株式会社レガロニコ代表取締役の米森良偉が語る、自分らしいキャリアの選び方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第836回目となる今回は、米森 良偉(よねもり・らい)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

地元の静岡で起業し、地元の企業に対して、ホームページ制作や動画制作など、WEBからの集客を最大化するお手伝いをしている米森さん。起業までのエピソードや、現在のお仕事、今後の展望などについてお話していただきました。

地元・静岡で起業!お客様のためになりたい一心で、サービスを提供

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

米森 良偉(よねもり・らい)と申します。静岡で株式会社Regalonico(レガロニコ)を立ち上げ、県内の中小企業を中心に、ホームページ制作などのネット運用を提案しています。お客様の課題や潜在的な悩みに対する、オーダーメイドのサービス提供が特徴です。

ー具体的にはどんな方へ提案しているのでしょうか?

静岡県内の、40代〜50代くらいの経営者さんを相手にお仕事することが多いですね。ビジネスに関しては、経営者さんから学ばせていただくことが多いです。代わりに僕の専門分野であるインターネットに関する知識を提供しています。

起業前はWEB制作会社で、営業として働いていましたが、2021年9月に独立して、2022年10月に会社を立ち上げました。いまは8人くらいで動いています。

個人で仕事をしているときと働き方自体は変わらないのですが、「株式会社」と名がつくと信用してもらえたり、お仕事をいただけることが増えたりしましたね。

ーどんなところにやりがいを感じていますか?

自分が提供した商品で、お客様の結果につながっていると感じられるところですね。例えば自分の提案した商品によって、お客様の集客に関する課題が解決できているのを見ると嬉しいです。

あとはワーケーションなど、場所や時間に縛られない働き方ができることも、独立してよかったと思えるポイントです。

webマーケティングは、施策を打って、お客様から購入に至ってもらうまでがまるでゲームのような感覚で、やっていて楽しいですね。ビジネスでは売るのも買うのも人間なので、心理学も学びつつ、まずは根本的に人間というものを理解することが大切だと思っています。

安定した工場勤務から厳しい営業会社に転職、その後独立へ

ー会社を立ち上げる前は、どんなお仕事をしていたのでしょうか?

高校卒業後は、大手企業の工場で働き始めました。現場作業で夜勤もありましたが、特に残業もなく、ホワイトな職場でしたね。周りには終身雇用で働く年配の方も多かったのですが、自分としては、人生をかけてこの仕事をやり続けるのかと暗い気持ちにもなりました。

そもそもこの仕事についたのも、プロミュージシャンの父を反面教師として捉えていたからなんです。父はテレビに出たり、飲食店を経営したりもしていましたが、僕は安定した仕事に就きたかったんですよね。でも結局、工場勤務を経て、僕も好きなことをやりたくなって転職することにしました

人と話すのが好きなのと、若いうちに営業のスキルを身につけたい気持ちもあり、未経験で営業を募集している企業に応募しました。転職先は大手企業ではなかったので、元の会社の人からは「なんで辞めるんだろう?」と思われていたと思いますね。

転職当時、不安はあまり感じませんでした。むしろ、転職せず、工場で同じような仕事をずっと続けていく方が不安で。新しいことに挑戦したい気持ちになっていましたね。

ー転職後はいかがでしたか。

営業会社に入って、ボコボコにやられました(笑)。入社後は根拠のない自信があったものの、全然結果が出せなくて。毎日こってりしぼられて、挫折しましたね。

でも、会社の先輩社員が結果を出している姿を見て、この人にできていて自分にできないわけがないなと思って悔しかったのと、いまも尊敬している直属の上司が優しく教えてくれたので、1年間続けられました。

中でも忘れられないのが、若手が集まる山ごもりでの営業研修です。途中、長距離走の機会があって。サッカーをやっていた頃の体力を活かして1番にはなれたのですが、無理をしすぎて体調にもしばらく支障をきたしましたね。身体的にも肉体的にもつらい思いをしましたが、乗り越えられないならやめていってくれという社風でした。

この頃に比べると、いまは辛いことがあっても大したことがないなと思えるので、若いうちに辛い思いをしておいてよかったです。その後は努力を続けて、周りの人にも恵まれ、営業成績で1位も取れました。

ーそこまで努力されたのに、なぜ会社を辞めることになったのでしょうか。

売っている商品が本当にお客さんのためになっているのかと考えると、モヤモヤしたんです。

お客さんのことを考えると別の商品を買った方がいいのにと思いながらも、心を鬼にして売っていたときもあります。会社的に離職率が高いのも、この矛盾に気づき始めるタイミングがあるのだろうなとうすうす感じていました。

当時は副業ブームだったので、Twitterのアカウントを作って、副業をしている方と情報交換をするうちに、独立もアリだなと思い始めていました。営業の経験を生かして、もし自分で商品が作れたら、自分でも売れると思ったんです。

ーいつ頃独立されたのでしょうか?

あまりオススメしないのですが(笑)、まったく副業の収入がなく、もちろんお客さんも0の状態で独立しました。会社を退勤してからは夜中の3時ごろまで、寝る間も惜しんでweb制作の勉強をしていましたね。

独身で挑戦できる環境にはあったので、新しいことにチャレンジしたいと考えていました。本当に、死ぬこと以外かすり傷だと思っていましたね。

ありがたいことに、事業はすぐに軌道に乗りました。SNSで情報発信していたこともあり、知り合いの方からお声がけいただいたり、あとは独立してからいろんなところに顔を出すように心がけていたので、そこから仕事につながったりしました。

営業会社に勤めていたときは本音と建前を使い分けていましたが、いまは自分がいいなと思ったサービスしか販売していません。心がラクになりましたね(笑)。