大学2年で妊娠。学生ママを経験した吉永里美の、人生の可能性を広げる考え方

チームプレイヤーだと気づいた学生時代

ー中学生になってもいじめは続きましたか?

中学校では同級生からのいじめはなくなりましたね。他の学校から入ってくる子たちもいて、人間関係が新しく構築されたのもありますし、マーチングバンド部に入ったことも影響しています。

マーチングバンド部は体育会系で、上下関係が厳しくて。同級生が一致団結して、上級生に対して意識を向けるという構図になったんです。

ーなぜマーチングバンド部に入ろうと思ったのですか?

私が通っていた中学校は、部活に対してとても厳しくて。帰宅部はなく、全員何かしらの部活に入ってくださいという規則だったんです。

もともと小学校5年生からクラブ活動で楽器はやっていましたし、部活をやるのであればしっかり結果を出したいと思い、全国レベルのマーチングバンド部に入りました。

ただ、私たちが入るまでは10年連続で全国大会に出場していましたが、私たちが中学1、2年生のときは出場できなかったんです。3年生になり、何とかして全国大会に出場しなければ、とかなり焦りました。

私は当時副部長だったので、部長や各パートのリーダーと団結して必死で練習を続けました。結果、最後の最後で全国大会に出場し、全国5位で金賞をいただけて。私は目標に向かってみんなで頑張ること、チームで何かすることが好きなんだなあ、と実感しましたね。

ーその頃の吉永さんは、クラスではどのような立ち位置でしたか?

小学校時代は真面目な性格ゆえにいじめられましたが、中学校ではその真面目な部分の活かし方に気づきました。

ある日、カースト上位にいる子が私のことをいじってきて。いじられるのはしんどくなかったですし、その子と私の掛け合いを見て、周りの人も笑ってくれていると気づいたんです。そこで私の「いじられキャラ」が確立されました。

ー高校ではどのような学校生活を送っていましたか?

高校でも、全国レベルの吹奏楽部に入部しました。入学前に吹奏楽部の顧問と話す機会があって、今後マーチングバンドも強化していきたいというお話だったので、入部を決めたんです。

ただ他の部員は、マーチングは高校1、2年の下積みでやるものだという感覚があって。マーチングは片手間で、本命は吹奏楽だという考えに共感できず、他の部員と一致団結もできず1年で退部しました。

私はやっぱりソロプレイヤーではないんだと実感しましたね。中学校でマーチングバンドを頑張れたのは仲間がいたからですし、みんなで同じ方向に向かって目標を達成することに魅力を感じていたのですが、1人で走り続けるのは楽しくない、続けられないと気づきました。

大学2年で妊娠発覚、学業と育児の両立を決意

ー大学に進学されて、環境は変わりましたか?

大きく変わりました。大学生になり、鳥貴族のフランチャイズ店でアルバイトを始めました。アルバイトに対しても熱い教育をしてくれる会社だったので魅了されて、学業よりもアルバイトの方が楽しいと思ったほどです。

大学2年の成人式が終わった頃、当時お付き合いしていた彼との間に子どもができたことがわかりました。お互い将来結婚できたらいいね、という話はしていたので、子どもを産むという選択肢以外考えていませんでした。

ー妊娠がわかった瞬間は、どのようなお気持ちでしたか?

最初は嬉しさよりも驚きの方が大きかったです。妊娠が判明し、当時の彼と一緒に産婦人科へ行ってエコー写真を見たときに、じんわりとしたものがこみ上げてきました。彼と2人で涙ぐんだことを鮮明に覚えています。

その時点で、驚きよりも喜びの方が大きくなりました。「あ、私今すごく喜んでる」と感じましたし、彼も同じように喜んでくれているのを感じたので、そこから子どもを産むという決断に関してはまったく迷いがなかったです。

ー産むことを決心した後の動きを教えてください。

まずは私の両親に挨拶をしに行きました。母は彼に会ったことがありましたが、いきなりスーツでやってきて「娘さんを僕にください。子どもができました。産もうと思っています。結婚させてください。」から始まったので、驚きを隠せていませんでしたね(笑)

今後どうしていくのか聞かれたときに、子どもは産もうと思っているけど大学は辞めようと思っていることを伝えました。すると父が、「子どもを産むのはいいけど、大学を辞めるのは待ったら。大学を卒業することにデメリットはないから、できるところまで続けてみたら。」と言ってくれて。

私の中では、子どもを産むという選択肢はあったけど、大学を続けるという選択肢は思い浮かばなかったんです。父の言葉を聞いて、「大学生と母親って両立できるんだ!」と目から鱗が落ちました。その一言がなければ、大学は続けられなかっただろうな、と今でも思います。

ー妊娠、出産、育児を経験した大学生活について、詳しく教えてください。

大学3年の9月が予定日だったので、夏休み前までの4月~9月までは大学に通って、それから半年間~1年間休学をした後に復学することを計画していましたが、そううまくはいきませんでした。

幸いつわりはあまりなかったのですが、ホルモンバランスが乱れて内向的になってしまって。4月~9月まで一度も授業に出席できず、単位も取れませんでした。

そのため子どもを産んで1年間休学して、子どもを保育園に入れてから私は大学へ通う生活が始まったんです。

ー出産後、気持ちの変化はありましたか?

出産後にずっと家にいると、社会から断絶されている気持ちになりました。旦那さんが仕事に行っている間、母ひとり子ひとりで生活している状況に、しんどくなる日もありました。同世代で共感してくれる人や、ママ友もいなかったので。

自分のための時間も確保しないと、心が壊れてしまいそうで、怖くなりました。なので復学することに関しては、割と前向きに考えていたんです。

ー実際に復学してみてどうでしたか?

今まで以上に真面目に大学へ通うようになりました。「子どもを預けてまで大学に行っている」という意識から、吸収できるものはすべて吸収しようというマインドに変わったんです。一番前の席で授業を受けたりもしました。

結果フルで単位を取ることができたんです。子どもの存在はとても大きく、母は強しとはこのことを言うんだなあ、としみじみ思いました。