今まで避けてきたことに挑戦して、見えてきた動画編集者・佃耕自の「楽しい生き方」

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第398回目となる今回は、佃耕自さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

現在、動画編集のキャリアを歩む佃さん。様々な転機とあるキーマンとの出会いをきっかけに、少しずつ殻を破り新しい自分に出会ってきたそうです。そんな佃さんに人生をを切り開いてきた過程を語っていただきます。

0から1を作る喜びを知った専門学校時代

ーはじめに自己紹介お願いします。 

佃耕自と申します。今年で28歳になり、現在の仕事は動画編集です。動画の編集が専門で撮影などは依頼していただいている方がやっているので、僕は家の中で引きこもって作業をしています(笑)

以前は依頼してくださる方がメインでやっている心理学系の動画の編集をさせていただいました。現在はその方がサブチャンネルでやっている飼い猫の動画をメインに編集しています。猫が可愛いので癒されながら動画編集していますね。

ー1度目の転期が24歳の専門学校を卒業されたタイミングだと伺っていますが、当時学校の様子を教えてください。

情報系の専門学校に通っていました。

僕はゲームが好きだったので、ゲームを最終的に作りたいと思って入学しましたが、カリキュラムは座学が多かったです。幅広い知識を学んで最終的には就職も目指せる道も持ちつつ、自分が進みたい道に挑戦できるカリキュラムでした。

ゲーム学科ならゲームの作り方、IT系の進路ならワードやエクセルの使い方など実務に近い技術などを学べましたね。

ーその専門学校を選んだ経緯や背景はなんでしょうか?

きっかけは、ゲーム作りに関心があったからです。

中学生のとき、モンスターハンターが流行っていました。当時ヤンキーとおとなしい子が一緒にゲームをしていて「ゲームが人を繋いでいる」ことに感動したことを覚えています。。プレイヤーとしてだけではなくて、作り手のすごさも感じていました。

そこからゲームがどのように作られているかに興味を持ちました。最終的にゲームクリエイターになって楽しいゲームや面白いゲームを自分でも作りたいと思っていましたね。

ー専門学校ではゲームクリエイターの道に近づけるようなインプットや実際の実務に近い授業を受けましたか?

そうですね。ゲームを作る工程やゲームを構成するプログラミングを学んでいました。1年の最後にゲームを1から考えて作る課題があり、当時仲が良かった4人でチームを組んでRPGを作った記憶があります。

みんなゲーム作りは未経験なので、当時わけわからない状態から始まりました。製品になるような長いゲームは作れなかったけれど、フィールドから始まって、洞窟に入って、最初にいるボスを倒すまでのところまでをなんとか作りました。

ーゲーム作りのプロセスは大変でしたか?

思った以上に大変でした。まずキャラクターを表示させるのに苦戦して、無事に表示できても動かしてみたら、自分たちが思い描いていたものではない。修正したら今まで動いていたところが思い通りにならないの連続でした。修正を何度も繰り返して完成させた記憶があります。

できた作品がとても拙かったんで、遊んでくれた人は展開の速さに笑っていました。でも自分が0から作ったものを誰かが遊んでいる光景はこんな感じなんだと想像を超えていました。

新卒入社した企業で直面した困難

ー卒業後はどのような進路を考えていましたか?

IT企業に普通に就職しようと考えていたので、スーツ着て当時の住まいである大阪で就職活動しました。

ゲーム作りは、卒業制作を終えてとても大変なことを知って挫折してしまいました。今のままでは製品になるようなクオリティーが出せないと感じて力不足を痛感しましたね。

ー就職先はどんな会社でしたか?

就職した会社は、人材派遣に近かったです。その会社の顧客の事業所に社員が派遣されて、プログラミングの制作を手伝ったりシステムの運用をしていました。自社で企業向けのシステムの開発もしている人もいました。

ー働いてみて肌に合わない部分があったそうですが、どこの部分が自分として難しかったですか?

