様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第824回目となる今回は、株式会社リードエッジコンサルティング 取締役COOの中屋敷 将大(なかやしき まさひろ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
学歴やグローバルと無縁の環境で生まれ育った中屋敷さんですが、現在は取締役COOとして世界を相手に事業を推進しています。どのように環境や人生を好転させたのか。若き経営者に、大事にしているマインドや今に至る生き方を伺いました。
NFT・IT領域で新規事業開発や事業成長をグローバルに牽引
ーまずは、簡単に自己紹介をお願いします。
株式会社リードエッジコンサルティング 取締役COOの中屋敷将大と申します。早稲田大学文学部卒業後、大学在学中に運営していた事業を現在の会社に事業譲渡し、取締役として入社しました。現在は新規事業の立ち上げやプロダクト開発に従事しております。
ー若くして事業を牽引されている中屋敷さんですが、現在主に取り組んでいる事業を教えてください。
会社自体は経営やファイナンスのコンサルティング、またフィットネス領域の事業をやっていますが、私自身はIT寄りの領域で事業をしております。具体的には、NFT領域を中心に様々な事業のコンサルティングや構築、運営を行っています。
またNFT以外では、EC領域の事業にも携わっています。日本はEC化率が低いですが、逆にまだまだマーケットは伸びる余地があると考えております。我々は主にガジェット領域で、トレンドとなる最先端を韓国でキャッチアップし、最安・最速で製造できる中国で製品を作り、日本に輸入して販売する。東アジア各国の強みを活かしたスキームでまわす仕組みです。
ーNFTは昨今話題になっていますよね。具体的にどういうものなのか、また最近の市況を教えていただけないでしょうか。
NFTとは2017年頃に登場した、ブロックチェーン技術を利用したデジタルの真贋証明技術です。単純にいってしまえば、デジタル上にIDを証明するだけの技術なんです。使い方の例としては、デジタルIDに紐づくアート作品の販売や会員証のパスとしてIDを使えるツールで、どのように拡大するかはアイデア次第なところがある市場です。
2021年は、アート作品やイラストに紐付けたNFTのプロジェクトが盛り上がりました。数億円、数十億円の値で売買されているシーンを知った方からすると驚きだったかもしれません。当時はNFTの中で新しい文脈が派生していったので、初期であるが故の高騰だったと考えています。それに比べて2022年に入ると、NFT市場は下火になっています。
今後は投資的な使い方としてではなく、NFT技術の活用を模索する時期に突入したと私は考えています。
大学受験失敗から得た、今も大事にする二つの指針とは
ーここからは、中屋敷さんが現在に至るまでの生き方を深く掘り下げていきます。幼少期から高校時代について詳しくお伺いしたいです。
宮崎県出身で、鹿児島との県境にある高原町に生まれました。人口は現在約8,000人ほどしかおらず、交通面・情報面ともにアクセスが不便な山間部の地域です。そのため、私の世代はデジタルネイティブだといわれますが、私自身は高校生になるまでパソコンがない家庭で育ちました。
小学校から高校までサッカーをしており、大好きな漫画雑誌『ジャンプ』の編集者になるのが夢でした。家族を含めて大学進学者がいない地域で、当時は東京や世界を意識することもなかったですね。
ー山間部である高原町から、宮崎市内の高校までの通学が大変だったとお聞きしました。
宮崎市内の進学校まで、下宿や寮生活ができないので毎日片道60kmの道のりでした。九州の高校は7時半から朝課外があるため、5時半には家を出なければならないんです。町から直通の交通機関もないので、親に隣町まで車で送ってもらい、バスと自転車で2時間かけて通学しました。
ーそんなハードな通学環境のなか、部活も勉強も頑張っていたのですね。
進学校に通っていたため、受験に向けて入学時から勉強する環境だったのはもちろん、サッカー部も週6、 7で活動があるような厳しい環境でした。その頑張りが報われ、最後の大会は県大会ベスト4まで進むことができました。
高校3年生の時期は朝7時半から夕方6時まで授業を受けたあと、図書館で夜9時まで自主勉強。終バスで2時間かけて帰宅し、翌朝5時起きという生活でした。
ー受験勉強を頑張っていた中屋敷さんですが、大学受験で挫折した経験があったとお聞きしました。具体的にお伺いしてもよろしいでしょうか。
当時は編集者になるために文学部か、官僚も視野に政治経済学部・法学部を目指していました。現役時代は勉強を頑張ったと言えるほどではなかったので、一年間浪人をして福岡の予備校に通うことにしました。勉強をせざるを得ない状況は、僕にとってある意味で充実した時期でした。
ただ、センター試験本番では高得点を出せたのですが、東京大学の2次試験までの期間は、過信から勉強を疎かにした結果落ちてしまったんです。合格は確実だと思っていたので、どん底に突き落とされたような絶望感でしたね。最終的には、早稲田大学文学部哲学コースにセンター利用で進学しました。
志望校には受かりませんでしたが、実際に模試やセンター試験で結果が出たのは、「やればできる」ことを証明することにもつながり、現在に至るまでの自信になっています。ただし、「最後に気を抜くと失敗する」ことも課題として感じましたね。これらの経験から、私のなかでは二つの指針ができたように思います。
ー中屋敷さんにとって大学受験は、人生の大きな転機の一つになったのですね。
そうですね。あの経験がなければ今の自分は違ったものになっていたと思います。
今はポジティブに捉えられるようになってきましたが、大学入学時はメンタル的に辛かったので、今思うともったいない過ごし方をしていたかもしれません。オープンにいろんなことに挑戦したり、いろんな人と関わったりすることを自ら手放していた時期でした。
一方で、東京大学に進学した人よりも、充実した大学生活やいいキャリアをつくろうと燃える気持ちもありました。そういう意味では、大学1年生からプログラミングを学んだり、ヒッチハイクで全国を旅したりなど様々な経験ができたように思います。