様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第779回目となる今回は、ハンバーガー屋・プロコーチ・フリータレントと幅広く活動されている野津怜三朗さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
三足のわらじを履いて精力的に活動されている野津さん。どうして、現在の働き方を選んだのか、どんな自分で在りたいのか、バックグラウンドも含めて語っていただきました。
APUへ進学したことで変化した人生観
ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。
現在、ハンバーガ屋R&Bの経営とプロコーチ、フリータレントの仕事をしている、野津怜三朗です。やりたいことや理想の働き方を選んだ結果、3つの仕事を続けています。
ハンバーガー屋は大分県別府市で経営していて、友達から「おいしいハンバーガー屋さんで働いてそうな顔してるよね」と言われたことがきっかけで始めました(笑)。ハンバーガーと販売しているスタッフの顔をも思い浮かべてもらえるような選ばれるお店を目指して経営しています。
プロコーチの資格は、就職活動で進路に悩んでいたときにコーチングを受けたことがきっかけで取得しました。コーチングの「問い」を通じて、その人が持っている可能性を見出して伴走できるわくわくする仕事です。これから日本でもっと浸透していく考え方だと思っていて、個人でサービス提供しながら、ちょうど今年の7月にプロ認定を受けました。
フリータレントは、ローカルテレビでの出演やSNS等の活動を中心に始めているところです。あるトークイベントに登壇したことをきっかけにテレビ出演をご依頼いただいて、視聴者に元気を届けられるような発信がしたいと、少しずつ活動を進めています。
ーどの仕事も聞いてるだけでわくわくします。三足のわらじを履いている野津さんですが、まずはどんな学生時代を過ごされたのかお聞きしたいです。
幼少期から小学校時代は、とても目立ちたがり屋でクラスの学級委員長をやるようなタイプの子どもでした。僕は父が日本人、母がブラジル人のハーフなので、陽気な家庭環境が影響しているのかもしれませんね。
でも、中学校でその環境がガラリと変わります。私立の中高一貫の進学校に入学したんですが、周りの学生の優秀さについていけず、「自分は勉強ができないダメな人間なんだ」とレッテルを張られたような、自己肯定感が下がった時期でした。先生に大学に行けと言われても、その意味を見出せなかったんです。
ほとんどの学生が国公立の大学に進むなか、僕は進路に悩み東京での浪人生活を送ります。
そこで進路指導を受け、初めて「めちゃくちゃ面白そうじゃん」と思ったのが立命館アジア太平洋大学(APU)でした。
世界80ヵ国以上から学生が集まってくる大学で、日本にいながらグローバルな環境で学べるところに一目ぼれしましたね。
ー進路に悩んでいた野津さんにぴったりの大学が見つかったんですね。
そうですね。日本人とブラジル人のハーフとして僕が持って生まれたものを肯定できた環境でしたね。生まれ変わっても入学したいし僕の子どもも入学させたいと思えるくらい、通ってよかった大学でした。
中学・高校時代は劣等感やハーフであることでの周りとの違いに悩んでいたんですが、APUではそんなマイノリティを感じることすらなくなりました。僕の人生観を変える出来事が山のようにありましたね。
ーみんな違っていていいのだと確信できたんですね。そう感じた具体的なエピソードがあれば教えてください。
例えば―大学一年生はほとんどの学生が寮に住むんですが、僕は寮長もしていたので3年間ぐらい寮生として過ごしました。そうすると、色んな文化や生活スタイルが見えてきます。異文化の学生が共同のスペースを使うとなると最高にカオスなんですよね(笑)。
毎朝、キッチンから色んな料理のにおいが混じってきますし、宗教によってはお祈りの時間があるなどさまざまな思想感があるわけで……。同じルールのなかで共同生活するのは本当に大変なんですが、だからこそおもしろい空間でした。
寮長として、みんなが楽しく過ごすためにはどうしたらいいのか対話を重ね、みんなで環境を作っていったことが違いを受け入れるきっかけになったと思います。最近よく聞くダイバーシティとか多様性、異文化理解という言葉は字面こそきれいにまとまっていますが、こんなにも泥臭いものなんだと実感しましたね。
それから、ベトナムに1年間留学したことも大きな転機でした。あえて発展途上国を選んで不自由さのある環境で生活したことで、小さなことを気にせず、人それぞれ幸せに生きる尺度を持っていけたら疲弊せずにすむと思いました。全然今の自分で十分生きていけるんだと確信しましたね。