「おもんないならやめる。おもろいなら脳汁が出るまでやる」zFilms CEO浅尾尭洋の生き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第356回目となる今回は、zFilms株式会社のCEO兼ソフトバンクの社内ベンチャープロジェクトEsports大会プラットフォームの『GGmates』に現在100%出向するなど、新しい働き方に挑戦されている浅尾尭洋さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

浅尾さんの判断軸は「面白いかどうか」。

非常にシンプルですが、その判断軸によって確実に自分の人生を楽しみ、前に進んでいく様子をぜひご覧いただきたいです。

少年漫画の主人公が現代社会に現れたような、潔い生き方を、ぜひ味わってみてください。

熱中するものがなく、何をやっても続かなかった中高時代

ー本日はよろしくお願いします!現在のお仕事やこれまでの活動について教えてください。

よろしくお願いします!映像制作会社である<zFilms株式会社の<CEOと、本業ではソフトバンクでも働いていまして、社内ベンチャープロジェクトEsports大会プラットフォームの『GGmates』というものを作っています。

ー映像制作会社ということですが、具体的にはどんな映像を作っているのですか?

最近で言うと、IVSというスタートアップのピッチコンテストの映像や、プロゲーミングチームのドキュメンタリーや、スポーツチームのプロモーションビデオを手がけました。

ー多岐に渡る活躍ぶりですね!本業のソフトバンクで携わっているEsportsプラットホームとはどのようなものですか?

プロゲーマーってオンラインゲームをやっている方も多く、強い人たちとチームを組んで自分たちで大会などを開催したりしているんですが、そのすべての運用をTwitter ベースでやっています。

ゲームの大会はルール作りや告知はもちろんのこと、トーナメント表の制作や、当日の運営では何十人何百人の質問に答え、賞金は自分で負担。そんな主催者泣かせのゲーム大会主催をすこしでも楽にしようとしているのがこのサービスです。

ーどんな経歴から今のキャリアに至ったのか、気になりますね。まずは学生時代からお話を聞かせて下さい。部活を四つほどやって続かなかったとありますが・・・

ロボット研究会に入りたくてとある私立の中高一貫校に入学したのですが、周りの人がいわゆるオタクでして。今となっては自分も変わらないんですけれど(笑)、その当時はついていけない!と思い、3日で辞めてしまいました。熱意が違うというか、あまりに自分の見てきた世界と違っていたんです。そのためにその学校に入ったのに(笑)ショックというよりは、シンプルに思ったのと違ったというのが率直な気持ちでした。

その後、テニス・ハンドボール等々に入部しました。理由は単純で、その時に一番仲いい奴がいたからでした。でも、長期休暇の度に面倒になって辞めていました。その当時、一番熱中していたのはゲームです。5000時間くらいやっていましたね。

ーそれは凄い!部活よりもゲームだったんですね。

その当時Esportsがあれば人生変わっていたと思います。当時は、プロゲーマーも存在すらなかったので、職業として考える可能性はなかったですね。

ー高校卒業後、大学はどうやって選んだんですか?

京都の進学校で理系だったので、京大の工学部を目指す友達が多く、仲が良い友人が行きたいといっていたから物理工学科を目指しました。当時はやりたいことがなかったので、つぶしがきく学問だと思ったことも決め手でした。

ヨット部での仲間との出会いが人生観を変える

ー大学入学したことで、ヨット部と出会うんですよね?

入学当時は新歓を熱心にやっていたアメフト部に興味があったのですが、ある日別の大学に進学した友人がヨット部に入ったときいて、そんな選択肢があるんや!と衝撃を受けました。これはおもろいなと思って、すぐに新歓チラシにあったヨット部の連絡先に電話したんです。天啓が下りてきた!みたいな気持ちになって、絶対ヨット部に入ると決めました。全くヨットのこと知らなかったんですけど(笑)

次の日、実際にヨットに乗ってみたのですが、その日無風だったんです。ヨットは風がないと全く動かないスポーツなので、初めてのヨットの体験は、動かず水にただ浮かんでいるだけでした。きっと先輩方も全員、僕は入部しないだろうなと思われたと思います。でも、もう入部するって決めてたので、その日のうちに申し込みました。

ー天啓って…!それだけ直感的にビビッとくるものがあったのですね。

ヨットにしたのは友人からの情報と直感だけですね。中高時代に部活が全く続かなかったので、もうここで続かなかったら…と思っていました。比較するわけじゃないですが、周りの友人は部活を頑張っているのに、自分は何も熱中できず、やりがいを感じられず、続かない…。後ろ向きな気持ちが強くありましたね。その気持ちが原動力になっていました。

ーヨットの醍醐味は何ですか?

大学ヨットは団体戦で、各大学代表3組を選んで、その順位の合計点数を競うのがルールです。他大学も含めてレースでは70ものヨットが競うので、同じフィールドにいると、ぶつかったりコースを取り合ったりトラブルが起きます。どのタイミングでどう動くべきか、その都度戦略を練り、ベストを尽くすのが醍醐味です。

メンバーで一丸となって目標に向けて取り組み、ヨットが速く進むように必要な知恵を出し合ったりするのがワクワクしました。

ーそれがハマった要素だったのですね。

いや、最初は意地ですね。辞めちゃダメだと。(笑)ヨットが面白くなったのは3回生くらいで、2回生までは仲のいい仲間に囲まれていたことがモチベーションでした。大学は高校と違って学部が違うので、ヨット部を辞めたら仲間と会う機会が減ってしまうのが嫌だったんです。それくらい、彼らとのコミュニケーションできる場は大切でした。

2回生以降は、初めて後輩ができたのも新鮮でした。今までの部活はすぐに辞めていたので、実質初めての後輩で。自分が新歓で勧誘して入ってくれた子が活躍しているのを見ると嬉しい気持ちになりました。

ー仲間がいたからこそだったんですね。ヨット部引退後は、4年生で就活を迎えます。そのあと、留年されたとありますが、そのあと就活をされたのでしょうか?

理系だったので大半が大学院に進みますが、自分はもう研究したくないなと思ったんです。そのときは人気な企業ランキングで見て、商社や電通などを受けたんですけど、全落ちしたんですよね(笑)

幸い、銀行は内定をいただいたのですが、留年し再度きちんと就活をしようと思いました。

ー留年中に、スキルシェアサービスをされていたんですね?

留年が決まってもショックを受けることもなく、もっと勉強していろいろやってやろう!と思っていました(笑)きっかけは、ヨット部ももっとお金を稼げるようにしたいなと思ったんです。平日はあまり練習していないので、平日の時間にヨットスクールをすれば稼げるんじゃないかと考えました。軽音のやつがギター教えたらいいだろう、みたいな感じで考えていました。

ー就職するまでの半年間、シェアハウスもされていたとのことですが‥浅尾さんの声かけだったのですか?

大学最後の半年間を下宿したいと思い、部活の三つ下の後輩と、中学からの同級生に声をかけて実施しました。自分たちは半年で卒業してしまうので、継続して住んでもらえるように後輩を巻き込みました(笑) その子のお父さんに連帯保証人になってもらったんです。

ーシェアハウスでの日々はいかがでしたか?

気心知れた仲間の存在と、彼らと集まれるクラスルームみたいなコミュニティ・居場所を大事にしていたので、めちゃくちゃ楽しかったです。ただ、時間が溶けていきましたね(笑)

毎日友達と映画みてました。バイオハザードを一日で一気に見たりとか、ヨット部の後輩は30人くらい一気に呼んで騒いだりとか、近隣の方にはご迷惑をおかけしたと思います。

実はそのシェアハウスはまだヨット部の後輩たちに引き継がれているようで、他にも2軒できているようで、ヨット部みんないっしょに住みたいんですね(笑)

ー2度目の就活で、ソフトバンクに就職されたのですか?

2周目の就活ではじめてベンチャーという言葉を知って、はじめてUberとかAirbnbていう企業の名前を聞きました。「空いてる空間つかって金稼ぐなんて天才やん!企業価値もあの天下のパナソニックを超えているのか!これはベンチャーや!」と衝撃が走りました。

一方で、1兆を超えるようなグローバル規模のベンチャー企業は存在しないと気づき、ベンチャースピリットの残る大きな企業、リクルートや楽天を見るようになりました。その時に、ソフトバンクアカデミア公開講義「意思決定の極意」で、孫さんの動画を見たことが転機になったんです。経営判断30選という内容だったのですが、この孫さんという人は常軌を逸していると感じて、直感的にソフトバンクに入ろうと決めました。

仲間との場づくりを目指して会社を立ち上げる

ー就職して、最初から今の部署だったのですか?

入社当時は、コミュニケーション本部というCM制作やWebマーケティングをやっている部署に配属されました。その後、社内のベンチャー公募制度のテーマでEsportsがあったので、手を上げて20%出向という形でEsportsに携わっていました。今年100%出向になっています。

>事業を作ることに携わりたいと考えていて、面接の時から「いずれ起業して会社を大きくするために貴社に入ります!」ということは受けた全企業に伝えていました。今思えば偉そうな就活生でしたが、ソフトバンクには拾っていただけたんですよね。ありがたいです。

Esportsの切り口は、早い段階から目をつけてらっしゃったんですか?

はい。中高生の時からEsportsが海外で盛り上がっていることは知っていましたし、2018年がEsports元年といわれているのですが、それ以前に提案もしていました。

Esportsの面白い点、難しい点を教えてください。

大変な面は資金調達です。Esports業界全体がスポンサーモデルなので資金が回らない。広告以上の価値を出してスポンサーメリットを出せるのか、という点が課題になっています。面白いところは、ゲームが好きな人、業界自体が大好きな人が多い点です。立ち上がり時期だからこそほかの業界にはないことだと感じます。

ご自身で映像制作会社を立ち上げたのはどういう経緯だったのですか?

もともと、ヨット部時代にプロモーションビデオを作っていて、簡単なスキルは持っていたんです。卒業後は後輩に引き継ぎ、彼も創り続けてくれていました。

入社3年目のときに「日本かくれんぼ協会」の人と出会い、そのプロモーションビデオを作ることになり、後輩とともに協業したのがきっかけです。今までは撮影・編集などすべての作業を自分一人でやっていましたが、仲間と一緒に創り上げるのが楽しくて、もっと面白い動画を一緒に創っていきたいなと意気投合しました。会社にしたほうが面白い案件が得られると考え、その後輩と共同で会社を立ち上げました。今は8人のメンバーがいます。

ー本業に加えて、起業は相当大変だったと思います。どんな想いが原動力になっていたのですか?

自分にとって仲間の存在が大切なんです。会社を作っているのも、ヨット部みたいな組織、楽しい場所を創りたいというのが原動力です。

みんなで一つの目標をめがけてやっていくのが面白いので、ヨット部の時以上に面白い環境を作りたいと思っています。映像は手段であって、場を作るのが一番の目的ですね。実はみんなでお金を募ってシェアオフィスなども創ったんです。資金が尽きたりコロナがあって今は撤退したのですが、集まれる場を創ることにこだわりを持っています。

ーやりたいと思ったことを、どんどん実践されていくんですね。

やってみないとわからないです。考えるだけだと面白くなくて、やってみないと面白くなくて。やってみておもろいならやったらええし、おもんなかったら辞めたらいいと思っています。だから継続しないことが自身の課題なんですけど(笑)映像は、ようやく続けられそうだと思えたんです。

ー働き方については、今後をどのように考えていらっしゃいますか?

今後は完全に映像一本にしていきたいと思っています。ソフトバンクに居続けているのは、自分でアイディアを出してやり始めていて、事業が転換期を迎えていて、もっとコミットして責任をもってやり切るべきフェーズだからです。区切りがついたタイミングで映像会社に一本化していきます。

ー映像会社に関しては、今後をどういった点に注力していく予定ですか?

個人としては脳をじゅわっとさせたいんです。例えば、ヨットとかスポーツをやっているとめちゃくちゃ脳汁が出てくるんですよね。そこを超える体験を社会の中でいかに創れるか。

それは、新しいことをやりまくらないといけないと思っているので、面白い映像表現を突き詰めていきたいと考えています。映像するなら本場のハリウッドに行きたかったのですが、コロナもあっていけなそうなので、上場を目標に会社を大きくすることを当面の目標にしています。

映像事業だけでも上場は狙えると思うので、最短ルートを目指しています。でっかくなって世界と戦えないと脳汁が出ないと思うんですよね。勝った負けたよりも、その過程を常に一番面白くできるように考えながらやっています。

ー過程を常に面白くし続けるって、素晴らしいですね。

一回すごい体験をすると満足できなくなると思うんですよね。だから、もっと高いレベルを求めて脳汁が出る状況を求め続ける人生になるんだと思います。自分で自分の人生に機会を与えていきたいんです。昔の方が楽しかった、という自分が一番嫌なんで。

やっぱりソフトバンクの孫さんとかって、永遠に脳汁が出ているんだろうなと思うんですよね。そういう道っておもしろそうやなと。自分もそうありたいです。

ー映像会社を創設したあとで、脳汁が出たという瞬間を教えてください!

冒頭でお話したスタートアップ起業のピッチコンテストの映像制作の時ですね。ライブ配信をしたのですが、ミスができない分緊張感があります。本番4日間、毎日夜中3時まで起きてやり切って、イベントの最高潮が決まった瞬間、脳内がパーティーするんですよ。この瞬間のためにありますよね、仕事って。最終的には、日本にハリウッド作れたらいいなと思っています。

ー本日はありがとうございました!浅尾さんのさらなる挑戦を応援しています!

取材者:山崎貴大(Twitter
編集者:杉山大樹(Facebook / note
執筆者:たけだみき
デザイン:五十嵐有沙(Twitter