「声」と「広報」を通して、人と情報をつなぐ 江川みどり

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第324回目となる今回のゲストは、広報の集いを運営する“みどりーぬ”こと江川 みどり(えがわ・みどり)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

人それぞれに魅力や長所はあると思いますが、江川さんは「声」を活かして本業外でも活躍中。そんな江川さんに、広報の仕事に就くまでの人生や社外で行なっている「広報の集い」についてお伺いしました。

人前で声を活かして活動する

ー簡単に自己紹介をお願いします。

ユナイテッド株式会社で広報をしながら、社外の広報さん向けの勉強会「広報の集い」の主宰をしています。また、学生の頃にアナウンサー志望だったことから声を活かした課外活動も行っています。

ー現在、江川さんが働いているユナイテッド株式会社がどんな会社なのか教えてください。

元々は投資・ゲーム・アドテクなど幅広い事業を展開している会社でしたが、今年2月にゲーム事業部と広告事業部が分社化され、現在のメイン事業はDXプラットフォーム事業となっています。

DXをニュースなどで見る機会が増えたと思いますが、DXをやりたくてもやり方がかわからない、自社の中だけでは難しいという声をいただくこともまだまだ多いです。そこで、お客様にアドバイスやコンサルティングをしているのがDXプラットフォーム事業です。

入社した当時、わたしは広告事業部の営業として働き始めましたが、現在は広報としてユナイテッドがどんなことをしているのか皆さんにイメージしてもらえるように活動しています。

ーここから江川さんの人生を振り返りながら、お話をお伺いしようかと思います。
小学校の時に印象に残っている出来事があるそうですね。

小学1年生の中から4名だけ運動会の開会挨拶ができるルールがあり、その時に担任の先生から代表の4名に選んでもらい、人前に立った初めての経験として印象に残っています。
選ばれたメンバーごとに話すフレーズが決まっていて、わたしは「お父さん」というフレーズを担当しました。家族が大好きなので、その役割に決まって嬉しかったことを今でも覚えています。

ー運動会の開会あいさつを経験された後、同じような経験をしたいなと思わなかったですか。

委員会の委員長などをやっていたので、消極的なタイプではなかったと思います。
中学校ではクラスの学級委員長を経験し、そこから学年委員長、生徒会長も経験しました。
生徒会長の時は、毎月の全校朝会で400人くらいを前に話す機会もありました。

ー中学・高校生活ではどんなことがありましたか。

中学で生徒会長をしていたのですが、高校受験に失敗してしまいまして(笑)
そのため、滑り止めとして受けていた高校に進学することになりました。行きたかった高校ではなかったため、残念だなと思いながら高校生活をスタートさせましたが、入学した高校には全国大会に毎年出場する放送部がありました。

中学3年時の先生が、「みどりさんは声が大きいし、人前で話すのが好きそうだから放送部に入れば?」と言ってくれました。
当時やりたいことがなく、放送部の活動内容も知りませんでしたが、入部することにしました。すると、放送部の活動が自分にピッタリとハマったんです。今振り返ると、その出来事が人生で一番のターニングポイントですね。

ーたまたま入ることになった高校で、偶然放送部に入ったんですね。

行く予定だった高校に合格していたら、矢を放つ姿がかっこいいから弓道部に入ろうかとか演劇部に入りたいなと夢を描いてました(笑)

入学した高校はクリスチャン系の学校だったので、毎朝お祈りをする放送朝礼を担当していました。それとは別に、放送部の大会である「全国放送コンテスト」の個人アナウンス部門に出場し、1年目から好成績を残すことができ、最終的に全国大会に行きたいなという気持ちで部活に取り組んでいました。

ーアナウンスの大会は、どのようなところが評価ポイントなのでしょうか。

2つあり、1つは原稿です。1分30秒以内で話せるニュース原稿を自分で書き、その内容が面白いかどうかで審査されます。もう1つは、読みの技術ですね。発声、滑舌という基本的な部分から最も伝えたい部分を強調できているか等、より聞き手に伝わる工夫ができているかを見られます。

ー自分でコンテンツを作るところも評価ポイントなのですね。

実はそこが苦手で、顧問の先生に「江川は文章が苦手だな」と言われていました(笑)
校内ニュースがテーマだったのですが、3年生の最後の大会で読んだ原稿はトイレのニュースでした。当時校内のトイレが新しく生まれ変わったタイミングで、とても綺麗な空間になっていました。最初は日常的なことだったので、この切り口ではニュースにならないと思い込んでいましたが、顧問の先生から勧められたこともあり、このテーマで最後の大会に挑むことを決めました。

より良い原稿づくりのため、同級生にトイレが変わったことへのインタビューをしました。そこで分かったのは、トイレの空間が綺麗になることで身だしなみにも気を遣うようになったということでした。この新たな発見は、取材をしないと分からないことでしたね。また、本番前に無人のトイレを撮影した動画を見て、より綺麗なトイレの様子を聞き手に伝えられるように、イメージトレーニングもしていました。

ー高校の最後の大会は、全国大会までいかれたそうですね。

アナウンス部門の競技人口が約4000人いる中で、全国大会の準決勝まで進み、最終結果はベスト60でした。
準決勝まで残れたため、決勝までいけると思っていました。なので、決勝まで残れずに会場のNHKホールのロビーで大泣きしていました。

その悔しい経験があったので、大学でも放送系のサークルに入り、大学生向けの「全国放送コンテスト」にも出場をしました。結果的に準優勝することができ、やり切った感がありましたし、放送という初めて自分が夢中になれるものと出会えたことで、自信がつきました。

就活で悩んでいたとき、広報という道を知る

ー高校での経験を経て、どんな進路選択をされたのでしょうか。

自分の得意なものがアナウンス・発声だということが高校時代に分かったので、話す仕事といえばアナウンサーだと思いました。逆に、当時はアナウンサーしか話す職業が思いつきませんでした(笑)
大学は東京の大学に進み、社会のことを広く学ぶために社会学を選択しました。

また、高校から頑張ってきた話す技術とは別に、アナウンサーに必要なアドリブ力が欠如していると感じ、生放送コミュニティSchooでアナウンサーのアルバイトをはじめました。Schooでは、業界や分野の第一線で活躍する方を講師に迎え、約1時間生放送する授業を行っています。そこでMCとして3年間で500本以上の番組に関わっていました。

ーMCって、難しいですよね。

台本なしの生放送、しかも著名な先生をゲストに迎えるということでプレッシャーを感じることが多かったです。ただ、わたしが受講生に直接教えるというよりも受講生の代表という形で疑問を伝えたり、自分の一言が番組進行にどう影響するかを大事にしていました。その経験から番組を進める能力やアドリブ力は身についたと思います。

ー数多くの番組を経験されたかと思いますが、その中で一番印象に残っている回はありますか。

Forbes JAPAN Web編集部 編集長の谷本 有香さんのアクティブリスニングの授業がとても印象に残っています。谷本さんはマイクの調整が不要なぐらい発声が素晴らしく、コミュニケーション術という講義内容もわたしが今後学んでいきたいことでした。

ーSchooでの経験をもとに就活に取り組まれると思いますが、いかがでしたか。

アナウンサーを志望していたので、就活もアナウンサーを軸に進めていましたが、アナウンサーにはなれませんでした。

アナウンサーになれる人数は少なく、局のキャラクター性や所属アナウンサーの特徴を踏まえて採用活動を行っています。キー局がダメだと準キー局や地方局に焦点を変えていくのですが、地方局を受験する際に、行ったことがない県の魅力を書かないといけない場面もあり、予想以上にハードな就活だと感じるようになりました。

そんなある日、Schooで一緒になった先生に就活の話をしたところ、「江川さんのやりたいことと刷り合わせると、広報の仕事が向いているのではないか」とアドバイスをいただきました。その時は、広報って何?と思いましたが、調べていくうちに「情報を発信すること」「自分がいいなと思ったことを伝える」という自分の就活の軸と広報の仕事が近いのかなと思い始め、大学4年の夏から就活を切り替えることになりました。

ー大学4年の夏だと周りも就職先が決まり始めて、焦りますよね。

焦りすぎて、新卒入社でありながら就活エージェントに所属していて、エージェントの方から勧められた企業もチェックしていました。

今の会社にはOffer Boxという、履歴書を登録し企業からスカウトが来るサービスでオファーをいただいたことがきっかけで、入社いたしました。

ー実際に企業の方と会ってみて、感じたことを教えてください。

同時期に他の企業も受けていて、アナウンサーになりたかったことを話すと、マイナスに見られたり、キラキラしている仕事の方が良いのでは?と言われることがありました。しかし、今の会社は、これまでのアナウンスの経験をポジティブに評価してくれて、個性を認めてくれたことが素直に嬉しかったです。

後から知ったのですが、わたしは同期で2番目に遅く入社が決まったようで、同じ内定者の人にどんな人がいるのか分からなかったことを察してか、人事の方が東京採用の女性メンバーを集めたご飯会を開くなどサポートしていただきました。

会社や働く人にスポットライトが当たるように

ーユナイテッドに就職をして、最初から広報職に就いたのでしょうか?

新卒の面接時から、広報になりたいということを面接官や社長に伝えていましたが、最初の1年間は会社のことを知るために営業部へ配属となり、広報は2年目から就くことになりました。

ー広報は初めての経験かと思いますが、働き始めていかがでしたか。

最初の一年目は、仕事がわからない辛さや相談できる仲間がいない孤独さで大変でした。
ただ、2年目から人のつながりが生まれたことで、広報の仕事がより楽しいと思えるようになりました。

わたしは人と話すことが好きなので、社員や他社広報さんから情報を引き出し、その情報をネタとしてメディアに提案することでコミュニケーションを取れるようになりました。また、広報はいろいろな人から情報をいただくことで成立する仕事なので、社員から積極的にコミュニケーションをとってくれるのはありがたく、メディアの方には取材などで時間を割いていただいてありがたいなと感じています。実際の取材で、社員や会社にスポットライトが当たった瞬間、やりがいを感じます。

社外の活動がきっかけで新たなつながりを

ー広報の仕事以外でチャレンジしていることはありますか。

2つあります。
1つは任期は終わりましたが、2020年2月から2021年1月末まで音声メディア Voicyの毎日新聞ニュースチャンネルで週1回木曜日のパーソナリティを担当しました。

通勤中にVoicyを聞いていてパーソナリティオーディションがあることを知ったのですが、話すことが好きでまた挑戦したい気持ち、広報として新しい情報に常に触れていたいという気持ちから応募をして、パーソナリティとなりました。コロナもあり、直接人と会えない日々が続くなか、毎週Voicyを聴いてくださった方から「聴いてるよ」というメッセージをいただけたのはありがたかったです。

もう1つは、2020年10月から同い年の広報の子と一緒に、「広報の集い」という広報向けの月1回の勉強会を主宰しています。

ー社外でも積極的に挑戦されているのですね。Voicyでは具体的にどんなことをされているのでしょうか。

毎週木曜日に毎日新聞のニュースを8本ピックアップして読むこと、さらには趣味が美術鑑賞ということもあり、フリートークできるコーナーで「みどり美術館」と題して、行った美術展の感想を話したり、美術の知識、会社の美術部での話などをしていました。

週替わりでパーソナリティが変わるので、リスナーに自分の印象を残したいと思って始めましたが、7〜8ヶ月やっていく中で、アートの人・みどり美術館の人だと認知していただけるようになりました。

ー広報の集いも気になるのですが、最初に声をかけてくれた同い年の方とスタートさせたのは理由があるのでしょうか。

広報担当者の横のつながりを作るべく始めました。
開催するテーマや回によりますが、多いときには50人ほどの参加者が来てくれるようになりました。

SNSの使い方や広報のイロハを教える会など毎回のテーマが異なるので、そのテーマに興味を持った参加者の方もいれば、継続的に参加してくださる方もいますね。

ー広報の集いの今後のビジョンなど、ありますか。

広報になった人が真っ先に思い出してくれるコミュニティになることを目標にしています。コロナ禍で始まったコミュニティだったので、落ち着いたらリアルで会いたいですね。

ー最後に、江川さんの個人ビジョンを教えてください。

仕事面では、広報の仕事を極めたり、自分の好きなプロダクトやサービスを広報することもいつか挑戦できたらいいなと思っています。また、社内で株主総会の司会をしたり、採用動画のナレーションをしたりと声を生かした仕事をさせていただき、楽しさを感じているので、今後も社内・社外問わず声のお仕事も続けていきたいです。

そして、わたしは家族が本当に大好きで大切な存在なので、いつまでも仲良く両親といい関係性を築いていければと思っています。

取材:増田稜(Twitter
執筆:大庭周(Facebook / note / Twitter
デザイン:五十嵐有沙 (Twitter