計画は立てるが依存はするな。教員・小貫寛哲の人生の行動指針とは

イギリスの大学院を経てインターナショナルスクールの教員に

ーサウスカロライナの大学は1年契約だったのですか。

そうです。契約が1年だったため、仕事をしながら次の進路を探しました。当時、アメリカでの就職や大学院の修士課程に進学して研究職に就くことを視野に入れていました。

研究職で食べていきたいという思いが強かったので、イギリスの大学院の修士課程を選びました。海外就職を考え、海外の大学院への進学を決めましたが、コロナが流行し、オンラインで修士課程を卒業しました。

ー研究はどうでしたか。

大学院に入学する前は日系人コミュニティについて勉強する予定でした。コロナの影響でイギリスに行けなくなり、日本に来る技能実習生と日本語というテーマで研究をしました。

研究では会社員時代に身に着けた技能実習生に関する知識と、アメリカで日本語教育を学び実践していた経験を活かすことができました。修論を書くことができたのも今までの経験があったからだと思います。

ー絶望の会社員生活とアメリカ生活がここでつながるのですね。

その時その時を大事にして生きていくことで将来役に立つと実感した瞬間でした。その時にはネガティブなことでも、後になってから活きてくるんですね。僕は今までの人生を振り返るとすべて計画通りにいっていません。それでもすべてが活きて今があります。

ー修士課程を修了後、博士課程には進学しなかったのですか。

博士課程は修了するまで5-6年はかかると言われています。僕は博士課程に行くことも考えていたのですが、妻は早く子どもを持ち、安定した家庭を築きたいと考えていました。将来のプランやお互いが求める部分にズレがあると思い、別れることを考えました。しかし、別れ話になった瞬間涙が止まらなくなり、4時間泣き続けました。

この時、妻と一緒にいることで幸せの総量が高いことに気づき、妻と一緒にいる道を選びます。

ー小貫さんが4時間泣いたことに驚きました。

自分でも驚きました。大学時代、イベント運営系のサークルに入り、大学祭のライブ運営をしていました。苦労しながら成功させたライブを見て喜ぶお客さんを見て涙するのが定番なのですが、一切泣きませんでした。そんな僕が4時間泣き続けたわけですから、それだけ彼女の存在が大きかったのです。18歳で出会ってから僕の思い出や人生に彼女の存在がありましたから、彼女のことを自分の半身のように感じていたんです。

ー人生、何が起こるかわかりませんね。

そうですね。今まで僕はキャリアやパートナーとの生活について色々と計画を立てながら、前に進めようとしてきましたが、正直その計画はうまく行っていないことの方が多いです。

会社員時代はベトナムで働くつもりでしたが、できませんでした。アメリカに行くことは完全な計画外でした。イギリスの修士はコロナで渡英できず、博士課程は妻とのことを考え保留中です。今は学生時代は想像もしていなかったインターナショナルスクールの教員をしています。

人生は何が起こるか分からず、先ほど話した通り起こったことがいいことか悪いことかも、その時点ではよくわかりません。これらの経験から、人生において立てた計画に固執してはいけないと感じています。それでも僕は計画を立てることは大切だし、立てるべきだとも思っています。

なぜなら、計画は前に進む勇気をくれるからです。計画がなければ、怖くて前に進めません。将来はとりあえずここに進もう、ダメならこれをしようというビジョンがなければ、挑戦はできないです。

積極的に計画を立て、行動し、それでも計画には依存しない。そんなキャリア観が大切なのかなと僕は感じています。

ー今後の展望はありますか。

日本国内や海外で日本語を独学で勉強している人たちを支援する活動を将来的にしようと考えています。いまや日本語学校で日本語を勉強する人は少数派となりました。多くの人はYouTubeで動画を見たり、自分で教材を買って勉強したりします。

独学で勉強している人を対象にライティングを採点してフィードバックをしたり、スピーキングのレッスンをしたりするサービスを展開したいです。将来的には日本語を勉強する人たちのコミュニティを作り、日本で暮らす海外の人を支援するネットワークの基盤になってほしいです。

ーありがとうございました!小貫さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:丸山泰史
執筆:Kumi(Twitter
編集:松村彪吾(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter