女性のウェルビーイング向上を目指す。Essay代表 江連千佳の決意とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第503回目となる今回のゲストは、株式会社EssayのCEOで、エンパワメントブランド I _ for MEを経営している江連 千佳(えづれ ちか)さんです。

大学在学中に、株式会社Essayを立ち上げた江連さん。そんな江連さんが「なぜ起業するに至ったか」「これから達成したいこと」について、幼少期から振り返りながらお伺いしました。

やりたいことを見つける術についてもお聞きしたので、やりたいこと探しをしている方は、ぜひ参考にしてみてください。

3歳から親を口説き続け、日本舞踊を始める

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

株式会社Essay CEOで、エンパワメントブランド I _ for MEを経営しています。現在は津田塾大学を休学していますが、来年4月からまた戻る予定です。本日はよろしくお願いします。

ー I _ for MEについてご紹介ください。

I _ for MEでは “おかえり” ショーツという、直履きできるリラックスウェアを販売しています。女性のショーツは鼠径部やデリケートゾーンにぴたっとくっつくので、かぶれやムレにつながりやすいんですよね。

若い方でもショーツが原因で炎症を起こして、婦人科へ行く症例が増えているという話を聞き、「ショーツと部屋着を一体化させることで、ノーパンでいても大丈夫な構造って作れないかな?」と思い、開発しました。

ー本日は、江連さんがエンパワメントブランドを立ち上げるに至った経緯について、幼少期から振り返って伺えればと思います。幼い頃はどのように過ごしていましたか?

意思決定をいつも自分でしていました。習い事を始めるときに、必ず親にプレゼンをしなくてはいけなくて。「なぜやりたいか」「なぜパパとママがお金を払わなければいけないか」など、自分で理由をつけて選択していく癖は幼い頃からついていました。

私が5歳から始めた日本舞踊は、2年間親を口説き続けてやっと始めることができたのです。

ー日本舞踊をやりたいと思ったのはなぜですか?

着物を着て踊っている姿がかっこいいと思ったからです。あと、大勢ではなく、大きな舞台で1人や2人で踊っている姿にも惹かれて、やってみたいと思うようになりました。

ー5歳から日本舞踊を始めたということは、3歳から口説き始めたということでしょうか。

そうですね。3歳の頃からプレゼンをしていました。親が承諾してくれた理由は2つあって、1つは「2年間も口説き続けたのだから、日本舞踊をちゃんと続けられるだろう」と思ったから。

もう1つは、「お金はかかるけど、七五三でもどうせ着物を着るから無駄にならないだろう」という理由でした。ちゃんと続けられるかと、お金の問題の2つを無事クリアして、日本舞踊を始められることになりました。

 “アイデンティティの崩壊” と “友人の自死” を経験した中学時代

ー5歳以降は、どのように過ごされていたのかお聞かせください。

小学生の頃は運動が苦手だったので、ずっと本を読みながら過ごしていました。学ぶことは好きでしたし、小学校が学級崩壊していて地元の中学には進みたくないという想いもあり、中学受験することにしたのです。

そのときも親にプレゼンして塾に通い、無事、地元の中学以外の学校へ進学することができました。

ー実際に地元以外の学校へ入学してみて、いかがでしたか?

中学時代はずっと勉強をしていた影響で、勉強が自分のアイデンティティになっていたのですが、中学入学後はレベルの高い方がたくさんいて、アイデンティティが崩壊しました。

学年最下位をとってしまい、追試験を受けている姿を窓の外から見られているのが苦痛でした。「お前は勉強ができないんだ」と突きつけられている気がして、山手線で泣きながら帰っていましたね。

ーできないというレッテルを貼られた後、どのようにして立ち直ったのでしょうか。

実は、さらに追い打ちをかけるような出来事がありました。15歳の頃、すごく仲良くしていた友人が亡くなってしまったのです。ニュースで “自死” と知り、衝撃を受けました。

人生で初めてのお葬式に参列。私と映っている写真や、その子が来ていた制服、思い出の品など棺の横に置いてあって。友達はもちろん、一緒に来ていたお母さん方も号泣していて、悲壮感しかない空間でした。

ーその経験は、当時中学生の江連さんにどのような影響を与えましたか?

友人は私には羨ましいくらい幸せに見えたので、自死という選択をしたことに対して頭が追いつかなかったです。

いろいろ思考を巡らせているうちに、「序列的な社会が彼女を殺したのではないか」と思うようになり、学校に反抗し始めました。勉強する意味がわからなくなり、「私は何のために生きているんだろう」と考えるようにもなりましたね。

ーなぜ生きているのかという問いの答えは出ましたか?

そう簡単には出なかったです。友人が自死したという傷がすぐに癒えるわけもなく、その傷をずっと心の中に負いながら生きてきた感覚があります。

ただ、いつまでも学校に反抗していても仕方ないので、まずは自分で変えられるところを変えようと思うようになりました。そのために、日本と海外の社会や学校を比較するという目的で、高校ではニュージーランドへ留学しました。

留学先のニュージーランドで「生きた学校」を知る

ー留学先としてニュージーランドを選んだ理由を教えてください。

当時、補助金が出る提携校がニュージーランドしかなかったからです。留学したら何かが変わるのではないかと思い、必死で勉強して留学生として選んでもらえました。

ー実際に留学してみて、いかがでしたか?

