「1つでも多くの皮膚病を解明したい」自身の経験から起業へ。Genon代表・高原千晶

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第598回目となる今回のゲストは、高原 千晶(たかはらちあき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

株式会社Genonを立ち上げ、皮膚で悩んでいる人へアプローチできるサービスを展開している彼女。「とりあえずやってみよう」という好奇心が強い幼少期を過ごし、自身の持病を抱えながら起業を決意するまで、いったいどのような人生を歩まれてきたのでしょうか。皮膚病への想いから今後の展望まで幅広くお話を伺ってきました。

肌へのお悩みを解決しようと立ち上がる若き経営者

ーまずはじめに、自己紹介をお願いします。

株式会社Genonの代表を務めている高原 千晶と申します。具体的なサービス内容として、「かゆい!」といった症状をデータで解決できるPHRサービスを開発しています。症状を記録すると、我々が症状を分析し最適な治療法を医師とともに解明したあと、お薬までお届けします。

ー肌に悩まれている人に向けて、新しいサービスを始めているのですね。

はい。わたし自身、重度のアトピーを患っていることもあり、いち患者として皮膚病の将来性や業界の課題を強く感じてきました。患者一人ひとりの症状を詳しく調べることで、新しい治療法が今後も誕生してくる。そのためにわたしができることは何か、日々模索しながら事業展開をしています。

また皮膚科は待ち時間が長く、診療時間が短いことが課題でした。解決策としてオンライン診療を行ない、そのまま処方箋を受けられる体制をつくる。結果的に待ち時間の大幅短縮を可能にし、患者のストレスを軽減することに成功しています。

ー会社を立ち上げ、現在の事業はいかがでしょうか。

2021年12月に会社を発足したばかりなのですが、アプリユーザーの5人に1人が利用を継続したいと回答しています。また、患者がどのような薬を飲んでいるのか調べるためにデータを有効活用することができ、医師側からも高評価をいただいています。

ー患者と医師をつなぐ役割を果たしながら、順調にサービスを展開されていますね。

現在は順調に見えますが、最初のころは大変でした。起業するために皮膚科で業務委託として働きながら、知識や経験を蓄え事業の構造を練っていましたね。わたしが思い描くビジョンを現実的に落とし込められたのも、多くの人が協力してくれたおかげです。

「やってみよう」という好奇心が強かった幼少期

ー高原さんのこれまでについてお伺いします。どのような幼少期でしたか?

そうですね。ひと言でまとめると好奇心旺盛な幼少期でした。自分で言うのも変ですが、少し風変わりな子どもで……。たとえば「死ぬ」ことに興味を持ちはじめ、ジャングルジムの1番上から飛び降りて頭をぶつけるなど、痛い思いをしたことがあります(笑)。

ーお話を聞くだけでも痛みが伝わります。そもそもなんでそのような経験をしようとしたのでしょうか?

むかしから、結果を考えずに「とりあえずやってみよう」という好奇心が先行していました。ジャングルジムの経験以外にも、温度と湿度測定に興味を持ちはじめ、パン作りに没頭したことも。とにかく自分で結果を求める、実験体質でしたね。その姿勢は良くも悪くも現在の起業に繋がっています。

ー好奇心が高い高原さん。遺伝子に興味を持ち始めたのはいつごろでしょうか?

好奇心旺盛にもかかわらず、18歳まで自分が何に興味を持っているか、よく分からなかったのです。「将来の夢は?」と聞かれてもうまく答えられない子どもでした。

高校3年生のときに海外雑誌の「NATURE」に出会い、遺伝子や細胞に初めて触れました。読み進めていくうちに「これだ!」と稲妻が落ちた感覚がして、それ以来自分の進みたい道が明確になりましたね。

ー高原さんの原点になった体験ですね。そのあとの進路はいかがでしたか?

遺伝子を学べる専門学校はなく、結果的に管理栄養士の道に進みました。卒業後は管理栄養士として外資系飲食店へ勤務。栄養学の知識を大いに活かすことができ、とても充実していたファーストキャリアを送ることができましたね。

働いていたのは栄養系でしたが、プライベートでも遺伝子の興味は尽きることはありませんでした。動物学的に遺伝子はどのように関わっているのか、調べていましたね。

いち患者として、業界の課題を身をもって感じる

ー充実していた社会人生活でしたが、キャリアチェンジをされたのはなぜでしょうか?

特に大きな問題なく社会人生活を送れていましたが、持病のアトピーが悪化してしまいドクターストップが出てしまいました。飲食だと水に触れることが多く、手袋をしているのにもかかわらず、出血が止まらない状態に。全身に包帯を巻かれ、3年勤務したあとに退職を余儀なくされました。

きちんと通院していなかったことも悪化した原因ではありますが、働きながらの受診となると時間を確保することが難しかったのです。飲食店と医院の休憩時間が被っていて受診できない日々が続いたことも、当時感じていた皮膚科への不満でしたね。

ー持病が悪化する一方でちゃんと診てもらえない状態。当時のお気持ちをお伺いしてもいいですか?

そうですね。仕事も辞め、1人暮らしの家に引きこもる状態が半年間くらい続きました。肌は荒れまくり激痛が容赦なく襲うこともあり、1週間で5キロも痩せたことがあります。

皮膚科はかかりつけ医がないことも、課題の1つとして挙げられています。実際にわたしも症状がひどくなってからある病院へ通い続け、しばらくしてから正式な病名を教えてもらいました。

ーそれでは実際に肌に悩んでいる多くの人は、皮膚科を転々としているのでしょうか?

そういうケースが大半だと思います。立地や診療日の条件が合っている皮膚科を選んでいる人が多く、きちんとした情報を受け取られないまま別の医院を受診することも。

ーそうなんですね。たしかに内科や歯医者に比べて、「この皮膚科に通っている」というイメージはないかもしれません。

いち患者として、この課題を解決したいと思ったのもこの体験がきっかけでした。その後、わたしの妹が専門としている鍼灸治療のおかげで症状が軽くなり、オフィス業務に転職。本職と両立しながら、起業への準備に着手していったのです。

尽きることない皮膚病への解明を目指す

ー実体験に基づき起業をコツコツと進めた結果、2022年1月20日に会社を設立されたのですね。

そうですね。鍼灸の治療を受けているときも、医療や医学の偉大さを改めて感じました。以前から興味があった遺伝子と医療は深く関わっているのではないかと思い、より一層「人体を治す」分野に関心が高まりました。

ー素晴らしい心もちですね。最後に、今後の展望を教えてください。

はい。わたしの人生の目標でもあるのですが、病気を1つ解明することを目指しています。現状、3人に1人は肌荒れに悩まれていて、まだまだ解決する課題は存在しているんですね。

1人でも多く皮膚疾患患者さんを救えるように、皮膚科医の先生たちと一緒に邁進していきます。興味のある方はGenon社までご連絡いただければ嬉しいです!

ー今後の活動を応援しています!ありがとうございました。

取材:黒澤朝海(Twitter
執筆:田中のどか(Twitter / note
デザイン:安田遥(Twitter