様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回は、株式会社想創で代表取締役を務めている前田あかりさんにお話をお伺いしました。
現在、“生きづらさ”を抱えている人に向けて事業を展開している前田さん。前田さん自身も、10歳の頃から長年に渡りいじめに遭ってきました。それだけにとどまらず、数多くの辛い経験をされ、どんどん精神的に追い込まれていきます。
「自分が大嫌いだった」と語る前田さんが、どのようにして自分の人生を歩めるようになったのか。前田さんの半生を振り返りながら、抱いている想いについてお伺いしました。
中学時代からビジネスに興味を持ち始め、いじめに対して行動を興す
ー本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いします。
前田あかりです。株式会社想創の代表をしています。現在18歳で、今年の3月に通信制の高校を卒業しました。
在学中は、サロンモデルやフリーランスのライターをしていました。卒業後の現在はGaiaxの人事支援でインターンもしています。
生まれは北海道北見市。親の離婚で神奈川県に引っ越し、その後に母親の再婚で長野県に移りました。現在は東京に住んでいます。
ー創業された株式会社想創では、どのような事業を展開しているのですか?
現在は、会社として柱としている事業はなく、これから創っていくフェーズにあります。ただ、会社の核となる方針は決まっており、”生きづらさ”という面から事業を広げていこうと模索しています。
まだ構想段階ですが、居酒屋にコミュニティという役割を加えた場づくりや、「生きづらい」と思っている人が相談できる居場所を作ろうと考えています。
ーこれからまさに生きづらさをテーマに事業を展開していく予定なのですね。会社を始めたのはいつ頃なのですか?
もともと、中学3年生くらいからビジネスに興味を持ち始め、高校1年生からいじめに対して行動を起こし、ビジネスプレゼンなどをしていました。
株式会社想創を登記したのは今年の3月です。親との関係が悪化し、家出をして上京していたんです。ただ上京しただけだと連れ戻されてしまうため、帰らない理由を作る必要がありました。反対もされたのですが、親が肩書きを好む人なので、納得してもらえるよう会社を作りました。
会社のメンバーとしては私一人ですが、何名かがボランティアで手伝ってくれています。
ー起業して間もないですが、心持ちとして何か変化はありましたか?
自分の足で自分の人生を歩けるようになった、と感じ始めています。今までは、他人や周りに振り回されることが多かったです。自分がいじめを受けてたことを思い出して、辛くなることもありました。
しかし、今はしっかり自分で歩けているという感覚があります。過去の嫌な思い出も、全て受け入れて、自分自身を愛せるようになりました。
ーちょっとずつご自身の成長を感じているのですね。会社の名前も前田さんが考えたのですか?
実は、母親が運営していたNPO法人の名前なのです。母親がNPO法人を始める際、私も一緒に名前を考え、想創が生まれました。
ただ、父親も会社を経営していたため、NPO法人の運営が難しくなり、私が想創の名前を譲り受けました。親に迷惑かけてきたという気持ちもあったので、親と仲良くなれるといいなぁ、という想いも込もっているんです。
親の再婚といじめ。前田さんの人生を変えたターニングポイント
ー非常に大切な想いが込められているのですね。是非とも過去に遡って、前田さんのことを教えてください。最初のターニングポイントはいつ頃だったのですか?
親の再婚で長野県で引っ越した10歳の頃です。編入先の小学校でいじめに遭った経験が、私の人生の中での大きなターニングポイントになりました。
長い間、母親は再婚していなかったのです。そのため、再婚する前に母親に彼氏ができたと知ったときは、多少ダメージがありました(笑)
母親はもともと身体が良好ではなく、頻繁に入院もしていました。再婚するという話を聞き、「安心だ」とホッとした部分もありましたが、同時に寂しさも感じていましたね。母子家庭ということもあり、なかなか親に甘えらなかったのが、再婚してさらに甘えづらくなりました。
また、”母親”という側面でなく、”女性”という側面を見て、なんとなく嫌だなという違和感を覚えていました。「結婚式当日は絶対に笑わない!」という謎の自分ルールも決めていました。
ー10歳の前田さんにとって、衝撃的な出来事でしたね。その後、立て続けにいじめにも遭われたのですね。
クラスで人気だった女の子に好きな人がおり、その人が私に好意を抱いていたそうなのです。そこから、「気に入らない」と一部の女子がいじめ始め、徐々にクラス全体へ広がってしまいました。
靴がなくなったり、教科書が捨てられたり、金属バットを持って追いかけ回されたり…。「昭和のいじめか!」と言いたくなるような内容が多かったです。
編入先の小学校が小さな村の学校だったので、同級生の多くは保育園時代から一緒のメンバー。私のような外部から来た人は初めてで、まるで「異世界から来た人」と捉えられ、抵抗感があったのだと思います。
中学もメンバーは変わらず、いじめ自体は中学時代にも続きました。環境を変えるために中学受験も挑戦したのですが、失敗してしまい…。中学3年生で他の学校に転校しました。
もともと両親に頼るのが苦手な子で、さらに親の会社でもトラブルが起きており、いじめられていることはなかなか相談できませんでした。私自身、気が強い性格だったので、「自分でなんとかしよう」という心持ちでしたね。
アルペンスキーに出逢い、初めて心の拠り所を見つける
ー中学受験は前田さんからの提案だったのですか?
