就職せず海外に 長年の教員志望から大方向転換 ベンチャーで「旅人採用」を担う青木空美子の不変の情熱

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第98回目のゲストは、日本初の旅人に特化した就職支援サービス、「旅人採用」を務める青木空美子さんです。

青木さんは『U-29 Career Lounge』(ユニキャリ) のアシスタントとしてお馴染みです。(ユニキャリでは毎朝、ユニークな価値観を持つ29歳以下の方々へのインタビューを生配信しています。)

教員を志し熱心に勉強していた青木さんは、意外なことに、就職せずオーストラリア行きを決断しました。

海外での語学アシスタント、公務員、そしてベンチャー企業と大きく舵を切ってきたようですが、心の底では教育へのたゆまぬ情熱を貫いていたのです。

青木さんのお話は、周囲の反対に遭っても、違う道でも、意志を持って自ら選択することで道は拓けると教えてくれます。

決断と苦難の一つひとつに正面から向き合ってきた、青木さんのこれまでの歩みを伺いました。

採用活動に新風 旅人の光る才能を発掘するエージェント


ー青木さんが現在携われている旅人採用について教えてください。ご自身の就活迷子、海外経験、公務員勤務といった様々な経験を活かしてカウンセリングに励まれているそうですね。

旅人採用は、株式会社TABIPPOと株式会社ダイブが共同で運営する就職支援サービスです。旅人採用の「旅人」は海外を旅した経験がある人を指します。

私たちは旅人の就職サポートを行っており、現在は新卒の方々に特化しています。

2018年のローンチから大変多くの方に登録いただき、就職活動に新しい流れを生んでいます。

サービス立ち上げの背景には、旅人たちの海外経験を発掘し活かすサービスを展開したい、という事業発起人たちの強い思いがありました。

従来の選考では、旅人の強みが採用側に伝わりきらないことが多かったように感じています。旅の経験は履歴書に詳しく載りませんが、学生時代に大きく成長できる機会です。

そして、自分の軸を持っている、行動力があるといった旅人の持ち味は、才能の芽とも呼べます。私たちは、旅の経験が就職で有利になるカルチャーを作っていこうとしています。

ー青木さんも海外に行かれていましたが、旅人とそうでない人を比べて旅人の強みは何ですか?

コミュニケーション力が高いという表面的な部分は話題になりやすいですが、より本質的な点は、恐れず新しいことに挑戦できる行動力です。

実際、自分の軸をしっかり持つ旅人たちは、組織によい影響を及ぼしています。それは、彼らがしっかりとした軸を持って生きているからです。

旅といえば遊んでいるイメージをどうしても持たれがちではあります。しかし、旅は人生を大きく変える原体験になることだってあるのです。

小学校時代から一筋に教員を目指す

―ご家族は公務員一家、祖父母は学校の先生だったそうですね。

そうです。祖父は校長先生でした。父母はどちらも教育学部を卒業し、公務員として市役所に勤務しています。何かしら教育に携わってきた家族ですね。

―家庭教育が厳しかったのではないでしょうか?

あまり「きつい」と感じたことや、家族に反抗することはありませんでしたが、振り返って「我が家は普通ではなかったのかもしれない」と気づきました。

周りに家族の話をすると一番驚かれるのは、サザエさん一家のように「大黒柱の祖父が一番たてられるべき」という考えが根付いていたことですね。

晩御飯の時間になれば祖父を呼びに行くとか、寝る前は祖父母の寝室の襖を丁寧に開けて土下座して「お先に失礼します。おやすみなさい。」と挨拶をするとか、祖父が箸を置くまで席を立てないとか…目上の方に対する丁重な態度を小さなことから教えてもらいました。

―幼いの頃から小学校の先生を志し、教育学部に進学されたんですね?

大学時代は勉強に集中しようと入学時から決めていました。

有難いことに親のサポートもあって、本来ならば生活費を自分で工面すべきところ、アルバイトの時間を勉強にあてさせてもらう許可を得ることができました。

そのため、朝の6時から夜の11時まで大学にこもって勉強していた日もありました。

―熱心に勉強していたことはなんですか?

教育も色々な分野があります。ひたすら教育学だけを勉強することもできますが、現場に入って必要になるのは自分で教材を開発できる力。

教科書をただなぞるだけでなく「この方が子どもたちに伝わりやすいから、こうしよう」と友人と盛んにディスカッションしていました。

あとはピアノの練習です。大学4年で進路決定をしてからは、ボランティアなどを積極的にしていましたが、それまでは「先生になるためにどれだけ頑張れるか」ばかり考えていました。

転機となった初の海外経験 長年の教員への夢を手放す

―そんな中転機になったのが、海外での短期留学ですね。旅人採用にも繋がってくると思いますが、どういうきっかけで海外留学に挑戦しようと思いましたか?

ニュージーランドに1ヶ月間短期留学をしました。留学プログラムは、たまたま通りかかった大学の掲示板で見つけました。それを見て、ビビッときたんです。

大学生活を経て、自分自身が今まで生きてきた世界がいかに狭かったか、ということに気付き始めていました。家庭の状況もあって、視野が狭まっていたのかもしれません。

大学の友人やいろんな人を見るにつれて、漠然とした不安、「自分は何も知らないな」という恐怖を持ちました。

そんな中で、海外を選択した理由は、同じルーツも持たない、私のことを全く知らない人ばかりの環境で自分がどんな行動をとるのか知りたいと思ったからです。

その先に、今までの周りから影響を受けてきた自分ではなく、本来の自分が見えてくるのではないか、という期待がありました。

―実際に海外に行ってみて、自分の中で大きな変化はありましたか?

自分の中では、革命的に変わったなと感じています。

ニュージーランド人は、積極的で恥ずかしさがなく、手を挙げたらその分の価値が返ってくると考えていて、彼らから大きな影響を受けました。

大学のプログラムとして日本人約15人で参加をしましたが、同じ留学生と一緒に活動するだけではなく、自分でもアクションを起こしました。そこから更に、チャンスが広がりました。

「自分で動き出したら、世界って広がるんだな」と、その経験から発見を得ました。と同時に、それまでの自分は環境のせいにしていたと気付きました。

「できない」のではなく、「やらなかった」だけなんだと反省しましたね。

―帰国されて教職に就くと思いきや、その夢を断念されるんですね。どういう考えの変化があって、その決断をされましたか?

自分でも驚くような進路変更でした。大学1年生の頃から教育を突き詰めていたことから、学校教育が持つ制約が段々とわかってきていました。

さらに、教員になる夢を断念する最後の一押しとなったのは、大学3年次に参加した1ヶ月間の母校実習での経験です。

そこでいろんな先生に面談していただき、教頭先生以外の皆さんに「先生にはならないほうがいいよ」と言われたんです。私の特徴に対してというより、先生という仕事の複雑さゆえの助言でした。

また、実習の現場で、先生を務めるのは優秀な方だらけだなと実感したんですね。

優秀な方が全力を尽くしても課題があり続ける教育現場の状況に目を向けたとき、私がここから数十年働き続けたとして、課題を解決できるイメージが持てませんでした。

革命を起こしたいという大きな目標のようなものがあったわけではありませんでしたが、先生になった後の頭打ちが見えたといいますか。

プロにはなれるかもしれないけれど、プロ以上にはなれないと思ったことが大きなきっかけでしたね。

―10年以上にわたって抱いてきた夢を手放す瞬間というのはなかなか苦しい決断だったと思います。

大学の先生に、「学校の先生にならないことに決めました。」と伝えたとき、「レールから外れるんだったらいらない。」、「存在自体が迷惑だよね。」と言われてしまいました。

本来なら就職活動にシフトすべきなのですが、就活のサポートを得られる状況ではないと悟りました。もう自力でしていかないと、と覚悟を持ちました。

就職せずオーストラリアへ「自分で決める」子どもたちを自身に重ねた

―そこから就職活動はどうされたのでしょうか?

就職活動は1ヶ月くらいしかしませんでした。それまで、小学校の先生になる夢しか持ってなかった人間が、新しい夢を突然掲げられるほど人生甘くはないですよね。

家族全員が公務員だったので、一般就職の相談は難しく、周りの友人も教員採用試験に向けて必死に勉強を頑張っていた時期でした。

自分の中で教師以外の選択肢が具体化するかどうか、休学していろいろなことに挑戦してみよう、と思った時もありました。ですが、こちらも大学の先生から許可を得ることはできませんでした。「教師にならないのに、休学なんてできないよ」と…。

そういう状況下で自分なりに情報収集をするしかありません。オーソドックスに3月から合同説明会に出て、1ヶ月だけ就職活動をしました。

―1ヶ月で就職活動をやめたのはどうしてですか?

合同説明会の雰囲気や自己紹介の仕方、履歴書の書き方など、しっくりこなくて違和感を感じていました。

みんなが一様にスーツを着て企業の人事さんに駆け寄り、本当かもわからない言葉を交わしている…。

周りの就活生に対しても、人事さんに対しても、「心からの言葉を言っているのだろうか?」と疑いの目を向けるようになってしまったんです。そうして、就職活動はストップしました。

―そこから海外へ行くことにしたのはどうしてですか?

当時、就職をする気にならなかったのは、私が働くとは何かを知らないからで、そこからくる自信のなさが大きいと思っていました。

このまま就職する以外の方法で、働く経験を得たい。

そういった想いと、自分のことをとことん突き詰めて考えて見えてきた自分の特徴、人生の中で経験しておきたいことを考えたとき、長期間の海外滞在に挑戦しようと決めました。

―オーストラリアで日本語教師として働かれたんですよね。どのような経験になったのでしょうか?

