社会貢献を応援する存在に。フードリボン事務局長・加藤紘章が追いかける夢とは

再び海外へ。自己修養から学びを得る

ー大学3年生を終了後に休学して渡米をされているそうですが、どのようなことに挑戦したのか教えてください。

アメリカでは、ロサンゼルスの貿易企業で働きながら、ハリウッドのメディア会社で映画取材の活動をしていました。

新しい発見に満ちあふれていたインドでの1週間が忘れられず、成長が実感できる日々を長く持ちたいと考え、アメリカ行きを決めました。

アメリカで生活をはじめた当初はは語学力もなかったし、社会人としての実績もなければ、お金も人脈も信用も、何も持っていない状態でしたが、少しでも何かを得て成長して、日本に帰りたいという思いがありました。そこで僕はアメリカ生活の1年間で「Give&Give」を実践する目標を立て、現地で出会った人には、「とにかく自分から相手のためにできることをしよう」と考えました。

気持ちのいい挨拶をする、目を見て話を聞く、感謝の気持ちはしっかり伝えるなど、実際に行った行動は些細なものでしたが、「〇〇さん、何かできることはありませんか」と周りに声をかけ続けて、もし相手から頼まれることがあれば、とにかく全力で取り組んでいきました。1年後、日本へ帰る頃には当初と真逆の現象が起きて、今度は周りにいた沢山の方々から「紘章くん、何かできることはない?」と言われるようになっていました。

自分の行動によって周りの反応が劇的に変わり、Give&Giveを身をもって学べた1年間でした。

ーアメリカから帰国してから、考えたことはありましたか。

大学4年生のとき、今後の人生についてあらためて見つめ直しました。でもなかなか答えを見つけられず人生の意味とかについてモヤモヤしてたりすると、周りからは「なんでそんなくだらないことを考えているんだ、今ここを生きろよ」と言われたりして。言われたことは自覚していながらも、なかなかモヤモヤを払拭できない日々が続いていました。

海外に行っているときは、それなりに充実感を持って過ごせていたこともあり、「大学卒業後はアフリカに数年滞在し、また新しい経験をしながら人生と向き合っていこう」と考えていました。しかし卒業のタイミングで新型コロナウイルスが流行し、海外に行けなくなってしまいました。

当時就職活動をしておらず内定先がなかったので、迷いながらも社会に放り出される形で卒業を迎えました。

ー大学卒業後はどのように過ごしていましたか。

大学卒業後はしばらく社会をさまよっていましたが、思い切ってインタビュー活動を始めました。自分が心からかっこいいと尊敬している人たちに、人生において大切なことを勉強させていただこうと思ったのです。

社会で活躍されている20〜30人ほどに直接会いに行き「夢を叶えるために大切なこと・成功者の定義・成功者の共通点」などを聞いて回りました。活躍している人たちの空気感や温度感に触れられたことが、大きな学びでした。

なかでも、ある書道家の方にお会いしたことが印象に残っています。彼は、身の周りのすべてのものに対して感謝をしているそうです。僕は話を聞いて衝撃を受け、感謝することを深く捉えるようになりました。

巡り合わせが重なり、フードリボンプロジェクトへ

ーフードリボンプロジェクトにジョインした経緯を教えてください。

インタビュー活動をしていた頃、僕が慕っていた大嶋啓介さん(フードリボンプロジェクト理事)の紹介で橋本展行(フードリボンプロジェクト代表理事)と知り合いました。

その頃の僕は、自分の人生の意味だったり、命の使い道だったりを考えながら、自分と向き合っていた時期でした。そんな中で大嶋さんが「子ども食堂を、橋本展行という人と一緒にはじめる」と聞きました。それで橋本という人に会ってみたいと思ってインタビューに行ったのです。

橋本の話を聞いて感じたのは、日本にも貧困問題があるという衝撃と、「この橋本という人が始めようとしている活動は素晴らしい取り組みだ」ということでした。

その後、当時の夢食堂プロジェクトの活動にジョインしましたが、経緯はよく覚えていません。ある日僕と大嶋と橋本の3人のLINEグループが突然できて、ミーティングが始まりました。早速事業計画書を作るようにと頼み事をいただきまして、気づいたらあれよあれよと話が進んで事務局になっていました。本当にいろいろな巡り合わせやご縁が重なったと思います。

本当のことを言うと、ジョインした当初は「このプロジェクトに命をかける」といった意気込みを持っていたわけではありません。結果として、僕は橋本の熱意に巻き込まれたのだと思っています。

ーインタビューを続ける中で叱咤激励を受けた経験があったそうですが、どのようなことがあったのですか。

インタビューを受けてくださった方々へのお礼として、インタビュー内容は自作のホームページに投稿していました。ただ僕は、まだ記事を投稿していないインタビューがあるにもかかわらず、インタビュー活動やホームページ運営を途中でやめようとしてしまったのです。しかも夢食堂プロジェクトの仕事を言い訳にしながら。

インタビュー活動を応援してくださっていた方もたくさんいたにもかかわらず、本当に失礼だったと思います。ある人から、大切にしている夢食堂プロジェクトさえも言い訳にしながら活動を諦めていく僕の姿を見て「そんな生き方をしていたら、何をやっても君は途中で諦めるだろうし、うまくいかないよ」とはっきり言っていただきました。

そこで目が覚めたというか、本当に自分を変えたいと思うようになりました。当時の自分の感覚としては、インタビューも夢食堂の仕事も全力で取り組んでいるつもりだったし、別に手を抜いているとか、妥協しているといった自覚はなかったのですが、言われてはじめて、その通りだなって。それで心を入れ替えて、あらためて自分の生き方を見つめ直すきっかけになりました。夢食堂(フードリボン)プロジェクトに対しても、それ以来取り組む姿勢が変わっていったように思います。

ー今後のフードリボンプロジェクトおよび加藤さんご自身の展望を聞かせてください。

フードリボンの展望としては、フードリボン店舗を2万ヵ所にする目標に向けて今後も進んでいきたいですね。

店舗を利用してくれる大人たちの、200円という小さな心意気が、子どもたちの食事になり、子どもたちの笑顔や元気を後押しして循環する社会を、日本の当たり前にしたいです。これから規模を広げていく上で、多くの方に親しみを持って受け入れていただけるよう「フードリボン」と名前を変えました。

個人の展望としては、社会に貢献しようと熱い思いを持っている方々を、もっともっと応援・サポートできる存在になりたいです。僕の場合は、社会や人々に貢献できているのを感じられた時に、自分が生きている実感や充実感を持つことができました。誰かの人生に貢献できると感じられるのは、人生に誇りや自信をもたらしてくれるし、とても喜びが大きいものだと思っています。

今回はインタビューを受けさせて頂きましたが、僕は別に順調に進んでいるわけでもないし、人に何かを教えられるほどのものを残してきたかというと、まだまだそうではないと思っています。むしろ日々くよくよし、問題や壁にぶつかりながら「自分はまだまだだな」と涙をこらえて進んでいるのが実情です。

それでも大切にしたい家族や仲間が心の支えになっています。今悩んでいる人がいるならば「くよくよしながら、なんとか頑張っている人がここにもいるよ」と、少しでも彼らの励ましになれたら嬉しいですね。

ー素敵なストーリーをお聞かせいただき、ありがとうございました。加藤さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:武田健人(Facebook / Twitter
執筆:馬場史織(Twitter / note
デザイン:高橋りえ(Twitter