Webラジオ番組パーソナリティ柴田惠津子に聞く。悩みを乗り越えて、夢の仕事に出会うまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第486回目となる今回は、Webラジオパーソナリティの柴田惠津子さんをゲストにお迎えします。

生きがいのある仕事に出会い、精力的に活動されている柴田さん。実は、学校に行かずモヤモヤした時期や、「話す仕事」ができず悩んだ会社員時代もあったそう。でも、その経験があったからこそ、自分の大切な軸を見つけたと言います。柴田さんが夢の仕事に出会うまでのお話をお聞きしました。

人の想いを応援するWebラジオ番組「笑顔の港」

ー自己紹介をお願いします。

柴田惠津子と申します。インターネットラジオ局のパーソナリティとして「笑顔の港」というWebラジオ番組を放送しています。

「笑顔の港」はゲストの方にお越しいただき、その活動や想いをお聞きする番組です。毎週月曜の夜9時から放送しており、学生から社会人まで、延べ80名以上の方にインタビューさせて頂きました。

ラジオ以外にも、イベントの運営や、司会進行・アナウンスのお仕事など、フリーランスとして活動を行なっています。

ー話す力・PRのスキルを軸に、幅広く活動されているのですね。ラジオパーソナリティの活動は、どのようなものでしょうか。

番組の進行をしながら、出演者の方にインタビューをして、活動の内容や、想いを深掘りします。

ただし、それだけではありません。私の活動しているインターネットラジオ局では、誰をゲストに呼ぶか、何を聞くかなど、企画の中身を考えるのもパーソナリティの役割です。「次は誰に、どんな話を聞こう」とワクワクしながら、日々アイディアを膨らませています。

ー企画段階から考えて実現するのは楽しそうですね。今までは、どんな方が出演されましたか。

ジャンルは絞らず、色々な方にお話を聞いてきました。例えば、書籍編集者、ブロガー、シンガーソングライター、フィジーで活動されている方など。お仕事内容や居住地を問わず、出演してもらっています。

ーバラエティに富んだ、魅力的な方ばかりですね。なぜ、そのような方々にインタビューを行う番組をされているのでしょうか。

発信することで、その人の活動を応援したいと思っています。今まで出演してもらった方々は、私が心から応援したいと思った人ばかりです。

だから、ゲストの皆さんが私を信頼してラジオ出演を楽しんでくださったり、ご自身の生きる喜びにつながったりするような機会になれていること、その周りの皆さんにも応援の輪が広がっていることを実感したときは本当に嬉しいです。

一人ひとりに、その人だからこその経験や想いがあります。パーソナリティとして、素敵な方々と出会いお話できるのは、私自身の生きる活力になり、人生の財産になっています。

ー「発信して応援する」コンセプトはU-29にも近く、とても共感します。番組を運営される中で、大事にされていることはありますか。

「人に寄り添える優しいコミュニケーション」や「お互いが話しやすい場づくり」を、特に大切にしています。

そのために、具体的には、事前にインタビュイーの方と打合せをして、相互理解をする時間を設けるなどの工夫をしています。事前にゲストの方が話したいこと、大切にしていることが分かれば、それに配慮しながら本番を進めることができます。

また、私自身も過去の経験・価値観をふくめて自己開示することで、ゲストの方が、ご自身の話をしやすい環境を整えられるとも思っています。

学校に行かない日々がくれた、自分と向き合う時間

ー「人に寄り添える優しさ」という言葉は、柴田さんの穏やかな雰囲気にぴったりだと感じます。どのように、その価値観を持つようになったのか、幼少期のお話をお伺いできますか。

はじまりは、小学校4年〜中学校3年の約5年間です。この時、実は不登校になってしまって、ほとんど教室に行くことができませんでした。

今でも理由が整理しきれていないのですが、学校、友達、地域、家など、色々な場面で我慢することが重なり耐えきれなくなってしまったのだと思います。その結果、この時期は自宅で過ごす時間が多かったです。

ー不登校は辛そうな印象がありますが、実際にはどうでしたか。

たしかに「一般的なレールを外れてしまった……」と、モヤモヤした気持ちも抱えていました。ただ、幼少期に自分と向き合う時間が長く取れたことは、私にとってポジティブな効果があったように思います。

「私はどんなことが幸せなのだろう」「何があると嫌だと感じるのか」も分かるようになったし、「気持ちのいい関係性を築くためのコミュニケーション」に、自然と問題意識が向くようになったのです。

ー柴田さんの軸になる価値観の芽が、この時に生まれたのですね。

悩み、自分に問い続けたがゆえに、たどりつけた価値観だったように思います。それから、「将来は、もっとよりよく生きてやるぞ」という野望も持つようになり、前向きなモチベーションも段々と復活していきました。

高校の放送部で見つけたアナウンサーの夢

ーその後、高校では登校できるようになって、放送部に入られていますね。

「中学までの白紙に近かった青春時代を取り戻したい」と思っていた私は、夢中になれる場所を探していました。その時に出会ったのが放送部です。

放送部の先輩たちは、自分と年はあまり変わらないのに、人前に立って、しっかりとしていて。その堂々とした姿に衝撃を受けました。「ここに入ったら、私も変われるかもしれない」そう思い、入部を決めました。

ー実際に活動されてみて、いかがでしたか。

全国大会の常連になるような放送部だったので、厳しい部活でしたが、充実した日々でした。

コンテストへの出場に向けて、何度も修正しながら原稿を作成してアナウンサーのように声に出して読む練習を行ったり、カメラとマイクを持って地域に出向いて取材・撮影・編集するという番組制作も経験しました。

取材対象の方に失礼がないようなコミュニケーションなども叩き込まれます。「目配り・気配り・心配り」が合言葉で、日々注意もされましたが、成長につながる楽しさが勝っていたので頑張れたのだと思います。

ー厳しくても、楽しくて乗り越えられたのですね。

取材を通じて、新しい社会を知って視野が広がりました。自分の声を使って表現できる喜びも知りました。ワクワクする毎日だったのを覚えています。

この経験を通じて、アナウンサーや、報道の仕事のような「話す仕事」をしたいと心から思うようになりました。

夢が原動力になって、世界を広げた大学時代

ー部活は、柴田さんの原点になる経験だったのですね。その後、神奈川の大学に進学されていますが、大学生活はいかがでしたでしょうか?

色々な経験をして、人と出会い、視野が広がり本当に楽しい時間でした。

具体的には、大学広報誌の制作、チャリティー団体の運営、フェアトレードを知るイベントの企画、3.11被災地ボランティア、地元放送局でのアルバイト、NHKなどアナウンススクールへの通学、新聞社でのインターンなどをしていました。

ーびっくりする行動力ですね。何が、柴田さんの原動力になっていたのでしょうか。

「アナウンサーになりたい。報道に関わる仕事がしたい」という夢が、私に力をくれました。

アナウンス・報道について学べる場はもちろん、将来、世の中に発信する仕事につくなら「自分の中に引き出しを持っておかないといけない」と思いました。そこで、興味があるものに、幅広くチャレンジしたのです。

ー目標が力をくれたのですね。色々な場所に参加してみて、得られた気づきはありますか。

「自分がありのままにいても、受けとめてくれる人がいるのだ」という事に気づきました。

自分の心に素直にチャレンジすると、その先で出会う人たちは、不思議なことに、私が自分らしくいられる人たちばかりで。こんな世界が世の中にはあるのだと気づき、心が満たされました。それも、行動するモチベーションになっていたように思います。

夢叶わず番組制作会社へ。しかし捨てられなかった情熱

ー自分の視野が広がる大学生活だったのですね。その後、就活はどうでしたか。

アナウンサーや報道の仕事を目指していましたが狭き門で受かることができず、悔しい思いをしました。その後、選んだのが番組制作会社です。番組はすべて放送局が作っていると思っていたのですが、制作会社があることを知って興味を持ったことが、きっかけでした。

バラエティ、社会、スポーツなど、様々なジャンルがありましたが、私は軸に「人と社会に優しい報道がしたい」と思っていたので、NHKの公共放送の番組を制作する会社に入社を決めました。

ー番組制作会社では、どのような経験をされましたか。

AD(アシスタントディレクター)として働きました。想像を超えて何でもする仕事で驚きましたが、勉強になりました。

例えば、再現ドラマ1つ作るにも、俳優のオーディション、撮影場所の調査、セリフの作成から、控室の掃除、ロケ弁の手配まで、ありとあらゆる作業をこなします。番組が出来上がるまでの全てを体験できたのは、良い経験でした。

特に気遣いのレベルがすごく高くて。例えば、メイクが崩れないように、ペットボトルの飲み物でもストローをつけて渡したり。プロの世界の気配りの高さを学びました。

ー感動レベルの配慮ですね。貴重な経験ができたようですが、その後、転職を決められていますね。なぜ、環境を変える決断をされたのですか。

「話す仕事」への興味を、情熱を、捨てられなかったのです。

番組制作会社ですから「制作者」のプロを育てようとしてくれます。でも、私はその道を進むことに、心を決めきれていませんでした。それがきっかけで、外を見始めました。

ー転職活動を開始されて、いかがでしたか。

とても悩みました。狭き門のアナウンサーを今からまた目指すのか、リアリティを感じられなくて葛藤しました。

考えた末、自分と向き合って見つけたのは「人に寄り添って、その人の想いを応援できるような発信がしたい」という気持ちでした。だから、次のチャレンジはPR会社を選びました。顧客の広報部の人と一緒に、その会社の想いを応援する仕事です。

舞い降りたラジオパーソナリティへの扉

ー想いを大事にして転職先は決めたのですね。

はい。だから「話す仕事」を本業にはできなかったのですが……同時期に、奇跡のような出来事がありました。

プライベートでヨガのイベントに参加したら、偶然、インターネットラジオ局「ゆめのたね放送局」でパーソナリティとして活動している方に出会いました。私が「話す仕事」に興味があることを話したら、その方が自身の活動について教えてくださったのです。

ーすごい巡り合わせですね。柴田さんが想いを言葉にしたから、チャンスを掴むことができたのですね。その時は、どんな気持ちでしたか。

「こんな形で、夢を叶えることもできるんだ」驚きとともに、嬉しさが込み上げてきたことを覚えています。私は会社員をしながら、ラジオパーソナリティに挑戦することを決めました。

アナウンサーや報道の仕事に就きたい人は、たくさんいると思います。でも、なれる人はほんの一握り。その夢が叶わないと、後遺症のように晴れない気持ちを抱えてしまう人もいるかもしれません。

でも実は、視野を広げてみると「話す仕事」は他にもあります。夢を叶える方法は1つじゃない。私はラジオパーソナリティという、自分らしくいられる活動に出会えました。そのおかげで、納得感のある人生を送り、生きがいを感じながら働くことも少しずつできるようになってきたように思います。

ー生きがいを感じながら働く。まさに理想の働き方ですね。

色んな人と出会い、深く広く優しい人間関係を築いていける。そして、私の声で、社会に届けることができる。私にとって夢に描いた仕事・活動の形です。

人が大切にする想いを社会に届けるスキルを学び、PR会社は卒業しました。今は独立して、パーソナリティの他にも活動の幅を広げています。

例えば、高校生向けのキャリア支援のイベントへの登壇・司会進行・運営や、毎年開催されている映画祭のアナウンスなど。スキルを活かし伸ばしながら、色々な応援の形にチャレンジできる日々は、充実しています。

ーどんどん世界が広がっていきますね。最後に、柴田さんのこれからの展望を教えてください。

これからも大事にするのは、丁寧に人とコミュニケーションをとっていくこと。「人に寄り添う優しさ」を追求しながら、素敵な想いを応援していきたいです。

ー柴田さんの想いに感銘を受けました!柴田さんの活動の応援は、ぜひ私たちU-29にさせてください。今日は、素敵なお話をありがとうございました。

取材・執筆:武田 健人(Facebook / Instagram / Twitter
デザイナー:安田遥(Twitter