自分の心に素直になり、自分らしさを追求する砂塚崇志の生き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第722回目となる今回は、りべる株式会社コミュニケーションデザイナー・砂塚崇志さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

幼少期の引っ越しを機に自分らしさを追い求め、人生最大の挫折は成功体験に繋げ、大学で1年の休学を経て本当にやりたいことを見つけた砂塚さん。自分の心に素直になる大切さを語っていただきました。

“砂塚崇志”として見てもらえなかった幼少期

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

はじめまして。りべる株式会社の砂塚崇志と申します。現在PRとコミュニケーションデザイナーとしてコミュニケーションを設計する仕事をしています。

ー砂塚さんは元々PRに興味があったのですか?

そうですね。大学時代にPRを学ぶ学生団体のPR Academiaで代表をしていたため、PRに携わる機会はありましたが、本格的にPRを学びたいと思ったのは大学卒業の約1年前です。

ー早速ですが、ここからは砂塚さんの過去を深ぼってお伺いしたいと思います。最初の転機は10歳頃だとお聞きしました。

はい。私には3つ上の兄がいます。兄は野球ではエースで4番、生徒会長も務めて、学年トップの成績で県内屈指の進学校に入学して…。いわゆるエリートでした。

兄の名前は”ゆうし”と言いますが、周りから見ると私は”ゆうしの弟”でしかなかったのです。

当時は「あの優秀なゆうしくんの弟だから君も優秀だよね」と見られている感覚がありました。そのため「自分も同じようなルートを進んで、全部がんばらないといけない」とプレッシャーを感じ、兄に合わせた自分を演出していたと思います。

ー自分でも兄に合わせてしまって、周りからも「ゆうしくんの弟だから」と優秀に見られていたのですね。

そうですね。その後10歳で引っ越すことになり、3つ上の兄は中学生で私は小学5年生だったため、周りに兄を知っている人がいなくなりました。

やっと”砂塚崇志”として生きていける感覚になって、そこから自分の人生が弾けたというか(笑)。常に兄の後ろについていたため、かなり戸惑いもありましたが、自分らしさを追い求めていいんだと気づくきっかけになりました。

ー周りからの見方が変わったり、自分の中で変化を感じたりしましたか?

1番大きく感じたのは真面目でなくてもいいことです。引っ越す前はすべて真面目に、一生懸命に取り組んでいました。

しかし、引っ越してからはそれが決められたことではないと思うようになり、勉強はあまりしなくていいかなと。その代わりに野球が大好きで、一生懸命取り組むようになりました。

それから、友達と積極的にコミュニケーションを取ったり遊びに行ったりして、友達の幅が広がりました。

ー引っ越しをして戸惑いはありましたか?

真面目すぎて「友達とどうコミュニケーションとるんだ?」と当初は戸惑っていました。

しかし、小学校のまだ打ち解けられていない時期に大笑いしたことがあって。友達に「こんなに笑うんだね。めっちゃいいじゃん」と言われたのが気持ちを切り替えるきっかけになり、そこから友達も増えました。

今思い返すとそのときから、笑うことの大切さを強く感じていたと思います。

努力しても何もできなかった

ー小学生からずっと野球は続けられていたのですか?

そうですね。中学・高校でも野球をしていました。

中学でプロは無理かもしれないと少し挫折しましたが、六大学野球に強い憧れがあって、そこで野球をしたいと考えました。

六大学野球で活躍するためには相当な努力が必要です。そのため、勉強はほとんどせず、野球に打ち込みました。

ーその後、高校時代に大きな挫折があったとお伺いしました。

高校3年生の春にやっとレギュラーを狙えると思っていた矢先に肉離れをしてしまって、春の大会に出場できませんでした。春に出れなかった分「夏は絶対に出てやる」と思い、誰よりも朝早く行ってマシンを出して一人で打ちまくっていました。その甲斐あって、復帰戦ではホームランを打ちました。

ホームランを打った次の試合では主軸の3番バッターを任されたのですが、このタイミングで悲劇が訪れます。練習のしすぎで疲労が溜まっていて、手首を疲労骨折してしまったのです。

結局、高校3年生の夏も出場できずに終わりました。

ー積み上げてきたものの大きさと高校最後の大会ということで、言葉にできない悔しさがあったと思います。

かなり悔しかったです。いろいろな人に応援されて打席に立って活躍するのが夢だったのに、経験もできず、目の前であっけなく終わってしまい、とても辛いできごとでした。その後2週間ほど、動けなかった記憶があります。

ー気持ちが落ち着かない中、受験を決意したのはなぜでしょうか?

日本大学の付属高校で進学は可能だと考えていましたが、「このまま努力せずに大学に行っていいのか」と思いました。努力せずに進学してしまうと、その先もがんばらない人生になってしまうのかなと。

挫折が大きすぎて引きずってしまう気もしていたため、なんとか切り替えたいと受験を決意しました。

ー挫折をエネルギーに変えてがんばろうと思ったのですね。

体力だけはあったので勉強もできるのではないかと自信がありました(笑)。

そのときに母から「向いているほうが前」という言葉をかけられました。「どっちに行けばいいのかわからなくても後ろ向きではなく、ずっと進んでいくためにも向いてるほうが前だよ」と言われ、それなら心が向いたほうでがんばってみようと思ったのです。

ー勉強のモチベーションや何から始めるのか、考えはありましたか?

知識がなくがんばり方もわからなかったため、考えはありませんでした。とにかく先生に聞いて量をこなすことを繰り返して、1日当たり12〜13時間は勉強していました。

その結果、偏差値37だった状態から、第一志望であった早稲田大学に合格することができました。

ー1年の浪人を経て合格したのはひとつの成功体験になったと思いますが、そのときに思っていたことはありますか?

大きな挫折を経験して「努力した意味は何だったんだろう」と感じていました。そこから努力した結果がリアルに見えたのが合格の瞬間で、がんばりが報われることは本当にあると感じました。

「努力は必ず報われる」という言葉がありますが、挫折の経験も含めてそうとは限らないと思っています。しかし、成功体験を得るためのひとつの要素として努力は必要だと感じました。