様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第185回のゲストはディップ株式会社の西野翠さんです。
新卒で入社したメーカー企業に5年弱勤められた後、現在働くディップ株式会社に転職された西野さん。前職とは全く異なる文化・社風を持った会社へ転職された西野さんに異業種・異業界への転職を決められた理由や、今後の目標についてお話いただきました。
営業企画からシステム開発への転職
ーまずは現在のお仕事について教えてください。
ディップ株式会社の商品開発本部次世代事業統括部でシステム導入や構築、プロジェクトマネージメントを担当しています。具体的には会計システムや人事システムなどバックオフィスで使用するシステムを取り扱っています。これからは全社のDXに関わるシステムの導入・開発も担当していく予定です。2019年2月に現在の会社に転職したのですが、それまでは新卒で入ったメーカー企業で働いていました。
ー前職ではどのようなお仕事をされていたのですか。
前職では営業企画として社内の情報システム部と営業部の間に入り、業務を円滑に進める仲介役のような仕事を担当していました。ただ、営業部からのリクエストを情報システム部に伝えても技術的に対応してもらうことが難しかったり、私自身も情報システム部でどのようなプロセスを経て開発されているのが理解できなかったこともあり、調整側から開発側に就きたいと思ったのが転職のきっかけとなりました。
ー全く異なる職種への転職だったかと思いますが、不安はなかったですか。
大学時代にウェブデザイナーとしてアルバイトしていたこともあり、コーディングなど最低限の知識はあったのであまり不安はありませんでした。大学の頃からモノを作ることが好きで分かりやすい見える成果物があった方がやりがいを感じていたので、もう一度モノを作る側になりたいと思っていたんです。
ピアノ好きは幼少期から今も変わらず
ー西野さんの幼少期についても少し教えてください。どのような幼少期を過ごされていましたか。
勉強が得意でピアノが大好きな子供でした。いろんな習い事を小さい頃からさせてもらっていましたが、ピアノは今でも続けています。通っていた小学校は不良が多く荒れていたため、両親と相談し、私立への中学受験を決めました。その結果中高一貫の共学校へ進学し、穏やかな中高生活を過ごすことができました。
ー楽しい中高生活を過ごすことができたのですね。
中学でも勉強ばかりをしていた真面目キャラだったのですが、高校からは所謂高校デビューをはたしました。真面目なのは相変わらずでしたが、天パだった髪の毛に縮毛矯正をあてるなどおしゃれに興味を持つようになりました。その結果中学時代より明るくなり、友達も増えました。高校では裏千家を習っている友達と一緒に茶道部を一から立ち上げたりもしました。
ー高校卒業後の進路についてはどのように考えられていたのですか。
3歳の頃からやっていたピアノがずっと好きだったので音大に進学することを考えていた時期もありました。ただ、将来のことを冷静に考えた時に、人より少しうまいかもしれないけれどプロになることは難しいのではないかと思ってしまったんです。現実主義だったんですよね。その結果、勉強も得意だったので勉強を頑張った方が将来の選択肢が多いと思い、受験勉強に励みました。
今振り返ると、18歳なんてまだまだ若いので、将来の選択肢を気にすることなく好きなことをやっておけばよかったなと思うこともありますが…
ーそんな中、志望校はどのように決められたのですか。
両親が2人共、東京の大学を卒業していたこともあり、自然と東京の大学を視野にいれるようになりました。両親ももっと広い世界を一度見た方がいいと言っており、東京の大学への進学に賛成してくれていたので早稲田大学や慶應大学を志望校に考えていました。結局、昔から数学が好きで金融アナリストという仕事に当時興味を持っていたことや、就職先の選択肢が広そうな学部ということから、早稲田大学の商学部に進学を決めました。
何かを作り出すことの魅力を知った大学生活
ー大学生活はいかがでしたか。
田舎では秀才でも、都会には自分より勉強のできる人がたくさんいるのを入学して痛感し挫折を味わいました。それまではそこそこ勉強していれば良い成績が取れましたが、それではダメだと知り、改めて頑張ろうと思いましたね。ただ、1年の後期からは学園祭の実行委員会に入り、正直勉強は少し疎かになっていきました。
ー学園祭の実行委員としてはどのようなことをされていたのでしょうか。
初めは学外への広報をするチームに割り振られたのですが、だんだんと広報戦略をたてることよりも広報物を作る方に興味が湧いてきたので、学園祭のパンフレットを作るチームに移りました。イラストレーターやフォトショップなどのソフトウェアを活用してパンフレットを作るのが楽しく、大学生活のうちの3年間をこの活動に費やしました。情報をまとめて整理をするのが好きで、作る側の立場に就きたいという気持ちはこの頃からあったようです。
パンフレット制作の経験から、ウェブデザインなどにも興味を持つようになり、大学の先輩からウェブデザインのバイトも紹介していただきました。小さい画像作成からウェブページの作成と、少しづつバイト先で教えてもらいながら取り組み、独学でもコーディングの勉強をしていました。
ー充実した大学生活を送られていたようですが、その後の進路についてはどうやって決められたのですか。
自己分析をし、自分の好きなことや向いていること、そしてこれまでの自分の傾向を振り返った結果、モノづくりに関わることができるメーカーがいいのではないかと思い就活をしていました。ウェブデザインのバイトをさせていただいていた会社からも社員として入社しないかというお誘いをいただいていたのですが、大手メーカーからも内定をいただいており、迷った結果両親に勧められたメーカーへの入社を決めました。
ー自己分析をしっかりされ就職先を選ばれたとのですね!入社してみていかがでしたか。
1年目は三重、2〜3年目は名古屋の配属となり中部地方で3年間働きましたが、縁もない土地だったこともあり、名古屋での生活に馴染むことはできませんでした。
好きなことや向いていることからメーカー企業を選びましたが、メーカーの文化というものを知らなかったことや、グローバル化を推進していましたが私自身はグローバルというものに興味がなかったんです。また、総合職採用だったので転勤の可能性が常にありましたが私自身は転勤にはあまり前向きではなく、関東近郊でずっと暮らしたいと思っていたことからも少し想像していたキャリアと乖離がありました。
転勤前提の働き方を変えるべく転職
ーそれでも5年弱勤められたとのことですが、中部地方で3年働かれた後はどこに異動されたのですか。
父が東京の大学病院に入院が決まったため、定期的にお見舞いに行けるよう神奈川の営業所に異動させてもらいました。営業業務と営業所のシステムを作る仕事を掛け持ちしていましたが、1年弱は東京の病院に頻繁に足を運ぶ生活が続き、仕事に打ち込むような状況ではなかったです。
そんな中、入院していた父が亡くなりました。父の死はやはりショックで、これをきっかけに働き方や仕事というものを見直すようになりました。明日死ぬかもしれないので、今の自分の気持ちに素直に、今やりたいことをするのが一番だと思うようになりました。私にとってやっぱり大事にしたいことは友人と気軽に会える、慣れた土地で好きな仕事をして、生活すること。転勤の可能性がある大手企業で働き続ける理由がない、ということに気づきました。
ーそれが転職の決め手になったのですね。
はい。育児を経験する前に介護を経験するようになったことを含め、自分が想像していないタイミングで人生を左右する出来事が起こることを知ったので、多様な働き方をサポートできる会社で働きたいと思っていました。前職に在籍しながら、人材業界を中心に転職活動を行っている中でディップ株式会社に出会いました。
ー転職してみていかがでしたか。
文化や社風が全然違ったのでびっくりはしました。前職では終身雇用が前提にあったため年上の方がほとんどでしたが、今の会社は平均年齢も若く、同じ感覚を持った人たちが多くいるのでとても働きやすいなと感じています。また、現職ではいままで関わってこなかった世界を知っている人たちが身近にいるので、日々たくさん刺激をもらっています。周りの人たちの影響を受けて、Twitterでも発信を始めるようになりました。
ー素敵ですね。最後に今後挑戦したいことなどがあればぜひ教えてください。
仕事の領域がバックオフィス向けから全社向けに広がることになったので、まずは全力で与えられた仕事に取り組みたいと思っています。今までやってきてこなかった領域にはなりますが、しっかりとヒアリングを行い、営業の人たちにとって役に立つ機能の開発を楽しんでやりたいです。
本業以外ではずっと続けているピアノに時間を使いたいなと思っています。具体的にはピアノのコンクールに出場を予定しています。社会人になってからもピアノのレッスンは受け続けてきたものの好きな曲を弾いてきたので、コンクール出場を機に1曲の音楽ととことん向き合いたいなと思っています。また、現職では副業に対しても寛大なのでピアノの先生をはじめてみたいです。
将来のことはどうなるか分かりませんが、まずは明日死んでも大丈夫なように毎日を楽しく生きること。それを積み重ねていきたいなと思っています。
取材者:高尾有沙(Facebook/Twitter/note)
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter)
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter)