90日間で人生を変えた!ドバイ生まれコンプレックスからの下剋上を実現した90English代表・高田勝太

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第634回目となる今回は90株式会社代表の高田勝太さんをお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大学受験時に90日間で偏差値40upを機に、ご自身の人生を好転させた高田さん。そんな高田さんが描く「挑戦できる社会」を創り続けていく生き様に迫りました。

ドバイ生まれ。家庭内でのコンプレックス

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

ドバイ生まれ神奈川育ちの高田勝太と申します。大手メーカーを経て、路上靴磨きをし、現在は英語のパーソナルトレーニング「90 English」を運営する90株式会社の代表です。Twitterでは「裸ネクタイ社長」として動画で英語の解説をするちょっと変わったアカウントを運用しております(笑)

本日はよろしくお願いします!

ーよろしくお願いします!早速ユニークな経歴をお持ちで、心を掴まれてしまいました(笑)90 Englishとはどのようなサービスですか?

一言で言うと「英語のパーソナルトレーニング」です。完全オンラインで週3マンツーマンのレッスンを行うだけでなく、毎日の自主学習もサポートしているサービスです。

初級、中級の方がどんな英語学習をしたらいいかわからなかったり、続かなかったり、外国人の先生と話すと怖かったりという課題を解決するために、伴走型のスクールを経営しています。

生徒さんに対して英語をやらざるを得ない環境を作り上げ「挫折できない英語学習方法」を身に着けられるようになっています。

ー確かに英語学習って何から始めたらいいかわからないですよね。90 Englishだからこそのユニークさはどこですか?

90 Englishの強みは、生徒さんとの接触回数の多さです。ほとんどのスクールは、口頭でのレッスンを受ける時間は週に1時間程度。

私自身も週1回1時間のレッスンを受けたことがありますが、ぶっちゃけ毎日英語をやらないと忘れてしまうんですよね。モチベーションも下がってしまうので「今日はいいかな…」とサボってしまう。90 Englishは週3回レッスンがあり、約2日に1回のペースでコーチと接触するので、サボれない環境を仕組みで作り出すことができています。

ーさぼれない環境づくり、大事ですね!素敵なサービスを提供されている高田さんですが、どんな幼少期を過ごされていたのでしょうか?

私は幼い頃から、周りに合わせるのが苦手でした。お遊戯会のとき、お猿さんのポーズをみんなでやる場面あったのですが、私だけずっとウルトラマンのポーズをしていました(笑)

やんちゃな性格の一方で、出身地に対してコンプレックスを抱いていました。ドバイで生まれた私は、友人から「外国語が話せるの?」と聞かれる場面が何度もありました。しかし、私はドバイで学校教育を受ける前に日本に帰国。父親は仕事で英語を使って仕事をしているし、母も現地で生活をしていたので話せる状態。さらに、5つ上の姉もインターナショナルスクールに通っていたことから、私以外の家族全員、英語がペラペラでした。

家族への劣等感と出身地のコンプレックスから「いつか絶対に英語力を身につけてやる」と思っていました。

90日間で偏差値40up。英語を教える楽しさを知った高校時代

ー高校時代にあるターニングポイントがあったんですよね?

高校時代はサッカー部に所属しており、部活に明け暮れる日々でした。授業中は寝て、部活が始まる前に起きる。そんな生活をしていたので、高校2年生のときに受けた英語の模擬試験の偏差値が28だったのですよ(笑)

専門学校に行くことも考えましたが、やりたいことも決まっていないし、大学に行きたかったので90日後の模擬試験に向けて猛勉強をしました。部活をやる時間以外はすべて英語の勉強に費やしました。単語、熟語、文法の基礎を徹底的に固めて模擬試験を受けたらなんと偏差値が68まで上がったのです。

周りからの見る目も一気に変わり、友だちにも英語を教えてみるとさらにその友だちも英語の点数が上がりました。もともと注目されるのが好きだったことも相まって、英語の可能性を感じ、どんどん夢中になっていきました。

ー90日間で偏差値68まで上がったのは素晴らしいですね!!基礎をやる「戦略的な考え方」になれたのはどうしてですか?

まず、先生から「センター試験自体がそこまで難しくない」と聞いていたので「長文は極論捨ててもいいのでは?」と仮説を立てました。次の模擬試験まで90日しかなかったこと、まだ受験までも日があったので、今回はあえて満点を目指さずに基礎を徹底的に潰していくことにしました。サッカーの経験から、基礎をおざなりにしている人で上手い人はいなかったし、プロの選手も一流の人ほど「基礎が大事」と言っていたので、それを信じてやることにしました。

ー次の模試までの成果って見えづらかったと思うのですが、どのように90日間のモチベーションを保ちましたか?

