様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第481回目となる今回は、パラレルワーカーとして働いている渡邊将史さんをゲストにお迎えし、波乱万丈な半生を経て現在のキャリアに至った経緯を伺いました。
現在フードテックの外資企業で働きながら、副業でアーティストのマネジメント、eスポーツのAPEXのセミプロなど多方面で活躍している渡邊将史さん。笑顔で話してくれる姿からは、想像ができないような波乱万丈な半生を送ってきたそうです。高校時代のオーストラリア生活を中心に、渡邊さんの人生における価値観を教えて頂きました。
オーストラリア移住を機に何事も全力で学ぶ大切さを知る
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
パラレルワーカーとして働いている渡邊将史と申します。メインの仕事としてテックフードの外資系企業で営業・マーケティングを行いながら、並行してアーティストのマネジメント、eスポーツで有名なAPEXのセミプロとしても活動しています。
ーパラレルワーカーとして幅広く活動されている渡邊さんですが、幼少期はどのような子どもでしたか?
体格が良く、小学校1年生で身長が136cmありました。僕はADHDと診断されていたので、落ち着きのない子供でした。小学5年生の時の通知表に「やっと座れましたね」と書かれるほどで……(笑)。
性格に関してはとにかくハッピーな少年でしたね。自分を含め誰も傷つくことなく、みんなが幸せであってほしいと思っていました。
ー優しさ溢れるお子さんだったのですね。幼少期に熱中していたことはありましたか?
小学校3年生から野球を始め、中学時代は硬式野球のチームに所属していました。土日は朝4時に起きて練習に明け暮れていたので、休日に友人と遊んだ記憶がほとんどありません。
高校でも野球を続けたかったので、沖縄県の強豪校へ入学しました。
ー慣れ親しんだ地元を離れ、沖縄県の高校に進学するのは大きな決断だと感じます。なぜ沖縄県の高校に進学しようと思ったのでしょうか?
プロ野球選手を志していたので「強豪校で野球がしたい」と思ったのが大きな理由です。
でも、当時の僕は地元の方言がまったく理解できなくて……。先輩が話している言葉に対して、とりあえず何でも「はい」と答えていたらいじめの対象になってしまいました。
精神的にダメージを受け、その高校は2ヶ月で辞めることに。その後、オーストラリアの高校へ通うことにしました。
ー沖縄からオーストラリアへ!これもかなり大きな決断だと思いますが、決断したきっかけを教えてください。
沖縄の高校を辞めてから臨時的に地元の高校へ通うことになりました。ちょうどその高校に入ったタイミングで、オーストラリアで1週間の短期留学を募集していたので挑戦してみることにしたのです。
実際にオーストラリアに行ってみると「自分の性格に合っているな」「のびのびと生きていけそうだなぁ」と思い移住することに決めました。
ー短期留学をきっかけに長期移住を決めたのですね。オーストラリアでの生活はいかがでしたか?
とても楽しかったです。オーストラリアの高校は午後0時に授業が終わるので、授業後はみんな学校の前にある海でサーフィンをしていました。
オーストラリアで出会った友人はスポーツだけではなく勉強にも全力です。俗にいう日本でのヤンキー的な人がオーストラリアの学校にもいたのですが、オーストラリアのヤンキーはみんな勉学に励んでいました。
日本のヤンキーは勉学をおざなりにする印象がありますよね。でも、オーストラリアでは誰もが勉強の重要性を理解し、決して怠りませんでした。
オーストラリアでの生活で「何事も全力で学ぶ」という価値観を得ることができました。
決して諦めない姿勢が新しい扉を開く鍵となる
ー高校卒業後は大学に進学されたのでしょうか?
当時の僕には2つの選択肢がありました。1つ目は日本の大学に進学する道、2つ目はオーストラリアの国立大学の経済学部に合格していたので、そのまま滞在して大学に通う道です。
大学で経済を学ぶのならオーストラリアで実際に働いたほうが将来的に自分のためになると考え、オーストラリアでの就職を目指すことに。しかし、当時のオーストラリアはかなり不況で、アルバイトすら見つからない状況でした。
ーオーストラリアでの仕事探しに難航されたのですね。
はい。当時は友人の家に住まわせてもらいながら、アルバイトを探すことから始めました。でも、履歴書を送ってもどこからも連絡はなく、半年以上仕事が見つからない状況でしたね。
その後、清掃のアルバイトに就くことができたのですが、当時のオーストラリアの最低時給は24オーストラリア・ドルだったのに対して、清掃のバイトは10オーストラリア・ドル。
生きていくことがとても大変で「大学に行っておけば良かった」と後悔していました。友人が大学に行って楽しんでいる姿見ていると、とてつもなく後ろめたい気持ちになりましたね。しばらくはそんな暮らしをしていましたが、結果的に家賃を払えなくなってしまって…….。ついに友人の家を追い出されてしまいました。
ーかなりショッキングな出来事ですが、家を追い出されたあとはどうされたのですか?
