日本発のモンゴルレザーブランド HushTug Mongolia CEO 川田大貴に聞く人生のコンパスを持つ強さ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第567回目となる今回はHushTug Mongolia LLC CEOの川田大貴(かわただいき)さんをゲストにお迎えします。

メンズバッグを中心に人気を博している革製品ブランドHushTugで、現地法人の代表を務めている川田さん。現地では50人以上のモンゴル人の職人さんを束ねながら現地の工場を運営し、HushTugの高品質な革製品の生産を拡大し続けています。

そんな川田さんは人生のコンパスを持つことが、人生を切り拓くために大切だと話します。川田さんの持っていた人生のコンパスとは何か? なぜユニークなキャリアを歩むことになったのか。その物語をお聞きしました。

モンゴルで事業展開する難しさと喜び

ー自己紹介をお願いします。

川田大貴です。HushTug Mongolia LLCでCEOをしています。HushTugは日本発のモンゴルレザーのブランドです。高品質な革製品をお手頃な価格で提供しており、現在はメンズバッグや小物入れなどを中心に販売しています。

2021年現在、モンゴル法人の社員数は50名以上となり月間生産数は2,000個以上になりました。これは現地でも最大級の規模です。私は現地に駐在して現地の社員をマネジメントしながら、工場運営を行っています。

ーモンゴルで事業を展開されているのですね。モンゴルとはどのような国なのでしょうか?

面積は日本の4倍ありますが、人口は300万人しかいない国です。首都ウランバートルは近代化して綺麗なマンションも立ち始めましたが、それ以外の地域は広大な草原が続いています。

比較的裕福な層がウランバートルに集中して住んでいるため人口過密で交通渋滞が大問題になっています。一方、貧しい人たちはマンションに住めず、遊牧民となりゲルに暮らしています。しかし気温はマイナス30度。ゲル内を暖めるためにストーブで石炭やゴミを燃やすのですが、それが大気汚染を引き起こすなどの環境問題を引き起こしています。

ー様々な社会問題がある国なのですね。

大学進学率は比較的高く教育は整い始めましたが、都市部にしか仕事がないため、多くの人材が海外に流出しているのも現状です。

HushTug Mongoliaは、モンゴルで新しい産業をつくることで、モンゴルの貧困や就職の問題の解決にも貢献しています。

ー事業として、革製品をつくることを選ばれたのは、なぜでしょうか?

モンゴルは極寒の地域で動物たちが生活しているため丈夫な革が生産性できるという特徴があります。しかしモンゴルには製造の技術がないため「なめし革」と呼ばれる素材の状態で中国・ヨーロッパに輸出されている現状がありました。

素材の状態では利益率は非常に低く、モンゴルの産業は育ちません。この状況を打破するために、日本のバッグを製造する技術をモンゴルに持ち込み、付加価値をつけて販売できる体制にしたいと考えたのです。

モンゴルの革産業の構造を変えたい。それが革産業に参入した理由です。

ー途上国の資源に、日本の技術を掛け合わせることで、今までにない価値を生み出すことができているのですね。川田さんはそこで責任者として働かれていますが、どのような生活なのでしょうか?

8時半から工場は稼働しますので、朝早くにマイナス30度の中、まつげを凍らせながら徒歩で30分くらい歩いて出勤しています。冒頭でもお伝えした通り、常に渋滞がひどい状態なので車は使えないのです。

出勤して、現地のリーダーたちや職人さんたちとコミュニケーションして計画通り進捗しているか、トラブルは起きていないかなどをチェックします。

その後、日本側とオンラインでミーティングしたり、現地の銀行との交渉に出掛けたりしながら1日を過ごします。

ーモンゴルの現地の方とのコミュニケーションは何語で行うのでしょうか?

実はモンゴルの人たちの中には日本語ができる人が多く発音も流暢で、そのような人に工場のリーダーを担ってもらっています。

モンゴルの人は元々、世界でも1〜2位の記憶力を持っていると言います。かつ20年前から日本とモンゴルは親交が深く日本が大好きな方が多いのです。

結果として日本語を使用しながら事業運営ができるという特徴があります。

ーそうだったのですね! 言語の壁はなさそうですが、モンゴルで工場運営をすることの難しさを感じるシーンはありますか?

採用は常に難しさを感じています。地元の人材サービスか、SNSを使用して募集をかけるのですが、面接合格を出しても音信不通になることは日常茶飯事です。

また、すべての方がそうではないのですが、社員でもミスをすると言い訳する人が多い印象があります。私は嘘を言わないことを信条としていますし、ミスを把握することから工場の改善は始まりますので、この点については本人を真剣に話をします。

ーすぐ思い通りにいかなくても根気強く取り組むことが大切なのですね。逆に、この仕事をしていて嬉しいと思うのは、どのような瞬間でしょうか?

