執念でコンプレックスを克服!?ブランドマネージャー平野哲夢の描くペットと共に生きる世界

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第355回目となる今回は、25Holdings日本支社でブランドマネージャーを務める平野哲夢(さとむ)さんをゲストにお迎えし、現在に至るまでの経緯を伺いました。

かつての友人の言葉をきっかけで、学歴コンプレックスに悩まされていたという平野さん。ですが、大学時代に出会ったある人の影響で、社長を目指すように。その後、新卒入社1ヶ月目のMVP獲得に始まり、多くの社長を追いかけるようにキャリアを積まれます。現在は、社長という職を選ばず、ペットEC事業のブランドマネージャーとして活躍中、というU-29にふさわしい多彩なキャリアを辿ってみました。

ー自己紹介をお願いします!

25Holdingsでブランドマネージャーをしています、平野哲夢(さとむ)です。
勤めているのは、「perromart」というペットフードやグッズを販売しているECサイトを運営するシンガポールの企業です。僕自身は、約1年前から参画しています。

日本支社では、日本版perromartの運営をしており、このサイトでは自社ブランド(ペットグッズ、ドッグフード、キャットフードの3つ)の商品のみを販売しています。
ブランドマネージャーとしてブランドを育てながら、市場における認知度を高めていく活動をしています。

 

ー自社ブランドだけの販売となると、それこそ会社の根幹を握っているようなイメージですよね!
ブランドマネージャーとはどのようなことをされているんでしょうか?

EC事業の責任者として、売上を上げていくことがミッションになっています。
ですが、ただ数字を追うだけではなく、会社のバリューに沿った販売という軸を守りながら、並行してブランドの認知を広げる取り組みも行う、という動き方をしています。

具体的には、広告・SNS運用、新商品の販売企画、商品の輸入作業の監督までやっています。仕入れから販売、ファン育成まで、包括的に関わっています。

 

ー本当に色々なことをされているんですね!!
今の会社は4社目(!)とのことですが、なぜこの事業に関わろうと思ったのですか?

実は、海外もペットも苦手だったんです(笑)その二つに対するイメージが大きく変わった出来事がありました。

少年時代にイギリスに住んでいたのですが、あまり良い思い出がなかったんです。それが、社会人になって海外出張でアメリカに訪れた時に、ガラッと印象が変わりました。テクノロジーや価値観、文化が、閉鎖的な日本と異なり先進的に感じたからです。
もう一つは、彼女の実家を訪れたことでした。犬を3匹飼っているのですが、家に着いた時は触るのも厳しいくらいだったのが、徐々に可愛く思えるようになってきて。気付いた時には、ペットが大の苦手から大好きになっていたんです。

この二つの経験から、海外とペット市場に強い関心を持っていたところ、今の25Holdingsに出会いました。

日本は「ペット後進国」と言われ、海外に比べてペットに対する価値観がまだまだ薄いんです。
元々苦手だった自分が携わることで、ペットを取り巻く環境を変化させられると感じたので、現在の仕事に従事しています。

 

ー苦手から好きになった二つのことで活動されているんですね…!
既に驚きばかりですが、平野さんの過去についてもお伺いしていきたいと思います!

 

 

イギリス生活、友人の言葉からコンプレックスの塊に

バスケに打ち込んでいた幼少期

ーイギリスで生活されていたとのことですが、いつ頃のことだったんでしょうか?

小学校6年から中学卒業までをイギリスで過ごしました。
それまでは外交的で、人見知りをしない子でした。バスケをやっていたこともあり、とにかく活発でしたね。

 

ーそんな少年が、渡英を通じて内気になってしまったと。

転校先では、石を投げられたり、先生に皆の前でからかわれたり、といったことを多く経験しました。日本人がその地域にあまりおらず、物珍しさからもいじめられてしまって。当時は英語も得意ではなかったため、言語の壁も感じてどんどん塞ぎ込んでいきました。
日本にいる友人から、彼らがバスケで全国大会に出場した話などを聞くと、ますます孤独を感じるようになりました。

そんな状況から脱するため、高校進学と同時に一人で帰国しました。

 

ー日本に帰国されてからの心境はどうでしたか?

入学した学校には優しい子が多く、日本はやはり良い国だと感じましたね。
帰国の条件だったため、猛勉強して偏差値の高い学校に入学したのですが、入ってから楽しい学生生活を取り戻すべくたくさん遊んでしまいました。その結果、大学受験は失敗し、たまたま受かった大学に流れるように進学しました。

 

ー大学ではどのような生活をされたんですか?

実は、この頃に今後の人生を大きく左右する出来事が起こります。
高校が進学校だったので、当時の同級生は皆、有名な大学に行っていたんです。入学する頃になって、自分の進学先を打ち明けると、友人からは「お前、負け組だな」という言葉が。

 

ー負け組だなんて、ひどい…。

その頃から、長く学歴コンプレックスに悩まされるようになりました。

一方で、「どうせなら良い大学に行った彼らが見れない世界を見てやろう」と思い立ち、高級飲食店のアルバイトを始めました。

 

ー反骨精神から特殊なアルバイトを始めたんですね…!

何年か働いて、このままこの世界に残り続けるのかなと思っていた時に、ある若手経営者の方と仲良くなりました。
その方はバイト先の常連さんだったのですが、遊び方がとても派手な方だったんです。来てもらううちに仲良くなり、その方の仕事について聞く機会がありました。すると、彼は良い大学を出ておらず、新卒で入った会社も泥臭い飛び込み営業だったが、自分で会社を立ち上げ、今は守るべき部下もいるんだ、と話してくれました。

当時、コンプレックスの塊だった自分には、学歴がないところから一社長として地位を築き上げているその方がとても眩しく映りました。会社をやるのは楽しい、と誇らしげに語る彼の目を忘れられず、その時から、漠然と社長になる夢を抱くようになりました。

 

 

社長のキャリアを分析し遂行。入社1ヶ月目でMVP

メイド喫茶でのアルバイト時代

ーその後、夢に向かって何か行動を起こされたんでしょうか?

社長になるということは当時は漠然としか考えていなかったのですが、当時流行し始めていたメイド喫茶で働き始めました。

 

ーアルバイト先を変えられたんですね!何か理由があったのでしょうか?

それまでのアルバイト経験から、女性が仕事を通して輝いていくストーリーが好きだという自覚がありました。
勤務先に新入りとして入ってきた時は、身なりや仕草がパッとしなかった女性が、数字を達成することで自信をつけたり、多くのファンがついたりする中で、どんどん美しくなっていくんです。半年後には、別人のようになっている、というその変化を眺めるのが好きでした。

また、そのようなストーリーを側で眺めたい、お手伝いがしたいという思いから、メイド喫茶でのアルバイトを始めました。

 

ーメイド喫茶ではどのような仕事をされていたんですか?

そこはメイド喫茶にしてはとてもベンチャースピリットの強く、正社員・アルバイト問わず、店の皆で数字を追うことが推奨されていました。

その頃の自分は、社会人は学歴で区分されており、営業成績よりも人脈でのし上がっていくものとばかり思っていました。ですが、実力で上がっていける仕組みが世の中にあると初めて知ったんです。
「この仕組みの中でなら、自分のコンプレックスを克服できるかもしれない」と感じ、就職先はベンチャー企業に決めました。

 

ー自分に合っている働き方を見つけられたんですね!新卒で入社した先はベンチャー企業だったんですか?

はい、NHKの受信料契約を受託する企業に入社しました。
入社1ヶ月目でMVPを獲り、当時の社内レコードを塗り替えました。

 

ー入社1ヶ月目でレコード更新とは…!入社して1ヶ月目なんて、仕事を覚えるだけでも大変だったのでは…?

大変でしたが、MVPを獲ってレコードを塗り替える以外の選択肢がなかったんです。その理由は、社会人になる目前で作った、社長の経歴リストでした。

社長になる夢を実現するべく、学歴は世間的には良くなくても社長になった人を、大体150人程度調べ通して、経歴を分析したんです。すると、1社目でMVPを獲り社内のレコードを塗り替え、2社目に人材系企業、3社目のIT企業で新規事業を手がける、という一連の流れが。そのキャリアを忠実に歩んでいこうと決心し、1社目での業績をまずクリアしました。

 

ーすごい執念と実行力…!!
ということは2、3社目は人材企業とIT企業に行かれたんですか…?

そうです(笑)自分のキャリアを振り返って成長できたと感じるのは、3社目のIT企業での経験ですね。
入社した企業では買収したての子会社に出向して、事業成長担当として入社しました。その傍ら、新規事業の立ち上げも経験させてもらいました。

 

ーとても幅広い経験をされたのだろうなと思いますが、特に成長できたと感じるのはどんなところですか?

幅広い分野でマルチタスクをこなせたというところですね。
最初は、買収した事業のグロース担当として、人材営業をやっていたのですが、あまり数字が伸びず、一緒にやっていた営業メンバーが5人からどんどん減り、最終的に1人で行うことになりました。
また、求職者が見つけづらいという課題を解決するために、リファラルサービスを新規事業として立ち上げました。この事業責任者が自分だけだったので、既存事業と並行で、立ち上げから運用までを行わなければいけませんでした。

その結果、人材紹介業/サービスのユーザー獲得/新規事業の開発・ディレクション、という3つの軸で働くという経験ができました。自分のキャパが大きく広がった時期でしたね。
また、それまで営業畑のキャリアを歩んでいたので、事業の成長に携わる楽しさも知ることができました。

 

 

コンプレックスを抱える人に寄り添いたい

25Holdingsにて

ー貴重な環境だったということが、とても良く伝わってきますね…!
今勤められている25Holdingsは4社目とのことですが、どのような経緯で入社を決められたんでしょうか?

25Holdingsに入社する直前は、起業するかしないかで悩んでいました。
というのも、大学時代に作った社長リストの経歴パターンでは、「30歳で起業」になっていたからです。

それまではコンプレックスの裏返しで社長になりたいと思っていました。ですが、起業は解決したい何かを持っていて、それを遂行したい人がするもので、自分にはその目的がないと薄々感じていました。
加えて、これまで想定していたキャリアを遂行できたことで、自分の中のコンプレックスも薄れてきていることに気付いたんです。そのことにはっきりと気付かされたのが、今の会社の面接でした。「君は胸を張っていい」と言ってもらえ、それまでの自分が救われるような心地がしました。

ペット後進国である日本において、「ペットの家族化」に本気で向き合いたいという社の思いに共感し、一企業のゼロイチからのスタートに関われることにも魅力を感じたため、入社を決めました。

 

ーそれまで描いてきた道ではなく、新たな選択肢に進むことにされたんですね。
今のお仕事であるブランドマネージャーという役割において、やりがいや難しさはどんなところですか?

ブランドとしての信頼獲得が僕の使命ですが、日々難しさを感じています。
当社の商品は、海外ブランドというだけで疑われることが多いんです。でも、どんな材料を使っているかなどを詳しく知ってもらえると、安全なものだと分かっていただけるんです。この認識の転換を起こすのが、本当に難しいです。
ですが、これは同時にこの職業の楽しさでもあります。SNSでのペットペアレント(飼い主)の方々の声を目にした時は、嬉しさもひとしおです。

 

ーコンプレックスの克服により、起業の必要性がなくなったとのことでしたが、コンプレックスの克服に必要なことって何だと思われますか?

僕にとっての克服理由は、自分で定めたロードマップを達成できたということでした。
自分のコンプレックスが何に起因するのかを見極め、それに打ち勝つにはどのようなことをすれば良いのか考え、課題を設定しました。自分に課したことを成し遂げられるだけでも、達成感から内面に変化が感じられるのではないでしょうか。

 

ー最後に、平野さんの今後のビジョンについても教えてください!

コンプレックスを抱えている人を助けられる人になりたいです。まだ具体的ではないですが、必要であれば、そのためのサービス作成も視野に入れています。
自分が過去苦しんできたように、コンプレックスのせいで後ろ向きな人生を送っている人を、一人でも多く救えるような存在でい続けたいなと思います。

 

ー平野さんの人生そのものによって、勇気付けられる人は多いのではと思います!
素敵なお話ありがとうございました!!

 

取材・執筆:中原瑞彩
デザイン:五十嵐有沙(Twitter