様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第445回目となる今回は、鈴木雄洋(すずきかつひろ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
不動産会社に6年間勤めた後、長野県辰野町の地域協力隊として移住定住促進を担当している鈴木さん。「私の場合は都市部ではなく、地方の暮らしに合っている」と語る背景にはどのような人生を送ってきたのでしょうか。ご自身の移住経験から、現在の空き家物件を紹介するお仕事まで幅広く伺ってきました。
長野県辰野町に移住して、十人十色の住まいを提供
ーまずはじめに、自己紹介をお願いします。
2020年4月より長野県辰野町(たつのまち)の地域協力隊として、主に空き家バンクの運営管理を中心とした「地方のまちづくり」に従事しています。また辰野町に移住を検討している人や移住を始めた人の支援も行っており、移り住む方への情報提供なども行なっています。
日本全国の問題ですが、辰野町でも空き家問題は深刻化しており、既存の物件を次の利用者にお繋ぎすることが主な仕事内容です。移住してくる方や新規店舗開業等のニーズは十人十色。子育て環境を優先にしたい人もいれば、木工職人をしている人もいます。都心の不動産と違って、地方の不動産は様々な特徴を持つ物件があり提案の幅が広いので、うまくマッチングする瞬間が、この仕事の醍醐味ですね。
ー鈴木さんは千葉県船橋市出身とお伺いしましたが、知らない地で生活しようと思ったきっかけは何でしょうか?
前職の不動産デベロッパー会社で、関西地方に5年間暮らしていました。自分自身、関西に縁もゆかりもない人間でしたが、初めての地方都市生活はいろいろと自分に合っていて、とても楽しかったです。
その後東京に異動した時、当たり前のお話ではありますが、どの商品やサービスにも土地代が上乗せされていたのが衝撃でした。同じ給料をもらっているのに自分の手元に残るお金、自分が自由に過ごせる空間が、東京と地方では違うことに気づき、自分は地方都市が向いていると気づいたのです。
昨今、ITが急速に発展していく中、「移動」の概念が変化するだろうと考え、漠然と“地方”への興味が高まり、地方移住を決断しました。
ーたしかに、そのような理由で地方に移住する人も増えていらっしゃいますね。その中で長野県辰野町を選ばれたのはなぜでしょう?
これまでの人生で、田舎に住んだことがなくて……。いきなり沖縄や九州などの首都圏から遠く離れた地に移住するとハードルが高いと感じたので、都心から3時間くらいでアクセスできる地方を探していました。数ある都道府県の中で、長野県は移住先ランキングが全国トップという事と、辰野町は良い意味で街が一度活気を失って、これから新しく新陳代謝を起こしていく雰囲気を感じ取れたので、いざ移住することに。
辰野町は、東京・新宿発の特急電車が停車する岡谷駅からわずか2駅ほど。高速バスも運行しており、県外からしても好アクセスの立地です。県内でも真ん中に位置しており、周辺の松本や諏訪、伊那市などの県内都市部からも近く、自動車での移動もスムーズです。
ー以前、辰野町はさまざまな文化が流入しているとお伺いしました。実際住んでみて、文化の多様性を感じますか?
そうですね。街道沿いに「小野宿」と呼ばれる旧宿場町が存在したり、「THE日本の里山」という雰囲気のある長野県移住モデル地区に認定されている川島区(集落地域)もあったり、街中では商店街やスーパーが並んでいたり、同じ町内でも色が違うなと感じています。
高専中退から大学進学。強い意志を抱き将来を切り拓いた
ー鈴木さんにとって、どのような幼少期を過ごされていましたか?
3人兄弟の真ん中で4歳上の兄と2歳下の弟と、よく外で遊ぶ子どもでした。小学校時代から部活動でバスケットボールを習っていて、そのチームが市の大会で優勝するなど、地域でも強いチームでした。その影響もあり、中学校でもバスケットボールを続け、周囲のレベルが強い環境に身をおきながら、日々練習に努めていましたね。
ーバスケットボールに熱心な日々を過ごされていたのですね。高校に進学してからはどうでしたか?
個人的には、高校時代が人生で一番のターニングポイントでした。千葉県唯一の国立の高等専門学校に進学して、エンジニアを養成する理系の分野で学んでいました。もともと親戚が通っていた学校であり、国立の高専は大企業の就職に強いと言われていたことから選んだのですが、自分と性に合わず、わずか2年で中退してしまいました。
中退後はラーメン屋のアルバイトを始めました。しかし、自分の将来の可能性を広げようと大学進学を志すことに。高卒認定(旧大検)を取得するための勉強と大学入試対策を併行して独学で進め、第一志望の大学に合格をしました。
ー高専中退から大学進学まで、強い意志をもって努力をしたら結果が出るという成功体験をされたのですね。
そうですね。独学で勉強したときも「もし落ちたら最終学歴が中卒になってしまう」と思いから一生懸命勉強しました。(笑)今の時代では中卒でも問題ないですが、当時は学歴が重要視されていた時代だったので必死でしたね。
ー大学に進学後、就職活動ではどのような業界に興味があったのですか?
デベロッパー業界を軸に就職活動をしていました。個人ではできない、スケールの大きい取引ができる仕事がしたいと思ったからです。さまざまな会社説明会に参加する中で、ハード面でのまちづくりをしている「デベロッパー」に興味を抱き、選考を進めることに。第一志望の会社に内定が決まりました。
不動産業界で働く中で生まれた葛藤
ー入社してからはどのようなお仕事に携わったのでしょうか?
まず初めに配属されたのが、営業部署でした。主に大阪・京都・神戸を中心に、まちづくりに従事していました。自分が営業をする中で、最終的にお客様が物件を購入する流れを想像し、それ通りに話が進むと営業としての楽しさを感じましたね。
ー鈴木さんにとって営業職は合っていたのですね。逆に苦労したことはありませんでしたか?
営業職の働き方は合っていましたが、新入社員時にそもそも「物件を売りたい」という気持ちが湧かなくて……。そうなると、物件を探しにきたお客様にも最適な提案ができず、最初は苦労しました。1年目の秋に活躍している同期の話を聞き、実際に上手な営業をしている上司を観察することに。見よう見まねで提案をして、周りに支えられながら、なんとか克服できました。
ー苦労を乗り越えた経験でしたね。そのあとはどのように働かれたのですか?
5年間営業として働いた後は、自社開発物件の事業を企画する都市開発事業企画部に異動になりました。具体的には、これまでの物件を販売するのとは違い、物件を開発する為の土地を購入して仕入れる業務を行っていました。東京23区の一等地の土地を買うために何十億というお金が動き、毎日がエクセルの数字とにらめっこ。自分のコントロール枠を超えたスケールの大きい世界でしたね。
ー話を聞く限り、仕事のスケールの大きさが伝わります……!まさに就職活動で望まれていた働き方ですね。
そうですね。仕事は楽しく充実していましたが、なんだか自分の中では違和感を感じていました。人口が減少していて、空き家は増え続けている現状。しかし、新築を大量に建て続けるといったサイクルに違和感を覚えたのです。もちろん新築を批判する気はありませんし、新築の素晴らしさも感じておりましたが、大量に都心部に供給する事によって起こる副次的な現象に疑問や葛藤を抱いていました。
このVUCAの時代において、何十年ものローンを組んで新築を購入するのが典型的なライフイベントとしてのステレオタイプはもう変えるべきだと感じています。地域に眠っている空き家という資源や中古物件などを含めた様々な選択肢の中から、個人にフィットしたスタイルを選択するのが当たり前になればいいなと思っています。
ー中古の物件販売だと、民間会社に転職するという選択肢もあったと思いますが、今のキャリアにどのようにつながったのですか?
組織人として6年間のキャリアを築く中で「このまま働いて、“自分の名前”で仕事ができるようになるのか、自分の中での正しさを優先して仕事をすることができるのか」という疑念を抱いていました。そこで若い20代のうちに沢山の失敗をしたほうがいいと考え、28歳で不動産会社を退職することに。
独立にこだわった理由は、自分らしい暮らしを作れると思ったからです。仕事内容、住む場所、休日の取り方などの全てを自分で決められます。あとは余談ですが、2歳下の弟が会社を経営していて、自分の中で独立して働くことが身近な存在にいたのも大きいです。今後の働き方について明確な答えは打ち出していないものの、新たな挑戦として地方への移住を始めました。
自分が地方都市に向いていたので、地方移住のギャップは最初から特に感じませんでした。現在では空き家紹介の仕事にやりがいを感じ、辰野町での豊かな暮らしに日々楽しんでいます。
地方の新たなエンターテインメントを作りたい
ー辰野町へ移り住んでから、公私ともに充実している鈴木さん。今後はどのようなことにチャレンジしていきたいですか?
現在、オフラインでのエンターテインメントを作るプロジェクトを進めています。現在、映画や音楽のサブスクリプションサービスが発展したおかげで、エンターテインメントを自宅で気軽に楽しむことができますよね。
家の中での娯楽は日本全国どこでも楽しいのに、地方では街中でのエンターテインメントは圧倒的に少ないと感じてます。地方特有のアウトドア(キャンプ、登山、川遊び等)と街遊びの両方が楽しめたらローカルは最高になると思います。
そこでダンススタジオを創設し、上手なダンサーさんのレッスンを楽しんだり、町民からレコードを寄付してもらい、趣味が音楽の方が楽しめる*レコードライブラリを開いたり。ほかにも、町内に映画館がないのでプライベートシアターとして空間を貸し出したり、オフラインでもみんなが楽しめるような施策を考えています。
*レコードライブラリ:さまざまなレコードを揃えて音楽鑑賞ができる資料館
ー最後に、自分のやりたいことに踏み出せず悩みを抱えているU-29世代へ、メッセージをお願いします。
悩んでいるときは、視野が狭くなっていると状態。狭い世界から脱するためにもいろいろな人に会いに行きましょう。
わたしの場合、自由に暮らしている人と話すことをおすすめしています。自由奔放な人と接することで、自分自身の思考も柔軟になり、エンジンがかかるきっかけになると思います。焦らずにコツコツ行動しましょう。
ー本日はありがとうございました!今後の鈴木さんのご活躍を応援しています。
取材:高尾有沙(Facebook/Twitter)
執筆:田中のどか(Twitter)
デザイン:高橋りえ(Twitter)