そもそも私はモチベーションを信じていないんです。やっていない状況でモチベーションが上がった試しがないので(笑)続けていくうちに「これ、面白いぞ」となる経験がスポーツに限らずどんなことでもあったので、きっと英語もやっていくうちに楽しくなるんだろうと思っていました。

幼少期から英語を話すことへの憧れもあったし、家庭内でのコンプレックスもあったことで、英語を話せたら楽しい人生が待っていることが容易に想像できました。父親も英語が話せたことでビジネスが好転していったのを直近で見ていたことも大きかったですね。

与えられた環境で花を咲かせる決意

ー部活をしながら英語の偏差値を上げるのは改めてすごいなと思いました。そんな高田さんが大学時代どんなふうに過ごしたのかすごく気になります。

結論から言うと、実は大学受験に失敗しました。私立の文系を受けていたのですが、国語、英語、日本史を選択しました。英語には夢中になれたのに、日本史が壊滅的に苦手で偏差値がずっと50くらいで足を引っ張ってしまいました。

第一志望は早稲田だったのですが、補欠まで行って落ちるという最悪の状況でした。正直、あの時は絶望しましたね。

ー気持ちが下がったと思うのですが、そこからどうやって這い上がったのでしょうか?

法政大学に進学したあとに、実は半年間ほど仮面浪人していました。慶應を目指そうとしていたのです。

ですが、よくよく考えてみると負けを認めていない自分がいることに気づき、就職で成功する目標に切り替えました。大学はあくまで通過点。就職で成功しようと気持ちを改めました。学生時代からスポーツウェアや道具が好きだったので、スポーツメーカーに就職すると決めました。

法政大学のスポーツ健康学部。スポーツメーカーに就職するには有利な学部だと気づき、法政大学に残ろうと思いました。そのタイミングで法政のスポーツ健康学部の偏差値が早稲田の同学部の偏差値を上回ったこともあり、私大トップになりました。

置かれた場所で咲くことを決めた結果、学年2位まで上り詰めることができました。学費も返還されました。今思うと結果オーライだったなと思います。

ー国費留学生にも選ばれたのですよね?

そうなんですよ。GPAとIELTSの総合点がよくて、国費留学生だけを集めた会でケネディ元大使にもお会いしました。「Study hard, play hard(よく学び、よく遊べ)」という言葉をもらったのを、今でも覚えています。

大学受験の悔しさを胸に。第一志望の大手メーカー企業へ

ー大学時代の経験や学びがあったからこそ今後のキャリアにも生かされる部分があったのでしょうか?

人間が落ちたときに逃げるか、壁を越えるかで結構大きな差が生まれるなと思います。その場がたとえ辛いことでも、時間は過ぎていってしまうので、その場を最大限楽しむ。楽しもうとした上で、どうしても合わないと思ったら早期撤退をするのが正解だと思います。

ー「大学卒業して大手メーカーに就職したい」とおっしゃっていましたが、それは当初から変わらず目指されていましたか?

はい、大手メーカーをずっと志望していました。実は大学1年生の秋に第一希望の会社の本社に電話をかけて「給料はいらないので働かせてください!」と伝えました。熱い想いを伝えたところ、マーケティングの仕事に関わらせていただくことができました。唯一の大学生として受け入れてもらったこともあり、さらにその会社に行きたい気持ちが強くなりました。

ー就職された後は2年くらい働かれていましたか?

いえ、1年だけです。

ー「この企業で働きたい!」と思った会社をなぜたった1年でやめてしまったのでしょうか…?

まずは社風が合わなかったことです。大学時代に働いていたときは会社のいいところしか見えていませんでした。私は主に広報係として同社エース社員の方のインタビューをしていたのですが、対象となる社員さんってめちゃくちゃ優秀な方ばかりなんです。こんな人たちと働ける会社は素敵だと思っていました。

入社後のギャップから、間も無くしてメンタルダウンしてしまいました。このままだと自分がダメになってしまうと思い、最速で退職することにしたんです。

渋谷の路上で1円靴磨き

ノープランで仕事をやめた後、対人恐怖症になってしまいました。メンタルダウンしてしまったことで人と話すのが怖くなってしまったのです。当時は、早く治さなければいけないと焦っていましたね。

そんなとき、大学時代に同い年の方に路上で靴を磨いてもらったことを思い出しました。「自分の夢を聞いてもらう代わりに、あなたの靴を磨きます」という交換条件で靴を磨いてもらった後、彼の夢と靴磨きでキレイになった自分の靴を見て感動したのを覚えています。

靴磨きってこんなに短時間で人を幸せにするのかと驚きがありました。その気持ちとは裏腹に「彼のことは尊敬しているけど…自分は泥臭いことをやりたくない」という不思議な気持ちを抱いてしまったのです。靴磨きって正直、泥臭いじゃないですか。でも、人と話すことが怖くなった自分にとって「極端なこと」「人を喜ばせること」をやろうと一念発起して「路上1円靴磨き」を始めました。

ーえー!1円ですか?

