ケニア在住者が語る、コロナ禍だからこそ心と身体の健康を最優先する生き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第301回目のゲストは現在ケニアを拠点に、心と身体の健康を追求されているFumikaさんです。Fumikaさんが見たアフリカの現状や、このコロナ禍でFumikaさんがケニアに暮らし続けることを選択した理由などをお話いただきました。

広い世界を見に行って、心の健康を意識するように

ーまずは現在アフリカにいらっしゃるとのことですが、どこに住まれているのか教えていただけますか。

現在、東アフリカにあるケニアのコースト地域に住んでいます。日本で言うと沖縄に似た雰囲気の地域で、マングローブがしっかりと残っていたりと自然豊かな地域です。私が現在住んでいる海岸沿いの地域は暖かくて心地よい気候です。首都のナイロビは赤道直下にも関わらず標高が高いため、昼間はとても暖かく朝晩は涼しい気候です。

ーケニアとの出会いに至るまでのお話をぜひ聞かせていただきたのですが、まずは初めて海外にでるきっかけとなった出来事について教えてください。

初めての海外生活は17歳の時に行ったアメリカのケンタッキー州への交換留学でした。一般的な進学校に進学したのですが、高校の雰囲気と合わず、課外活動に積極的に参加していた中で、東日本大震災のボランティアに参加。それがきっかけで今まで小さい世界で生きてきたことを実感し、もっと広い世界をみたいと思ったことが交換留学へ行くきっかけとなりました。

ー初めての海外生活はいかがでしたか。

ケンタッキー州はアメリカの中でもかなり保守的な州として有名ということを後から知ったのですが、登校初日からアジア人というだけで異なる扱いを受け、衝撃を受けました。どうしたらいいかと考えた結果、勉強を頑張り成績を上げ、チアリーダーとして踊り、アカペラグループで歌うことで周りの人に自分を魅せ、存在を知ってもらうことに注力しました。何かをしないと人に認められない、ただ自分で在るだけでは受け入れられないこともあると知った経験でしたね。

学校生活はハードモードでしたが、一方でホストファミリーとの暮らしはとても平穏で心温まる時間でした。家では学校であったことを一歩引いてみることができ、自分を見つめる良い内省の時間を持つことができました。心の健康を意識する様になったのはこの頃からだと思います。

 

「問うて学ぶ」をモットーに行動、一人旅でアフリカへ

ー留学経験を経て、高校卒業後の進路は何か考えに変化はありましたか。

都心の高校に通っていたこともあり、大学にお邪魔する機会などもありましたが、なんとなく違うなという思いがあったので、大学進学が当たり前な高校ではありましたが、まだ学びたいことが分からなかったので、このタイミングで大学進学をしないことを決意しました。

高校卒業後は、やりたいことを見つけるため、「問うて学ぶ」をモットーに様々なお仕事にチャレンジ。イベントのMCや、皿洗い、ハイエンド向けの接客、大企業に属して営業などしてみたり、ハンディキャップを持った子供達の施設で働いてみたり、人に誘われて、興味を惹かれたものには片っ端から挑戦してみました。その仕事を実際に経験し、分からない言葉や情報を、専門家に聞いたり、ネットで調べたりする習慣をつけ学ぶようにしています。

21歳の頃友人に紹介された本「エスノグラフィー入門<現場>を質的研究する」をきっかけに、文化人類学の考え方に大きな影響を受けたのですが、その時に初めて18歳からの人生はこういうことだったのではないか言語化されたような感覚を受けました。文化人類学は仕事や旅を通してもっと様々な文化や社会階級に触れたいと思うきっかけとなっていると思います。

ーそこからアフリカへはどのように繋がったのでしょうか。

21歳の時に家族で「自分達らしい暮らし」を考えた結果、東京と長野の二拠点生活をすることになりました。もともと家族の仲はよかったのですが、本音で話し合える家族関係になったことで自己理解も深まり、人生に一区切りがついたような感覚になりました。その結果もっと違う景色をみてみたい、もっと違う生き方をしている人に出会いたいという思いが強くなったんです。そして日本で一人旅をした後、大自然がみたくなってアフリカ大陸に一人旅に出ることにしました。

 

住み始めて知ったリアルなアフリカ

ー初めてのアフリカはいかがでしたか。

日本ではアフリカというと治安が悪いイメージが強いですが、日本が治安が良いだけで、特別治安が悪いとは感じませんでした。また、ケニアは発展途上国に分類されますが、想像以上に盛り上がっていることに驚きました。欧米諸国や中国から若手のエリートや起業家が集まり、新しいビジネスを展開していたり、ケニア発のキャッシュレスサービスがあったり、UBERやUber Eatsも充実しています。なにより会社に養ってもらうという文化がないので、国民みんなが個人事業主の意識を持っている印象です。SNSを使ったインフルエンサーはめちゃくちゃセンスがよくて憧れとしてフォローしています。

見たかった大自然も堪能することができました。ナミビアの壮大な砂漠で自分がどこにいるか分からない感覚に陥ったこと、ケニアで野生動物を見て動物が檻に入っているのではなく自分が檻に入ってる感覚を味わったこと。どの景色も美しかったのですが、ケニアに深い縁を感じて旅をやめてケニアで生活をすることを決めました。

ー逆にアフリカでのネガティブな発見もあったのでしょうか。

そうですね。貧しいイメージが一般的に強いですが、お金をものすごく持っている人も一定数います。政治の腐敗や難民問題、環境問題など、世界全体で起こっている様々な社会課題がアフリカに流れてきてしわ寄せを受けていると感じることが多かったのはネガティブな発見でした。

ーケニアではどのようなことをされていたのですか。

自分が見た景色を記録したいという思いから写真を撮り始め、世界で活躍する方々にアート・社会問題について習いながら、表現活動を始めました。切り取り方ひとつで毎日見えているものが高貴なものに見える感覚がとても新鮮に感じたんです。実験的にではありますが、2019年にはドイツで、2020年には日本で写真展も開催することができました。

 

全ては場所と身体が教えてくれる

ーそれ以来、ずっとケニアで過ごされているのですか。

いえ、コロナの影響を受けて一時期は日本に帰国していました。コロナ禍であってもケニアに残ると初めは決めていたのですが、周囲から見ると私は23歳のアジア人女性。パンデミックの状況下で私が海外にいることは逆に周囲の人に迷惑をかけることとなると指摘され、空港が閉鎖される前日にパニック状態で帰国しました。

コロナをきっかけに、パートナーや子どもと国籍が違うことから離れ離れになっている方々をみたり、国によって感染症対策のルールやワクチン接種のルールが異なることから、自分が日本人であること、そして国籍というものをより意識するようになりました。

ー日本帰国時はどのような生活を過ごされていたのですか。

日本に自分の家がなかったため神奈川県の秋谷海岸周辺にAirbnbで家を借りて生活していました。ケニアから自分は逃げてきたという感覚、ケニアと日本の環境のギャップから生まれる罪悪感、現地の友人は大丈夫だろうかという心配の気持ち、なによりこれから自分はどうしていくのだろうという未来への不安に向き合う日々でした。とにかく健康を第一に考えて生活し、心の健康はある程度取り戻すことができましたが、やはりこのまま日本にいたら身体がダメになると感じたので再びケニアの自然の近くで過ごすことを選択し多くの外国人たちがケニアに戻ったタイミングで戻ってきました。

ケニアに戻ってきて、再び本来感じていることを感じられる様になってきたという実感があります。体をよく動かして、しっかり食べて、しっかり寝たら、自分の体がまた敏感になってきました。今は心理学者、カウンセラーの方にもサポートいただき、日々の出来事とその時に体のどの部分が反応したかを記録に残して毎週振り返りの時間を持つ様にしています。

人ってみんな、楽になりたくて努力をしているかと思いますが、私にとっては自分の身体が健康であることが楽になるということ。健康であるための努力をして、もっとスムーズに生きていきたいと思っています。先のことはわかりませんが、今の私にとってはケニアのコースト地域が1番心と身体が健康でいられる場所なのでここで自分と向き合う時間を大切にしたいと思っています。

取材者:山崎貴大( Twitter
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter