困難をパワーに。ヘアメイク&アイデザイナーの笹野めぐみが語る、美容が秘める力とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第668回目となる今回のゲストは、ヘアメイク/アイデザイナーとして活動している笹野 めぐみ(ささの めぐみ)さんです。

笹野さんがフリーランスの美容専門家として働くようになった経緯や、美容福祉での活動を始めたきっかけについて伺いました。

独学で美術工芸高校へ入学。心が動くかどうかを選択の軸に

ブライダルの撮影現場でメイクをする笹野さん。
ブライダルの撮影現場でメイクをする笹野さん。

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

現在、プライベートマツエクサロン「Bevita Grace」を運営し、フリーランスとしてヘアメイクやアイデザインを行っています。

主に広告撮影やブライダルの撮影現場でメイクをしつつ、大阪の北堀江にあるプライベートサロンでマツエクアレルギーの方でも装着可能なマツエクを提供しています。その他、美容福祉というジャンルでも活動しているので、今日はそのお話もできるとうれしいです。

ー本日は、笹野さんのこれまでの人生を振り返り、現在の活動に行きつくまでの経緯を伺えればと思います。学生時代、ターニングポイントとなった出来事はありますか?

中学3年生の進路選択の時期が大きなターニングポイントとなっています。もともとやりたいことが明確ではなく、「普通高校へ進んで普通の高校生活を送れればいいや」と思っていましたが、どこかしっくりこなくて。

そんなときにたまたま見つけたのが、美術工芸高校の資料でした。昔から美術の授業が好きで、自分の感性を活かしていきたいという想いは頭の片隅にはあったので、直感で「ここに行きたい!」と思い、受験2ヶ月前に進路変更を決めたのです。

ー急な進路変更に対して、周りから反対はされなかったですか?

両親も型にハマる行き方をしていないので、背中を押してくれました。「どんな選択をしても、自分が決めたことには責任をもって歩んでいきなさい。責任をもてるなら何をしてもいいよ」と言ってくれたのです。

ー肯定してくれる人がいたのは大きいですね。受験が迫っている中で、どのように行動していたのでしょうか。

小学生のうちから画塾に通わないと受からない学校でしたが諦めきれず、鉛筆だけを買ってほぼ独学で、2ヶ月間りんごやレモンの絵をひらすら描き続けました。その結果、運よく合格し、そのまま美術工芸高校へ進学しました。人生で初めてのチャレンジでしたね。

ー実際に入学してからはいかがでしたか?

個性豊かな同級生ばかりで、いろんな感性に触れた3年間でした。また、感性は考えるものではなく、感じるままに表現するものだと学びました。

それからは、目の前に選択肢があったときに、いつも自分の感情が動く道を選ぶようにしています。人から見たらチャレンジングな選択だとしても、私の感性を活かして私らしく生きられる方を選んでいますね。

社会人1年目で心を病み、背水の陣の覚悟でフリーランスへ

美術工芸高校時代の笹野さんのアート作品。
美術工芸高校時代の笹野さんのアート作品。

ー美術工芸高校では、どのように過ごしていたのでしょうか。

高校ではファッションデザイン科で学んでいて、自分の体や手を使って人に貢献していきたいと思っていました。そんなときにヘアメイクのファッションショーを見て、「ヘアメイクさんになりたい!」と直感で思いました。

ヘアメイクさんになるには国家資格があったほうがいいと聞き、関西美容専門学校へ進学。2年間通って20歳のときに、「一度美容室で勤めたほうがいい」という助言のままに、美容室で働き始めたのです。

ただ、自分の選択ではなく責任感もなかったので、すぐに違うと思い、美容室を辞めました。自分で責任がもてる選択をしなければいけないと学びましたね。

ー美容室を辞めてからどのような選択をしたのか教えてください。

22〜23歳までは、アルバイトもしながらヘアメイクさんになるために必死で、初めての挫折を経験しました。そのときに経験した人間関係の難しさに、人とコミュニケーションをとれなくなって対人恐怖症になって寝れないような時期もありました。

「自分は何のために生きてるんだろう?」と自分に向き合ったときに、自分のもっているものを必要な人に届けていきたいと思ったのです。同時に、センシティブで情に流されやすい私の特性を活かしていくには、自分で環境を作っていくしかないと思い、フリーランスになる決断をしました。

今はこうやってお話をしていますが、当時はやるかやらないかという切羽詰まった状況で、フリーランスという道を選ぶしかなかったともいえますね。今の私があるのは、20代前半の決断のおかげです。

ー悩んでいたときに支えになったものはありましたか?

身内が言ってくれた、「今の悔しい気持ちも含めて、自分にしか感じれない気持ちがパワーに変わるときが絶対にくるから大丈夫」という言葉に救われました。今でも噛み締めている言葉です。

その言葉によって、困難や障害もアイデアやエネルギーに変わるのだと、自分の変遷を通して落とし込めました。「消えてなくなりたい。明日が来るのが怖い」という気持ちが今ではエネルギーに変わり、当時の経験によって人に寄り添うことができるようになりました。

ー様々な活動のモチベーションにつながっているのですね。

そうですね。現在、私の妹がちょうど進路選択をする時期で、よく相談を受けるのですが、そのときには「若い頃からたくさん壁にぶち当たったほうがいい。多数派でいる必要はないし、自分の視野を広げる体験をたくさんしてほしい」と言っています。

つらい経験をわざわざせずに近道したほうがいいかもしれないですが、昔からの性格からか、私はあえて人と違う道を選んで進んできました。そのおかげで、すべてに意味があると思えますし、何事にも楽しめるようになりました。

あと、いろんな経験をすると自分の世界が広がって、いろんな人を受け入れられるようになりますね。