やりたいことに向かって突き進む!パラレルワーカーの柏木美紗子が語る、夢を実現する方法

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第810回目となる今回は、柏木 美紗子(かしわぎ・みさこ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

WEB広告代理店で働きつつ、パラレルワーカーとしても活躍中の柏木さん。学生時代のエピソードや、現在のお仕事、今後の展望などについてお話していただきました。

週7日アクティブに動く!地域活性化に貢献したい

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

柏木 美紗子(かしわぎ・みさこ)です。WEB広告代理店で、アフィリエイトのコンサルタントとしてフルタイムで働いています。土日はパラレルワーカーとして、現在住んでいる東京都日野市で、地域活性化の活動をしています。

週7日働いているような感覚ですが、月に1度は何もない日を作って、温泉に行く時間を作るなど、リフレッシュするようにしています。

ー地域活性のイベントで、特に心に残ったものはありますか?

去年の年末に行った、日野市の豊田駅周辺を活性化するイベントです。豊田駅は住宅街に位置する駅で、開発中の空き地を生かしてキッチンカーを呼んだり、焚き火のところでクラフトビールを楽しめたりするイベントを、仲間5人ほどで計画しました。

20代くらいの若者を集めたいという気持ちで実施しましたね。

ー柏木さんの幼少期は、どんなお子さんでしたか?

アニメが好きでしたね。保育園でも友だちとは遊ばずに、ひたすら絵を描いていました。お絵描きが好きなまま成長して、小学生の頃には少年ジャンプが好きになりました。

小4頃には、漫画家を目指して、Gペンなどの画材を買って描いていましたね。

金銭的に苦しんだ学生時代。それでもやりたいことは諦めなかった

ー学生時代、1番印象に残ったことを教えてください。

高校生のとき、父親が亡くなったことですね。わりと受け止めは早かったと思います。

学生時代は、お金がないから何もできないと考えることが基準になっていました。家庭事情もあり、わたしの選択肢にはいつもお金が絡んできて、お金がないからと諦めてしまう癖がありました。

周りはお金がなくても、親に大学の学費だけは貯めてもらっている子もいましたが、自分だけ親のせいで大学に行けなくて。フラストレーションを抱えていましたね。フリーターとして1年過ごし、大学に行くことを決めました。

ー大変な生活だったんですね。

父が亡くなって数年後、遺族年金が切れてしまったのを母が知らず、家庭のお金がなくなってしまったことがありました。給湯器が壊れたにも関わらず買うお金がなくて、お風呂に入れず、近くの祖父の家のお風呂を借りる生活も1年続けていましたね。

それでも大学に通いたくて、コンビニや居酒屋のバイトを掛け持ちしてお金を貯めました。当時のお給料は、住んでいた新潟の最低賃金600円台でしたが、月15万円貯めることを目標に働いていました。

その後、当時付き合っていた彼氏と、初めて19歳で埼玉に上京しました。引っ越してからは派遣など、お金がもらえる仕事ならなんでもしましたね。その中で1番楽しかったのが、ゆるキャラフェスティバルの運営など、イベントの手伝いの仕事でした。周りが楽しんでくれる空間を提供することにやりがいを感じました。

ーその後、貯めたお金で大学に進学されたんですよね。

140万円くらい貯めて、大学に入学し、経済学を学びました。周りは親に学費も生活費も払ってもらっている学生が多くて、わたしの生活は自分で手に入れたものだという誇りがありましたね。1、2年生は、バイトと授業に明け暮れる日々を送っていました。

その後、2年生の後期からは、FPや簿記などの資格勉強も始めました。

3年生からのゼミを選ぶ上では、イベントの運営が好きなこともあり、まちづくりや観光などのゼミを選びました。お金のない学生時代を過ごしたので、公務員や銀行員など安定した仕事につながるゼミを選ぶかは迷いましたが、当時はインバウンドの盛り上がりもあったので、まちづくりや観光系のゼミが楽しそうだと思ったんです。

ー所属されたゼミではどんな活動を行いましたか?

大学3年のとき、埼玉県熊谷市の活性化に関わりました。あとは、大学4年生のとき、ゼミの先生の知人が関わっている、バスタ新宿の施策のプロジェクトにも携わりましたね。

バスタ新宿は女性トイレが足りない問題があったので、女性目線での提案をしたり、日帰りでの高速バスを使った観光の提案をしたりしました。

在学中、ゼミの先生から「絵が得意と聞いたよ。描いてみて」と声をかけられて、ペーパーバスケットのデザインを描いてみたところ、それが商品化されたこともありました。世に自分の商品が出る、いい経験をさせてもらいましたね。2017年〜2018年にかけて、バスタ新宿で販売されていました。自分が作ったものを、他の人が手に取って買ってくれる経験はとてもよかったです。

ー卒業後はどんなお仕事を選んだのでしょうか?

大学卒業後は、不動産賃貸仲介営業の仕事に就き、3年2ヶ月ほど働きました。新潟の実家では、土地だけはあったので、将来相続することもあると思い、宅建を取らなくてはと思ったんです。

営業には苦手意識がありましたが、有形商材であればできるかなと思い選びました。

営業を行った日野市は、周りに大学が多い地域で、とくに日野市に愛着がなく住んでいる人が多い印象にありました。家賃が安いから、という理由だけの人も多くて、市に面白みがあると思っている人が少ないと感じたんです。

日野市ならではの魅力をもっと知ってほしいという気持ちがあり、地域に根付いた活動がしたいと思うようになりました。有給をとって土日のイベントに出たり、夜のイベントに出たりしていましたね。

ふと、自分の生活を振り返ってみたとき、20代は永遠と働いていて、心から自由に何かをできたことがないなと感じたんです。一度自分のキャリアに無職を入れて、働かずにやりたいことにコミットしたらどうするか、試してみたいと思いました。

働く中で、お金もそれなりに溜まっていました。大学時代に、保険や税金や不動産、相続、投資系を全体的に網羅できるFP2級(2級ファイナンシャル・プランニング技能士)まで取ったこともあって。お金の知識もあったので、金銭面では問題がないと思い、やめる決断をしました。