誰かの目を気にせず、自分が信じた道を進む。 本橋 竜太が辿り着いた「義」という考えとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第524回目のゲストはSeven Rich Group 飲食事業部 組織・人材開発責任者の本橋 竜太(もとはし りょうた)さんです。

大学時代のアルバイトがきっかけで、外食産業に関わり始めた本橋さん。そんな本橋さんが、なぜ組織・人材開発の領域に関わり続けているのか、その領域を通じて変えていきたいものとは。本橋さんが掲げる「義」という生き方にも注目しながら、ぜひご覧ください。

相手を敬うことを学んだ幼少期

ー簡単に自己紹介をお願いします。

1995年生まれで、9月に26歳になりました。Seven Rich Acoountingが母体となっているグループ事業の中にある、飲食事業部のブランドをまたぐ組織・人材開発の責任者として活動しています。採用・育成を起点に組織戦略の策定をして、実店舗に落とし込み、そこで生まれた課題を改善していく業務を担っています。

ー組織・人材開発の責任者ということですが、組織・人材開発に馴染みのない方もいると思います。もう少し具体的に、この領域について教えてください。

1店舗ごとの採用・育成・評価すべてに携わっています。

弊社は飲食店なので、食品衛生が土台となります。その部分の知識を言葉にして、店舗の皆さんに届けるために店舗監査したり、監査を元に店長にトレーニングを落とし込んだり、そこから従業員さんに教え込んでもらったり。現場に近い関わり方も行います。

あとは、関係性が大事な仕事だと思います。社員同士、社員とアルバイト、アルバイト同士のコミュニケーションを活性化させるための施策を行っていく。組織と人の両軸から組織のパフォーマンスを最大化させることを意識しています。

さらには、飲食に紐づく知識も必要になるので、そこを加味して、組織の土台づくりを行なっています。店舗は生き物で、予想外のことも起きる。だからこそ、土台があることで従業員の人たちが働きやすいと感じると思うので、関係性を整える仕事をしています。

ーここから本橋さんの過去のお話をお聞きしていきたいと思います。
橋さんは幼少期からご実家の影響で、礼儀作法を教え込まれたとお聞きしておりますが、そのエピソードをぜひ教えてください。

西東京で代々続く「本橋」という一族の分家で生まれました。分家・本家という関係があり、本家の皆さんの家に挨拶をし、線香をあげ、一族が集う場所ではお酒を注ぐ。そんなことが幼少期からありました。

両親からは挨拶をすること、お礼をする、失礼のない振る舞いをすることを言われていましたし、自分を客観的にみて、礼儀作法がきちんとできているかを確認していたと思います。

ーこの経験って、今につながっていると感じますか。

相手を敬うこと・尊敬する心を持つことが今につながっています。その人の礼儀作法を加味した上で、バックボーンを理解し、この部分が素敵だという気持ちが強くなると、その人に対する礼儀が現れると思います。

表面で見えるものというより、内側のものが磨かれたので、親には感謝していますね。

ー小学校から成長していく中で、中学・高校は本橋さんにとってどんな時代だったのでしょうか。

部活しかしてなかったですね。9歳で少林寺拳法に出会い、そこから高2までやっていました。それと同時に、小学校の友人の影響ではじめた卓球を、大学までやっていました。なので、中高は部活をしながら、長期休暇になるとクラブチームでプレーするという部活一筋の生活でした。

きっかけは身近なところに…

ー中高は卓球や少林寺拳法といったスポーツに励まれていた本橋さんが、飲食に関わるきっかけとなったのが、大学1年次の出来事だったそうですね。

大学附属の高校にいたので、そのままエスカレーターで大学にあがりましたが、高校時代に、強いとはいえなかった自分たちのチームをどれだけ底上げできるか毎日考えていたので、勉強にはあまり身が入らず、希望していた学部には進めませんでした。

大学生になってからは、アルバイトしようと思い、実家の最寄駅にあるバーガーキングでアルバイトをスタートさせました。それが、飲食産業に関わり始めるきっかけでした。

ーアルバイト先のバーガーキングで、師匠との出会いがあったとお聞きしました。

働いている人はいい人たちばかりで、辞める必要はないものの、そこまで刺激がない。もっとアルバイトって楽しいものだと思っていたのですが、部活やっていた方が楽しいんじゃないか?って思うときもありました。

ある日、当時20代中盤の店長代行がやってきました。わたしの店舗は月商600〜700万ほどの中規模店舗で、店長育成場として店長候補が入ってくる店舗でした。

新しい店長とコミュニケーションを取った際は、ノリが軽いので苦手だったのですが、店長と初めて同じシフトになった時、すごく衝撃を受けました。店長がいることで、お店が生きている感覚。主役のようで脇役のような働いている人を生かすようなコミュニケーション、ハンバーガーやポテトを作るオペレーションに関しての知識が豊富で、教え方も丁寧でした。

その人の人材育成に対する考え方、スタンスが自分にとって衝撃で、その人を見て本心からかっこいいと思いました。

心から仕事が楽しいと表現している人を目の当たりにするのが初めてで、その人に会社のことや仕事について話を聞くと、お店づくりに対するビジョンを語ってくれるんです。その人の在り方、スタンスが自分にヒットして、この人が持っている全てを自分にインストールできたら、自分はどうなるだろうかという未知のワクワク感にとりつかれ、弟子入りを志願しました。

ーその店長の行動も発言も、すべて本橋さんの憧れだったのですね。その後、師匠とどんな関係性になったのでしょうか?

その方に弟子入りをして、半年後にマネージャーになったのですが、それまでの半年は濃密なものでした。店長が働くシフト前に出勤してほしいとお願いをしたり、自分のシフト前にオペレーションのシミュレーションを一緒にしていたりすると、喧嘩をすることもありましたが、無事にマネージャーに昇格。そこから人や組織に目を向けるようになりました。

高品質のハンバーガーを提供するのは人ですが、アルバイトの店員が多いため、入れ替わりが激しい。その中で、ある特定の人物に依存しなければいけない状況を避けるため、採用やオリエンテーション・新人定員のOJTなどの仕組みを店舗独自に整え、チームを組閣していきました。

しかし、お店が繁盛し始めた最中で、師匠と謳っていた店長が異動することになりました。わたしはすごくイヤで、「店長が次に行く店舗にわたしもいきます」と店長に伝えたものの、店長からは怒られました。そのとき、「わたしがあなたに教えたことは、なんのためだったのか」と意味を問われました。

続けて、「店長が抜けたとしても、店が継続的に機能するために、あなたに教えたのだから、次の人にバトンを繋いでいく番だ。」と言われたことで、自分の考えが浅はかだったことを認識しました。その人との約束を果たすために、この文化をつないでいく役割として、いろいろなアクションを起こした結果、従業員やお客さんから評価をいただき、同様の店舗規模では異例の月商 1,000万を超える店舗になりました。

家系がそうだったように、文化の継承、引き継ぎがわたしにとっての定めなのだと、実感しました。

ーこれまでは自分の力をつけるために様々なトレーニングを受けたりしていたところから、他の従業員や組織にフォーカスを向け始めたのは、どういった要因が大きかったのでしょうか。

当時の原動力としては、自分に教えていただいたものを通して、自分が組織を変えたいと思っていましたが、やっていくにつれて限界を迎えるわけで。トレーニングしたり、コミュニケーションをとったりする中で、その人一人一人にしかない個性や魅力のデコボコが一つになっていくのが組織だと思っています。

そのデコボコが合致する働きかけがものすごく大事だと思いながら、それを作り上げるのには組織の文化や空気感が大切だとも思い、自分がいなくてもお店がまわっていくようにしたいと、大学2年の後半から考えていました。

