ミュージシャンと会社員。ANDで奏でるオリジナルキャリア・若林純の生き方とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第816回目となる今回は、会社員とミュージシャンの2足のわらじで活動する若林 純(わかばやし・じゅん)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

​​ギタリスト、音楽プロデューサー、コンサルタントとしてマルチに活躍する若林さん。学生時代の経験や自分らしいキャリアの歩み方、生き方についてご自身の想いや考えを語っていただきました。

結果にこだわった。中学時代のソフトテニスから学んだこと

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

成熟企業の事業創造支援を行うmichinaru株式会社でさまざまなクライアントの新規事業創造プロジェクトに伴走をしています。

michinaruで会社員として働く一方で、「お風呂でピーナッツ」というユニットのギタリストとしても活動をしています。また、他のアーティストの音楽プロデュースや楽曲制作なども手がけています。

ー若林さんはどのような学生時代を過ごしていましたか?

人生で初めてのめり込んだのが、中学時代のソフトテニスでした。

入部当初はそこまで厳しい部活ではなかったのですが、中学2年生のときにとても厳しい監督に代わって。そのタイミングで部活の方針も変わり、レギュラー全員が坊主になって毎日朝から晩まで練習していました(笑)。

監督から「お前らの代で絶対に強くなろう!」と言われ、関東大会出場を目指すようになりました。

ーソフトテニス部に入部したきっかけはなんですか?

兄がソフトテニスをしていて、ずっと憧れがあったので入部しました。やるからには上を目指したい気持ちがありましたし、同世代のモチベーションも高く、チームも強くて。

最初は緩い目標設定でしたが、次第に関東大会出場を掲げ、部のメンバーとともに活動をするようになりました。

ー若林さんが部活にかける思いはどのようなものでしたか?

当時は、結果がすべてという捉え方をしていました。「絶対勝たないといけない」と毎日練習にのめり込み、視界が狭くなっていたのです。体育会系だったので先輩後輩の上下関係もありましたし、監督の言うことが正しいといった状態になっていました。

しかし、結果的に関東大会に出場できず、目標を達成することなく引退することになりました。自分の中では大きな挫折でしたし、勝ちにこだわっていた分、これまでの期間はなんだったんだろうと少し思ってしまったのです。

でもこの挫折経験から、過程も大事にしたいと改めて感じることができました。

ーなぜ結果だけでなく過程も大事にしたいと思ったのでしょうか?

目標達成までの過程にも、楽しさや成長材料がたくさんあると気づいたからです。

当初は、練習を含めてつらいと感じることが多かったです。試合に負けたときは、これだけ苦しく嫌な思いをしたのに何も得られなかったと捉えてしまうこともありました。

でも、勝ち負けだけで考えるのは損をしていると感じて。目標を達成できなかったとしても、自分の中で意味付けをして価値のあることだと捉え直せるようになりました。

多様な価値観の仲間との出会いが、ミュージシャンを志すきっかけに

ー中学時代の挫折を経て過程も大事だと学ばれた若林さんですが、高校時代はどのように過ごされていましたか?

中学の部活の反動で、自由な校風の高校に入学しました。中学の部活動ではルールがしっかりありましたが、高校は私服で授業も単位制でした。

生徒はそれぞれ違う分野に興味を持ち、一人ひとり授業の時間割が異なる高校だったので、まるで小さな大学のようでした。

ーその高校を目指していたのはなぜですか?

思う存分音楽に打ち込めると感じたからです。実は、中学時代も部活をしながら音楽をやりたい気持ちがずっと根底にありました。

自らピアノを習いたいと言い出した幼少期、自宅にあったギターを触って演奏していた小学時代。小学生の卒業アルバムに将来の夢はミュージシャンと書くぐらい音楽が好きでした。

高校を探していたときに、当時の先輩方の演奏を見て「この高校がズバ抜けてうまい!」と衝撃を受けました。先輩方への憧れもありましたし、ここなら音楽にめいいっぱい打ち込めると思い進路を決めました。

ーその高校を選んでよかったと思う点は何ですか?

自由に行動できる環境です。今までは音楽をしているだけで珍しいと思われることが多かったのですが、高校では演奏がうまい人もたくさんいました。

でも、生徒たちはいい意味で他の人に関心がないんです。だから何をしていても否定をしないし、自由に行動できる環境に居心地のよさを感じていましたね。ルールに縛られることなく自分らしい表現を追求していました。

また、様々な方とコミュニケーションを取ったり繋がったりした経験が、価値観形成につながっていると思っています。

ー高校時代にさまざまな方と出会い、自分と向き合った時期があったのですね。

はい、そうです。この時期に「自分らしい進路の見つけ方や自分の大事にしたいもの」を内省するようになりました。

自由な校風だったので、いろいろな価値観を持つ仲間が集まっていて。自分と他人を比べた時に「自分って何者なんだろう」「自分の個性ってなんだろう」と毎日、自問自答せざるを得ない環境でしたね。

中学の部活では勝ち負けという明確な基準がありました。でも、高校でそれ以外の基準や見方を知って「他の人と違ってもいい。自分らしい生き方をしたい」と考えるようになりました。

ー若林さんにとって大事にしたい軸や行動などは見つかりましたか? 

明確なものがあるわけではありませんが、音楽で表現していくことを大切にしていると改めて感じています。

音楽を通じてたくさんの方とコミュニケーションを取ったり、人前に立つことで楽しんでもらえる経験をたくさんしてきました。だからこそ、自分の根幹にあるものは音楽だと思っています。

ー幼少期から現在に至るまで、若林さんが音楽を大切にし続ける理由はなぜでしょうか?

「ルールに縛られず自由に表現できる」という側面に惹かれているからです。幼少期はステージに立つミュージシャンに憧れを抱いていました。次第に、音楽には多くのジャンルがあり、ギターやピアノなど楽器の種類も豊富で飽きないものだと感じるようになって。

そんな音楽の「自由」という魅力に惹かれて、自分も音楽にずっと携わっていたいと考えるようになりました。音楽を通じてできた多くの仲間との出会いにも感謝しています。

ギターを弾き始めて間もない頃はただの道具でしかなかったのですが、毎日弾いて出したい音が出せるようになると、言葉に近いなと感じるようになりました。

音楽をコミュニケーションだと捉えられるようになったからこそ、音楽を通じたコミュニケーションを大切にしていきたいです。