なくてはならないものを作りたいーーATOMica 南原一輝の挑戦

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第440回目となる今回は、株式会社ATOMica 執行役員/CROの南原一輝さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

学生時代から起業を経験し、様々な事業開発を行ってきた南原さん。その原動力にあったのは、「なくてはならないもの」を作りたいという想いと、自らの幸せを見出した「学祭感」への憧れでした。

シンガポールの学祭感が人生を変えた

ーまずは自己紹介からお願いします。

株式会社ATOMicaで執行役員・CROを務めている南原と言います。ATOMicaは、まだ社員が20人名強の宮崎に本社を置くスタートアップ起業です。現在は宮崎・北九州の2拠点でコワーキングスペース を運営しつつ、ローカルコミュニティの構築・活性化を支援する事業を行なっています。

実は私はまだジョインして1か月(※インタビュー時点)で、以前は三井物産で働いていました。宮崎や北九州はもともと縁もゆかりもない土地だったのですが、ローカルならではの魅力と可能性にどんどんと惹かれ、事業拡大への想いを強めているところです。

ーご出身はどちら何でしょうか?

地元は大阪の堺市です。ATOMicaは、大学時代の友人だった嶋田瑞生が代表を務める会社で彼の誘いを受けて入社することとなりました。

ーありがとうございます。ATOMicaへ入社する以前にも、いくつもの事業開発をおこなってきたと伺っています。きょうは、そうしたご経歴を詳しくお伺いしていきたいです。今のキャリアにつながる最初の転機はどういったものだったのでしょうか?

大学に入ったばかりの頃に、シンガポールへ赴いて現地の起業家にビジネスアイデアをプレゼンするという海外インターンへ参加したことが大きなきっかけでした。それ以前は事業というものに特段の興味を持っていませんでしたね。

ー海外インターンに参加したきっかけは?

高校時代は人を笑わせることが好きで所謂クラスに1人はいる笑われ役ポジションだったのですが、大学へ入ると人との付き合い方が分からなくなってしまったんです。

高校生までは、限られたコミュニティの中で人間関係を築いていましたが、大学へ入り、どこへ行っても誰と過ごしても自由だと暗示された瞬間、目の前にいる人と無理して付き合うことに意味を感じられなくなったのだと思います。

サークルにも入らず大学と家を往復する毎日が続き、何かしなくてはと考えていた時に知人からシンガポールでのインターンのことを聞きました。

もともと外国へ行きたいという漠然とした想いから外国語学部を選んでいました。シンガポールへ行くきっかけを持てるということにも惹かれましたし、その場で結果を出すことで、サークルや学生団体で活躍している人に劣っていないのだということを証明したいと考えたんです。

ー実際に行かれてみて、どのような体験をされたのでしょう?

関西の大学を中心に40人弱の学生が集まりました。2か月ほど日本でいろんなことを学びながら、グループでビジネス案を練りシンガポールへ行きました。現地の人の意見も取り入れながらアイデアをブラッシュアップしていき、最終的には現地の起業家などにプレゼンし評価をしてもらうという流れです。

結果としては、全6チーム中4位という結果でした。とても悔しかったんですが、それと同時に本当にやり切ったという感覚があって涙が自然とこぼれたのを覚えています。誰かといっしょに真剣に同じ目標のために何かに取り組むことは初めてだったんです。同世代の人と昼夜を問わず議論しました。その学祭感とでも言える熱狂的な体験から、誰かと協働することが面白いと感じるようになったんです。

事業開発を通して得た数多くの学び

ー人付き合いを苦手としていたところから、人と同じことに熱中することにやりがいを見出すようになったんですね。その結果が事業開発という行動だったのでしょうか?

帰国してすぐに、シンガポールで練っていたビジネスアイデアを実践してみようと思ったんです。上手くいけば、あれだけ真剣に考えた自分たちのアイデアは間違っていなかったのだと証明できると意気込んでいました。

アイデアというのは、留学のために長期で家を空ける学生の家を借り上げて、民泊サービスで外国人旅行客へ貸し出すといったものでした。

スクラッチでサービスを立ち上げることも考えましたが、ちょうど当時日本にAirbnbが入ってきた所でまだそこまで話題になっていなかったので、まずはそのプラットフォームを活用することに決めました。ビジネスとしては成り立ち一定の収益を上げることもできたのですが、私の作業としてはオーダーを受け入れ、部屋の掃除をアルバイトの人に依頼するといった程度。やりたいと想っていたことではないなと感じましたね。

そんな時に、シンガポールのインターンにも参加していた大学の先輩が、「学生のために何かやりたい!」と声をかけてくれて、一緒にある学生団体を作ることになったんです。直接的には、このことが初めての起業へと繋がっていきます。

その学生団体では、学生にとっての学びの場と企業のプロモーションの場を一致させることで、学生がアルバイト以外にお金を得る仕組みをつくろうとしていました。

企業への営業活動を5人のメンバーで行ったのですが、実際にイベント開催に漕ぎつけたのは半年でたった1件。メンバーも疲弊し、イベントの終了後に解散する運びとなりました。

しかし、その頃には僕たちの考え方に賛同してくれる人も多く、一方的な解散を悲しむ声もあったんです。彼らを裏切りたくないという責任感から、彼らと一緒に事業を継続しようと決意しました。

ーそこで起業へ踏み切ったと?

はい。会社を作りたかったというより、事業の立て直しに腹をくくるつもりで会社化したというのが実態です。

ー会社化したあとも同じような事業を続けたのでしょうか?

そこからさらに半年ほどかけて企業側のニーズを探っていったんです。次第に、学生の生の声を聞きたいという会社が一定数あることが分かってきました。学生へインタビューを行いインサイト分析した結果をプロダクト開発に生かす「ホンネ会議」というパッケージを作ったところ、やっと事業が軌道に乗り始めたんです。

ーメンバーも増えましたか?

多少は増えましたが、私自身がプレイヤーであることに変わりはありませんでした。大学でもずっと仕事をしている感じ。僕がひたすら働いて、それになんとかついてくる人がいることで、かろうじて組織を保っていたようなイメージです。自分が会社経営よりも事業構築に興味があることに気付けたという意味では、会社化は良い経験になったと思います。

ーそうした自身の特性に気付かれたからこそ、就職という道を選んだのでしょうか?

会社自体はホンネ会議のおかげもあって軌道に乗っていたのですが、心のどこかで「自分の取り組んでいる事業は自分の周りの大切な人の生活を豊かにすることに果たしてどれだけ寄与できているのか」と疑問に思うようになったんです。そこから、改めて自分が本当にやりたいことは、周りの大切な人たちに、あったらいいなというちょっとした変化を与えるのではなく、なくてはならないある種のインフラのようななものを提供することだと気付き始めていました。それを人生を懸けてやっていきたい。

インフラとも言えるものですから、自分がゼロから立ち上げるには相当な時間がかかってしまう、あるいは届かないと思ったんです。達成できる力を持った規模の会社に入社するのが良いと考え三井物産を選びました。

ー入社後はどのような仕事をされましたか?

最初はデジタルマーケティング事業部で、アメリカのITソリューションを日本でグロースさせるというミッションを持ちました。日本にまだない概念を、自分の名義で売って広めていくいくことはすごく面白かったですね。上司にも恵まれ、海外企業との交渉の仕方や関係構築の仕方など、ビジネスのイロハを学ぶことができました。

2年ぐらいその事業をすると、今度は既にあるものではなく、まだ世に無いものを作り広めていきたいと考えるようになりました。ちょうど社内で社内起業の公募があったため、同期とともに複数のアイデアを出したところ、その内のひとつが採択されたんです。

その後、アイデアを形にして、誰もが好きな時に好きな場所を自ら選んで働ける世界を実現すべく、飲食店の空席をリアルタイムで見える化してワークスペースとして利用可能にするアプリ「Suup」を開発しリリースしました。

Suup自体は自分自身も感じていた課題に根付いたものでしたし、自分のアイデアを形にした凄くやりがいのあるものだったんですが、プロダクトもリリースしてユーザーも付きはじめてきた段階で、何となく「このまま社内起業家として、ある種の安全地帯で事業開発を続けるのは違うかもしれない」と思うようになったんです。そう感じるようになってから、定期的にシンガポールや自分で起業した当時感じていたあの「文化祭感」が懐かしく思えるようにもなって。もっと心の底から自分が取り組まないと解決しないような根本的な課題に、同じ志を持つ仲間と全力で取り組みたい。そう言った環境に身を置いて突き進むそのプロセス自体が自分をエキサイトする唯一の方法なんじゃ無いかと思い、ATOMicaにジョインすることを決めました。

ATOMicaの事業に全力で望む

ーATOMicaに入社した理由は?

ATOMica代表の嶋田は大学時代からの友人で、彼も学生起業を経験していました。ある意味ライバルでもあります。そんな自分が同世代ですごいと認める仲間と一緒になれば、もっとすごいことができるのではないかという期待があったんです。

加えてATOMicaの事業は、人との繋がりを、それが得づらくなっているローカルで実現することを目的としたものです。人との出会いによって、いまの人生をつかめた自分にとって、ATOMicaの事業には思い入れがあり、自分が挑戦すべきことだと素直に思えました。

ー働きながら学祭感を得ることへのこだわりも強いと思いますが、実際に学祭感を得るコツというのはありますか?

人それぞれ違うと思いますが、自分の場合はやろうとしていること(what)が、世の中の役に立っているかどうか腹落ちできていること、一緒に取り組む仲間(with whom)が同じ目標に向かう気の置けない関係であることが大事なんだと思います。その意味で、同世代の仲間と取り組めている今の環境は自分にとってはまさに学祭感を感じられる恵まれた環境だなと感じます。

自分は、「この感覚でいられたら命懸けで取り組める」というものに琴線を張りながら、やりたいことを探してきました。今は、同世代の仲間と自分の人生を変えた人との出会い・つながりに関する課題に挑戦することが、その琴線をもっとも揺らすものだと信じています。

ただ、それが本当かどうかは全力で取り組んでみないと分かりません。手を抜いてしまうと、自分が幸せを感じられなかった本当の原因がミスマッチなのか努力不足なのか分かりませんからね。全力を出し続けるために、いろんなところにモチベーションを引き出すきっかけを持っておくことも自分なりのテクニックです。

ー最後に今後の展望を教えてください。

人と出会い、繋がりが持てるオンライン・オフラインの垣根を越えた新しいコミュニティを日本中でつくっていきたいと思っています。それによって、より多くの人の人生を豊かにしていけると確信しています。

特に、東京と比べると地方には新しい出会いが少ないと感じます。地方に居ても、ヒト、モノ、コトとの出会う機会を東京と変わりなく、むしろより密な形で提供していきたいと思います。数年以内には、日本全国どこにでもATOMicaがあり、誰もが人生を変えるような出会いに数多く出会える世界を実現していきたいですね。

取材者:山崎貴大(Twitter
執筆者:海崎 泰宏
デザイナー:高橋りえ(Twitter