様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第805回目となる今回は、長岡市地域おこし協力隊の辻 貴美花(つじ・きみか)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
仕事と家族は同じくらい大切と語る辻さん。学生時代、学内にベンチャー企業を設立していた先生に誘われ、クラウドファンディングや広報活動など様々な業務に携わります。移住と結婚をしたのち、現在は長岡市で地域おこしの活動をする辻さんに、自分が望む幸せを手に入れるための考え方をお伺いしました。
走ることが好き。陸上部の仲間とともに過ごした学生生活
ーはじめに自己紹介をお願いいたします。
2022年4月から、長岡市地域おこし協力隊として活動している辻 貴美花(つじ・きみか)と申します。出身は福岡県北九州市で、北九州工業高等専門学校の機械科を卒業しました。ベンチャー企業やスタートアップの会社を経て、現在は長岡市に移住し、コワーキングスペースNaDeC BASE(ナデックベース)の運営をしております。
ーまずは、どんな幼少期を過ごされたのか教えてください。
幼い頃からずっと身長が低くて体重も軽かったのと、競艇が好きな祖父や父の期待から競艇選手になりたいと思っていました。競艇選手になれば、家族が喜んでくれるというのが根本にはありましたね。
それに、小学生のときは学年の女子で一番足が速くて、クラスの中心になるような存在でした。お友達も多かったですね。でも中学に進学してからは人間関係がうまくいかず、休み時間は本を読んだり委員長をしたりする真面目なタイプでした。
ー当時、部活などの活動はしていましたか?
中学生のときに陸上部に入部しました。入部した理由は、小学生の頃に足が速かったからです。中学生になるといろんな小学校から生徒が集まるし、体型の差も出てきて身長が低い分、いくら一生懸命練習しても結果が出なかったんです。そこで初めての挫折を味わいました。
続けるべきか悩みましたが、走ること自体や陸上部の仲間は好きだったので、中学3年間頑張って乗り越えることができました。
ーその後、15歳で北九州工業専門学校(以下略、高専)に入学されたそうですね。高専に進学しようと思った意思決定の過程を教えてください。
当初は「競艇選手になりたい」という夢を叶えるために、福岡県柳川市にあるやまと養成学校も視野に入れていました。ただ、中学卒業後すぐに入ると、自分のキャリアとして学歴が中卒になってしまうのが気になったんです。だから、一度高校に進学して工学を勉強してから、高卒の学歴を取得した上で競艇選手になろうと思いました。
その際に、地元の工業高校か家から遠い高専に進学するかで迷いましたが、高専に入学できる成績はあったので高専への進学を決意しました。
ー高専での学生生活はいかがでしたか?
高専の機械科に進学したので、クラスのほとんどは男子でした。それに当時はクラス替えがなかったので、機械科のメンバーと5年間過ごす生活を過ごしていましたね。
だから、少しでも人間関係でトラブルが発生すると大変でした。私自身も1年生の冬からクラスに行くのが嫌になって。でも学校を辞めるという選択はどうしてもできなかったので、授業以外はカウンセラールームに通っていました。
高専で入部した陸上部が唯一の心の拠り所だったのは救いです。一緒にいて楽しかった陸上部の仲間が大好きでした。陸上部があったおかげで、学校を辞めずにここまでこれたと思います。
ベンチャー企業で働くと決意。人生が大きく変わった瞬間
ー高専を卒業されてから、ベンチャー企業に入社されたそうですね。どういうきっかけがあったのでしょうか?
就職で悩んでいた際に、学内ベンチャーを立ち上げていた高専の先生に声をかけてもらったのがきっかけです。
私は陸上部で途中からマネージャーになったのですが、それがきっかけで人の役に立つ仕事がしたいと思うようになって。5年生の夏に部活を引退して、エンジニアではない職業に就職する道を選びました。
就職活動が始まったタイミングで大手企業のインターンシップに参加したのですが、懇親会で社員が話していた内容が、仕事の愚痴やギャンブルなどの話ばかりで。それが嫌だったので、大手企業に就職する選択肢はなくなりました。
なかなかいい就職先も見つからないしどうしようと悩んでいるタイミングで、先生から自分の会社で働かないかと言われたんです。正直かなり驚きましたが、話を聞いてみると楽しそうだし先生も素敵な方で、この人と働くのであれば経験も積めてよさそうだと思い、学生時代から合同会社Next Technologyに就職しました。
ーそれはおもしろいきっかけですね。辻さんはその会社でどのような取り組みをしていましたか?
私が入社した会社は、「足のにおいを嗅ぐ犬型ロボット」を開発していました。どういうロボットかというと、足の臭いを嗅いで臭かったらロボット犬が気絶するんです。でも見た目が大きいブルドッグ犬だったので、もう少し小さくして女性や子どもにも親しみやすいロボットにしたら、さらによくなるのではないかという思いがありました。
ちょうどその頃、北九州市で女性起業家を支援する取り組みがあると耳にしたんです。まだ学生でしたが、そのプロジェクトに応募しながらロボットを改良しようと挑戦した結果、クラウドファンディングで約60万円の資金が集まりました。そのおかげで、「はなちゃん」と名付けた犬型ロボットを可愛く改良することができました。
ー「はなちゃん」は実際に販売されたのでしょうか?
そうですね。女性起業家プロジェクトに挑戦したおかげで、北九州市長の足を嗅ぐという市長表敬をすることになったんです。それがきっかけでたくさんのメディアに取り上げていただき、有名なバラエティ番組のスタジオにもメディア出演する機会もありました。
メディアに出演したところ、ありがたいことに視聴者から「はなちゃんが欲しい」とたくさんの反響をいただいて。元々は販売する予定はなかったのですが、現在も1台約4万円で販売しています。
成功体験を通して、人生を肯定してくれた旦那さんと結婚
ー実際にベンチャー企業に就職して働いてみて、辻さんご自身の幸福度でいうとどうでしたか?
学生時代からベンチャー企業で活動していたので、同じ学校の人たちからは異色な目で見られていたのは事実です。でも直接何か言われたというよりも、コソコソと出演した番組や取材を見ていて気にはしているという感じで。私自身は、周りより先に新しい一歩を踏み出していることに自信を持てました。
学生時代から社会人の方々と繋がれて、可愛がってもらえてよかったです。それは新しい挑戦をしたからこそ、手に入れることができたと思います。周りの目を気にしてやらない選択をしていたら、おそらく今の自分はいなかったと思います。
きっかけを与えてくれた先生にも感謝していますし、ベンチャー企業で働くと決意した当時の自分を褒めてあげたいですね。
ーベンチャー企業で働いて、自分らしさや成功体験を感じられたのですね。そこから、22歳で現在の旦那さまとお付き合いされたとお聞きしています。ここも辻さんの幸福度と繋がってきそうですね。
そうですね。私の人生の中で仕事は大切ですが、家庭をつくることも大事だと思っています。最初の出会いは、私が勤めていたベンチャー企業に見学に来てくれたことがきっかけです。それから高専関係のイベントで会うようになり、お食事に誘っていただいてお付き合いを始めました。
私がいろんな新しい挑戦をすることに対して、彼は肯定してくれました。それが彼に惹かれた理由の一つです。高専関係のイベントで登壇することが多かった私の講演を何度も聞いてくれましたし、ベンチャー企業で働くことを応援してくれたので、頑張ってきてよかったと思いました。
ー同棲を開始したのが24歳とのことですが、お付き合いから同棲に至るまでの経緯や、実際に同棲してみて感じたことをお伺いしたいです。
当時私は北九州のベンチャー企業で働いていて、彼は東北大学の大学院に通っていたので、遠距離になるとわかっていて付き合ったんです。そのため、会おうと思っても距離や金銭面が大変でした。
月に1回は頑張って会おうとしていたのですが、4ヶ月後にコロナが流行して会いづらくなってしまいました。自分の中で寂しいという気持ちと同時に、お互いに仕事や研究で忙しいなりに楽しい生活を過ごしていたので、どうにか遠距離でもやっていけたのは救いです。
でも私は結婚願望があったので、このまま遠距離で付き合ったとしても、いつ結婚できるんだろうと思うようになりました。それなら一年間一緒に住んでみて、彼と生活や価値観があうのであれば結婚しようと。仕事と同じぐらいの比重で家族をつくりたいという思いがあったので、仙台への移住を決意してよかったです。
仕事も結婚も妥協しない。よいと思う方向へ進めば幸せに繋がる
ー仙台に移住してから現在までのお仕事について教えてください。
仙台では、コワーキングのバックオフィス業務をしていました。当時は、入居者とお話できる機会が少なくて、バックオフィスの仕事も向いてないのではないかと感じていたんです。一日中パソコンと向き合う仕事ではなく、人とコミュニケーションを取りながらコミュニティづくりをするような仕事に就きたいと思うようになりました。
その後、仙台から地域おこし協力隊として長岡に移住しました。現在はNaDeC BASE(ナデックベース)というコワーキングで働いています。ここでは、NaDeC BASEを中心としたコミュニティづくりがミッションなので、自然と私がリードしたコミュニティをつくらなければなりません。
私がハブとなっていろんな人が繋がり、最終的に自立したコミュニティをつくっていく過程にやりがいを感じています。例えば「ものづくり工房」という場所があるのですが、この場所を活性化させるために私が高専時代に培った知識を活かしています。
自分の性格や学歴・キャリアにあっている職場だと思います。それに私は、前向きな人と話すのが好きなんですよね。だから、そういった環境にいることができるのは楽しいです。
ー長岡市の地域おこし協力隊として活動してみていかがでしょうか?
地域おこしというのは、自分がやりたいことをやる職ではなく、地域・市町村の行政団体が求めることと、自分の得意分野がマッチすることで仕事をするべきだと思います。私にとっては、求められていることが自分の得意分野にあっているので、楽しく働けていますね。
成功というのは、人それぞれ様々な形があると思います。私は自分の基準で幸せですし、結果的に自分がワクワクする仕事に巡りあえたので、幸福度はかなり高いですね。妥協せず、自分が良いと思う方向に向かって行動できたから、今の幸せがあると思います。
ー今後目指したいビジョンを教えてください。
地域おこし協力隊の任期は3年なので、その間はしっかりと成果を残していきたいです。任期満了後は、子どもがいる家庭をつくりたいという夢があるので、その夢にあった生活をしていきたいですね。社会復帰したときに実績を評価してもらえるように今は経験を積んで、その後は家族を大事にする時間をもとうと思います。
ー最後に、U-29世代に向けてメッセージをお願いいたします。
人からチャンスをもらうには、まずは自分が魅力的な人になることです。例えば、挨拶をする、メールの返信は早めにするなど、相手にいいなと思ってもらえるような行動を継続していくと、自分にチャンスが巡ってきます。
人に信頼してもらえて、周りからチャンスを与えてもらえるような人間に成長していくことが大切です。魅力的な人になるための努力は必要ですし、自分が合う方法で努力することは惜しまないほうがいいですね。
取材:八巻美穂(Twitter / note)
執筆:スナミアキナ(Twitter / note)
デザイン:高橋りえ(Twitter)