社員が素直に謝れるようになった時は、組織が成長したことを感じて嬉しく思います。

また、やはり嬉しいのは、日本の人たちが私たちの作った商品を使ってくれているのを見た時です。一時帰国して渋谷を歩いていた時のこと、HushTugのリュックを使ってくれている人を見かけました。嬉しさが込み上げてきたことを覚えています。

 

嘘をつかない 自由に生きる。価値観を形成した学生時代

ーモンゴルで事業を興すという稀有なキャリアを歩まれている川田さん。なぜそのような道を歩むことになったのか。過去の話を聞いていきたいと思います。

幼少期から「嘘をつかない」ということを大切にしています。小さい頃に父の不倫が原因で家庭が壊れてしまった経験をして、そのように考えるようになりました。

悪いのは自分なのに感情的になって母を責めた父の姿は忘れられません。不倫が発覚した湖の畔で、母を突き飛ばした光景は衝撃的でした。

子どもながらに怒りが湧きました。こんな大人になってはいけない。自分は「嘘をつかない」優しい人間になりたいと思ったのです。

ー衝撃的な経験ですね……それが、川田さんの「嘘をつかない」という信条に根源にあったのですね。その後は、どのような幼少期を過ごされたのでしょうか?

父と別れて、母と2人で暮らしていました。私の実家は青森県の田舎町で、地元の小学校・中学校に通いました。その時は「部活」というものに、ずっと憧れていました。

実は、青森の田舎町では車がないと試合会場にも行けなくて部活をすることができなかったのです。私の家には車がなくて、ずっと「やりたくても諦めるしかない」と思っていたのです。

閉塞感を感じて「ここから出たい」「出たくても出られない」と、悶々とした気持ちで日々を過ごしていました。しかし、転機が訪れました。

ー何があったのでしょうか?

中学2年の時にバレーボールを部から熱烈なオファーを受けて「入ってくれないか?」と言ってもらえたのです。本当に嬉しかったことを覚えています。私は何とか部活動ができないかと母に相談して、友達の車に乗せてもらうなどの方法で問題を乗り越えました。

バレー部に入ってからも活躍することができて「俺もやればできるのか」と自分に自信がついた経験だったように思います。また、その頃から自分の気持ちに素直に生きることが大切だと感じるようになりました。

ー自分が「できない」と思ってしまっていた壁の向こうに素晴らしい世界があったのですね。自信をつけた川田さんは、それからどんな学生生活を過ごしたのでしょうか?

大学に入ってまもなく、企業のインターンを探しました。

「やればできる」「自分の気持ちに素直に自由に生きる」といったキーワードが頭にあったので、堀江貴文さんなどの書籍に惹かれてよく読んでいました。そうするうちにビジネスうや起業への興味が強くなっていたのです。

起業の力を学ぶのであればインターンだと思い、SNSなどを使って情報収集を行ってインターンの面接をたくさん受けました。その時に出会ったのが、現在HushTugを運営するラズホールディングスだったのです。当時はまだモンゴルで事業は行っておらずマーケティングをしている会社でした。

ー大学の頃に出会った会社だったのですね。数あるインターン先からラズホールディングスで働くことを決めた理由は何だったのでしょうか?

社長の戸田の熱気や気迫が、他の会社とは違ったのです。この人と一緒に働くことができたら成長できる。そう直感で思ったのです。

インターンをして1年ほど。就活の時期でしたが代表の戸田に子会社を立ち上げるから担当してみないかと誘われました。私はチャレンジすることを決めて、会社の設立を行いました。

大学卒業と同時に会社立ち上げ。経験した失敗と気づき

ー大学の卒業とともに会社を設立されたのですね! 初めはどのような事業を行ったのでしょうか?

中古品の出張買取・販売をする事業を行いました。昼夜を問わずとにかく全力で働いた日々でした。その甲斐もあって赤字から収支トントンのレベルまでは持っていくことができたのですが、なかなか利益を作ることができませんでした。

また1人一緒に働いてくれる部下がいたのですが、マネジメントの力もなかった自分には彼を活かす力もありませんでした。結果としてチームの雰囲気も悪くなっていたのです。

ー事業運営やマネジメントの難しさにぶつかったのですね。

3年が経った頃、事業を閉じる決断がされました。本気で働いていたので心から悔しいと感じました。その時に感じたのは「自分には何の実力もないのだ」ということでした。

会社を設立した大学卒業時、私は良い意味でも悪い意味でも「根拠のない自信」を持っていました。しかし、その経験を経て、謙虚に学ぶ姿勢を身につけました。

「もう一度、一からやり直そう」そう思えたのです。

ー挑戦したからこそ、かけがえのない経験と気づきを得ることができたのですね! その後、どうされたのでしょうか?

