高卒の元ホストが、今を時めくコンテンツの先導者になった理由。Plott取締役・林徳真

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第535回目となる今回は、株式会社Plott取締役・林徳真(はやしとくま)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

たゆまぬ努力と不屈の精神で「諦めなければ夢は叶う」を体現している林さん。高卒の元・ホストから今を時めくコンテンツの先導者になるまでと、労働システムの革新的なカタチづくりについてを語っていただきました。

お金が欲しい!「高卒の元ホスト」からスタートした上京物語

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

YouTubeでオリジナルアニメを作成・配信する企業「株式会社Plott」で取締役を務めております、林徳真です。

複数チャンネルのグロースや立ち上げ、そのほか事業全般や自律分散型組織の推進など幅広く携わっています。

ーそんな林さんはどんな学生時代を過ごされましたか?

僕は元々、経済的に裕福ではない母子家庭で育ちました。大変そうに働く母を見て「お金が無いと時間が奪われる」と強烈に感じ、高校生の頃から「莫大なお金を稼ぎたい」と思うように。

当時から労働に良いイメージが無く「お金が無いと自分の人生は送れない」と思っていました。大学を出ていい会社に入っても、労働からは逃げられない。つまり、自由にはなれない。

やりたいこともありましたが、自分の人生を送るためには、まず「お金の塊」が必要だと思いました。桁違いのお金を手に入れるためには「起業するしかない!」と。

ー当時まだ未成年だった林さん。どのようにお金を集めましたか?

起業をするにしても勉強をするにしても、まずは「準備金」としてまとまったお金が必要だと思いました。

高校を卒業してすぐに、当時考えられる最高の時給で1日12時間、月25日間のアルバイトの日々。しかし、限界まで自分を酷使して貰えたのは30万円。これでは準備金なんて何年経っても溜まらないと感じました。

「時間で稼ぐ仕事をしてはいけないんだ」と思った僕が始めたのが、ホストです。

僕が在籍していたお店では、お客さんが使った額の何割かを貰えるシステム。報酬が時間に依存せず、成果に応じてお金が貰えます。

時給の仕事とは違い「どれだけお金を使ってもらえるかを考えるゲーム」であり、ストレスも多かったものの非常に良い経験になりました。まとまったお金が手元にある状態で退店し、起業やビジネスを学ぶために東京のビジネススクールに入りました。

何しろ当時は「高卒の元ホスト」でしかなかったので、起業をするにしても学びを得る必要がありました。人を集める方法や情報が集まる場所を求め、上京。起業家の集うシェアオフィスでの生活が始まりました。

起業、失敗、金欠、挫折。絶望から抜け出したキーワードは「繋がり」

ー東京でどのような挑戦をしましたか?

東京のビジネススクールは、起業を学ぶためにはとても良い環境でした。学習の一貫で実際に小さなビジネスをし、無からお金を生み出す経験もできました。

その後、インターンをしたり、ビジネスコンテストに出場したり、手当たり次第に色々やりました。Plott代表の奥野とはこの頃に出会っています。

周りの起業家は「世の中を変えたい、何者かになりたい」という情熱で動いている人が多かったんですが、僕はとにかく「お金を稼ぐ」がしたくて。スクールで培った知識を用いてアプリ事業を立ち上げたのですが……結果は、失敗でした。

ー事業が失敗した理由は何だと思いますか?

僕自身にお金以外の明確なビジョンが無かったから、必要なお金も人も集まらない。今考えれば当然のことなのですが、当時の僕は実際にこの事態に直面して頭を抱えました。

「何かをしたい人が集まる」から、力が出る。失敗を通して「人にビジョンを見せること」の大切さを学びました。あぁ、今の自分の考え方じゃダメなんだなと痛感したのを覚えています。

その後、スタートアップの会社で働いてみたものの、時間の切り売りに虚しさを感じすぐに退職。目的も、社会との繋がりも、お金も無くなった時、今まで感じたことが無い「絶望感」が押し寄せてきました。

起業の夢は諦めていませんでしたが、一度環境を整えるために地元の大阪に戻りました。

ーそんな林さんの、ドン底からの復帰ストーリーを聞かせていただけますか?

大阪に帰り、家族や友達と穏やかに過ごす中で「人との繋がり」について考えました。何があっても切れない「繋がり」を感じられて孤独が癒えた頃、偶然東京に行った時に奥野と再会。

「一緒にビジネスをやらないか」と声をかけてくれたのが、Plottに参加したきっかけです。。東京に戻るきっかけを探していたこともあり、即決。1週間で再度上京しました。

とは言え、当時は所持金が5万円しか無かったので、奥野と事業を始めてからも半年以上は会社で寝泊まりしているホームレス状態でした(笑)。しかし、今振り返っても当時はとても楽しい時期で。

1食100円のカップ麺を食べながら、床にマットを敷いて寝て、風呂は銭湯で2日に1回。そんな限界のような環境でも、1つの目標のために寝食問わずに切磋琢磨していました。

初期はVTuber関連の事業をしていましたが、お金はいつもカツカツでメンバーも少しずつ離れていって。

僕も奥野も残った仲間も「面白いものを作ろう、当ててやろう!」というハングリー精神で活動していました。