オーストラリアにもう1人頼れる友人がいたので「1ヶ月だけ泊まらせてくれ」と懇願しました。それからは毎日大量の履歴書を持って企業を訪問し、「働かせてほしい」と訪問する日々でした。
しかし、2週間が過ぎても仕事は見つからず……。友人宅に滞在できる1ヶ月で仕事が見つからなければ日本に帰ろうと思っていました。
そんな矢先、いつものように訪問した企業で、たまたま社長に話を聞いてもらえる機会が訪れました。社長がオーストラリアに移住したスコットランド人で、僕と同じように就職活動に苦労して企業をしたそうで、結果的に採用につながったのです。
ー毎日コツコツ活動したからこそ結びついた結果ですね!採用された企業では実際にどのようなお仕事をされていたのですか?
カーレースで有名なF1の企業が提供しているコーティングスプレーを輸入・販売していました。オーストラリアは水を大切にしている国なので、水を使わず車や家を掃除できるコーティングスプレーはかなり需要があります。
オーストラリアのさまざまな地域に行き、1件1件訪問しながら販売をしていましたね。
ー1件1件の訪問販売は就活時代の努力が活かせるお仕事ですね。このお仕事を辞めたのは何か転機があったのでしょうか?
ずっと働く気でいたのですが、交通事故に遭ってしまって……。かなりの重傷だったので日本で緊急入院することになりました。
当時、ちょうど企業からビジネスビザがもらえる予定でしたが、「働けないならビジネスビザを発効する意味がない」と判断されてしまい、日本で働くことになりました。
さまざまな経験から得た「相手に期待しない」という考え方
ー日本に戻ってきてからはどのような生活を送っていたのでしょうか?
帰国してしばらくは音楽活動をしながら企業に勤めていました。ある日、ONE OK ROCKのライブを観ていたらボーカルのTakaさんが「お前のやりたいことを明日からやれ。自分に嘘をつくな」という言葉を発していました。
その言葉に感銘を受けた僕は「本当にやりたいことは音楽じゃないか?」と自問自答し始めて、気がついたら次の週に会社を辞めていたんです(笑)。
ーすごい行動力ですね!音楽一本の生活はいかがでしたか?
仕事を辞めた当初は音楽だけで食べていけると思っていたのですが……。現実問題としてはまったくダメでした。おそらく、誰かが助けてくれるだろうという甘えがあったんだと思います。
音楽のみでは食べていけないと思い、転職活動を始めました。ある企業に採用されましたが、働き始める3日前にパニック障害の症状が出てしまって……。
採用された企業に1週間入社を遅らせてほしいと連絡したら「精神疾患のある人は受け入れられません」と言われ内定は取り消しになりました。無理をしすぎたのだと思います。
ー大変でしたね…..。現在はさまざまな活動をされている渡邊さんですが、荒波を乗り越えるための共通項があるのでしょうか。
今でもパニック障害を抱えながら生きているので、完全に乗り越えられた訳ではありません。でも、自分自身の考え方を変えたことで次第に病気と上手く付き合えるようになりました。
以前まで僕は、「怒り」「不機嫌」などの感情を上手くコントロールできずにいました。でも、「怒り」は自分が勝手に「この人はこうやって動いてくれるだろう」と抱いていた期待を裏切られることで引き起こす感情だと気づいたのです。つまり、実在する相手ではなく、自分の中にある相手への理想像とのギャップによって怒りを覚えているんだなと……。
そう思ってから「良い意味で相手に期待しないように」と自分の考え方を変化させました。もちろん希望は捨てていませんが、自分に対して何かしてくれるだろうという甘い考えは無くすようにしました。考え方を変えてからは少し生きやすくなったように感じます。
心臓が動く限り、自分のやりたいことを挑戦し続ける
ー今後の人生でどのようなことにチャレンジしていきたいですか?
僕は生まれてから25年間、周りの人に愛され続けてきました。今の仕事と前の仕事を比べると収入が3~4倍違うのですが、それは自分が成長したからではなく、周りの人に助けられてきたからだと思っています。
これからは周りの人達に感謝を返していきたいと思っています。少しずつでもいいから、苦しんでいる人がいれば助けていきたい。将来自分が何をしているかを考えるというよりかは、今自分が周りに何ができるかどうかを考えていきたいです。今からでも周りに少しずつ感謝を返して、良い循環を作り出せたらいいなと思っています。
ー「愛」の循環!素敵です。最後になかなか挑戦できないユニーク世代にメッセージをお願いします。
自分を追い込まないでほしいと思います。最近の若い人は賢すぎるように感じます。自己啓発本を読んで「挑戦しないといけない!」「上を目指さないと!」と思ってしまうのかもしれませんが、それは違うのではないかなと思います。
人間は生きていくだけでしんどいのに、さらに自分で重りを掛ける必要はありません。自分のことくらいは、自分で愛してあげてください。生きていくだけですでに挑戦していると自分を褒めてあげてください。この世にいる全ての人がチャレンジャーです。
心臓が動く限り、自分の心が動くことや自分が好きなものを大切にして生きてほしいですね。
ーありがとうございました!周りと比べずに自分を大切にしていきたいですね。渡邊将史さんの今後のご活躍を応援しております!
取材者:高尾有沙(Facebook/Twitter/note)
執筆者:Risa(Twitter)
デザイン:高橋りえ(Twitter)