社会課題をエンターテインメントで解決!一般社団法人UMF代表 高村 治輝が見据える夢

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第619回目となる今回のゲストは、一般社団法人UMF 代表理事の高村 治輝(たかむら はるき)さんです。

高村さんがエンターテインメントの世界に社会課題を取り入れた理由や、エンターテインメントが担える役割と活用方法について伺いました。

アーティスティックな魅力に惹かれてDJ活動を開始する

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

一般社団法人UMFの高村治輝と申します。大学生のときから音楽フェスを作り続けて今年で10年になり、活動する中でエンターテインメントを通して社会課題を解決することを求めている人が多くいると実感しました。

ーエンターテインメントの力が必要だと実感したきっかけを教えてください。

大学生の頃に東北の防災体験プログラムに参加したのがきっかけです。

私たちは津波の怖さを知って伝えようという気持ちで行ったのですが、現地の人から「それよりも気仙沼にいる素晴らしい人たちと会って、美味しいものをたくさん食べて、その楽しい出来事を伝えてほしい」と言われて、なるほどなと思いました。

悲しい思い出だけではなく楽しさがあると周りに広めやすいので、そういったところでエンターテインメントの力を活かせるのではないかと感じたのです。

ー現在の高村さんの価値観や考え方が形成された経緯を、過去を掘り下げて伺えればと思います。幼少期はどんなお子さんでしたか?

小中高校時代は野球に熱中していて、高校まではプロ野球選手になりたいと思いながら日々頑張っていました。大学は高校までとは別物だと考えていたので、野球以外のものに挑戦しようと思い、子供の頃から大好きな音楽に携わるためDJを選びました。

ーなぜDJだったのでしょうか。

DJは録音された音楽を流してスクラッチしているというイメージがありますが、それ以上に何をしているのかわからないという奥深さに惹かれたからです。

また、音楽フェスで1対1万人という場でDJをやっている姿を見て、アーティスティックでかっこいいと思ったのもあります。

ーどのような部分がアーティスティックだったのですか?

DJは60分〜90分という枠の中で、お客さんの反応を見て、その都度トライアンドエラーを繰り返しています。

ただ無言で曲をつなげているわけではなく、MCをする人や、伝えたいことをひたすら発信する人もいると知って、その場を組み立てて自己表現ができる点がアーティスティックだと感じました。

多様性のある空間に憧れて、1,000人規模の音楽フェスを企画

ー大学から始めたDJ活動は、いかがでしたか?

大学1年から活発にDJ活動をしていたのですが、作り手側の気持ちがわからないと良いDJにはなれないなと思いました。

そこで、イベントサークルの幹部が集まるサークルに1年生のときに加入させてもらい、800人規模のクラブイベントを実施したのです。

ーどのようなイベントだったのでしょうか。

関西の大学生の卒業パーティーで、テキーラやシャンパンを飲むようなイケイケのイベントでした。そのイベントは本当に楽しかったのですが、これから先何十年も作っていきたいイベントではないと思いました。

自分はどんなフェスが作りたいんだろうと悩んでいるときに、淡路島で開催している野外フェス「FREEDOM」に参加して、「これだ!」とシビレたのです。

ーシビレた理由を教えてください。

FREEDOMはレゲエのフェスなのですが、バンドやヒップホップなど様々なジャンルのアーティストが参加していて。ジャンルごとにファン層が異なるので、テキーラ片手に旗を振っているギャル男の隣に老夫婦がちょこんと座ってるようなカオスな空間が広がっていました。

ただ、老夫婦が見に来たアーティストのステージをギャル男が見て、感動して泣いている光景を見たのです。ステージが終わり、ギャル男が老夫婦に「すごく良かったですね!!」と話しかけて仲良くなっているのを見て、「価値観関係なく響くんだ」と思いました。

ー価値観を超えて、みんなが溶け合うような感じですね。

参加者だけでなく、展示ブースを見てみても、スケボーが走り回っていたり、アパレルブランドが展開していたり、赤十字の献血ブースがあったりして。左は海、右は山、下は芝生、上は青空という自然に囲まれた中で、人間が作ってきたものが集結されている感じがしました。

音楽フェスは人間が作るものの中で最高峰なんだという憧れから、自分でフェスを作ることを決意。1,000人集めたら野外フェスといえるのではないかと思い、様々な人のサポートを受けてスタートしました。それから毎年2回ほどフェスを作り続けています。

ー高村さんがDJという演者側だけでなく、主催者側も続けているきっかけは、大学生のときに参加した野外音楽フェスにあるのですね。

振り返ると、私はお祭りが好きで近所の盆踊りによく参加していたのですが、真剣に踊る人もいれば、露店を楽しむ人やお酒を飲む人、走り回っている子どもいて、そんな多様性がある空間が素敵だなと思っていて。

お祭りでは自分を受け入れてもらえるし、相手のことも受け入れられる。それが私がお祭りの場を作りたい理由なんだと思います。

消費的な扱いを受けるエンタメ業界にもやもやが募る

ー大学でDJや音楽フェスの企画を行っていた高村さん。進路はどのように考えていたのでしょうか。

教育業界に行きたいと思っていましたが、大学職員を受けて落ち、学習塾や教育コンテンツを提供している企業を受けて落ち、挫折の連続でした。

自分はどうすれば他者や社会に影響を与えられるかな?と考えていたときに、フェスの規模が大きくなり、制作依頼を受けることも増えてきたので個人事業主となりました。

ー音楽関係ではなく、教育業界を目指していたのですね。

音楽フェスを作る中で、メンバーたちの成長に携われる瞬間の幸福度が高かったですし、人に影響を与えたかったので教育業界を目指していました。

ただ、私ひとりで影響を与えるよりは、影響を与えられる人を100人作れる仕組みを整えるほうが大事だと考えていたので、教師ではなく教育の仕組みを作れる道を選択しようと思ったのです。

ー教育業界へ進むのではなく、個人事業主となってからはどのように過ごしていましたか?

影響度を大きくして、スピード感を上げるには起業したほうが良いと思いつつも、最初はビビってなかなか踏み込めませんでした。ただ、制作事業が徐々に拡大してきたのもあり、ついに起業することにしたのです。

いろんな仕事に携わらせていただく中で、エンターテインメントはすごく消費的な扱いを受けているなと感じてもやもやしたのを強く覚えています。

ー具体的にどのような点が消費的だと感じたのでしょうか。

良いことをやっていたとしても、それが社会的にプラスになっているのか測りづらいと思って。娯楽が娯楽と言われるだけではもったいないし、どうせなら来場者や出演者などみんなが楽しむパワーを、社会がより良くなる仕組みへと変えていけないかなと感じました。

当時は「仕方のないことなのかなあ……」とあきらめている部分が多く、ずっともやもやしながら仕事をしていましたね。