOOとして働くのは大変なイメージがあります。
スーパー大変です(笑)。ですが大変は悪いことではないと思っています。むしろイージーモードな人生のほうがつまらないので、ハードモードで日々挑戦することのほうが楽しいです。
代表は10年以上経営をしているので、フリーランスのときと成長速度が全然違います。大変でもやればできることはわかっていますし、その先にどんどん自分が成長していけると思っています。
ー今後目指したいビジョンを教えてください。
まず、今の会社を大きくしていきたいです。まだ2期目の会社なので、これから3期目、5期目、10期目と事業を拡大していくことを目指しています。コロナ渦になり、さらにWebのニーズが増したと思っています。まだまだ企業や経営者のなかには、Webをうまく活用できてない方がいるので、そのような方にWebの可能性を届けたいですね。
自分自身としてはかっこいい人生を歩みたいです。すごく仕事ができて、いろんな人から憧れられるのが理想としてあります。常に後悔しないような選択をしたいですし、30代を迎えたときに「あの人の生き方かっこいい」と言われたいです。自分が理想だと思う生き方をしていきたいですね。
ー最後に、U-29世代の読者に向けてメッセージをお願いします!
人生一度きりなので、後悔しない選択をしてほしいです。後悔しない選択とは、最良の選択をするために頑張るのではなく、選んだあとに死ぬほど努力をして「その道が正解だった」と思えるものだと考えています。
選んだあとに「この道が最良だった」と言えるくらい本気で頑張ることが重要だと思います。もちろん不安だと思いますが、いくら悩んでも選択するまではわかりません。選んだ未来を正解にするための努力は、僕もすごく意識してきました。みなさんにも意識してもらえたら嬉しいです。
ーありがとうございました!黒山さんの今後のご活躍を応援しております!
取材:八巻美穂(Twitter / note)
執筆:naoko(Twitter / note)
デザイン:高橋りえ(Twitter)