はい。1円です。自分のコミュニケーショントレーニングだったし、大手企業を退職し、自分の看板がなかったので「〇〇のタカショーです。」と名乗れる肩書きが欲しかったので。お金は主たる目的ではなかったんです。

正直、最初は怖かったです。ただ、何か行動を起こしていないと気がおかしくなりそうだったので、動いていることで自分を満たしてあげていました。

ー靴磨きで気がついたことはありますか?

靴磨きをやって1番大きかったのが、今の会社のメンバーとの出会いです。今の役員は2人とも出会ったきっかけが靴磨きでした。自分の人生を振り返ってみると、靴磨き時代に出会った人たちの支えなしには成し遂げられなかったことばかりなんです。

その他には「人を喜ばせるのってこんなに楽しいものなんだ」と気づけたことです。1円と言えども、お金をいただくことのありがたさ、ありがとうの感謝の気持ちをもらうことは自分を大きく成長させました。

その反対に私に向かって罵声を飛ばしてきたり、唾を吐いてくる人もいました。これが今の日本の現状かと思ったとき「なんて挑戦しにくい社会なんだろう…」と落胆しましたね。

きっと夢を追いかけている人の中には、ドリームキラーに夢を潰されてしまったり、周りの環境の悪さから夢を諦めてしまう人がたくさんいるんじゃないかと思いました。今の会社のビジョンでもある「誰もが挑戦できる社会を創る」も靴磨き時代の経験からきているのですが、私たちは本気でこれを実現させようとしています。今思うと大きな気づきだったなと思います。

ー靴磨きをやめて、英語を軸に起業しようと思ったのはどうしてですか?

靴磨きを企業さん向けに展開し、生きていく程度のお金は稼げていました。ただ、単価が低いので一足磨いても1,500円〜3,000円程度。かたや、世の中にはもっと稼いでいる人たちがたくさんいますよね。稼いでいる人たちと自分の違いは何かを探るべく、お金の勉強を始めました。

勉強した結果「喜びの対価=お金」この方程式に辿り着いたのです。靴磨きは誇りを持てる仕事ですが、喜びの総量は大きくないことに気づいてしまった瞬間でした。

単価が高いサービスを調べていると「英語スクール」がありました。私自身、英語が得意だったこと、予備校でも英語を教えていたこともあり、まずは友だちに英語を教えるところからスタートをしました。

その1人が今の役員でもある加々本です。受講生としてレッスンを受講してくれた後に「これいいサービスだから絶対に広まるべきだよ!」と背中を押してくれました。それだけでなく、一緒に事業化しようと誘ってくれたのです。ちなみに、彼と出会ったのも靴磨きがキッカケだったんです。

ー90 Englishはどん底から生まれたサービスだったんですね。高田さんのお話を聞いていると「人を喜ばせること」が幸せだと考えていらっしゃると思うのですが、その辺りはいかがですか?

起業してから1年弱で、月収100万円を超えた時期がありました。「よっしゃー!お金持ちになったぞー!」とBMWのオープンカーを一括で購入しました。最初は嬉しくてテンションも上がったのですが、すぐに虚しい気持ちになってしまって。結局4ヶ月ですぐに売り戻しました。どれだけいいものを買っても、心は満たされないんです。結局、人に喜んでもらうことに勝る幸せはないなと確信しました。

一番のエンターテイメントは人を喜ばせること。これって一見綺麗事に聞こえますが、実はめちゃくちゃ自己中なんです。(笑)自分が喜びたいから、人に喜んでもらうように努力しているだけなので。

ーこれから挑戦しようとしている方に向けてのメッセージはありますか?

大前提「がんばる」ってめちゃくちゃ楽しいんです。がんばっていると挑戦するためのチケットが手に入ります。そうやって人生は好転していくんだと思います。結局、最後はJust do it。やってみないとわからないことだらけなので、どんどん挑戦していきましょうね!

ー最後に今後のビジョン、やっていきたいことをぜひ教えてください。

日本人が世界に飛び立つ支援をしていきたいと思います。英語に限らずにライフコーチング事業も展開を考えています。すべてに共通しているのは、このAIの時代に「人にしかできないサービス」を提供することです。行動、習慣が変われば人生は好転させられます。

そんなターニングポイントを私の会社のメンバーと共に愚直に進んでやっていきます。すべては「誰もが挑戦できる社会を創る」を実現する為に。あ、そうそう私はこれから海外を転々とすることに決めました。Twitterで発信していくので、そちらもぜひご覧くださいね!

取材:大庭 周(Facebook/note/Twitter
執筆:本庄遥(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter