カンボジアでの子ども支援からビールブランド立ち上げへ!枝廣一輝が目指す「幸せな瞬間づくり」

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第624回目となる今回は、サラリーマンとクラフトビールの立ち上げをこなす枝廣 一輝(えだひり・かずき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

学生時代の海外渡航をきっかけに、カンボジアで子供たちの支援活動を決意。帰国後、クラフトビールH.A.N.Dの立ち上げに至るまでに迫りました。

海外で子供たちの支援をしたい

ー現在の事業を通して、海外の子供への支援をしているとのことですが、海外に注目したきっかけは何だったのでしょうか?

中学生の頃から世界を旅してみたいという気持ちが強かったですね。海外への憧れもあり、学生時代は長期休暇を使ってほとんど海外で過ごしていました。具体的にはタイやカンボジアなどのアジア各国へ滞在してました。

ー海外の子供の支援に至った経緯はなんだったのでしょうか。

旅行のたびに、日本との大きな格差を肌で感じてきました。その中でも、子供の教育という観点から何か支援がしたいと思ったのがきっかけです。

元々、子供が好きですし、子供と遊ぶ時間が何よりも楽しかったです。子供が次世代を作っていくとも思っていたので、子供のために貢献をしたいと純粋に考えていました。

ー具体的にカンボジアへの渡航を決意されるまではどのように過ごしていたのでしょうか。

当時は青年海外協力隊への関わりを切望していました。新卒で入社した会社で働きながらプログラムへ応募し続け、合格をもらうことができました。

だけど、当時一番やりたかった「子供達への支援活動」がプログラムにはなかったのです。残念でしたが諦めず、とにかく情報収集しました。その後見つけたNGO団体で支援をすることを決めましたが、支援活動にはお金が必要でした。

1社目を退職し、元アルバイト先に戻って必死に働いてましたね。

元上司との再会

ー元アルバイト先に戻ったんですね!なぜ一度やめたアルバイト先に戻ったのでしょう?

元アルバイト先へ出戻りを決意したきっかけが、たまたま再会した元上司の言葉でした。「君の夢を知っているから、もう一回鍛えなおしてあげる」と背中を押してくださったのが一番大きかったです。ただ人員が足りなかっただけかもしれませんが(笑)

学生の頃の職場でしたが、以前と比べ物にならないくらい毎日のように鍛えられましたね。当時お世話になった方々とは今でも交流をしているし、あの時受け入れてくれたことに感謝してます。

ーありがたい存在ですね。枝廣さんが経験された「学生」と「社会人」の違いが気になります。

正直、学生の時はいかにサボって稼ぐかを考えていたときもありました(笑)

社会人になってからは「人の動かし方」を意識していました。自分が中心になって仕事を回すということを求められますし、私自身のキャラクターもあって、職場で嫌われることもあったし、怒られることも多かったです。そういった部分では難しいと悩んだこともありました。