はじまりは勇気ある一歩から!チャレンジングに活躍するTikToker・中原優実の想い

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第602回目となる今回は、中原優実​​さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

現在、カンボジアの大学に通いながら、TikToker・インターン生・SNSマネージャーとして活動している中原さん。チャレンジを続けてきたこれまでのキャリアや、今後の展望について伺いました。

小学生でアメリカへ!とにかくチャレンジングだった幼少期

ーはじめに、自己紹介をお願いします!

はじめまして、中原優実です。カンボジアに住んでいる大学3年生です!

主に、TikTokerとインターン生、カンボジアのラーメン屋さんにてSNSマネージャーとして活動しています。

ー現在、学業と3つの活動をされている中原さんですが、幼少期はどのような子どもだったのでしょうか?

岡山で生まれ、両親と妹・祖父と5人暮らしをしていました。

私はとにかくアクティブで活発な子どもだったと思います。習い事もたくさんしていて、チャレンジングな一面がありました!

ー具体的にどんな習い事をしていたのか伺ってもよろしいでしょうか?

ピアノやバイオリンなどの楽器だけでなく、スイミングもやっていました。テニスも少しかじったり、サッカーや書道も続けていました!

ーかなりたくさんチャレンジされたのですね!当時は岡山の学校に通っていたのでしょうか?

地元・岡山の小学校に通っていましたが、小学3年生から小学5年生までの3年間をアメリカで過ごしました。

ーアメリカですか!アメリカで過ごしてみていかがでしたか?

やっぱり印象に残っているのは言語の壁ですね。英語はある程度学んできていましたし、日常会話程度は話せたものの、「優実は何が言いたいの?」と先生に言われたこともありました。

アメリカでは自己主張をしないと誰も気にかけてくれないので、小学生ながら苦戦した思い出があります。でも、アメリカで過ごすうちに「自分から自己主張しないとだめなんだ!」と学び、努力したことで自己主張ができるようになりました!

ーアメリカでは小学5年生まで過ごされたとのことですが、その後日本に帰国されたのでしょうか?

はい。小学6年生の1年間だけ日本の小学校で過ごしました。ただ、地元の小学校だと周囲に馴染めるか不安があったため、英語に力を入れている小学校を受験し、入学することになりました。

東大受験にチャレンジ!後悔がないくらい勉強に打ち込んだ高校時代

ー小学校卒業後の進路について教えてください。

中学受験で受かった中学校に入学しました。中高一貫校だったのでそのままエスカレーター式に高校まで進学したのですが、高校受験がなかったこともあり、中だるみしてしまっていたように感じます。

今思い返すと英語の成績がよかったこともあり、他の教科の勉強を少し疎かにしていました。

ー勉強にはなかなか力が入らなかったのですね。部活動にはチャレンジされていたのでしょうか?

学校の部活動には所属せず、地元のクラブチームでサッカーをしていました!社会人の方も所属しているクラブチームだったので、大人の方々とコミュニケーションをとる機会が多かったことはとても新鮮でした。

ー確かに中高で社会人と接することは珍しいですよね!その後、大学受験にはチャレンジされたのですか?

はい。英語の成績がよかったこともあり、先生から東大を受験してみないかと提案をいただいて……。

当時、私はやりたいことも決まっておらず、進学に迷っていました。東大は最初の2年間で教養を学び、その後学部を決めるという話を聞き、「私にあっているかも!」と感じたんです。結果的に東大の受験にチャレンジしたのですが、実力が足りず落ちてしまいました。

ーなるほど……。

受験に失敗した後、母が東大に連れて行ってくれたのですが、そこで「やっぱり東大にいきたい!」という気持ちがあふれてきて……。泣きながらもう一度チャレンジしたいと打ち明けました。

そこから1年間浪人し、2回目の受験を迎えましたが、結果はだめでした。ただ、2回目のチャレンジでは本気で勉強に打ち込んだので、後悔はなかったです。