様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第522回目となる今回は、ショーンチャオさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
固定概念にとらわれず、グローバルに活躍する「ショーンチャオ」さん。現在は、起業を経て米国で自身のファンドを運用するショーンさんに、キャリア変遷とターニングポイントについて伺いました。
挑戦し続けてきた努力がキャリアの「ご縁」に結びつく
ーまず簡単な自己紹介をお願いします。
ショーン・チャオです。アメリカ生まれ、神戸育ちの中国人です。神戸のインターナショナルスクールを早く卒業して、上海留学を経てUC Berkleyに入学しました。
卒業後は東京に戻り、コンサルティングの上場会社に入社したものの、3日で辞めて。
その後は、Infinity Venture Partners(以下:インフィニティベンチャーズ)に転職しました。それから1年半働いた後に、起業を経てファンドを立ち上げました。現在は米国で自分のファンドを運用しています。
ーなぜ3日間で最初の会社を辞めたのかお聞きしたいです。
理由は、大学時代に遡ります。大学は何をしたいかわからないまま入学しました。やりたいことがなかったので、何にでも活かせるようなことを勉強しようと思い数学を選びました。
数学の中でも確率論は、中学・高校とかなり得意だったのですが、大学では苦戦し中間テストで20点を取ってしまって。
しかし、その授業で最終試験の成績が良ければ、最終評価に加点してくれるチャンスを教授が与えてくれたんです。
そこで必死に勉強して、クラストップになりました。結果的に、そのテストが1年生から4年生まで受ける難関のテストだったこともあり、教授から評価されて1年生ながら大学で4年生相手に確率を教えることになりました。
そこから確率論にはまり、ビジネスの将来のリスクや不確実性の分析、評価を専門とするアクチュアリーに興味を持ちはじめました。とりあえず、大学2年生の頃にはアクチュアリーの資格試験をいくつか受けて通ったのですが、もっと自分にとってスリルのある仕事がしたくなって。
アクチュアリーだと銀行のトレーディングが極めて近く、金融業界に就職を決めます。
その後金融業界のインターンに参加したものの、もっとリアルのビジネスで何が起こっているのか知りたいと感じ、ビジネス寄りの勉強をしたい気持ちが強くなりました。
また留学先が、シリコンバレーの真ん中にあるバークレーだったこともあり、GAFAを含む大企業に身近な人も含め、多くの人が入社していたことに影響しているかもしれません。
そういった背景から、VC(ベンチャーキャピタル)のような企業に投資するビジネスに携わりたいと思いました。そんな中で、投資なども含め新規事業の立ち上げを支援する某上場会社に出会います。
ちょうど同社が、リーマンショックで受けたダメージから回復し、投資を復活させるタイミングで入社しました。
しかし、入社してみると入社時に合意した内容と若干ズレを感じ始めたのです。
入社2日目には、テック系のイベントに送り出されて。名刺交換をひたすらし続けていました。
たまたま最後に配った相手が、僕が尊敬する投資家で。ご縁もありインフィニティベンチャーズに移りました。
新卒の会社を3日で辞めて、あえて人がやっていない道に飛び込む
ーその投資家に出会って、すぐに転職を決断できた理由はありますか?
テックインアジアに行った際、スタートアップやVCファンドのさまざまな人に会って、メンタリティが変わりましたね。
参考資料となる人物像やとキャリアパスが極めて少ない状態で、新しい業界に飛び込む状態だったので転職するか悩みましたが、日本でも海外でも挑戦している人が少ない業界に飛び込むのは面白いのではと感じられたのが大きいと思います。
ーインフィニティベンチャーズで、大変なことはありませんでしたか?
大変と思う感覚はありませんでした。基本的に「自ら学ぶ」スタンスを大事にしており、わからないことがあってパートナーにSlackで質問すると、「Did you ask for your best friend?」と逆に聞かれるんです。どういうことかというと、「Googleで調べろ」ということです。笑
そういった社風のおかげで、何でも自分で調べればできる感覚と謎な自信が身につきました。
そうして今までやったことのないことにチャレンジすることで、人は成長するのだと感じています。
チャレンジして当たり前。前例がなければ、自分がなれば良い
ーショーンさんはどのタイミングで独立できると確信できましたか?