いじめから逃れたいという自分の意思もありましたが、英才教育をする家系の風習の流れもあり、受験に挑みました。けれど、解答用紙に何も書けませんでした。プレッシャーと、人の目線が怖くなってしまって…。
親には家庭教師もつけてもらっていたので、白紙で提出したことが申し訳なさすぎて、試験が終わった直後には「合格するかは五分五分かなぁ」と話たことを覚えています。
ー当時からなかなか本音を打ち明けられなかったのですね。今改めて思い返して、4年間いじめを受けたことに対して、前田さんはどう感じていますか?
「いじめという体験があったから今があるんでしょ」と言われることもあります。けれど、経験しなくて良かったなら、経験したくはなかった、というのが本音です。
何か意味をつけるのであれば、これから展開するサービスに経験を活かして、少しでも世界を変えていけたらと考えています。
ーその後、中学3年生で転校されたのですね。転校のきっかけは何かあったのですか?
当時、熱心に取り組んでいたアルペンスキーが、怪我で出来なくなってしまったのがきっかけです。
小学5年生の時、体育の授業でスキーをするという話を聞きました。私はスキーを経験したことがなかったため、地元のスキースクールに入ることに。そこで、スキーで斜面を駆け下りるアルペンスキーという競技に出逢います。
アルペンスキーを始めてみると、徐々に成績が伸びていく達成感が楽しくて、どんどん夢中になりました。もともと、車などのスピード感のある体験が好きだったので、スピード感のあるアルペンスキーにも惹かれていたと思います。初めて出来た心の拠り所でした。
しかし、怪我をしてアルペンスキーが出来なくなってしまいました。そこから心のバランスも崩れていきます。当時お付き合いをしていた方も、アルペンスキーを通じて知り合えた方で…同じ時期に別れてしまいました。
心の支えを失って、今まで溜まっていたストレスが爆発してしまい、発作を起こして入院しました。入院によって学校に通うことが難しくなりましたが、行きたい高校があったため勉強は諦められず、親に頼んで転校したんです。
他人の顔色を伺う毎日。そんな中で出会った“愛”
ー心機一転、新しい学校で頑張ろうとしていたのですね。転校先はいかがでしたか?
心の持ちようとしては「頑張ろう」「友達も作ろう」という気持ちで転入しました。しかし、転校先は隣の村の学校だったので、前の学校から私の噂が広がっていたんです。
噂のほとんどは事実ではないことばかりでしたが、転入する前から「前田あかりはこういう人間なんだ」と根付いていて、馴染むことができませんでした。自分の知らない自分が、みんなの中に存在していました。
ー狭いコミュニティだからこその出来事かもしれませんね。その後、高校受験をされたのですね。
第二志望の全日制の高校に合格し、実家からは通えない距離だったので、一人暮らしを始めます。
高校1年生の頃は、とにかく嫌われないように周りに合わせることを意識していました。また、人に依存しないと生きていけなかったので、良くしてもらっていた先輩にいつも付いて回っていました。そのため、クラスの同級生からは「この子変わってる」と思われていたのかもしれません。
常に他人の顔色を伺って、人に話しかけるのが怖くて。笑っている人がいると、自分の悪口を言われているのでは無いかと疑ってしまいました。テストの緊張感が苦手で、テストの度に吐き気に襲われることも…。しんどかったですね…。
その後、全日制の高校から通信制の高校に編入しました。周りに合わせる必要がなく、自分のペースで通えるので、ちょうど良かったのかなと思います。
ー前田さんの人生の中で、心の支えになった言葉などはございますか?
昨年の10月、私が今でも一番尊敬している方から、
『アウト・オブ・コントロールなものにマインドシェアを取られて、本来やりたいことの生産性を下げるのはもったいないよね』
という言葉をいただきました。
何気ない会話の中での言葉でした。ただ、それはずっと自分で感じていたけれど、見て見ぬ振りをしていたことだったんです。その言葉が胸に刺さり、「頑張らなきゃ」と勇気をいただきました。
ー「自分の足で自分の人生を歩めるようになった」とお話しされていましたが、そう思われたきっかけはありますか?
過去の経験を完全に受け入れられた、と思います。今日お話ししたこと以外にも多くの出来事があったのですが、東京に来てから自分と向き合う時間を大切にするようにしました。
もともと自分のことが大嫌いで、親との関係性も良くなかったので、愛が分かりませんでした。愛されてはいるんだろうけど、なかなか受け入れられず、愛ってなんだろうと考えていたんです。
けれど、上京して、人生で一番尊敬している方に出逢いました。その人は本当に人を愛していて、その人に支えてもらいながら、少しずつ愛を学ぶことができたんだなと思っています。
そして、自分を愛することができるようになって、自分のメンタルや人生をコントロールできるようになったと感じてるんです。
ー尊敬している方から愛を教わり、過去の経験すべてを受け入れて、前を向けるようになったのですね。本日はありがとうございました!
取材:青木空美子(Twitter/note)
執筆:みやっち(ブログ/Twitter)
編集:野里のどか(ブログ/Twitter)