働いてから1年経った頃に今までと違う現場に行って、人付き合いがうまくいかず……。1年目でわからないことだらけだったけど、質問をするときはメールでのコミュニケーションが中心でした。直接話すのが難しく、コミュニケーションが取りづらかったので辞めてしまいました。

「佃君は今まで真面目すぎて普通だから崩していこう!」その一言で見た目から始まった変化

ー退職されたあと、次のステップをどのようにに見つけましたか?

退職したあとは、企業に属する働き方は自分にとって難しいと思いはじめました。

そこで個人で事業を営んでいる方に会ったら自分も何か糸口が見つかるのではないかと思い、Facebookを使って事業をしている方に積極的にメッセージを送っていました。

そこで出会った1人に、「佃君は今まで真面目すぎて普通だからそこを崩していこう!」と言われて、その一言が大きなターニングポイントになったと思っています。

ー「崩していく」ためになにをアップデートしていきましたか?

まず見た目を変えました。僕は今まで坊主か伸ばしっぱなしでヘアスタイルに関心がありませんでしたが、そのアドバイスをくれた方に素直に従って髷みたいな形のヘアスタイルになりました(笑)

髪型を変えたら今度は、「服装を変えていこう!」と言われ、カジュアルな服装からパンクのような刺々しい身なりに変えました。

ー見た目をを変えることで、周りや自分の心境の変化はどんな感じでしたか?

髪型を変える前は周りに気を遣って嫌われないようにしてきたので、後ろ指刺されるような変な髪型をして大丈夫かなと思い、とても勇気を振り絞りました。

髪型を変えた後は周りから見られることがかなり多くなり、ひそひそも言われました。だけどだんだん気にならなくなってきて、「あの人変な髪型している!」と言われても平然としている自分に驚きましたね。

さらに服装を変えていくと自信がついて、自分の世界観を作れるようになりました。見た目を変えるとキャラクターになるみたいな感覚になってきて、会ってもない人に顔を覚えてもらえたりと変化に驚きました。

今まで取り入れられなかったものを取り入れるなど、身近なところからどんどん変えていくと内面の変化も起きると思います。

ー当時どんなものからインスピレーションを得て自分のスタイルをインプットされていたんですか?

服装はアーティストからインスピレーションを受けてインプットしていました。パンクファッションをしていた海外の昔のアーティストの画像を集めたり、同じジャンルの他の人の画像も見ていました。そこからかっこいいと思ったファッションをかき集めたり、伝記や映画からインスピレーションを受けることもありましたね。

ー以前は映画、洋楽、パンクロックなどのジャンルはコンテンツとしてもあまり自ら触れる領域ではなかったのですか?

そうですね。以前は映画も見ませんでしたし、洋楽も手を出しませんでした。一度手を出すとインプットするものも変わりはじめました。初めて見るものばかりで新鮮で「こういう世界があったんだ」と、キラキラした目でいたと思います。それが面白いと思っている自分も変わったと肌で感じていました。

ー当時アーティストから服装以外にも刺激を受けた部分がありそうですね。

たくさんありますね。自分がやりたいようにしか生きない感じが映画でもよく描かれていましたし、「誰が止めてもやめない」「音楽活動やってやる」「ライバルいても俺はやりたい音楽をやるんだ」と暴れ回ったり、世間に嫌われるようなことを言われても気にしない生き方はかっこいいと思っていました。

まったく別人の世界だと思っていたことを、これから自分がやろうとしていると思うとワクワクしましたね。

ーアーティストが自分がやりたいように振る舞える理由は何だと思いますか?

アーティストの誰にも縛られたくない、誰にも文句を言われたくないという想いを自己表現を通して人に理解してもらうためだと思います。彼らにとって自己表現は音楽や、周りから理解されないファッションや、パフォーマンスです。私生活で自己表現して、キャラを定着させて自由の身であることを世の中に示したかったのだと思います。

