好きを仕事に。佐伯拓哉が考えるハイブリッドな働き方とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第583回目となる今回は、ハイブリッドサラリーマンとして活躍されている佐伯 拓哉(さえき たくや)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

フィットネス×サラリーマンとして2足のわらじで自分の好きを仕事にしている佐伯さん。幼少期の熱中して取り組んできた経験や筋トレとの出会い、そしてこれからの展望について語っていただきました。

筋トレ習慣が生活にメリハリを与えてくれた

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

佐伯拓也と申します。現在26歳で会社員で営業の仕事をやりながら、フィットネスのコンテストに出場したり、副業でトレーナーをしたりしています。

社会人になってから筋トレと出会い、今では週6日筋トレする日々です。

ー佐伯さんが考える筋トレの魅力を教えてください。

筋トレをすると「自信がつく」とよく言われますが、体の変化だけでなく心にも変化があると実感しています。私自身筋トレを始めてから出会った友達がいますし、副業に挑戦している人とも関われるようになって。筋トレを始める前と今では環境も大きく変わりました。

仕事だけでは偏った情報になりがち。自ら仕事以外のコミュニティに身を置いて刺激をもらうことで、挑戦することへのハードルも下がりました。挑戦している人の姿を近くで見ることで、「自分もやれば変われる」と感じられるようになりましたね。本業にもいい影響を与えてくれています。

ー具体的に本業にどのような影響があったのでしょうか?

時間の使い方が変わりましたね。減量時期は、朝5時に起きてランニング、本業が終わってからジムへ行き、その後またランニングといった生活です。

このようなライフスタイルだとどうしても睡眠時間が削られてしまう。限られた時間でどう時間を作り出すのかを考えられるようになりました

サッカーに熱中した高校時代

ー最初の人生の転機は高校生。高校時代はどのように過ごしてきましたか?

高校時代はサッカー部に所属し部活に明け暮れる日々を過ごしていました。私が入学した高校は男子校で1学年に400人いるような学校。

サッカー部は3学年で120人部員がいて、遊ぶ環境が作れないようなルールもありました。例えばLINEが禁止されていて、女の子とは連絡を取れませんでした。

ーなかなか厳しい環境だったのですね。もともと部活の厳しさを知って入部したのでしょうか?

最初はわかっていませんでした。

でも、今考えると環境づくりは大事だなと感じています。LINEがなければ遊ぶ時間は作れない。サッカーだけに夢中になれます。今でも自分が夢中になってやりたいことがあるときは、集中しやすい環境づくりをすることも大切にしています。

ー今でもサッカー部のメンバーとの関係性は続いていますか?

卒業してから、副業や自分の好きを磨いて武器にするようになった人とは改めて仲良くなった気がします。

サッカー部のメンバーからは今でも良い刺激をもらっていて。今サッカー以外で頑張っている人が多いので、良きライバル的な感覚です。

熱中できることが見つからなかった大学時代

ー高校卒業後は大学へ進学。大学時代はどのように過ごしていましたか?

大学では高校とは真逆の生活になりました。夢中になることもなく、アルバイトで稼いだお金を飲み会で使うという何も生み出さない日々でした。

ー大学ではサッカーを続けなかった理由があったのでしょうか。

大学で真剣にスポーツをする人は全国レベルの人だったので、自分にはそこまでの実力がないと思ってしまい続けませんでした。

高校のときは、全国大会に出場したいという目標があり、そこから逆算して物事を積み重ねられました。しかし大学では目標もなく、何をやりたいのかとか自分の強みとか、自己分析が上手くできていませんでした

一方で大学ではサッカーサークルに入りましたが、その中で高校のときと同じような目標設定はできませんでした。

ー今振り返ると目標を掲げられなかった要因はなんですか?

当時は燃え尽き症候群のような状態だったからだと思います。高校時代でやりきったからもういいやという気持ちがありました。今考えるともったいない4年間だったと思います。

あとは、所属していたサークル自体がそもそも目標の高い人が集まるコミュニティではなかったことも背景に挙げられます。

ー大学卒業後は愛知県で就職。キャリア選択について詳しく教えてください。

もともと車関係の仕事をしたいと考えていました。車関係の仕事を探す中で、トヨタの関連会社に務めたいという思いから愛知県に行くことを決断。

大学時代までは実家のある神奈川県の川崎に住んでいたので、社会人になってから初めて1人暮らしをしました。

ー実際に働きはじめて、仕事や1人暮らしにギャップはありましたか?

最初は1人暮らしに慣れることに精一杯な日々を過ごしていました。就職活動のときは親がそばにいたので、なんとかやれると思っていましたが、実際就職して愛知県に行くと環境の変化の影響は大きかったです。

近くに地元の友達や高校の友達もいなかったので、情報交換ができないことに刺激がないと感じることも多かったです。大学の4年間の過ごし方に後悔が残っていたので、今ある仕事をコツコツやりつつ、何か自分の価値を発揮できる場所を見つけたいと思い模索していました。

ー自分の価値を発揮できる場所を見つけたいと考えたきっかけはありますか?

父が自営業をしていた影響は大きいと思います。サラリーマンだと上司からの指示を受けて、自分から何か価値を生み出す働き方が一般的です。

一方で父の働き方を見るとそれとは異なっていました。自分の好きなことを仕事にしていれば、好きなことを追求することで社会への貢献になりお金ももらえる。自分の根っこから出る素直な気持ちや想いを価値として発揮できるのだと考えました。