過去5回の転職。ウルサス本著者・飯髙悠太が伝えたい20代で必要な心構えとは

通称「ウルサス本」で愛される、『僕らはSNSでモノを買う』‬の著者・飯髙悠太さん。過去には、有名Webマーケティングメディア「ferret」の創刊編集長で従事していました。

実は、現職のホットリンクに従事するまで、5回の転職を経験。その背景には、さまざまな意思決定や戦略が。

20代で圧倒的な結果を出し、30代から飛躍するためには何が必要なのか?今回はその必要要素を、飯髙さんにお伺いしてきました。

飯髙悠太(いいたかゆうた):株式会社ホットリンク CMO(ホットリンクでTwitterする人)これまでに複数のWebサービスやメディアの立ち上げ・東証1部上場企業を含め100社以上のコンサルティングを経験。自著は‪『僕らはSNSでモノを買う』‬は5刷(2019年12月時点)を突破。また12/28に『アスリートのためのソーシャルメディア活用術』を出版。

 

新卒入社半年で営業トップに。大切なのは、みんなと同じ選択をしないこと

ーー飯髙さんのファーストキャリアと意思決定の背景をお聞きしたいです。

飯髙悠太(以下、飯髙):僕は最初、求人広告会社に入社しました。実はもともと、IT業界を目指していました。今でこそITの時代ですが、当時(2009年)は今と比べ市場が小さく、これから伸びる業界だと思っていたからです。

ただ、はじめに選んだのは「求人広告」。就活が終わり内定式の直前に、リーマンショックが起きました。僕なりに考えたのは、採用も減るしリストラも増えるからこそ、まずは「営業力」を磨きたいと思っていた僕にとっては一番過酷だからぴったりと思い選びました。

ーーそんな背景があったのですね…。在籍期間が半年と聞いたのですが、早くにジョブチェンジをした理由は何でしたか?

飯髙:僕はいつも、会社の在籍期間とそこで達成するミッションを予め決めています。

シンプルに早期達成できたんです。1年目でトップを取ることを目標にしていたのですが、半年で単月ではありますが達成できて。そして言葉は悪いですが、この会社で学ぶことはないなと思いまして…。

ーーすごい…新卒半年で達成できたんですね。しかも半年で。何か工夫はあったのですか?

飯髙:今でもベースにあるのですが、「みんなと同じことをしてはいけない」という考えがものすごく強かったです。当時の会社はゴリゴリの飛び込み営業をしていましたが、はじめから「なんか違うな…」と違和感を感じ、そこで自分なりのやり方を考えました。

たとえば、エリアを決めるとき「業界3番目以降の店舗のみに営業する」と決めていたんです。ほとんどの人が1、2位の会社に行くのですが、ライバルが多いため、競争も激しいので狙いを変えました。そうすることで結果も出やすかったですね。

王道パターンもいいですが、視点をずらし、自分なりの戦略を持つことで達成できたのかなと思っています。

 

飯髙さんの選ぶ基準は、迷ったらあえて茨の道に行くこと

ーー飯髙さんが環境を選んだり変えるとき、いつも明確な基準や目的を持っている印象なんですね。ご自身の中でモットーはありますか?

飯髙:なりたい自分ややりたいことが決まっている時、設けている基準がありますね。「迷ったらあえて泥船に乗る」ということ。なのでいつも、辛い方に自分の身を置いちゃっていますね。

ーーなるほど。何かきっかけがあるんですか?