自分にとって、原点となる経験でした。日本語教師としてオーストラリアの子どもたちと接し、自分で決めて自分で動く経験が人の成長に大きく関わると感じました。

日本の学校には時間割がありますよね。彼らには時間割がない日もあり、自分で今日やることを決め、勉強する言語も小学生の頃から自分で選べる環境にあるんです。

先生と生徒の間で、「あなたは何ができる?」、「今日、自分はこれをしようと思います。」という会話が交わされます。

自分で決めて自分でする、というサイクルを幼い頃から学んでいるんです。これは、日本では珍しい教育方法。

彼らを自分と重ねました。私の場合、オーストラリアに来る前に、自分で決めて新卒カードを捨てたのだと。

周りからとても反対されましたが、自分で選んで決めたからこそ、それぞれの経験が積み重なったなと振り返る機会になりましたね。

ただ、私の場合は気付くのが遅かった。幼い頃から、できるだけ自分で意思決定するサイクルを経験することの大切さを学びました。

バナーで見つけた「旅人採用」に応募

―帰国後は市役所で働き、今はベンチャー企業で全く畑違いのチャレンジをされていますね。どのような経緯がありますか?

帰国後、親が在籍していた市役所で3ヶ月ほど事務を担当していました。

その後、海外渡航経験を活かし、英語専門職員として観光案内にも携わっていました。この時も、5年後の自分の姿が見えてしまったんです。教員の夢を断ったときと同じですね。

改めて自分の人生を振り返ったとき、やはり教育という想いは捨てきれませんでした。

頑張っている学校の先生に、外から何かしたい、という想いが募りました。教職志望から方向転換したとはいえ、自分の根本的な関心は人の成長に関わること、人の能力を見出すことだった。

そんな時に、たまたまバナーで旅人採用を見かけました。最初はユーザーとして登録を考えていました。

サービスが立ち上がった背景を知り、このサービスの運営に携われたらどんなに面白いだろうかと、思うようになりました。

人生でこの会社しか受けたことがありませんでしたし、面接も履歴書を書くのも初めてのこと。まさか受かるとは思いませんでした。

―採用された要因は何だと思いますか?

入社して3ヶ月くらいが最も辛く、周りの人々の優秀さに、「私はなぜ受かったのだろう」と疑問に思うことばかりでした。

実は、最終面接では、私の経験不足が理由で執行役員の見立ては不採用だったらしいんです。

しかし、面接に同席していた現在の同僚と事業リーダーが「この子は育ちます。もし違ったら自分たちが責任を取ります」とまで執行役員に掛け合ってくれていたと、後々知りました。

がむしゃらに頑張れる可能性をくんで頂けたのかな、と今は思っています。

―旅人採用に携わり2年ほどですね。振り返ってみてどのように感じていますか?

大変でしたが、楽しかったですね。事業の立ち上げは簡単ではないので、忙しく、終電で帰ることが多くて体を壊すことも。

それでも、大好きなメンバーと泣きながら笑いながら進んでこれたことは、人生においてかなり大きな経験になっていると感じています。

―大学生をはじめ、学生に向けてどんなことを伝えたいですか?

社会的規範や「〜すべき」という世間一般の常識だけでなく、「あなたはどうしたいのか」の答えを大切に守ってあげてほしいな、と思います。

私が就職しないと決めたとき、周りからは「新卒ってゴールドカードだよ?なんで捨てるの?」と言われました。

「新卒で就職する方が有利」という概念は、大人たちが創り上げた仕組みであって、学生さんが必ずそれに従わなければいけない理由はありません。

当時の私も、まだまだ未熟でしたが、自分なりに自分の特徴を考えました。

本当にやりたいことなのかわからない、働く覚悟があるのかもわからないけれど、新卒で就活した方が有利だからという理由で入社を決めた人生。

一方、自己責任のもと自分で選んだ人生に基づいて、青木空美子という人間を見ていただいた上で、「一緒に働こう」と言っていただいた人生…。

どちらを歩みたいかと考えたとき、私の場合は後者が残りました。だったらもう、自分で責任を取って進むしかない、という覚悟に変わったんです。

学生の皆さん。社会に対して何か疑問に思うことがあれば、その疑問を大切にしてください。

そして、異論を呈するだけでなく、「自分はどうしたいのか」に転嫁されるまで、考えたり動いたりしてみてほしいなと思います。

ー上京から2年を経て、どのようなことに気付きましたか?また、今後挑戦してみたいことはありますか?

何事も自分次第だと気付きました。これは、上京してよかった点でもありますね。東京は何でも手に入ります。環境のせいには全くならないと実感しました。自分がやらなかった、判断しなかった、本当にそれだけです。だからこそ、足を動かし、認識を広げることが重要だと知りました。

仕事としては、今後も教育には関わっていきたいと思っています。制約ある中で頑張っている学校の先生を助けるためにも、民間という外の世界から、少しでも学生さん、子どもたちのためになることをしたいですね。

プライベートとしては、「自分で決めた人生を悔いなく生きる」というモットーのもと、「やらなかった」で後悔しない選択をしていきたいと思います。

ー本日はありがとうございました!今後のご活躍も楽しみにしています。

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取材 : 西村創一朗  (Facebook/Twitter/note)
執筆:笹谷由佳(Twitter
編集:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter