1つの行動で世界は広がる。環境問題に全力で向き合う菅原勁太が目指す未来とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第568回目となる今回は、「COEXIST」菅原勁太(すがわらけいた)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

環境問題・社会問題の解決策にはひとりひとりの意識を変えていく必要があるとの考えを持つ菅原さん。環境問題に関心を寄せたきっかけ、自分が行動したら見える世界が変わった貴重な体験と現在の取り組みについてお話を伺いました。

日本人の環境問題への意識を高めていきたい

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

COEXITの菅原勁太と申します。メディア系物販のサービスをスタートしたところです。前職では環境問題を解決する電力会社「ハチドリ電力」に勤めていました。留学経験やバックパッカーで環境問題の現状を目の当たりにしてからは、環境問題に関心を寄せています。

ーハチドリ電力では具体的にどのような取り組みをされていたのでしょうか?

「環境問題を解決する」がコンセプトの電力会社です。弊社からは自然エネルギー100%の電力を多くの方へ届けるべく、個人の自宅や企業へ電力の供給をしています。

他にも、お客さまからいただく電力代の2%を活用した取り組みも特徴です。まず1%は団体へ寄付する制度。寄付する先は、弊社が指定しているNPO団体の中からお客さまに選択してもらいます。もう一方の1%は「発電所を作る」活動に充てています。日本国内の自然エネルギー不足の問題解決のためには欠かせません。

ー自然エネルギーと聞くと風力発電・太陽光発電などをイメージします。具体的に自然エネルギーに基づく発電方法について教えてください。

弊社の実績では、太陽光、風力、小水力といった発電を活用しています。2021年6月には、農業と発電所を組み合わせた「ソーラーシェアリング」と呼ばれる方法で、発電所を建設しています。

ー自然エネルギーを使った発電による電力供給だけでなく、次なる自然エネルギーを作るための投資、さまざまな社会課題に対しても寄付までされている会社なのですね。

私は環境問題と社会問題はつながりが深いと考えています。環境問題を軸としているものの、社会問題も同時に解決するべきとの考えから、社会問題へもアプローチしてるのは弊社のユニークな点です。

ーハチドリ電力は創業からどのくらいになるのでしょうか?

ハチドリ電力は創業から1年半経ちました。私は半年前に創業メンバーになりました。ハチドリ電力は今まさに創業期です。創業してから徐々に取り組み方を整えながら、事業を進めているところです。

ー創業から1年半、菅原さんが入られて半年。自然エネルギー電力に関して世間やお客さまの見方の変化はありましたか?

お客さまから直接話を伺う中で、環境問題への意識が徐々に高まってきているかなと肌感覚はあります。今後は、今よりも環境問題への意識をより高めていきたいです。そのためにはまずは国民の意識を高める。そしてボトムアップで国や企業を変えていきたいですね。まだまだ意識は高められると思っています。

兄についていった行動力。「世界を知りたい」と思った

ー最初の人生のターニングポイントは18歳。お兄さまと一緒にアメリカでホームステイされたそうですね!ホームステイをするきっかけは何だったのでしょうか?

3歳上の兄の留学がきっかけです。兄は大学1年生のときに初めてホームステイしたのですが、帰国する頃にはすっかりホームステイ先と仲良くなっていて。それからは毎年大きな休みのたび、兄がホームステイ先のオレゴン州へ行く様子を見て「なんだか楽しそう」と感じるようになりました。

私もホームステイに興味があって。高校3年生のときにはじめて兄について行き、2週間ホームステイさせてもらいました。

ーホームステイをしはじめた当時から「環境問題」にもともと関心があったのですか?

当時は環境問題に興味がなかったというよりも、海外の情報を含めてそもそもどのような環境問題が起きているのかを全く知りませんでした。

ーこの頃の菅原さんの将来の夢は何かあったのでしょうか?

だらだらと過ごしている時間の方が多く、当時は夢は何もなかったです(笑)漠然と大学を卒業し、大きい企業に入社して、家庭を持って……。なんて考えるくらいでしたね。

有名な大きい企業に入れればいいかなとずっと思っていました。

ーターニングポイントとなったホームステイが初めての海外だったのでしょうか?

3年に1度、親戚と一緒に海外旅行へ行く機会はありました。しかし、私にとって家族と行く海外旅行は人生のターニングポイントではなかったですね。

18歳のときのホームステイをターニングポイントだと感じた理由は、初めて自分だけで海外の人とコミュニケーションをとったからかもしれません。初めてのホームステイ、私は2週間滞在したのですが、兄は最初の1週間で帰国してしまいました。

ー海外旅行とホームステイではコミュニケーションのとり方も違いますよね。

今まで日本人としか交流したことのない日常から、全く異なる文化に触れて「もっと世界を知りたい」と強く感じました。

とくに最初のホームステイでは兄の友人を紹介してもらったのですが、兄は英語でコミュニケーションできるのに、自分は話せず会話を楽しめなくて……。悔しい気持ちで帰国したホームステイでしたね。兄がいない残りの1週間は何をしていいか分からず、コミュニケーションも思うように取れませんでした。

留学先の交流で環境問題への意識の違いに気づく

ーホームステイ後は大学へ進学。大学選びで軸にしていたポイントはありましたか?

大学附属の高校だったので、勉強や受験、大学選びは特別なことはなく……(笑)

そのまま大学へ進学しました。

ー大学3年生の終わりに、1年間の休学を決断された菅原さん。休学の決断理由は?

大学入学当初から「大学生のうちに1年間海外留学する」と決めていたので休学を決断できました。とにかく兄に負けたくない気持ちが強くて(笑)英語でコミュニケーションを図って自分の世界を今よりも広げたい。英語を流暢に話せたり、留学経験があったりすればいい企業に入れるかなとも思っていました。

3年生まで、休学の決断が伸びたのは、サークル活動で代表を勤めていたのが理由です。サークルの代表として役割を終えてから休学しようと考え、3年生の終わりのタイミングでの休学になりました。

ー休学中はどのように過ごしていたのでしょうか?

休学後はすぐアメリカに1年間留学、語学学校へ通っていました。語学学校は転々としていました。サンフランシスコに4ヶ月、シカゴも4ヶ月、ボストンでは3ヶ月程度。リベンジの気持ちで、最後はオレゴンに2週間滞在しました!

ーなるほど。留学中はさまざまな場所で過ごした1年間。関心に残っている点、得られた学びはありますか?

最初の留学先、サンフランシスコで過ごした4ヶ月では大きな気づきが2つありました。1つ目は、初めてできた海外の友人とのコミュニケーションを通して世界の文化を広く知れた点。2つ目、「環境問題」に興味を持てたこと。カリフォルニア州でプラスチックバックが禁止されていたことで、初めて環境問題を身近に感じました。

コンビニやスーパーなどのレジ袋をプラスチックバックと呼ぶのですが、代わりに全て紙袋だったんです。カリフォルニア州の法律では紙袋しか使えないと定められています。プラスチックバックの方が、濡れない上に破れないからいいのでは?と最初は疑問を感じました。

なぜ紙袋しか使えないのかを調べるうちに、プラスチックバックが海へ流れて、ウミガメが死んでしまったり、海に行けばゴミが落ちていたりと。私は、アウトドアが好きで海へ行く機会が多い方なので衝撃でした。

私が留学したのは2017年。当時の日本では当たり前に使っていたレジ袋が環境汚染につながっているのだと知りました。

日本での当たり前は世界では当たり前ではないと気付かされた出来事でした。

ー社会問題と環境問題がつながっているとの感覚はこの頃から思ってらっしゃったのですか?

環境問題を知った当時は環境問題だけを調べていました。

環境問題について調べる中で、なんとなく「発展途上国ほどゴミが多いのでは?」とは感じていました。川の汚れも発展途上国の印象があるくらいでした。漠然と社会問題は環境問題につながるかも、とは感じていました。

ー留学での気づきから、「環境問題」を調べ始めていたのですね。

留学中にビーガンの友人ができた影響もありますね。自分より3歳下のドイツ人の女性なのですが、畜産も環境に影響を与えているといったことを教えてくれました。例えば牛肉が環境汚染への影響力があるのも私は当時全く知らなくて。

年下の友人よりも自分の知識が少ない点や、日本で課題に感じない部分をドイツでは課題に感じているのかなと気づきがありました。世界と自分の課題への捉え方の違いを強く感じました。もっと勉強しなくちゃとの想いに駆られたエピソードですね。

ービーガンの友人のエピソードは大きく菅原さんへ影響を与えてくれたのですね。

私も友人の影響を受けて1年間「ペスカタリアン」で生活した時期もありました。ペスカタリアンは、お肉を食べずに、魚と野菜だけの食生活を指します。