入社直後から地方移住、Z世代の新しい働き方を開拓!TABIPPOマーケティングディレクター 上野 隼

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第702回目となる今回は、上野 隼(うえの はやと)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

旅を軸として、事業を多角展開している株式会社TABIPPOで、マーケティングディレクターをしている上野さん。世界一周や留学といった渡航経験や、上野さんの今後の展望などをお話していただきました。

学生時代の経験が、現在の仕事に生きている

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

旅を軸として、事業を多角展開している株式会社TABIPPOで、マーケティングディレクターをしています、上野 隼と申します。現在、SNSやメディア、イベントなどを通して、若者を観光地に取り込むマーケティング施策の計画を行なっています。

ー今まで、なにかチャレンジされたことはありますか?

19歳で、1年かけての世界一周にチャレンジし、40カ国に渡航しました。その後、デンマークに1年間留学をしました。

この2年の休学を経て、2022年4月にTABIPPOへ就職しました。

世界一周時に出会った日本人の友達がTABIPPOでインターンをしていて、紹介されたことがきっかけです。今も彼とは同僚として働いています。

ー学生時代は、どのように過ごされていましたか?

小6の1年間、反抗期がひどかったです。現在では親との仲も良いのですが、このときはよく遅刻するまで親と喧嘩していました。

親に反抗しては怒られる毎日で、自我と家族に求められるものとの間にジレンマがあり、もどかしさを感じていました。

反抗期は自然になくなりましたね。今になって振り返ると、中学校に入って学級委員をやったことで、責任感がついたのかもしれません。

ー高校時代はどうでしたか?

大学付属の高校だったので、3年間は部活にのめり込みながら、楽しく過ごしました。受験勉強をしなくても良い一方で、周りの高校生はみんな勉強をしておらず「大丈夫なのか?」と変に焦っていました。

そこで、大学の敷地内に高校があることを生かして、大学生にインタビューして、大学に進学したらなにをやりたいかを考える時間に充てました。

いろいろと話を聞く中で、「旅っていいな」と思ったんです。幼少期に海外旅行に連れて行ってもらったことを思い出し、もっと色々なところに行きたい、世界を知ってみたいと考えました。中学、高校ともサッカーにのめり込んでいて、旅の優先度が低かったので、大学生になって挑戦したいものが決まりました。

1年かけて世界一周、さまざまな価値観に触れる

ー大学時代の、世界一周のお話を聞かせてください。

19歳の誕生日から20歳の誕生日にかけて、ちょうど1年で世界を一周しました。

東南アジア、南アジア、アフリカ大陸、ヨーロッパ、北米、中南米をめぐり、合計で40カ国ほど周りました。このルートは特に決めていたわけではなく、たどり着いた先での現地情報やインターネットの情報を組み合わせて、渡航先を決めていましたね。

渡航費用は、大学1年生のときにバイトし続けて貯めました。「世界一周のために頑張るんだ!」と、目標のために楽しく頑張れました。

ーバイトで費用を貯めてから渡航されたのですね。語学力も事前に身につけていたのでしょうか?

実は、特に準備はせず世界一周に挑んだんです。恥をかきつつも、たくさん現地の人たちとコミュニケーションをとることで、語学力が身につきました。

海外と日本では、もちろん「当たり前」の事柄が違うので、前提も深く探るコミュニケーションをとるよう心がけていました

ー世界一周中、カルチャーショックを受けた経験はありましたか?

アフリカで、伝染病のマラリアにかかってしまった時ですね。「人間を1番殺しているのは蚊」と聞いたこともあるので、すごく焦りました。

慌てて現地の病院に駆け込むと、錠剤を渡されるのみで、軽く対応されたことに驚きました。現地の人にとってはマラリアは日常的で、例えば日本にとってのインフルエンザのような感覚であることが初めてわかりました。

国や環境によって価値観が全く変わることを実感したできごとでした。

ーいま世界一周を振り返ってみて、いかがですか?

渡航先での多くの出会いが貴重だったと感じます。世界一周をしていなかったら、今ベンチャー企業で旅に携わる仕事をしていることも、長野に住むこともありえなかったかもしれません。

世界一周のおかげで、取らなかったかもしれない選択肢を取ることができました