独立できるかどうかは、わかりませんでした。やはり何事もやってみないとわからないと思います。
しかし、インフィニティーベンチャーズのメンバーやバークレーで会ったさまざまな人の影響があり、チャレンジに対して抵抗はありませんでした。
チャレンジして失敗しても、別に良いんじゃないかと思っています。
ーショーンさんが2年目で、自分で独立してみたいと思ったのは、やりたいことがあったからでしょうか?
インフィニティベンチャーズに入る時には、いつか独立して自分で何かを成し遂げたい思いがありました。
起業なのか、ファンドをやるのかは決まっていませんでいたが、自分で何かやってみたいなと思っていて。
ただ若くして独立をし、ファンドを成功に導いた前例がかなり少ないことがわかって。ここでも「常に例外になれるようにする」という考えに従いました。
またひとつでも前例があるのなら自分にできないはずがないとも考えています。
僕は人生の選択に正解はないと思っています。人それぞれリスクや何をもって自分の価値を見出すのか、人生の優先順位が異なると思うので。
僕の場合は安定したいという欲求が少なく、リスクの許容度が高かった。だから独立の選択肢を取っただけです。
ルールにないものを追求する「王道」の選択を取らない生き方
ーショーンさんの意思決定に影響を与えた子どもの時の出来事や親の教養教育方針はありますか?
ありますね。子どもの時から不可能を覆す両親の姿を見てきました。両親は2人とも起業をして今は貿易商社をやっています。
不可能を覆すとは言っても、小さいことも含まれます。些細な例ですが、レストランで何かを頼む時、両親はメニューに載ってないものを頼むこともありました。日本でメニューにないものを頼む人は、割と少ないと思いますが、ルールに沿わない考え方を常に目にしていました。
従来の日本の教育には、「大衆からそれるな」という考え方があると思います。しかし、僕は自分の両親やインターナショナルスクールに通っていたこともあり、柔軟な思考回路を持ち続けられていました。
常にルールにないものを追求して、柔軟に考えていたと思います。
ー他に、子どもの頃常識を覆したり、レールに乗らないで何かを実行したりしたエピソードはありましたか?
僕、半年早く高校を卒業したんですよ。しかも、普通の人より単位を多くとって卒業しました。
自分が通っていた高校においては歴代唯一の記録ですが、「なんでできないの?」という気持ちから始めました。この気持ちを大事にしていた結果、できたんだと思います。
ーその時は、高校を早く卒業したい思いがあって周りに伝えていたのですか?
高校2年生で、中国語のスピーチコンテストに参加して日本一位になり、世界大会に出た時から周りに伝えるようになりました。
世界大会で入賞したことで、中国政府の指定する教育機関に留学できる奨学金をいただけたんです。しかし大学はアメリカに行くと決めていたので、それを遅延せずに実現しつつ、中国もこなすには高校をなるべく早く卒業する必要があったため、校長先生に相談してみたのです。
それからは、早く卒業するために必要な単位数を計算してとにかく勉強しました。
ーインターナショナルスクールの学校生活では友達が作りにくかったり、価値観が合わなかったりなどの不便を感じたりしたことはありますか?
インターナショナルスクールでは人種や肌の色、両親の出身地、価値観など「みんなと違って当たり前」の考えが根付いており、不便さは特に感じませんでした。
最近は少なからず変わってきていると思いますが、従来の日本では「他人と違うこと」に対してネガティブなイメージがあります。しかし、インターナショナルスクールではむしろ他人と違うことが優れていると考えられていて。
そのため、僕は「みんなと違うのは別に良い」と思っています。自分を他の人と違いをつけて、自分のアドバンテージにするかを常に考えています。
キャリアを決める時にも「どのように自分を差別化するか」を意識しています。だからこそ大企業に行くのではなく、険しくて予期せぬことが起こるような道を選んできました。
ー最後にこれから人生を歩む中で、ビジョンはありますか?
今は悩んでいますが、これからもエキサイティングな道を選んで、いろんな人を巻き込んでいきたいなと思っています。
ーありがとうございました!ショーンチャオさんの今後のご活躍を応援しております!