現状を打破したいと思い、出会ったのが「コーチング」

ー顧客満足度が全国一位になったり、従業員のオペレーションを競うコンテストで本橋さんの店舗から入賞する人が出るなど結果が出始めた頃、コミュニケーションを築く上で出会ったのがコーチングだったそうですね。

オペレーションを優劣を競う世界大会が年に一回あり、そこに出場したいと後輩従業員が言ってきました。そこで、わたしがかつて店長からトレーニングで教えてくれた全てを、その後輩に伝えていきました。

これはティーチングなのですが、自分の持っている限界値しか相手に伝えることができない。まだまだ上がいるのに、どう頑張っても現状で止まってしまう。ただ、その人にしかない魅力・個性を引き出しきれていない問題をどうにしかしたいと思い、「人材育成 コツ」でネット検索したときに、コーチングが出てきました。

コーチングと聞いた時、スポーツのコーチを連想したののですが、書籍やウェブで調べていくうちに、自分の人材育成の限界を迎えている理由が分かった気がしました。そして、この書籍に掲載されているようにコミュニケーションをとってみようとトライしたところ、後輩が持っているものが光りだし、オペレーションを競う大会の日本代表に選ばれ、アジア大会でチャンピオンになったんです。

ーコーチングって、その人が持っているもの・力を引き出しつつ、その人自身が自分の魅力に気づき、もっと頑張ろうと思うからパフォーマンスが上がっているのかなと思いました。

現場では、コーチングだけでは回らないですし、ティーチングだけだと自分の主観が入ったものを相手に渡していくだけなので、相手がどう受け取るかによってティーチングされた内容の解釈が変わります。もちろんそれでもいいですが、相手が元来持っている物を自分で思

い出す確率が低くなってしまうので、相手に自身の魅力をどう気づかせていくかを意識して、関わっていました。

就職。そこからは、自分のやりたいこと探しの連続だった

ーその後、就職を迎えるわけですが、いろいろなドラマがあったそうですね。

周りの店長や本社の方からロールモデルのような店舗だと、言われる機会が増えました。すると、エリアマネージャーやCOO、CEOの方が視察に来るわけです。

わたしがいた中規模店舗の店長は、新人の方ばかり。にもかかわらず、顧客満足度や利益が高いのはなぜなのかと分析したなかで、組織のカルチャーにその要因があるとなりました。組織のカルチャーを作ってくれたかつての店長が、わたしの名前を上げてくれたことで、COOやCEOと1対1で面談をすることもありました。

就職活動をしている中で、大手の会社さんから内定もいただいていましたが、企業の幹部の方と面接していくうちに、1店舗だけだった組織文化の確立を、全店舗に波及できる関わり方ができるかもしれないとオファーをもらったときに、これが自分がしたいのことだと思い、内定が決まっていた企業にお断りし、バーガーキングに入社することにしました。

ただ、家柄が家柄なこともあり、分家の長男がアルバイト先に就職をしたという事実が、両親・祖父母にとっては許せないわけです。バーガーキングに就職することは決まっている中で、両親などと対話・会話を繰りかえし、絶縁寸前までいった経験もしました。

ーさまざまな経験をしながら就職したバーガーキングで、アルバイトで4年、社会人で3年ほど働いていたそうですが、なぜ退職することになったのでしょうか。

M&Aがあったことが大きかったんです。人を大切にするカルチャーが、利益・売り上げが第一のカルチャーになってしまいました。それを立て直そうと思ったところで、当時の役職では自分の仕事を全うするしかありませんでした。

自分で組織を作り上げていく快感を知ってしまっていたため、M&Aにもワクワクしていたものの、自分は関われないのだと悟った瞬間、なぜこの会社で働いているのだろうかと思うようになっていました。ならば、自分が主体的に動ける会社に行こうと決意しました。

ー退職して、すぐに入社した会社を1ヶ月で辞められたそうですね。

その会社もフードの領域で、人材開発・組織開発の領域で入社したものの、入社時点のコミュニケーションの乖離がありました。わたしの確認不足でもありましたが、役割や業務内容の期待値設定にズレが生じていたので、早期退職をしようと思っていました。

ただ、早期退職をすることにネガティブなイメージを持っていましたし、アルバイト先の企業に就職をし、そこから転職した会社に1ヶ月で辞めるなんてという親族からの目。友人からの目。そこに悩まされました。

悩んでいる間、他者からの目を気にせず、自分の本当にやりたいことは何なのかを考えた結果、外食産業の中で組織をみんなで作っていく仕事をしながら、コーチングのエッセンスを加えていていきたいと再認識しました。そして、当時複業で関わっていたSeven Rich Groupの方に「うちに入社しないか」と言っていただき、ジョインすることになりました。

自分の中にある「義」に気づいた

ー現在は、Seven Rich Groupの飲食事業部で活躍されている本橋さんですが、以前noteで「義」という考えを大切にされていると発信されていました。「私の人生を、生きる。」という言葉には、本橋さんのどんな思いが込められているのでしょうか。

彷徨っていた期間は、誰かからの言葉が自分の中で渦巻いていました。

しかし辿り着くのは、元来自分が持っている泥臭さや人の目を気にして生きてきたことがあるので、そこに踏ん切りをつけられるかということ。だから、誰のために生きるかと問われたら、「自分のために生きる」と答えるし、自分が抱えている弱いところを含めてわたしであると。光をたくさんあてられたからこそ、影も多くあったことに気がつきました。

その事実を受け止め、一からやり直せばいい、そう思ってSeven Rich Groupでキャリアを築くことにしました。

ー影の部分を伝えたところで理解してくれるだろうかと心配になっていたからこそ、コーチングで本橋さんに関わる方も痛み・弱みを吐き出せるのではないかと思いました。

すごく生かされています。同じ内容で悩んでいる人に、わたしの「義」が光るというわけではなく、その人のいる葛藤の狭間・苦しみの最中がわたしにはわかるので、何か助言をするのではなく、その人の今にフォーカスを当てるように心がけています。

ー「義」という核が定まったことで、本橋さん自身も生きやすくなったのではと思うのですが、いかがでしょうか。

その通りです。わたしの中で「義」が生まれたというより、思い出したという感覚が近いですね。

自分の大切にしていることだけが「義」に入っているわけではなく、これまでのバックボーンによって今の自分があるという感謝の姿勢も「義」のエッセンスの一つだと思います。だからこそ、このわたしを貫き通せばオールOKだと思えるようになったことで、生きやすくなりました。

ー現在、Seven Rich Groupではどういったお仕事をされているのでしょうか。

2つのブランドがあり、1つは北海道スープカレー「Suage」、もう1つはベーカリーカフェ「パンとエスプレッソと」の組織人材開発を行っています。これらは、バーガーキングの際とは異なり、ルールがほとんどない状態なので、当時の感覚をすごい思い出すんです。

やることが多すぎて、リソースが足りないと思うことは日常茶飯事ですが、事業部人事として、他のチームとも一緒に仕事を作り上げていくことが好きなので、幸せを感じています。

ーここまで組織人材開発にエネルギーを注げる、原動力は何なのでしょうか。

食の一端を担っている者として、飲食業界で働いている人の環境があまりにも悪すぎて、ずっと変わっていない現状を変えたいという、強い想いがあるからです。そういった現状を打破しようと、先人たちがやられてきたかとは思いますが、だからこそわたしも、飲食業界の労働環境を変える挑戦がしたいんです。そのロールモデルとして、Seven Rich Groupがあるべきだ考えています。

ー最後に、本橋さんのこれからのビジョンを教えてください。

健康体で美味しいものを、誇りと愛を持って提供している人たちが溢れる産業にしていくために、まずはわたしが関わっているブランドがロールモデルとなり、発信源として波及していくような世界にしたいと思っています。

ー本橋さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!これからのご活躍を応援しています!

取材者・執筆者:大庭 周(Facebook / note / Twitter
デザイン:高橋 りえ(Twitter