飯髙:僕は小学校に入ってから高校までサッカー漬けの毎日を送っていました。サッカーの恩師がいつも、「人生で岐路に立たされたら、あえてハードな道を選びなさい」と助言してくれて。

平坦な道は楽に進めるけど、茨の道を歩むことで経験値がぐんと上がる。「若いうちなら、あえて難しいことを選択して経験しておくと後で強くなるから」と口酸っぱく言われましたね。

正直辛いことのが多いですが、やっぱりその選択は間違っていませんでした。とても感謝しています。

 

2、3、4社目と意思決定の連続

ーー1社目を退職して、次からIT業界に入りましたよね。これまでのストーリーをお聞きしたいです。

飯髙:2社目は、とあるWebマーケティングの会社に入りました。在籍期間は2年ほど。直感的に、イケイケ感もあってかっこよかったんです。また、業務量も多くて今で言う「ブラック」でしたが、1度はそんな環境に身を置いてみたかったんです。そもそも、今でもずっと働いていられるし、そういう企業を僕はブラックだとは思っていません。

言葉のニュアンスが難しいですが、この不況の時代、負荷から逃げていたらまずいですし、やっぱり量をこなしてないとわからない・経験できないことって多いです。

そして、実は面接は落ちていたんです。ただどうしても入社したかったので、社長に電話をして「落ちた理由は何ですか?」と聞いてたら、僕の憶測ですが「コイツおもしろい」って思ってくれて呼んでいただけました。

ーー普通落とされたら「はい、次」と行きますもんね(笑)

飯髙:そうですよね(笑)当時の社長に「半年で営業部トップの成績を抜いたらリーダーにしてください。その分、最初の給与も最低金額で大丈夫です」と伝えました。そうしたら「全然いいよ」って言ってくれて。

そこからがむしゃらに頑張って、宣言通り、半年で達成できました。結果、希望はどうあれ社会人2年目でマネージャーになりましたね。

ーーすごい、有言実行ですね。成果も順調にでていた中で、どうして2年で辞めてしまったのですか?

飯髙:言葉を選ばずに言うと、学べることを全部学んだんです。また、今でもベースにある「自分の営業スタイル」が築けてきたなと。僕は常に「御社に合うから、本当にこれはやった方がいいですよ」「そんなにやりたいならやってみてもいいですが、失敗すると思いますよ?」というように、お金は大事だけどお客さんの立場で、成果を一緒に追いたいっていうスタンスなんです。

ーー引き営業っていうか、飯髙さんとしゃべっているそのままって感じですね(笑)。グイグイ取ってくるような営業スタンスではないと。

飯髙:そうですね。さっきもお伝えしましたが営業って、お客さんが幸せになることが1番だと思っているので。

また、ITでも「SNS」が急激に伸びてきて、SNSでトップになりたいという気持ちも芽生えました。

その後は、3社目にSNSに強いマーケティング会社(在籍期間1年4ヵ月)、4社目にスタートアップ企業(在籍期間9ヵ月)に移りました。

ーーなるほど。どのタイミングでベーシック(ferret運営会社)に移ったのですか?

飯髙:過去に仕事でメディアやブログ運営もしていたんですね。純粋にたのしかったですし、再現性やシナジー効果が高いなって思っていました。

で、あるタイミングで知り合いから面白い会社があるから、今から飲み屋に来てくれと呼ばれました。そこで「ferretをメディアにピポットしたい」と社長の秋山さんから言われました。他の会社に行くことが決まっていたのですが、「中小企業のマーケを良くしたい」という想いが僕とマッチしていたし、これから自分が考えているキャリアと合致しているなと

シンプルに言うと濃い経験ができると思い、ベーシックへの入社を決めましたね。

 

ferret創刊編集長へ就任。ミッションドリブンで月間4000人以上が会員登録するメディアに

ーーそこでferretの創刊編集長として、メディアを立ち上げたんですね。ベーシックでは、どんなキャリアを歩まれたんですか?

飯髙:一般社員で入社して3ヵ月後にマネージャーになりました。またその6ヵ月後に部長になって、その2年後に執行役員ですね。在籍期間は1番長く、気づけば4年半いましたね。

ーー今までずっと、ご自身で期間とミッションを決めていましたよね。ベーシックでは何を考えていたんですか?

飯髙:ベーシックでは、ミッションドリブンでしたね。目標はferretを他メディアの倍、読まれるメディアにすること。実際に立ち上げ1年半で達成できました。

ーー毎回有言実行されててすごい…。でもまだベーシックに在籍していたのは、なにか理由がありましたか?

飯髙:任務達成した後もいろいろと軌道にのせることができたので、「辞めようかな…」と思ったときに、代表から「経営者にコミットして、経営の難しさを経験したほうがいい」とおっしゃってくださって。当時、会社のことをほぼほぼ何も考えてなかったことを伝え、それでも大丈夫ですか?と聞いたら「大丈夫。そんな人が1人くらいいた方がおもしろいし、チームのことを考えてやってる以上それは組織のことも考えてる。それは見ている俺が一番わかっている」と返ってきました。

ーー懐深いですね。

飯髙:ほんと感謝しています。そんな流れがあって、30歳で最年少執行役員になりました。

ーーすごい…。実際執行役員になって、やはり大変でしたか?

飯髙:大変でしたね。中でも、思い入れある人たちが退職したときが大きかったですね。コアなメンバーが辞めていって…。他にも、意見の食いちがいによる衝突もありましたね。

「このままだとやばい」と思い、立て直そうと思ってもできなかったりして。ただ、社長や他メンバーとも議論をし、自分の選択に嫌々かもしれませんが納得してくれました。

それから今の、SNS・デジタルマーケティングに強いホットリンクに転じ、早1年が経ちました。この1年も激動でしたが、とても充実していました。それは前職で経営に関わらせてもらったこともあるし、これまで色々経験してきたからだと思います。

そして何より、ホットリンクのメンバーとの距離感はいい意味で近いし。仲良しこよしではなく、ちゃんとメリハリはあって、こういう組織やチームが好きだったよなって思いながら、やっています。

そしてご存知の通り、これから更に「SNS」が伸びると思うので、この畑でも結果を出していきたいですね。

 

もし、過去の自分にメッセージを送るなら。どんどん失敗して、強くなってほしい

ーー今まで、相当な努力と数々の選択をされてきたじゃないですか。過去をふり返って、大学生の飯髙さんにメッセージを伝えるとしたら、なんと伝えたいですか?

飯髙:そうですね……。今パッと3つ思いついたので、順にお伝えしますね。

まずは、前提を疑ってほしいです。僕は今でもそのスタンスです。

世の中「これが当たり前」という人が多いですが、生意気ながら、僕は「誰が作ったの?」って思ってしまうんです。自分にとっての当たり前の基準は、自分にしか作れません。

もし、周囲の意見に流されてるな…と思ったら、一旦立ち止まって「自分はどうしたいんだろう?」と、内省するのをおすすめします。

つぎに、20代の過ごし方を大切にしてほしいですね。20代で形成されるキャリアってものすごく重要で、あなたのこれからのキャリアに大きく影響します。

20代って、正直遊びたいじゃないですか(笑)。でもグッと堪えて我慢をして、仕事にコミットし、結果を出す経験はのちに絶対に活きてきます。

人間に与えられたもので、唯一平等なのは「時間」だけです。限られた時間の中で、自分が何をやるかの棚卸しと整理をして、行動してほしいなと思います。

ーーたしかに、20代の過ごし方で30代以降のキャリアが変わりますよね。

飯髙:最後は、たくさん失敗してほしいと伝えたいです。ここでの失敗は、メールミスのような小さなミスではなく、ガチで怒られるってことです。

僕は、失敗から学ぶことが圧倒的に多かった…。サッカー少年だった頃、勝っているときは別に悩まないんですよね。仕事も然りで。

調子いいときはあまり悩まないけど、失敗することで、自分の改善点やダメなところが見えてきます。言われたまま働いても、失敗なんてできません。前提を疑って動かないといけませんし、多少の無理は付きものです。

ただ、本気でやりきって失敗したときに、人は超強くなります。20代という若手の貴重な時期だからこそ、本気でぶつかってほしいですね。

この3つを話ながら、今でも大事にしてるなあって思いました(笑)

取材・編集:西村創一朗
執筆:ヌイ
写真・デザイン:矢野拓実