様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第208回目となる今回のゲストは、HeaR株式会社マーケターの「きなこ」こと半田恵清良(はんだえずら)さんです。
半田さんは看護師とアフィリエイト運営や営業代行の複業をし、現在はマーケティングのあれこれを発信する「きなこ」としてTwitterフォロワー1.3万人のインフルエンサーに。一貫して「より多くの人のために」「結果が出るまで粘る」という姿勢を貫いてきたパワフルな半田さんにその姿勢のルーツをお伺いしました。
看護師と個人ビジネスの複業を経てマーケターに
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
HeaR株式会社でマーケティングを担当している「きなこ」こと半田です。ファーストキャリアは看護師なのですが、看護学生の頃からブログやアフィリエイトなどの個人ビジネスに携わってきました。きなこはTwitterでの名前で、現在フォロワーが1万人以上になっています。今年の5月に今までやってきたマーケティングの話を書いたnoteがバズったのがきっかけでフォロワーが急増しました。
ーHeaR株式会社さんでは現在何をされているんですか?
HeaRの新規事業で未経験からでも異業種に転職できるようなキャリア支援を行うサービスを提供していて、そちらのマーケティングやマーケター育成を担当してます。
原点はクリスチャンの両親から学んだ「自分の命は自分だけのものではないこと」
ー半田さんのこれまでをお聞きしていきたいと思います。まず看護系の道に進もうと思った背景をお聞かせください。
敬虔なクリスチャンの両親に影響を受けて、幼い頃から「人を助ける」ことには興味がありました。医療系の道に進もうと思ったのは幼稚園頃だったと思います。人を助ける手段はたくさんありますが、物心ついてから私が特に関心を持ったのが、医療の仕事です。
幼稚園生の時から海外のボランティアなど、貧しい国の人たちを助けることに興味があって、何ができるんだろうと考えたときにパッと思いついたのがお医者さんになることだったんです。結局、医者になるのは諦めましたが、代わりに看護師を目指しました。看護師として人の命を助ける現場に行こうと決めたんです。
ー人を助けることにすごく熱くなれるのには何か理由があるのですか?
両親の影響が大きいと思います。小さい頃から海外でボランティアをされている方の話を聴く機会も多く、途上国の貧しい方達の生活を追ったドキュメンタリーを観ながら「どうしたら力になれるだろう?」という会話もよくしていました。
また、私が生まれる前の1995年の冬に、両親は阪神淡路大震災で被災しています。朝の礼拝に行くため家を出た直後に地震が発生。立っていられないほどの激しい揺れの後、振り返ると家は倒壊していたそうです。
あの時1分でも家を出る時間が遅かったら、私は生まれていませんでした。この話と共に、両親からは常に「自分の命は自分だけのものではない」と教わってきました。
看護師の限界を感じ、複業を始める
ーなぜ看護師をしながらビジネスにも挑戦しようと思われたのですか?
看護学校3年生の頃、就職を前にして、看護師の給料や現実を知るようになりました。「このまま看護師になったとしても、やりたいことができるのだろうか?多くの人を助けるにはもっと稼ぐ力、人を集める力が必要なのでは?」と思い、ビジネスの世界に興味を持つようになりました。看護師だけでは救える人数に上限があると感じたんです。
自分で調べたり、お金をかけて失敗したりもしつつ辿り着いたのがアフィリエイトブログの運営です。最初は上手くいかず、鬱っぽくなっている時期もありました。それでもなんとか続け、看護学校を卒業する頃には月10万円くらいは稼げるようになっていました。
看護学校卒業後は看護師として病院に就職しましたが、アフィリエイト運営も続けていました。一時期は、いずれビジネスの世界でやっていくためにもと、営業代行の仕事もしていて死ぬほど忙しかったです。とはいえ、ビジネスは頑張った分だけ成果が上がるものだったので楽しめていました。看護師の世界は、頑張ったらその分報われるものではなかったので。
ーどうしてそれだけストイックに働くことができたんですか?
看護師以外での繋がりが大きかったと思います。副業でビジネスをされている方やフリーランスの方と話をしていると、早く自分もそちら側に行きたいという気持ちになりモチベーションを強く保てました。
ーその繋がりの中からビジネスに誘われたりもあったんですよね。
そうですね。社会人2年目の時に看護師の仕事を週1.5日に減らして、知り合いの起業された方の下で働くことにしました。実は社会人1年目の時から「一緒に働かないか?」誘われていて。
しかし会社は順調とは言えず、入ってみるといきなりの倒産の危機。私は苦手な営業の仕事も頑張って、動き回って、やっと倒産の危機を脱しました。倒産の危機は入る前からわかっていたのですが、ビジネスが軌道に乗ってきた時に、社長が「このままでいい」というマインドになってしまったのが一番ショックでした。
私としてはもっと会社を大きくしたかったし、より多くの人のためになりたかったんです。そこで生まれたすれ違いで、仕事へのモチベーションが下がって鬱々としていました。だんだん細かい憤りが溜まっていって、できただろうことをやらなかったということで社長にキレてしまったこともあります(笑)。
看護師でも複業を始められた理由
ーそれで、会社を辞めてフリーランスになられたんですよね?
そうですね。転職を希望していたんですけど、週1.5日看護師をしながら企業で働く形を認めてくれるところがなかなかなくて。「それなら自分で働き方を決めてやる」と思い切ってフリーランスなりました。アフィリエイトや営業代行、前社に新しく入った社員への営業指導などをしていました。
ーそもそも看護師って週1.5日で働けるものなんですか?
前例がないと言われました。社会人1年目でしたし、珍しかったようです。しかし職場も人手不足でしたし、結局、ある程度業務のわかっている人がパートで入ってくれるならいいんじゃないかと認めていただきました。交渉はしてみるものですね。
ーパラレルワークはやっぱり大変ですか?
いろんな方がそうおっしゃられるのですが、私としては息抜きになっていいなと思っています。毎日毎日営業とかキュレーションサイトの立ち上げをやっている中、使う脳みそが違う看護の仕事をすることは休息になるんですよね。何かに没頭するのに疲れた時は、別のことに没頭するのが案外良かったりします。
会社を大きくしてより多くの人に貢献したい
ーHeaRに入社された理由とどんな経緯で出会われたのかを教えてください。
先ほど前の会社の後輩たちに営業指導をしていたと言いましたが、私が海外に行っている間に彼らが一斉に心を病んでしまって、会社を辞めてしまったんです。
自分に力があれば救えたんじゃないかと思うとすごくショックでした。その出来事がきっかけで自分が稼いで終わるのではなく、大切な人たちを守れるくらい強くなりたいと思うようになりました。
それで自分が成長できる環境に行こうと、Wantedlyを利用してスタートアップで働く場所を探して、その中にHeaRもありました。応募してから面接までの間に送られてきた採用ピッチ資料がきっかけで、面接を受ける前にもう「この会社で働きたい」と強く思うようになっていましたね。
もちろん他の会社の面接も受けたのですが「なんか違うな」と思うところばかりで。HeaRに関しては面接の前からすでに働きたくて仕方がなかったですね。
採用ピッチ資料には、社長が会社を設立した思いやメンバーがHeaRに入社した理由などが書いてありました。それが当時の私には新鮮で、会う前からこんなにオープンにしてくれる会社って初めてだなあと惹きつけられました。極め付けは「アツくても浮かない」というキラーワードです。これには感動しました。当時はずっと熱量の高い仲間と働きたいと思っていたんです。
そして、待ちに待ったカジュアル面談の日が来て社長と話したのですが、とにかくピュアな人なのが第一印象でした。私はこの人のためなら頑張れるという気持ちになったのを覚えています。
ー本当に一貫して人のために頑張れる方なんですね。どうしてそこまで頑張ることができるのでしょうか?
私は、お金を稼いで自分のために使いたいという気持ちはそんなに強くなく、一番の喜びは人が喜ぶのを見ることなんです。これってすごくいいように聞こえるかもしれませんが、結局は自己満足なんですよね。自分の良い行いで他の人が喜んでくれないとちょっと落ち込んだりすることもあるので、傲慢だなと時々思います。幼い頃友達が少なかったり、家庭でも妹の方が可愛がられていたいすることもあって、承認欲求が強くなったのかもしれません。目に見える成果をあげれば私でも認めてもらえる意識は根底にある気がしています。自分が死んでも誰かの心の中に残っていられたらいいなとよく考えますね。
ー半田さんが今後成し遂げたいことを教えてください。
1つは小さい頃からの夢である海外のボランティアです。自分が現地に行ってお手伝いもしてみたいですし、いずれは自分の力で人を派遣して少しでも多くの命を救う手助けがしたいです。
近い未来で言うと、自分のマーケティングスキルをさらに磨き上げて、もっともっとHeaRを大きくしていきたいと考えています。
ただ、ここまで来ると次に起こることが予想できなくて、計画が計画じゃなくなってくるので、自分の想いや感情を大切にしながらその時にビビッと来た道を進みたいです。
ーステキなお話をありがとうございました。半田さんの今後の活躍を楽しみにしています!
取材者:山崎貴大( Twitter)
執筆者:久高諒也(note)
デザイナー:五十嵐有沙 :(Twitter)