ニュージーランドの学校は、先生の言うことを聞く場所ではなく、居心地が悪いと感じたら自分たちで変えていける場所でした。

私はクリスチャンの学校に通っていたので、毎週協会でお祈りをしていて。そのお祈りでは、いつも英語とマオリ語しか使っていない状況に対して、「いろんな言語の聖書があるのに、なぜ2つの言語しか使わないのだろう」と不思議に思っていました。

するとInternational Committeeの代表がすぐに行動したことで、今週は日本語、来週はタイ語、再来週は韓国語のように、週ごとで言語を変えて読むことになったのです。

生徒が発信したことがすぐに実現される “生きた学校” を見て、これは日本と全然違うなと衝撃を受けましたね。

20歳で起業。声なき声を拾い上げて形にする覚悟を決める

ー高校ではニュージーランド留学を経験した江連さん。大学ではどのように過ごしたのかお聞かせください。

大学入学後、20歳の頃に起業しました。ニュージーランドにいた頃、女性の首相が就任した直後に育休を取ったというニュースを見て、「日本だったらありえない」と思って。その瞬間、無意識のうちに自分もジェンダー格差に加担している怖さを感じました。

帰国してから、日本と海外を比べてみると、日本では私の世代でさえ女性が首相になって育休を取るなんてありえないと思っているし、社会で活躍できる女性は男性社会に順応できる方だけではないかと思ったのです。

また、女性が管理職に就いたとしても、本当に幸せなのか?本質的に活躍できるのか?と疑問に思い、徐々に「女性のウェルビーイング」に関して問題意識を持ち始めました。

ー女性のウェルビーイングに課題を感じて、その領域で起業したいという想いに行き着いたのですね。

そうですね。自分が思ってることや感じてることを口にできないという状態が、自分の意思で生きるのを阻害している障害物になり得ると思うのです。

友人が亡くなるときも、そんな予兆はまったくなくて。「声にしてほしかった」という願いもありましたし、声にするのを阻害するものに対する強烈な怒りもありました。

そういった経験を経て、「声にならない声を表に出す」という役割に、価値を見出しました。声にしてはいけないという、目に見えない圧力をどうすれば取り除けるかというのは、人生をかけて問いたいことですね。

ー起業してみて、いかがですか?

できることが広がって楽しいですね。つながれる人の幅が広がりましたし、知り合った方々と一緒に何かしようという流れになるのがワクワクします。

昨年の今頃は商品すらなかったですが、この1年間で起業することになり、色んな方々に “おかえり” ショーツを手にとっていただけている状況は奇跡のように感じています。

ーとてつもない変化があったのですね。

そうですね。ジェンダー格差やフェムケアに向き合う覚悟ができたのは半年前で、それまではそういった問題に対して社会に発信するのがものすごく怖かったです。

今でもバッシングされることはありますし、怖いと思うこともありますが、事業を進める中で「この分野で私は声をあげていくんだ!」という覚悟を決められたのは、この1年間で1番大きな変化ですね。

アカデミアとビジネスをつなぐ架け橋になりたい

ー株式会社Essayのビジョンについてお聞かせください。

直近のビジョンをお話すると、フェムテックやフェムケアは男性が関与しづらいという感覚がある中で、ショーツという両性が使う商材を通して、男性にも女性の問題に興味を持って関わってもらえるよう、アプローチしていきたいです。

また、ビジネス以外でデータサイエンスも面白い手段だと思っていて。女性のデータサイエンティストが少ないことで、この社会で進んでいない部分もあると思うので、大学院に進んでデータサイエンスの研究に力を入れたいと思っています。

ー大学院への進学も考えているなんて驚きです。

私は事業を推進するうえで、アカデミック分野はものすごく大事だと思っているのです。

特に、フェムテックやフェムケアは、「女性はこういうことで悩んでいるのではないか」という感覚値で進めている気がしていて。例えば、女性の身体の問題に関する医学的な調査はあっても、実態調査はほぼないのです。

フェムテックやフェムケアの市場を盛り上げていくために、研究の基盤がないと流行りだけで終わってしまうのではないかという危機感があるので、研究分野にも関与して、アカデミアとビジネスをつなぐ役割を果たしたいと思っています。

ー自分のやりたいことに向かって突き進んでいる江連さん。現在やりたいことを探している方へメッセージがあればお願いします。

やりたいことを探すのではなく、嫌だったことや悲しかったことなど、ネガティブなことに向き合うのは大事だと思います。結局、自分の願いは、怒りの裏返しな気がするので。

1つの事象を取り上げたときに、自分のフィルターを通して見ると怒りや悲しみといった感情が湧き上がるかもしれないですが、Bさんは面白いと感じるかもしれないですよね。「なぜ悲しいと思うのだろう?」と、自分の感情に向き合うのはとても大切だと思います。

ー蓋をしがちな感情に向き合うということですね。

マイナスな感情は向き合うこと自体が辛いですし、避けがちだと思うのですが、例えば「兄弟喧嘩」など、些細なことでもいいのです。

「何で私は、兄弟のあの一言にこんなに怒りを感じたんだろう」というように、些細なところから自分の感情に向き合ってあげないと、結局は大人ウケ・社会ウケするようなやりたいことしか出てこないのではないかなと思います。

ー嫌なことを見て見ぬ振りするのではなく、丁寧に向き合うのが大事なのですね。最後に、江連さんの今後の夢があればお聞かせください。

夢は、伝記になることです。私が死んだ後も、誰かの背中を押せるような人生を描きたいなと思いながら生きています。

ーものすごく壮大な夢ですね。江連さんやI _ for MEの今後のご活躍・ご発展を楽しみにしています!本日はありがとうございました。

取材:増田稜(Twitter
執筆:Moriharu(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter