新規事業立ち上げのプロ!メルカリPM/副業家ヨシタカギが起業と挫折を経て得たものとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。333回目のゲストは、株式会社メルカリにてプロダクトマネージャーとして活躍しつつも、5社の副業をかけもつ”副業家”ヨシタカギこと高城良岳(たかぎ・よしたか)さんです!

現在はメルカリにて正社員として勤務されている高城さんですが、実は学生時代に数多くのプロジェクト立ち上げや起業を経験し、就職前に会社を経営されていたというユニークな経歴の持ち主。

そんな高城さんのこれまでの人生に何があったのか、そして現在どのようなキャリアを歩まれているのか…29年間の人生に迫ります。

目の前で困っている人を救いたかった!福岡で大学在学中に起業

起業家時代、運営していたコワーキングスペース「天神仕事基地」にて

ーまず過去についてお聞きしたいのですが、どのような子供時代を過ごされましたか?

生まれも育ちも福岡で、起業して東京進出するまでずっと福岡で暮らしていました。幼少期は室内で遊ぶゲームよりも外で遊ぶのが好きで、特にサッカーに夢中でした。

好奇心旺盛で疑問や知りたいことがあると、父に「これってどういう意味?」と何度も聞いていた気がします。尋ねるとちゃんと回答してくれ、「なんで?どうして?」という問いかけにも受け答えしてくれる父でした。母は「〜しなさい」などは言わず、僕の人生なのだからとやりたいことを応援してくれる人だと思います。

ー素敵なご家族ですね。起業された背景には、ご家族も影響しているのでしょうか?

僕が高校生になり将来を考えた際に、一番身近で尊敬できる存在・ロールモデルだったのが父でした。そのため自然と、父と同じ経営者を志すようになりました。

ただ、家族には起業や経営者になるという話は細かくしておらず、経営や起業する上で必要なことが学べる学部や進学先を自分で選びました。僕が経営者になったのを家族が知ったのは、実際に起業するタイミングだと思います。

ー学生で起業する!と聞いた際に、ご両親は驚かれたのでは?

家族からは反対されることなく、自然に受け入れられていたと思います。特に母は「最後は自分の人生なんだから自分で決めなさい」と、自分の意志でキャリアが選べるような育て方をしてくれていたので、家族からもすんなり受け入れられたのかなと思います。

現在も家族は全員福岡にいるので、僕だけ東京にいるのですが、たまに”バーチャル帰省”といってオンラインでつなぎ、2〜3時間顔をみて話すほど仲が良いです!

ー起業した大学時代は、どのようなキャンパスライフを過ごしていましたか?

福岡にある西南学院大学へ入学した頃は、Twitterではなくmixiが全盛期でした。大学の先輩からmixi経由でインカレサークルに誘われ、学校外の友人も多かったです。

当時の福岡では、東京ほど様々な大学から人が集まるインカレサークルが無かったため、特殊な存在に所属していたと言えるかもしれません。そのサークルで様々な大学の方と交流を持っていました。

サークルは働きかけのベクトルが内側に向くコミュニティなので、自分たちが楽しめる状態になっていれば良いとされます。反対に、そのエネルギーを外に向けたらどうなるんだろう?と考えたのが学生団体立ち上げのキッカケでした。

インカレサークルのように学生が大学や学部・学年などの枠を超えて集うような、学生団体を立ち上げてみたのです。そこから数え切れないほどの様々な企画・イベントを開催したり運営したりしました!

ーこれまでに立ち上げた中で、印象的なものはありますか?

最初に立ち上げた企画で印象に残っているのは、Pajacolle in HAKATA。ミスコン出場者などが出場するパジャマのファッションショーを博多でもやろう!と、東京の友人が福岡に持ち込んでくれた企画で、すごく印象に残っています。

その他にも福岡を拠点とし、福岡の学生と採用を行っている企業側を近づけるためのコワーキングスペース「天神仕事基地」を立ち上げました。発足のキッカケは、福岡の学生の「社会との関わり方」に対して問題意識を覚えたことでした。

高学歴社会が良しとされる社会や、積極性のない就活生たちを変えたい。「日本の教育と就活システムを変えるんだ!」というビジョンを持って立ち上げました。天神仕事基地は、法人化するしかない!と感じ、後に法人化しました。

▼当時の取材記事はこちら

 

マネタイズできない事業を”おもちゃ”扱いされ、挫折を味わう

スーツケース1つで福岡から上京。

ー多数の企画やプロジェクトを立ち上げる根底にあったモチベーションは何だったのでしょうか?

これまで手掛けたプロジェクトやサービスはたくさんありますが、常に”目の前の困っている人の課題解決を助けたい!”という想いから立ち上げてきました。

毎日が怒涛の日々で、楽しいという感情を感じているほどの余裕もなく必死でした。とにかくやってみよう!という気持ちで行動できたのは大きな財産になっています。

もし、僕が福岡ではなく東京で就活していたら、身近な起業家やスタートアップの経営者に経験談などをヒアリングしただろうし、先輩方を参考にしながら進めたでしょう。ですが、福岡には聞く機会も相手も多くなければ、そんなの聞いている時間も当時はありませんでした。

経営周り・お金の部分は分からないことも多く、周囲に迷惑をかけてしまった部分もたくさんありますが、”充実していた”という言葉が一番合っているように感じます。

ー起業後は順調でしたか?

身近にいた美容師の知り合いが、美容師の仕事や美容業界の仕組みに悩んでいることを知り、その課題を解決しようと「FLAP」という美容師向けのサービスをローンチしていました。

ヘアサロンという”場所”ではなく、美容師という”人”ありきで、自分にあったサロンを選べるというサービスです。サービスリリース後は数多くのメディアにも取り上げられたり、たくさんの方に事前登録頂いていたので順調な滑り出しでした。

右も左も分からない状態で起業したので、毎日が初めてのことだらけ、発見の連続でした。最終的に起業家は一度引退していますが、人生を振り返ったときに「あのときはすごく良かったな」と思えるほど、非常に濃い期間でした。

ーそんな順調なスタートから、事業撤退に至るまでに何があったのでしょうか?

会社を経営しているとき、何人かでサンフランシスコへ視察に行きました。その時、現地のベンチャーキャピタリスト(投資家)に言われた一言が強烈で、事業を続けるか悩み出しました。

キャピタリスト曰く、「お金を生んでいないサービスは事業じゃない、おもちゃだ」と。

当時の日本のサービスは、TwitterやFacebookのようにマネタイズは後から考えて、まずはユーザーやトラフィックを増やすという考え方が多いように見受けられました。しかし、サンフランシスコではもうそれは時代遅れのやり方でした。ユーザーが少ないうちからマネタイズし、そのままグロースさせていくやり方が主流だったのです。

正論だと思いますが、自分たちの大切なサービスが「おもちゃ」と言われたショックが大きかったのを覚えています。また、そこで初めてお金の重要さをちゃんと意識した瞬間になりました。

ーなるほど…。マネタイズの面で苦労されたんですね。

僕の場合、何かの課題を解決するサービスを立ち上げることはできても、マネタイズは意識してこなかったので、”お金を稼ぐ”という感覚が分からなかったんです。

サービスを撤退するフローだったり、新規サービスの立ち上げを経験しましたが、お金を意識するほどビジネスの難しさを感じました。仕組み化されたキャッシュの生み方を学ばなくては…と思いました。

結局、事業を撤退して法人を精算したのですが、お金を稼ぐことへの答えが出ずにそうなってしまいました。サービスを通じて、いつ・どのタイミングでお金を生み出せるか?どの程度の規模まで行くと黒字化するのかが分からないままでした。

ーそれはこれまでの人生において、辛い時期だったのでは?

世の中にはもっと辛い経験をした人もいたと思いますが、その時は「この世界で自分が一番不幸だ…」という悲劇のヒロインみたいな感覚でした。

僕の会社には役員が自分以外におらず、経営者として相談相手もビジネスパートナーにも頼れず、自分だけで問題を抱え込み、悩んでしまった環境も良くなかったかもしれません。

また、事業をピボットしながら続けてきた中で、仲間が離れていくことも経験しました。人を採用することに対して、責任の大きさや重さを感じていませんでした。ここは未熟だったと反省しています。

ただ人生において、この経験ができたのは非常にプラスだと感じています。結果的に失敗はしてしまったけれど、現在の経験も踏まえ、いつか次に活かせたら…と思っています。

 

起業家引退・就職・結婚…29歳になって考える「生きる意味」とは

結婚式での高城さん

ーここまで怒涛の20代だったと思いますが、就職した経緯を教えて下さい!

起業と事業撤退の経験から、ちゃんとキャッシュを作れるような仕事をしようと決意しました。とはいえ、自分でまた0からやるには時間がかかりそうだったこともあり、就職しようと思い立ったのです。

優秀なビジネスモデルを作って仕組み化している企業や、新規事業をたくさん生み出している企業でなら、分からなかったものが掴めるのではないか…という期待をしていました。

ー最初の就職先から、メルカリへ転職したキッカケは?

最初の株式会社サイバー・バズに入ったキッカケは、経営者としてなし得なかった「事業の黒字化・収益の立て方を学びたい!」という軸でした。

所属期間は1年半という短期間ではありましたが、新規事業の立ち上げなどを2〜3個やらせていただき、ビジネスとの仕組みは理解できたと思います!

アプリやサービスを0から作る人から、既にあるサービスのプロダクトをマネジメント&プロデュースし、より良いプロダクトが作れる人間になりたい…という思いで、当時上場目前で勢いがあり、かつ知人もいて縁を感じた株式会社メルカリへと転職を決めました。

ー就職と転職を経験し、働き方や考え方に変化はありましたか?

変わった部分は、3つあります。

まず、起業家時代は目の前の誰かを助けたいという思いがただ強かったのですが、その目線だけだと事業のスケールが課題になってしまいました。今では、課題解決を目標にする際に、市場規模やスケールも非常に考えて行動するようになりました。

また、インターネットの分野で何か課題解決をしたいという思いがあったのですが、現在はインターネットも手段の1つとして捉え、枠にしばられず幅広い手段を考えています。

最後に、”誰とやるのか”という仲間選びにはこだわりが出てきました。起業した時は分からなかったのに、20代を過ごしてきて最終的に1番重要だと考えるようになりました。

ー私生活では、20代はどのような変化がありましたか?

福岡で起業後は事業拡大に伴い上京し、その中で事業譲渡・撤退もしたり、就職・転職しつつも結婚もしました!

結婚相手は、会社を経営していた際に出会いました。事業がうまく行かず、僕が最もしんどい時の姿も見ている方です。僕は人に甘えるのが苦手で、本当は弱っているところを見せたくもなかったんです。ただ、隠す余裕も正直なかった時代を知っている人でした。

結婚をして、自分だけの人生だったのが、誰かのための人生になりました。福岡から東京に出てきたり、サンフランシスコにいったり、自分の思いつきや感情で動くこともありましたが、結婚後にそれをやってしまうのは違うと感じています。

自分のために生きるより、誰かを幸せにしたい。誰かの記憶に残る人生にしたいと思えるようになったのが25歳の頃でした。それが僕にとっては幸せだし、生きるエネルギーやモチベーションになっています。

ー今後挑戦してみたいことは?

サイバー・バズとメルカリで働いてきた3〜4年は、プロダクトマネジメント力や事業づくりのスキルは非常にインプットできたため、今後は自分から世の中に対してアウトプットの打席数を増やしていきたいです。

プロダクトマネジメントは、突き詰めれば突き詰めるほど底がない仕事ですので、今後も様々なことに挑戦できたら嬉しいです。

また、”副業家”とあるように本業とは別に現在は5社で副業をしています。メルカリは成果を出していれば働き方や時間の使い方は自由に任せてくれる企業文化なのです。本業と副業を両立しながら、今後僕自身もやりたいこと・挑戦したいことを見つけたいです。

ー最後に、高城さんのように起業したい人にメッセージをお願いします!

僕は、起業したいならすれば良いのではないかと思います。ただ、起業はあくまでも手段の1つでしかないことは忘れないで下さい。小さくても良いので、解決したい社会課題があるなら、信念に従って起業してみることをオススメします。

そして、3年でも5年でも10年でも「自分の人生をこれのために費やしたい!」と、本気で思えるものを見つけるための努力をして見て下さい。

ー素敵なお話、ありがとうございました!

 

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吉永里美(Twitter/note
デザイン:五十嵐有沙(Twitter
執筆:MOE