社会人4年目、ちょうどラズホールディングスがHushTugのブランドを立ち上げようとしているタイミングでした。そして私はその担当に選ばれました。

バッグはおろかアパレルにも知見のない自分だったので驚きはありましたが「やるからには形にするのが仕事だ」と考えて、バッグの作り方を一から調べ上げ習得しました。その経験が、今の工場運営の基盤となっています。

ー服飾の学校に行っているわけでもないのに、どのようにバッグの作り方を習得したのでしょうか?

服飾の学校に通うと技術を身につけるのに3年ほどかかってしまいます。これでは間に合わない……そう考えて探した結果、1つのレザークラフト教室を見つけました。

著名なマザーハウスの代表が日本のバッグ職人の元で修行していたエピソードを知っていたので、自分もそのような場所を密られないかと考えて探し回ったのです。

ー成功事例を参考にしながら、道を拓こうと考えたのですね! レザークラフト教室で、技術を身につけることはできたのでしょうか?

簡単な道ではありませんでした。

その教室は土日開催だったのですが、私は事情と想いを話して頼み込み続けました。すると、その教室の先生が特別に私向けに授業をしてくれることになったのです。

それからほぼ毎日、みっちり3ヶ月間、工房に通い続けて私は鞄作りのノウハウを習得しました。あの時の教室の先生には感謝しかありません。

自分は何者でもない。迷わずチャンスを掴み成長する

ー常識に囚われない方法で、最短で技術を身につけることに成功したのが驚きです。その後、川田さんは、いよいよHushTugを本格的に立ち上げられます。

鞄作りの技術を身につけて会社に戻った時に、代表の戸田に声をかけられました。「モンゴルに視察にいく。川田も一緒に来るか?」その声に応えて、私もモンゴルに旅立ちました。そして……現地を回った後に戸田に言われたのです。

「川田、このままモンゴルで働くか?」

ーえっ、急なご提案ですね! その時、川田さんは何と応えられたのですか?

ここで働きます、と即断しました。迷いはありませんでした。

「今の自分は、何者でもない」

そう考えていたのです。前回の事業の撤退を経験して、自分には経験もスキルも圧倒的に足りていないことを感じていました。だから、巡ってくる機会にありがたく挑戦して自分を高めていこうと思いました。

加えて「いつか海外で働きたい」とも思っていたので、断る理由はありませんでした。

ーその決断力に川田さんらしさを感じます。

結果、挑戦して良かったと思います。

まさか、まつげが凍るほどの極寒の土地だとは思いませんでしたが(笑)海外でのマネジメント経験、事業を一から立ち上げて名の知れたブランドにしていくワクワクなど、稀有な経験ができているのは、あの時の決断のおかげです。

ーその若さで、モンゴルで現地法人のCEOを担っているのには、そんな背景があったのですね。CEOとして、今後は事業をどのようにしていきいたいですか?

現在50名ほどの規模ですが、100名規模まで大きくしていきたいと思っています。既にモンゴル内最大級の工場規模ですが、その地位を確固たるものにしたい。そして、モンゴルの革産業を代表する会社にしたいと考えています。

ー素晴らしい目標をシェアしていただき、ありがとうございます。最後にU-29世代のみなさんへ、メッセージをお願いします。

チャレンジしようとする人が増えてきたように感じています。しかし、問題は途中で諦めてしまうことです。では、どうすれば諦めないで、やり抜くことができるのでしょうか。

私は自己分析をたくさんして、自分の「人生のコンパス」を見つけることが重要ではないかと思っています。

私の場合は「自分の心に素直に生きる」ということを迷った時の軸に置いています。何かに踏み出す時も、辛くて頑張らなければいけない時も「心の底ではどう思っている?」と自分に問いかけます。

すると、チャレンジしたい自分がいるし、諦めたくない自分に気づきます。そうやって、自分の心に素直に、未来を切り拓いていくことが大切だと思っています。

ー人生のコンパスを持てば、それを拠りどころに前に進むことができるのですね。川田さん、本日は素敵なお話をありがとうございました。これからもHushTugの拡大を応援しています!

 

取材・執筆:武田 健人(Facebook / Instagram / Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter