22歳の世界平和活動家・金田菜々恵「世界平和は、ひとりひとりの心の中に」

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回のゲストは、世界平和活動家・金田菜々恵(かねだ ななえ)さんです。

金田さんは「天才バンク」という約1,200人が参加するオンラインコミュニティの運営メンバーとしても活躍しながら、『世界の平和は、1人1人の心の内側にある』をモットーに世界平和活動家として発信をし続けています。

世界発信向けのTwitterでは世界の52カ国以上、2,500以上のフォロワーと繋がっているんだとか!様々な活動をしている金田さんのこれまでの人生と今後の夢について語っていただきました。

19歳で函館に単身移住!「人生の岐路に立っている感覚がした。」

ー現在に至るまでを伺いたいのですが、どのような幼少期を過ごしてきましたか?

私は3人兄弟の真ん中として生まれ育ちました。上と下が男兄弟だったこともあり、外で遊び回ったり一緒にサッカーをしたりして過ごしていました。兄に食らいついていくガッツがあり、負けず嫌いで活発な女の子だったと思います。

その影響で、学校などでも男友達のほうが遊ぶことが多く、グラウンドでサッカーなどをして遊んでいました。好奇心旺盛なのは昔からですね。

私の祖母がテニスプレイヤーで、その影響でテニスをやっていました。中高ではテニス部でしたね。祖母は、日本代表のシニア選手として80歳になった今でも現役で活躍しています!

ーおばあさん、すごい…!中高時代は部活熱心な子だったのでしょうか?

勉強の面でも上位をキープできるよう努力するタイプだったと思います。特に英語は頑張っていました。私の母は英語の先生をしており、私も英語が好きだったので、中高時代の英語のテストや予習復習も熱心に取り組んでいたのを覚えています。

友人の誘いで出場した英語のスピーチコンテストでは中学全体のうち2位に入賞したこともあります!誘ってくれた友人は結局落選してしまい出場できなかったのですが、ネイティブの先生の指導を受け、練習して発音がどんどん上達していくのを感じ、自分の成長を実感できたことが特に楽しかったのを覚えています。

ー素晴らしい経験ですね!その後、大学進学時には大きな転機があったとか…?

19歳の頃、大学受験を浪人生として控えていた夏休み中に弟から「函館に夏期講習を受けにいかない?」と誘われました。函館には父の高校時代の恩師がおり、77歳という高齢ではあるものの小さな塾を経営していたんです。

ちょうど勉強も少し行き詰まっていたタイミングで、ふと何かを変えたい…と思っていたタイミングだったように思います。弟に誘われて1度は断ったものの、行ってみよう!と感覚的に決めて出発しました。

結果、1週間の函館滞在後に東京の予備校を辞め、函館に移り住んで一人暮らしをスタートしながら通い続けることにしました!それほど影響を受けたのが函館の先生でした。

ーその決断をした決め手はどんな出来事だったのでしょうか?

これまで学校や予備校ではあまり聞く機会がなかった、大人の方の話を聞けたことが面白かったからです!点数やマルバツのつく評価が自分の能力ではなく、自分自身の本来の能力の見つけ方を教えてくれた“メンター”のような存在でした。それが自分にとってはじめての経験・出会いでした。

その頃の私は、いつか人の役に立ちたい・人の幸せに貢献したい…という思いを持っていました。でも漠然としており、その手段などは見つかっていませんでした。

中高までは、友人と遊んでいるときやテニスをやっているときに能力の伸ばし方なんてそもそも考えていませんでしたし、自分を俯瞰して捉えることもなかったので、「どうしたら、私の能力はもっと伸びていくのか?」と考えるのは新鮮でした。

人の役に立てる人間になるため、まずは実力をつけよう、成長しよう、とはじめて自分の思いや成長することに向き合えた瞬間でした。人生経験を踏まえて様々なことを教えてくれた先生との出会いが、自分が成長する大きなキッカケになりました。

ー19歳で函館に行くことを決断したとき、周囲はどんな反応でしたか?

これまでの私の人生において、函館に行くという決断は私が自分だけで決めた最初の大きな決断でした。ただその時、言葉では言い表せない“人生の岐路に立っている感覚”があったのを覚えています。ここで決めないと、選ばないと後悔するくらいなら挑戦してみたい!と思えたんですね。

この決断に、家族も友人も非常に驚いたと思います。父は自分の恩師の元に行く娘の背中を押してくれていましたけれど、母は不安そうでしたし、私が上手に思いを伝えられていない部分もあって反対されることもありました。それでも最終的には、背中を押して応援してくれました。

 

函館からアメリカへ留学。より厳しい環境を求めて行った先には…

ー函館から日本ではなくアメリカの大学へ進学した経緯は?

函館の先生の元で勉強と人生観について学びながら、より多くの人の幸福に貢献できるよう、もっと実力をつけたい…という漠然とした目標はあったものの、明確な手段がまだわかっていませんでした。

そんなとき、先生から「海外という選択肢もあるよ」と言われたことが引っかかったんです。日本の大学よりも単位を取るために厳しいというイメージでしたので、自分自身が鍛えられるような厳しい環境が待ってるかもと感じました。

学問のみではなく、“実践的な学び”がしてみたい!という知的好奇心から、アメリカ・カリフォルニア州へ留学を決意しました。

ー実践的な学びを求めて渡米!アメリカでの生活はいかがでしたか?

日本語は通じないですし、異国の地なので厳しい環境ではあったかなと思います。

ただ、実践的な学びを体験したいという漠然とした期待を抱いてアメリカの大学に進学したものの、その期待を超えるようなものは無かったんです。

結局、成績を取るための学習がメインになってしまい、ふと振り返ると「これって自分がつけたかった能力じゃないよね?」という“これじゃない感”を感じてしまいました。

もっと他の人の役に立つ人間になるために実力をつける手段を見つけに来たのに、あまり自分が鍛えられている実感がせず、これでは違うと気づいてしまったので、渡米してちょうど1年経ったタイミングで日本に戻ろうと決意しました。

ーまた大きな決断ですね!戻ることに迷いはなかったですか?

なぜその選択肢をするんだっけ…?という考えの揺れはありました。

ただ最終的に決断への迷いはなかったですね。自分の直感を信じて、“人生の岐路に立たされている感覚”を頼りに決断しました。

また、日本に帰ろうと思えたキッカケとなった「天才バンク」に出会ったのがアメリカで過ごして半年ほど経ったタイミングでした。

ー「天才バンク」とはどんな存在なのでしょう?

「天才バンク」は、”世の中をアップグレードする天才のプラットホーム”です。

私たちの団体は「天才=天から授かった才能」と再定義し、誰もが天才を持つとして活動しています。交流や遊びを通じ、1人1人のメンバーが持つ天才をシェアしていきながら、楽しく自分自身の天才を自覚していきます。

日本では自己肯定感が低い人がよく問題視されることがあると感じます。それはおそらく、何か1つの指標で人を比べてしまい、できない自分の価値を感じられずに悩むことで、自己肯定感が低くなってしまうのでしょう。

ですが、人は持っている才能や得意分野は1人1人違うはずです。それぞれが本来の能力に気づき、その能力を発揮できる場所で自分の価値を感じ、お互いが尊重できる場が大切です。

各自の天才を活かし、世の中を様々な分野からのアプローチでアップグレードしていく活動をしています。現在は10〜80代まで、本当に色々な価値観と天才にあふれる多様性のあるコミュニティになっています!

 

天才を認め自分の価値に気づけば、自己肯定感は自然と上がっていく!

ー金田さんは「天才バンク」にどのように関わっていったのでしょう?

アメリカ留学中にたまたまTwitterで存在を知り、「天才バンク寺子屋」という無料オンライン教育コミュニティで、無料でオンライン授業を受講してみることにしたんです。

その後も色々なイベントやコンテンツに触れ、天才バンクの方々とのコミュニケーションを通じて、次第に求めていたのはコレかも!?と感じていきました。

天才バンクの方々を通じて、自分の能力の伸ばし方の実践的な学びがあるとも感じました。

ちなみに、80代のメンバーは私の祖母なんです!私の活動に影響を受け「天才バンク」に入っています。コミュニティ内でニックネームで呼ばれたり、私の出演するニュースに登場したり親しまれている存在です。

ー「天才バンク」を通じて気づいた金田さんの天才とは?

私は、コミュニティ内外で誰かをサポートする姿勢だったり、抽象的なことをまとめることが得意、ということに気づきました。

それまでは息を吸うように自然にやっていたことでしたので、特に大した価値を見いだせておらず、私にとっては”当たり前のこと”でした。

ですが、他人からこの力を「金田さんにしかできないことだね。すごいね!」と言われ、これって誰もが当たり前のようにできることではなかったんだと気づいたのです。

コミュニティメンバーと関る中で、自分のことを知り、天才に気づいていくことができたと思います!すると、「私ってこんな能力がある価値のある存在なんだ」と、自己肯定感も自然と上がっていました!

ー天才が見つかる瞬間というものはあるのですか?

一緒に遊んでいるときの何気ない瞬間や、オンラインで交流しているふとした自然体のとき、“その人らしさが出る瞬間”に、天才は見つかると思います。

他人を褒めるときって少し恥ずかしかったり、褒められたことを素直に認めるのも「そんなことないですよ〜」と、日本人は謙遜することが多い印象ですよね。ですが、天才バンクは自分以外の3人から「◯◯さんはココがすごい」と言われたら、その能力を天才として認めましょうとしています。

天才バンクは積極的に色々な能力を持つ天才たちを受け入れて認め合う、他己肯定の姿勢も非常に強いコミュニティなので、自分の天才も見つかる環境なのだと思います。

ー金田さんご自身は、普段から自分の天才をどのように発揮していますか?

現在22歳の私自身は、まだこの天才・能力がどのような場所で伸ばせるのか探している途中です。

そのため、You Tubeでの配信やコミュニティ運営、イベントの企画など色々な行動をする中で何かしらの学びがあるはずだと感じ、積極的に活動に関わるようにしています。

これが何のためになるのか?と頭で先に色々考えず、まずは何でも挑戦してみよう!というマインドですね。

ー天才バンクの活動をしながら、「世界平和」を意識したキッカケとは?

生きている中で、他人と考え方が違ったとき、価値観を否定されたときに喧嘩になったり、衝突して関係性が悪くなることってありますよね。

天才バンクでは1人1人の価値観の違いを受け入れる姿勢を「アート思考」と呼んでおり、世界中に違う人が生きていて、それぞれが違うものの捉え方があることが当然として活動しています。

それぞれの人の世界=“ユニークネス”があると考えたときに、私は「1人1人の持つ“心の世界”が平和だったら、もっと全世界が平和になるだろう」という考えに至りました。

ー金田さんが「心の世界平和」を活動のテーマにした理由は?

例えば、人は恋愛をすると昨日までの世界が明るくなり、失恋すると一気に世界が暗く見えたり人を妬ましく思えたり…同じ場所に暮らしているのに、心の状態で世界は違って見えることがあります。

私自身、自分の人生を振り返ったときに実感したのが、私の人生は喧嘩やネガティブな出来事も少なく、日常生活はすごく幸せなものだったということでした。

この私が心で感じた「平和感」をもっと色々な方に伝えてシェアできたら、人の心が平和だったら、もっと世界は平和になると信じています。そのため私は、『世界の平和は、1人1人の心の内側にある』をモットーに、ひとりひとりの方の心の中に平和を感じていただける活動をしていきたいのです。

ー今後、目指したい姿とは?

私は、まだ世界中に何かを伝えるには無力だと感じています。

心の世界平和を世界中にシェアするには、より多くの方に発信する必要があります。現代ではインターネットを用いれば、全世界に配信することが可能なので、まずは私の存在を知ってもらうことを目標にしています。具体的には、私の発言の影響力をつけていくため、“インフルエンサー”になることを決めています。

世界発信向けに運用開始したTwitterは、1ヶ月でフォロワー1,000人を超え、現在のフォロワーは2,500人以上。世界の52カ国以上の人々と繋がることができました!

また、全世界で2億人ものユーザーが登録しているというライブ配信アプリ「BIGO LIVE」では、英語を用いて日本の事を配信しています。

無名な私がいきなり『世界平和活動家』として発信するよりも、まずは皆が関心をもっていることを発信していこうと考え、私の住む日本の文化やトレンドなどを発信しています。

アメリカ留学中もFROM JAPANというだけで興味を持ってくれる方が多く、アニメや漫画、食事のことなど聞かれることもあったくらい、日本は海外の方にとって興味深いようです。

そしてゆくゆくは私という存在をもっと知りたい・私の話を聞きたい!と思ってくれた方々へ、世界平和を感じてもらえるよう、影響力をつけていく活動をしていこうと考えています。

ー素敵な夢とエピソード、ありがとうございました!

 

取材:吉永里美(Twitter/note
執筆:MOE
デザイン:五十嵐有沙(Twitter