営業代行社員と役者の二足のわらじで活動する坂戸公輝を支えた「人の温かさ」とは

コロナを機に上京するも、腰の怪我で寝たきりに

ー芸能事務所での活動は順調でしたか?

この頃にコロナウイルスの流行がはじまって、テレビリポーターなので現地に訪問ができなくなり、仕事が激減してしまいました。

マネージャーさんとも今後について相談し、これ以上感染拡大が広がり何もできなくなってしまう前に、2020年4月頃に東京にでて、芝居の勉強をはじめてしまおうという結論になりました。

ーコロナをきっかけに上京されましたが、もともと東京でお芝居を学びたいと考えていたのでしょうか。

はい、いつか東京で芝居を学びたい気持ちはありました。というのも、芝居の細かい技術は独学でやっていた部分があって。東京では専門学校や大学でしっかり土台を作ってから芝居をされている方が多い。そう考えると、このままではいけない気持ちがあったんです。

ーゼロから新しい生活がはじまったかと思いますが、東京での生活をお聞かせください。

上京してすぐに引っ越し屋のアルバイトをしていたのですが、そこで腰の怪我をして寝たきりの状態になってしまいました……。最初の半年間は座ることも立つこともできず、うつ伏せで毎日ボーッと過ごす日々。結局療養で1年ほど棒に振ってしまいました。

ーそれはとても大変でしたね……。療養を終えてから、1年後にどんな気持ちでリスタートされましたか?

正直不安でした。ずっと寝たきりで、容姿も自信を持って人前に出るような状態ではなくなっていたので……。

それからはダイエットをして体を鍛えながら、事務所探しのオーディションをいくつか受けました。4つ目に受けた事務所に無事に合格することができて、今もそこに所属しています。東京在住の友人がこの事務所に所属していて、彼女がオーディションに誘ってくれました。

ー芸能事務所が決まって、今の営業代行のお仕事はいつから働かれたのでしょうか。

芸能事務所が決まったあと、次は生活する上で必要な収入を得るための職場を探しました。

こちらも先ほどとは別の、高校時代の友人が声をかけてくれました。当時彼女が株式会社営業ハックに在籍していて、「メンバーを探しているんだけど、働いてみない?」と誘ってくれて現在に至ります。

人とのつながりあったから乗り越えられた

ーいろいろなご縁が現在に繋がっているんですね!挫折したりうまくいかないとき、乗り越えられた要因はなんだったのでしょうか?

ふりかえってみると、周りの人が助けてくれた共通点があります。本当に挫折したときって、自分ひとりでは乗り越えられなかった。友人や地域の方々など、人とのつながりやご縁が困難を乗り越えられた大きな要因だったと感じています。

ーやりたいことが見つからない方や、一歩踏み出せないで悩んでいる同世代の方に、ご自身の経験から言葉をかけるなら何を伝えるのかお聞かせください。

チャレンジしても現状維持しても、どちらを選んでも「違う道に進んでいたらどうなってたのかな」と自分も考えてしまうんです。結局隣の芝が青く見えるときがある。

でも「最後に笑っていられたらそれでいいか」と、どの道を選んでも軽い感じで考えるようにしています。それが自分の経験から伝えられることですね。

ーいろいろな悩みや葛藤を乗り越えて、「笑っていられることの大切さ」に気がついたんですね!

しんどいときって気がついたら笑わない生活になってしまうんですよね。テレビで楽しそうな人を見るのもつらくなったりして。そうなると悪循環にハマってしまう。

もし生活の中で笑っていられる時間があるなら、その時間を大切にしていくのがいいなと思います。

ーありがとうございました!坂戸さんの今後のご活躍を応援しております!

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取材:山崎貴大(Twitter
執筆:田中タツ(Twitter
デザイン:安田遥(Twitter