下田市と南伊豆町の魅力を伝えるコミュニティマネージャー・松橋樹に聞く言葉の大切さ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第706回目となる今回は、LAC伊豆下田コミュニティマネージャー・松橋樹(まつはしたつき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

LAC伊豆下田のコミュニティマネージャーとして、下田市と南伊豆町の魅力を伝えるために情報発信をしている松橋さん。言葉の持つ意味が先行する世の中で、日々大切にしている考え方を語っていただきました。

受験で挫折を経験し、周りと比較していた短大生活

ーまずは自己紹介をお願いします!

松橋樹と申します。現在はカメラマンをしながら、「LivingAnywhere Commons」という多拠点生活の居住サービスのコミュニティマネージャーを務めています。

ーカメラマンのお仕事は、どのくらいお仕事が入ってくるのですか?

2022年に入ってから月1、2回のペースでお仕事をいただいています。最近はウエディング撮影のご依頼をいただき、写真と動画を私が担当しました。

カメラマンのお仕事を通じて、いろいろな方と繋がったり、趣味が広がったりするのが楽しいです。

他にもコーヒーミルのプロモーションの撮影依頼を機に、コーヒーを淹れたり、豆をこだわったりするのにはまっています。バリスタさんとお話をさせていただいたとき、コーヒーの世界は奥が深いと思いました。

ー仕事を通じて新たな趣味を発見するのは良いですね。ターニングポイントは18歳のときとお伺いしましたが、何があったのでしょうか。

高校生の頃ダンスにどっぷりはまってしまったのです。勉強もせず、ただ目の前のことを楽しむ生活でした。受験期になり、周りが勉強を始めて私も勉強しないといけないと思いました。

勉強はあまり好きではありませんでしたが、少しずつ勉強していくと、自分の中でやりたいことや行きたい大学が見つかりました。しかし、気づいたときには遅く、目指していた大学に行けませんでした。

塾の先生と相談し、編入狙いで短大に行くという選択肢が上がり、自分の意志とは反して栃木県の短大に入学しました。

ー短大の生活はいかがでしたか?

最初は「何でこんなところにいるのだろう」と思っていました。Instagramのストーリーで東京の大学に行っている人たちが楽しそうにしている様子をみて、友達と離れて栃木にいる自分と比較していました。

短大では私と同じような理由で入学してきた人たちと面白い関係性ができてきたので、1年経つ頃には楽しくて仕方がなかったです。

インカレは東京のダンスサークルに通っていました。朝6時まで深夜練習がありましたが、私は朝6時までいると1限に間に合わないため、最後まで参加できませんでした。

旅で固定観念をくつがえす出会いがあり、内定辞退


ー大学2年生のときに教員免許を取得されますが、何かきっかけはあったのですか?

そもそも教員になりたくて教員免許の取れる大学を探していたため、教員免許を取得することが目標の一つでした。大学では中学校の社会科の教員免許を取得しました。

多くの人が大学4年生のときに取得する教員免許を、大学2年生のときに取得することができたのは大きなメリットだったと思っています。

ー勉強や実習にいくのは大変ではなかったですか?

授業の数がとにかく多くて大変でした。しかし、授業と3〜4週間の教育実習で学べることには限界があり、他国と比べると少ないです。

そこに課題感を抱き、教員にならずに外から教育に携わりたいと思うようになりました。

ーその後、編入されて就職活動では幅広く就職先をみていたのですか?

編入後は東京の大学に通いました。大学2年生のときに休んでいたダンスサークルに復帰し、周りがサマーインターンに行っていても、大学3年生の11月まではダンスづけの毎日でした。

就活では自分のやりたいことを軸にしていろいろな企業をみていました。「周りがやっているから自分もやる」という感覚が抜けきれず、自分のやりたいことをベースにして考えつつも周りの目を気にしながら就職活動をしていました。

ー内定をいただいた会社はどのような会社だったのですか?

人材系のベンチャー企業です。「新規事業を立ち上げよう」と言っていただいていたのですが、今考えるとその言葉につられて満足してしまっていたのだと思います。

内定後はインターンとして業務を経験しました。内定をいただいた際に聞いていた業務内容や職場の雰囲気に違和感を抱いたり、上司に否定から入るような言葉遣いをされたりして、自分の心は荒んでいきました。

内定をいただいた企業に就職する以外の選択肢が見えていなかったので、「このまま就職するのかな?」と大学4年の10月まで思っていましたね。

ー内定式があり、入社を決める人が多い時期ですよね。松橋さんの気持ちにどのような変化があったのでしょうか?

インターンを1週間ほどお休みして、長野県の白馬に旅をしたときの話です。ゲストハウスに1週間滞在し、フリーのデザイナーやカメラマン、ウーバーイーツで月40万円稼ぐ人などいろいろな方に出会いました。

「内定をいただいた会社に絶対に入らないといけない」と考えていましたが、「1年間は自分のやりたいことを見つける時間に使いたい」と気持ちが変化していきました。教育に着目しつつ自分のやりたいクリエイティブな部分を伸ばせられないかなと。フリーランスではあるけれど学生の気持ちを忘れずに、がむしゃらにやろうと決めました。

周りの人には高確率で「すごい決断だったね」と言われますが、自分ではそのように思っておらず解放された気分でした。むしろ、会社員で週5日、8時間以上働くことのほうが当時は考えられず、自分の体が持たないと思っていました。どちらかといえば逃げの一手だったのかもしれません。