真冬に5日かけて自転車で東京に向かう挑戦で感じた「真面目に生きるだけが人生じゃない」

ー当時どんなこと挑戦されていたか伺ってもいいですか。

過酷な真冬の時期にママチャリで5日間かけてかけて東京に向かう挑戦をしました。

無茶ぶりでしたが、新しい生き方を紹介してくれた人についていくためにやろうと決心しました。

その方は非常にアクティブな方で、昔ロードバイクで一切お金を使わずに日本全国を一周された経験もあるようです。それが影響しているのか「人と話して交渉しながら0円で行ってみろ!」と言われました。そのため道中は、行く先で出会う人に助けられて食事を済ませたり、寝袋で凍え死なないように暖かくして野宿をしながら、5日かけて東京に着いた思い出があります。

これは自分にとって大きな挑戦でしたね。一人だったのでとてもめちゃくちゃ寂しかったです。誰にも相談できないし、自分一人で漕ぐしかない。個人的には極限状態にも近い感じでした。

ーこのような無茶振りにも答えて行こうというモチベーションは何でしたか?

言われた時はできるのかな、と不安でした。それでも挑戦できたのは、自分にとって新しい道を示してくれた人に感謝していたからだと思います。その人に出会って、今までなかった喜びや変わっていく楽しさを体感していて、ついていきたいと思わせてくれました。

だから無茶振りでも「チャンスだと思って何でもいいから飛び込んでやる!」という感覚でやりました。

ー当時はお仕事はどうされていたんですか?

電話相談と電話受付をやっていました。1日の労働時間も決まっていたので、空いた時間で一緒に働いていた人たちとアクティブに活動していました。

一緒に働いていた人たちは色々なことにチャレンジするようなエネルギッシュな人たちが多かったです。一緒に活動することでみんなからいい影響を受けて今までにない感覚を経験しました。

ー具体的にどんな心境の変化がありましたか?

学生時代と社会人時代は、チャレンジすると周りに変な目で見られることを気にしていたと思います。しかし髪型、服装などを変えていく中で「周りの目はあまり関係ないから気にすることはないな」という感覚になっていきました。

特に海外のアーティストが様々さまざまなことに挑戦していく過程を見ていて「自分がやりたいようにやればいい」と改めて思いました。「真面目に生きるだけが人生じゃない」と身をもって感じていきましたね。

動画編集者になり再び蘇った0から1を作る楽しさ

ー動画編集に携わるようになった経緯や転期に関してお伺いできますか?

1年ほど前に東京の仕事が落ち着いて大阪に戻ってきたタイミングで、以前新しい道を示してくれた方が動画を配信するからと、お仕事を引き受けたのが経緯です。

しかし当時は動画編集に必要なスキルや経験は一切なく、0からのスタートでした。5分程度の動画を作るのに1日かかったりと、手探り状態でいろいろ試していた記憶があります。

毎日1本以上動画を作ってみようと、ソフトを触って研究しました。どうやったら効率良く作業できるのか、この作業は短縮できないか、など探りながらやっていましたね。

ー泥臭い作業がが苦手な人も多いと思いますが、佃さんの場合はできてしまうんですね。

僕は目標があれば向き合えると思います。動画編集を習得するのは大変でしたが、昔ゲーム作った時の0の状態から作りたげた感覚が蘇ってきました。「楽しい!」となり始めてからは、どんどん学ぶのが楽しいと感じてきて、それに比例して技術も磨かれていきました。

ー佃さんが盛り上がるのは、何もない状態から何かが立ち上がった瞬間なんですね。

0から1にする面白さは改めて感じます。最初は苦痛を伴いますが、完成した時の達成感や燃え尽きた感を味わいたいから作っているんだと思います。

ーもっと人生を楽しみたい方にメッセージをお願いします!

これから人生を変えるために大事になってくるのは、今までやらなかったことや避けてきたことに挑戦することです。

僕だったら、髪型、ファッション、洋画、音楽で今までと違うものを取り入れてみたりなど、些細なことでも変えていけば人生の楽しみ方が変わると思います。

実在する人の映画や洋画を見ていると、違う人生を歩んでいる人の一生見れたり半世を見れたりします。その人の考え方や行動や生き方を自分の人生に取り入れることができたり、見ているだけでも学べたりするので、個人的には映画も人生を変えるためにもおすすめめします。

ーありがとうございました!佃さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:山崎貴大(Twitter
執筆:長谷川瑞季(Twitter)