運動少女だった角島瑞希が、5万リツイートの人気シュークリーム専門店を育てるまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第147回目のゲストはchou à la crème Capri(シューアラクレームカプリ)オーナーパティシエ・角島瑞希(かどしまみずき)さんです。

24時間365日をスポーツに捧げる学生生活を過ごしたものの、ある出来事がきっかけで高校中退。進路を断たれた絶望の縁にいた角島さんを救ったのは、お菓子づくりでした。

製菓専門学校に進学、朝昼晩とお菓子づくりに没頭し、「自分の店を持ちたい」と独立を決断。大阪で初出店したシュークリーム専門店は、オープンから2ヶ月で5万リツイートを記録する大人気店に。ピンチをチャンスに変えた角島さんの『危機を成功に導くレシピ』を伺いました。

できたてにこだわるシュークリーム専門店

chou à la crème Capri(シューアラクレームカプリ)藤井寺店店で撮影された角島さん

ー自己紹介をお願い致します。

chou à la crème Capri(シューアラクレームカプリ)オーナーパティシエの角島瑞希です。現在23歳で、2年前に製菓の専門学校を卒業しシュークリーム専門店を開業しました。

2018年5月に大阪府河内長野市に千代田店を、2店舗目として2019年12月に藤井寺市に藤井寺店を立ち上げ、22歳の誕生日に法人化し、株式会社Ciel CoCo(シエルココ)を設立しました。

ーシュークリームのこだわりを教えてください。

できたてにこだわっています。そのため、当日朝に藤井寺店でイチからつくり、千代田店に配送するという手順を踏んでいるんです。11時の開店時間に合わせて朝6:30から開店準備をしています。

定番のカスタード、抹茶、チョコレートに加えて、季節によりさまざまな新作を交えた常時8〜12種類ほどのシュークリームを展開しています。

やさしい空色を彷彿とさせるテーマカラーの水色で彩られたパッケージに包まれたシューは、自分用のご褒美や大切な人への贈り物としてご利用頂けると思います。

スイーツ少女は、24時間365日のスポーツ少女だった

プールで泳ぐ角島さん

ー幼い頃は本当にスポーツ少女だったと伺いましたが、どんなスポーツされていたんですか。

水泳に力を入れていて、小学生ではスイミングスクールに週6回通いました。水泳をはじめたきっかけは、0歳で母に連れられて、ベビーコースに参加したことです。その後、育成コース、選手コースに進級しました。

それから、小学校の5、6年生ぐらいで陸上に転向。どうも校内マラソン大会で注目してくれていたようで、陸上クラブから声をかけて頂いたんです。水泳のおかげで肺活量が強かったため長距離が得意だったことと、進学予定の中学校に水泳部がなかったので、陸上を選びました。

志望校へは、スポーツ推薦で入学。もちろん陸上を続けました。授業のカリキュラムや講義内容から、高校卒業後は、栄養学について学べる大学へのスポーツ推薦での入学を考えていました。

ー当時は、製菓に携わる道は考えていらっしゃらなかったんですね。

進路ははっきり決めていませんでしたが、スポーツ選手として食事管理や食事制限に気をつけていたんです。日頃から自分で勉強していたので、栄養の知識が役立つ方向性を考えていました。

大好きだった陸上を断念せざるを得なかった高校生活

ー高校生活で、角島さんに特に影響を与えた出来事を教えてください。

高校1年生の終わりに、頻繁にものを紛失し、違和感を抱えていました。2年生ではそれが特定の男子生徒によるものだと分かり恐怖を感じるように。それが原因となってストレスで過呼吸を起こすようになりました。

ー周囲の助けは受けられなかったのでしょうか。

最初は、周りの人に話すことはありませんでした。はっきりとした証拠が出てきてから学校側に相談しましたが納得できるような方向に話は進みませんでした。当時は、もう、どうしたらいいかわからなくて…。悩んで悩んで、泣いてしまうような日々。日々弱っていく自分が悪いような気さえしました。影響は、身体的にも現れだしました。そしてだんだん体調を崩し、ついには走れなくなったんです。

そして、部活を辞めました。心配をしてくれた友人からも、学校側にかけあってくれましたが、私はひどく疲れてしまっていたんです。結局、高校を辞めることを選びました。陸上、さらには未来も失い…自分の手足を削がれたような感覚でした。

スイーツに関わる事で第二の夢を見つける

専門学校の製菓教室にてショートケーキをつくる角島さん

ー当時、描いていた将来像まで消え、重ねて辛いお気持ちだったかと思います。どうやって状況を変化させていったのでしょうか。

はじめは落ち込んで何もできない状況でしたが、母と新しい目標を一緒に探しました。もともとお菓子づくりが好きだったんです。

「辛いときに励ましてくれた人たちに、スイーツを作れるようになった自分の姿を見てもらいたい」そんな想いを抱き、パティシエになるという目標ができました。同学年が3年生へ進級するタイミングで、わたしは専門学校へ再入学。新しい夢を見つけたことが、元気を取り戻すきっかけになってくれました。

ー入学するときに緊張や不安はありましたか。

専門学校は中学校を卒業して入学できるので、多くの同級生が2学年下の子たちになります。仲良くなれるかな、と緊張しました。しかし、学校がはじまると、その緊張は消えましたね。とても楽しかったんです。友達に恵まれ、陸上の次に打ち込むものに出会い、すごく充実した3年間を過ごしました。

一日中、自分がやりたいことができるような生活。朝に自分でつくったケーキを食べて、学校で自分がしたいことを授業で実習し、バイト先で学びたいことを学んでいました。卵やバターや粉が、製菓の工程を経て、綺麗な商品に出来上がっていく様子を見ているだけで楽しくって。

毎日同じ作業のように見えても、材料や天候などのわずかな変化にも影響を受けることが奥深いなと思っていました。

最先端のキカイを見て、開業のキカイを考える

こだわりのパッケージと角島さん

ー開業を考え始めたのはいつですか。

19歳で参加したモバックショーがきっかけとなりました。モバックショーは、製菓・製パンで使う機械や材料、包材などが展示される展示会です。そこで最先端の機械を見て、圧倒されたんです。将来的に開業することを漠然と考えていたんですが、色んな展示物を見て、具体的なイメージに変わりました。就職という道もあるので、ホテル、レストラン、結婚式場、街のケーキ屋さん、カフェなど、たくさんの現場で働き、体験しました。そこでの経験を経て、より自分の心がわくわくする選択が、「自分でお店をやること」だったんですよね。

ー当時は開業について誰かに相談をしていましたか。

母や専門学校の友達ですね。はじめは家族にすごく反対されました。「一回は就職し、修行してから独立するのが筋ではないか」と両親に諭されたんです。しかし、私が将来、出産と結婚を経験したいことや、お店の計画を両親に説明しました。最後は、「サポートするね」と背中を押してくれました。

ー開業を決めて、最初の行動はなんでしたか。

お金を借りることですね。祖父母の洋服店を改装し、洋菓子のお店を作るには多額の費用を集める必要があったんのす。日本政策金融公庫に相談するため、事業計画書を作成しました。

友人の父親に、工事計画と見積もりをお願いして改装費用を知り、事業計画書に落としていきました。今思ったらあれでよく通ったなと思うんですけど、手書きで書いた事業計画書を当時19歳で日本政策金融公庫に持っていきましたね。

お店をオープンする直前は、「今までの準備で十分かな」「お客さんはきてくれるかな」と、不安がすごく大きかったんです。だけど、自分がつくったものを、「できたよ!」と話せる誇らしさも感じていました。

1日で5万リツイートを記録し、遠方のファンも来店するように

ー一歩踏み出すのが怖いと不安になった時は、どうやって乗り越えていらっしゃるんですか。

不安なときは、成功したときのイメージを強く持つんです。これが成功したら、これとこれがよくなると、たくさん思い描いて、心配よりも成功のイメージを強く持てるようにして、進みます。

ーオープンして、どのくらいで軌道に乗ったのでしょうか。

おかげさまで、初日からお店は大盛況だったんです。開店前の店頭にはズラーっと列が連なり、開店時間を過ぎても行列が途切れませんでした。並ぶお客様がいるにも関わらず完売して閉店したこともありましたね。

ーそのときは、残念がられませんでしたか。

Twitterでお店が拡散した翌日が特に大変でした。オープンしてから2ヶ月ぐらいに、私のお酒馴染みのツイートが1日で5万リツイートを記録し、東京、愛知、愛媛などの大阪府外のお客さんが増えたんです。愛知から車で来た方が昼すぎに到着されましたが、完売のため商品をお渡しできませんでした。すごい心苦しかったですね。

ーお店を開店されて約2年が経ちましたが、一番嬉しかった経験を教えてください。

嬉しかったことはたくさんありますが、中でも、昔パティシエをされていた女性との会話が印象に残っています。彼女は「おかしづくりが好きだけど、出産や結婚で、パティシエを辞めてしまった」とおっしゃっていました。そして私に、「若いのに挑戦する姿にすごく感動した。私もまだまだできることがあるんじゃないかと勇気づけられた。私も頑張ります。」と目に涙をためながら話してくださって、最後に握手をしてくださいました。

私の行動で勇気が出ると言ってくださる方がいることが、すごく嬉しかったんですよね。同時に、パティシエをしたいけど、いろんな事情でできない女性も一緒に働ける環境づくりへの思いが自分の中で芽生えた貴重な思い出です。

ー最後に、今後の展望を教えてください。

現在、千代田店と藤井寺店の2店舗を経営しています。ありがたいことに、「ここに作って欲しい!」という声をたくさん頂いています。皆さんの声に応えられるように、お店を他の地域に広げられたらいいな、と思っています。そして、たくさんの方に愛されるお店づくりを頑張っていきたいです。

ー是非、東京にも出店していただきたいです。ありがとうございました!

取材者:青木空美子(Twitternote
執筆者:津島菜摘(note/Twitter
編集者:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter