元ゼクシィ編集長が語るキャリアと子育てを両立する3つの思考法

「17時に帰る編集長」というコピーのもと、働く女性のロールモデルとして広く話題になった元ゼクシィ編集長、伊藤綾さん。 ゼクシィ編集長を退任された現在も、子育てをしながら3社で活躍する「パラレルママワ―カ―」というスタイルで、新しいロ―ルモデルとして大きな注目を集めています。 しかし現在に至るまでには、寿退社によるキャリアのリセット、専業主婦から契約社員への挑戦、育児休暇を経た職場復帰など、女性ならではのさまざまな苦労や葛藤があったといいます。 そんな伊藤さんに、女性の働き方、特に仕事と育児の両立について語っていただきました。 キャリアのスタートは、20代後半だった ―現在のお仕事などについて教えてください。 現在は小学校5年生の双子を子育てしながら、3社で パラレルワ―クを行なっています。リクル―ト、医療系企業の人事、教育、広報などを掛け持ちしています。 ―伊藤さんは専業主婦をされていた時期があったという、リクル―トの中ではかなり珍しいタイプの方です。 たしかに、すごく珍しかったと思います。リクル―トに入社する前は出版社に勤務していました。でも、24歳で結婚したことを機に退社。夫の転勤について行くために仕事を辞めて、専業主婦になったんです。 その後東京に戻ってから、リクル―トのゼクシィ編集部に契約社員で入りました。そういった経緯があるので、今のキャリアのスタ―トは27、8歳の頃なんですよね。 20代後半からのキャリアリスタ―トは、かなり大変だったのではないでしょうか? そうですね。やっぱり、毎日必死でした。スタ―トの遅れを取り戻すために、かなり忙しく働いていましたね。 ―しかし、苦労して築き上げたキャリアを、妊娠出産を機に「もういいかな」と手放そうとしたとか。 キャリアのスタ―トは遅かったのですが、30代になって子供を妊娠した時には編集長になっていました。編集長にまでなったし、キャリアはこれでもういいかな、って。 ―「キャリアはもういいかな」と考えた理由は何だったんですか? そんなに明確な意思を持っていたわけじゃないんです。「せっかく専業主婦から復帰したのにもったいないよ」という言葉もたくさんいただきましたが、単純に「私には子育てしながら仕事なんて無理! そんなス―パ―マンみたいにできない」と思ったんです。 かなり忙しく働いていたので、子育てをしながら出産前と同じ仕事をするイメ―ジがまったく持てなかったんですよね。 毎日残業が当たり前で、少なくとも保育園のお迎えに間に合うぐらいの時間に仕事が終わるなんて、当時はとてもイメ―ジできなかったです。 花嫁さんたちの「その後」を考えるようになった ―ご出産される際も、相当大変だったとおうかがいしています。 子供が生まれるときに、産褥性心筋症という心不全の病気になってしまったんです。ちょっと重い状態になっていて、CCUっていうICUみたいなところに入っていました。かなり体調が悪くて、電話にも出られないほどだったので、「自分はもう二度と仕事はできないだろうな」と感じました。 ―しかし、その後に再び職場復帰され、ゼクシィ編集長として再度ご活躍されています。二度目の職場復帰を思い立ったキッカケは何だったのでしょう? 出産後、育休生活に入ったんですが、やっぱり育児がすごく大変で。ある日、体調があまり良くない時のことです。子どもの夜泣きをあやしながら、朦朧とする意識の中で鏡か窓に映る疲れた自分の顔を見て、ハッとしたんですよ。今まで私がゼクシィ編集長として関わってきた花嫁さんたちって、今どうしてるんだろうなって。 もちろん育休に入る前も、いつも一生懸命、花嫁さんと花婿さんのことを考えていました。ゼクシィは結婚式について取り上げる媒体だったので、どういう結婚式なら喜んでもらえるだろうか、良い結婚式って何だろう、とか。でも、鏡で自分の顔を見た次の日から、結婚式の後のこと、「その後、花嫁さんや花婿さんは幸せにしているのかな?」ということが気になり始めたんです。 ―ご自身の育児経験をキッカケに、ゼクシィの捉え方が変わったんですね。 もちろんお子さんがいる人いない人など、結婚後のスタイルは様々です。でもどんなスタイルであっても、結婚式の後、花嫁さんや花婿さんがどうやって自分の人生を生きていくのか。そこまで考えた雑誌作りをしなければならないと、遅ればせながら気がついたんです。 そして同じように、今ここで赤ちゃんを抱いている私は、どういうふうに自分の生活をつくっていくのか、どんなふうに人の役に立てるのか。そんなことを真剣に考えているうちに、「もう一度やってみよう、現場に戻って育児との両立も挑戦しよう!」って思ったんです。 自分の時間を予約する意識を持とう ―そうして職場復帰されたわけですが、やはり最初は大変だったのではないでしょうか? 最初は3時退社の時短勤務からスタ―トしたんですが、それでもわたしには結構厳しかったですね。時短勤務って、もっとゆっくりできるかと思っていたんですが、全然そんなことはなかったです。 仕事が終わって家に帰っても当然、休まることはありません。トイレにゆっくり入りたい、朝までゆっくり寝てみたいと、何回思ったかわかりません。 ―時短勤務という、限られた時間で成果を出さなきゃいけないのはプレッシャ―だったと思います。短い時間のなかで成果を出すために、意識していたことや努力されていたことはありますか? 意識していたポイントが3つあります。1つは、いかに業務を効率化して、家事や働き方をコンパクトに変えていくかということです。 たとえば、朝の段取り。こっちの廊下でこの洗濯物出した帰りに、必ずこのブラシを取ってくるとか、そういうことを常に考えるようにしていました。 その際に参考にしていたのは、佐々木かをりさんから教わった「自分の時間を予約する」という考え方です。自分の時間は自分で確保する。そのために、まずは会議の時間を全部半分にするところからスタ―トしました。定例会議のように色々な人が入る会議は無理ですけど、私が主催の会議はできるかぎり時間を半分にするようにしたんです。 ―1時間やっていた会議を30分にするということですか。 はい、まずは原則会議時間を半分にしました。あと「予約する」という観点で言うと、色々なアポイントメントの40分前には自分の時間を予約するようにしていましたね。 ―なぜ40分なんですか? 約束の30分前に着くと、どうしてもバタバタしちゃうんですよね。でも40分あれば、たとえば隣のカフェとか公園に行っても、30分は時間を確保できるんですよ。30分あれば、本を読んだり、ぼ―っとしたり、プライベ―トなメッセージを返したりできる。そういう時間を確保できるようになるだけで、かなり働くのが楽になるんですよ。 時短に不可欠な「論理的思考」 ―非常に実践的なノウハウですね。他に意識されていたことには何があるのでしょう? 2つめのポイントは、効率化するだけではなく、仕事自体のスピードを上げること。仕事の「成果」を最短で最高のものにする道のりをいつも考えることです。そしてそのためには「論理的思考」をできるだけ高いレベルで習得すること。イシューは何か、その解は何かを順序立ててクリティカルに思考する癖をつけていくことが大切ではないかと思います。 出産するまでは、そういうことはあまり学ばなくてもよい、と思っていた節がありました。たとえば、何かの合意を取ったり、決めるたりする時には、感覚的に「こういうものなんです、今の花嫁さんは」とか、「これがヒットすると思います」みたいな説明をするのみ。今思えば本当にひどい(笑)。 でも限られた時間で働こうと思ったら、こういう勢いと熱意に任せた方法はなかなか使えないんですよね…。もちろんテクニック的な時短ノウハウも大事ですが、その根本に論理的思考が備わっていると、結果として生産性も高まる。これはトレ―ニングしなきゃいけないぞ、という思いが出てきて、大変遅ればせながら頑張りました。 ―具体的には何を頑張ったんですか。 研修を受けたり、勉強に行ったり、本も読みましたし、仕事の場で実践しては上司からフィードバックを受けたり。他の部署の、自分とは全く違う強みを持った方にメンターになってもらったり、あらゆることをしましたね。 ママは時間がないので、どうしても時短テクが気になります。でも本当に大事なのは、それだけじゃないよ、と今は思います。 出産や育児はハンディではない ―出産を経て、仕事に対する考え方がガラッと変わったんですね。 変わりましたね。でも一番大切なのは、3つめのポイント。「時間的はハンディを負った」という意識をとにかく捨て去るということです。  ―呪われた存在だって思わないことですね。 そうです。どうしても産休明けに働こうとすると、「昔の自分はもっと働けたのに、今は自由が利かない」とか、「これもやらなきゃ、あれもやらなきゃと」みたいに、色々とネガティブに考えてしまう。 でも、そういう考えにとらわれていると発想が豊かになりづらい。そうではなく、そうした状況にあることを1つの「機会」として捉えることが大切です。 ―具体的には、どのように考えれば良いのでしょうか? 私の場合は育児の経験を経て、結婚式だけでなく、花嫁さんたちの「その後」を考えるようになりました。結婚式当日が素敵なことも大事だけれど、「結婚式以降も素敵でいるためにはどのような式がよいのだろう」といったように、これまでとは違う視点で考えられるようになった。 もちろん、経験に関係なく多様な視点を持てることが大切だし、育児以外の経験もみんな、自分にとってきっと意味がありますよね。私も生活の変化によってそういう考えを得る機会を得たのだと考えました。 出産以前と全く同じ働き方はできないかもしれないけれども、代わりに得られるものも沢山ある。出産前から変わることは、決してハンディではないんです。 「自分の時間」が仕事にもプラスになる ―とはいえ、伊藤さんのような働き方は誰にでもできるものではない。そう感じてしまう人も多いのではないでしょうか? そう思われることがないように気をつけるようにしていましたね。当時は2010年ぐらい、今ほど多様な働き方に対する理解があるわけではありませんでした。 「(伊藤さんは)ス―パ―ウ―マンだからできる」というふうになってはいけない。色々な選択肢がある中で、こういう働き方もあっていいんだって思ってもらえるように意識していましたね。 ―具体的には、どのような取り組みをされていたのですか? 当時みんなとやっていたのは、「5時に帰る日」決めですね。ママ社員だけじゃなくて、編集部のあるチ―ムで、必ず5時に帰る日を作ることにしたんです。 「きっといいことあるから、強制はしないけどやってみるといいよ」ってアドバイスして。メンバ―が「じゃあ、ちょっとやってみます」と、予定をブロックして、5時に帰っていました。 ―おもしろいですね、「5時に帰る日」。 結果として、みんながそれぞれ自分の時間を作るようになったことで視野が広がり、色々なアイデアが出てくるようになりました。 すると、トライアルをしたチームだけではなくて、編集部全体の雰囲気が変わってくる。 当時ヒットした、しゃもじや婚姻届などを付録として付けるというアイデアは、こうやって色々な生活を見て、色々な人と話をする時間を設けるようになったからこそ生まれてきたアイデアなんだと思います。 それに、「5時に帰る日」を設けるようになってから、みんなでユーモアを大切にした雑談が増えたり、部内で優しくできるようになったようにも感じます。時間を使って色々な人に会うようになったことで、多様性を受け入れやすくなったのかもしれませんね。 ―自分の時間を持つことが、結果的に仕事にもプラスになる。 職種にもよりますけど、そう信じていました。時間が物を言う仕事もあるので一概には言えませんが、心持ちが変わることで成果が変わるということを実体験しましたね。 「働き方のバトン」をつなぐ ―そうしてゼクシィで活躍された伊藤さんですが、現在は一社だけの会社員として週5日働くという働き方をやめ、パラレルワ―クを実践されています。 40代になって、子どもが小学生になって大きくなって、私もすごく悩んだ。子育てしながら働くことに対する意識が、またちょっとずつ変わってきたんです。 ―よく、「子育ては3歳までが大変」と言われますけど、大変の質が変わっていくだけで、いくつになってもその都度の大変さがありますよね。小5は小5なりの大変さがある。お受験だとかなんとか。 そうですね。きっと中、高、大人になっても別の大変さが出てくるでしょうし、そのうち親の介護などの問題も出てきます。そうしたことを考えたときに、さらにもっと色々な選択肢があるといいよね、と思ったんです。 ここまでも頑張ってきたけど、もっと挑戦してみてみたいなって。さっきの3つめのポイントにつながりますけど、これも「機会」だと考えようと思いました。 ―ハンディじゃなくて機会。とてもいい言葉ですね。 今でこそ「働き方」の多様化が推し進められていますが、これって今までに多くの方が様々な挑戦をして、「働き方のバトン」を繋いでくれた結果だと思うんですよ。 特に女性の働き方に関しては、出産しても辞めない、管理職になるなどの挑戦を多くの方がしてくれた、本当にいろんなバトンが渡ってきた結果として、今がある。 なので私も、どんなバトンを渡せるかな、と考えるようにしています。実際にできているかわかりませんが、より良い形でバトンを渡せるようにしたいですね。 ―働き方のバトン、素晴らしいと思います。どんなバトンを渡したいかというイメ―ジはありますか? 私の今までの取り組みって、どちらかというと時間面のチャレンジだったんですよね。いかに時間を短縮して、育児と仕事を両立させるかという点からの挑戦だった。でもこれからは、もっと色々な仕事をするとか、時短以外の部分で選択肢をたくさん提案できるようになりたいなと考えています。 「早く帰る、早く帰らない」という選択以外の選択肢。すでに広がりつつありますが、これをもっと広げていきたい。私の「パラレルママワ―カー」というスタイルが、バトンとして誰かの役に立つと嬉しいなと考えながら働いています。 (取材:西村 創一朗、編集:大沼 楽)

自分と向き合う時間は朝しかない。早起きを徹底する理由

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第三回目のゲストは朝渋代表でありMorning Labo(モーニングラボ)取締役の井上皓史さんです。 「5時こーじ」の名でnoteでも発信している井上さん。その名の通り、子どもの頃から22時に寝て5時に起きるという生活を続けています。新卒で入社した会社では、遅寝遅起きカルチャーで成果が出せず、上司に朝型に変えさせてくださいと訴え、7時半に出社して20時ぐらいに帰るようにして成果を出すように。転職を重ねながら、複業として朝渋をスタート。2018年にこの朝渋を本業に。朝渋のパートナーだったMorning Labo代表の中村朝紗子さんと結婚し、会社も一緒になるという公私混同経営を始めました。 なぜ朝型なのかから、朝渋を始めるきっかけや井上さんのこれまで歩んで来たキャリアに付いてお聞きしました。 二次会には行かないキャラを徹底した大学時代  ー子どもの頃から5時起きだったそうですが、どういったご家庭だったんですか? 銀行員だった父が毎朝6時過ぎのバスで通勤していたので、5時には母が弁当を作り始め、5時半に朝ご飯食べないといけないような家庭で育ちました。朝飯を食うか、寝るかの選択肢で、飯食うを取ってたので。毎朝5時半には家族4人で朝ご飯を食べるというのを、小さい頃から大学になるまでずっと続けていました。  ー大学生ぐらいになると飲み会などで遅くなって、遅寝遅起きになりそうですが。 飲み会は2次会に行かないキャラで、「(途中で)帰るわ。おやすみー!」って。たまに2次会に参加すると「皓史が残るってよー」って、すごい重宝されていました。あまり人に合わせるということがありませんでしたね。 朝5時に起きて、そこからお昼ぐらいまでの7時間が、自分の中ではゴールデンタイム。だから10時頃に起きるともう絶望感というか、今日1日終わったなと。そういう何もできない日というのが続いたので、自分をブラさずに起きてましたね。  ー新卒で当時ヤフーのグループ会社だったインディバルさんに入社されていますが、志望動機は何だったのでしょうか?  もともと人材業界に行きたいという気持ちがありました。人と関わる仕事したいなという、ふわっとした理由なんですけが。リクルートとパーソル(当時インテリジェンス)とインディバルの3社で迷って。もともと競争が好きじゃなくて、トップになるといったモチベーションが一切なく、人と比べられるのが好きじゃなかったんで、インディバルに。新卒1人しか採用してなくて、のびのびやれる感じだったので。やってることはどの会社でもほぼ一緒だなっていうことで、一番、本質的に仕事と向き合えるというポイントで決めました。 新卒、スタートアップでも徹底した朝型 ―実際入ってみて1年目はどうでした? 入社前は、ヤフーのグループ会社で安定してるだろうし、マーケティング・営業・人事とローテーションみたいな感じでいろんな部署を試せると聞いて入社を決めていたのに、ヤフーから外れることが決定して実際に入社した時は営業からスタートで。OB訪問で会って憧れていた先輩のほとんどがヤフーに戻るか辞めるみたいな感じで、正直、動揺しました。 ーなるほど。しかも生活スタイルが遅寝遅起きで。 とてもしんどかったです。生活スタイルも自分と合わない、部署も選べない。とはいえ、今の環境で頑張ろうと、マインドを変えました。組織のなかで、いったん一番になりたい。というふわっとした目標はありました。皆先輩でしたが、先輩の業績を一回でも超えてみたい。そう思いました。そして一度だけ運もあって抜かすことができたので、次のステージに行こうと転職を決めました。  ー自分の中での目標達成したと。次に、TECH::CAMP(テックキャンプ)を運営されている株式会社divさんにしたのはなぜ? もともと大学3年からインターンをしてて、現在はYouTubeで有名な真子社長が可愛がってくれてて。ちょうど企業研修や人材紹介を始めるタイミングで、社員がエンジニアしかいなかったので、営業を1人募集してて、僕を誘ってくれたのがきっかけです。前職に入社して3カ月目くらいから誘いは受けていたんですが、気持ちよく送り出してくれてきたインターン時のメンバーに、「会社が辛い」というのも良くないと思って「楽しくやってるので、ちょっと待ってください」と伝えていました。そして、前職での目標が達成したので、新卒1年目の2月に転職、その時社員は10名もいませんでしたね。 自分としても、こんなに早く転職すると思っていなかったんですけど、タイミングとご縁が重なって、決めました。 ーそこでは最初から朝型生活ができたんですか? そうですね。もともと入る時に社長に「皓史、早起きなんだろう」と言われて、「好きにやってくれ。成果出せばいい」ってことだったので。当時のdivはは12時に来て深夜3時に帰るみたいな、ザ・スタートアップ。みんな渋谷界隈に住んでて歩いて帰れるから、終電という概念がありませんでした。でも僕は朝8時前に出社して、大学の時みたいに、みんなに「おやすみ」って言われながら帰るような生活を送っていました。 ある時、社長に「早起きよさそうだな。俺も頑張ってみるわ」って言われて、朝7時にスタバ集合をやるように。当時メンバーが15人ぐらいいたんですけど、社長が「3ヶ月やって分かったけど、皓史がやってるようにやっぱ朝は良いぞ」ということで、定時が9時になって、朝型が会社に根付いていきました。 人生の転機となる朝渋のスタート ー転職して半年ぐらいのタイミングで朝渋を始めるわけですけど、どんなきっかけだったんでしょうか? この「U-29.com」を運営している複業家の西村さんと一緒に仕事をする機会があって、メッセンジャーのやりとりで西村さんが23時ぐらいにメッセしてくるんですけど、僕は当然もう寝てるので翌朝5時過ぎに返してたら「朝まで働いてんですか?divさんってすごいブラックですね」って言われて(笑)。僕が朝型だって話したら、西村さんがこれから独立するので生活リズム整えるために早起きやってみたいってことで。 僕も教える立場ではないですけど、サポートぐらいならできますって感じで「起きたら報告してください」とか「一週間ごとに連絡ください」みたいな感じで、1カ月ちょっとやってたんですよね。  ー早起きコーチングですね。 そうですね。プチ早起きコーチング。そうしたら、西村さんが1カ月で5時起き生活に慣れて、その時「これはすごい発明だ。(当時)27年間、生きててすごい衝撃だったからこれはもっと広めた方がいいよ」っていうことを言ってくださって。僕としては社会人2年目でまだスタートアップの営業しかやってないので、人前で喋るとか誰かを巻き込むみたいなのはちょっといいですって断ったんですけど、「いや、やろう」って。 人前に出るのは西村さんで、裏の管理やコンテンツ開発を僕がやるということで、2人で立ち上げたのが3年前の9月。 ーそこからもう1回転職して、結婚された中村朝紗子さんとの出会いもあって「公私混同経営」となりますが、それまでの経緯は? 当時、divでとてもやりがいのある仕事をしていました。研修部隊の立ち上げ、人材紹介事業の立ち上げ。0→1の楽しさを学びました。ただ仕事をしていくにつれ、経営レイヤーで物事を考えたい。という思いが強くなりました。そんなタイミングで株式会社トピカっていう、今「GOHAN」っていう男性向け料理メディアをしているスタートアップがあるんですけど、その代表からナンバー2で入ってくれないかっていう話があり、これもご縁だと思って。数字(経営)を見たり、会社をどうグロースさせていったりというところに挑戦したくて、転職しました。 朝渋パートナーと公私混同経営へ ー中村朝紗子さんとの出会いは? もともと西村さんと朝渋を始めて1年ぐらい、うまく朝渋がグロースしなかった時ですね。コミュニティが20〜 30人はいたんですけど、ほぼ男性だけだったんで、グロースさせていくには女性の力も必要だということで、運営メンバーに女性入れようってことで。その時、朝活をしている女子を発見し、西村さんがTwitterで誘ったんですよね。 ―「朝紗子」って名前に朝入ってるし、Morning Laboの代表だし、これはもうこの人しかいないと。 そうですね。それが出会いですね。運営メンバーが3人でしたが、西村さんは3人の子供がいて、ミーティングに参加できないことが続いて、2人で打ち合わせしましょうってところから仲良くなって付き合うことになりました 。妻は自分に「朝渋はあなたの使命だから、どんなことがあっても続けるべきだし、応援する!」と毎日のように言ってくれました。 しばらく西村さんが体調を崩して、基本2人体制でやってたんですが、朝渋が伸びてきた時に彼女から「朝渋で独立した方がいい」って言われて。僕は、人生的にナンバー2ポジションなんで、あまり自分で独立って興味なかったんですが、彼女の起業家としての想いや働き方をみていて、考えが変わりました。株式会社MorninglaboのNO.2として彼女を支えたいと。2人で会社経営をしていくということは「結婚」も一つ重要な決断でしたので、このタイミングで覚悟を決めて、提案しました。  ―提案書もっていったんですよね。 そう。A4、2枚のWord で作って、事業提案書のごとく。それで OK もらいました。夫婦経営ですね。不安も多い中でスタートしましたが、毎日がエキサイティングです。今年4月から新卒が入社し、3人で会社を経営しています。 ―素晴らしいですね。最後にメッセージがあればお願いします 。 早起きしたいって人に、早起きして何したいですかっていつも聞くんですけど。「いや、ただ早起きしたくて」って人は特に早起きできずに終わります。「なぜ」がないから。例えば、再来月に TOEIC があるのでその勉強時間にあてたりとか、早起きプラス何か習慣にしたいっていうのがあったほうがいいと思っています。 あとは 特に20代の方に話す時に、時間がないっていう人が多いです。余暇の時間 Netflix とかSNSとか見たいし、どっか遊びに行きたいし、時間ないですよね。そこで、時間がない中の打開策として、自分と向き合う時間は朝しかないなと思ってます。やっぱり自分と向き合う時間をどう作るのかっていうのが大事。自分の意見が出たり、自分の直感を信じられたりすると思うので。まずは 日記書くとかでもいいですけども。誰かと繋がってる時間でなくて、自分と対話する時間を朝作るのがすごくいいんじゃないかなと思います。 それができるのが朝渋だと思っていて。朝渋は月に4回イベントやってます。朝早く起きてその場に行って外部の人からの言葉のシャワーを浴びて、それで自分の中に取り込むというのはめちゃくちゃ良い習慣だと思うので、ぜひ、毎回来いとは言わないですけど、2カ月に1回ぐらいは何かプロテイン飲むみたいなイメージで来てもらえたらなと思います! ーありがとうございました。 早起きの秘訣は前夜の過ごし方 Q.  朝渋を立ち上げて、くじけずに頑張れたのは何が支えになったのでしょうか? 社会人2年目で、5階級ぐらい上の人と話す機会が月に2回あるんですが、営業のことしか知らなかった自分がいろいろ外部から話を聞いて、それをすぐに実践できたりとか、自分のためになることが多かったから続けられたのだと思います。イベントに登壇してもらえるようにアプローチしたら、出てくれて、しかもスーパースターと思ってたけど案外人間だなとか、こんな苦労してたんだとか、自分が一番学んでるなと。だから続けられたのかもしれません。 Q 朝どうしても起きられません。どうしたら毎日同じ時間に起きられるのでしょうか。 今日もそうですけど朝に予定があると起きざるを得ないじゃないですか。僕今日とか奇跡的に朝空いてますけど、基本28日くらい朝埋まってます。朝7時から基本アポ入ってるんで。(笑) 毎日、朝7時から仕事をスタートして、18時ぐらいには必ず帰るようにしてます。労働時間でいったら、まあまあ働いてるんですね。そこからご飯作って寝るみたいな感じのリズムです。あと、夜の飲み会の付き合い方もすごい大事。基本、飲み会は断る。夜の飲み会テクニックはいろいろあるんですけど、二次会は必ず行かないとか、4人以上の飲み会行かないとか、20時以降の飲み会行かないとか、自分が幹事をやって、3時間飲み放題のコース絶対つけないとか、18時スタートにするとか。僕は近所での飲み会しか行かないって決めてて、それ以外の飲み会は断っています。相談あるから飲みに行こうよって言われた時は、朝どうですかって返します。そうやって飲み会を減らしていくと、早起きも難しくなくなる。早く起きるよりも早く寝ることが基礎ベースの話ですね。 とはいえ飲み会も好きなので行っちゃう時もあるんですよ。そういうときは24時までに寝るっていう「シンデレラルール」っていう恥ずかしい名前のがあります。月に1回までは OK してるんですね。そうすると今日はシンデレラだからいっかみたいな感じで。シンデレラを使う日は朝7時に起きる。7時間は寝る時間を確保しています。だからシンデレラ飲み会めっちゃ楽しみにしてます。 Q  これまで良いパートナーの方と繋がれた要素はなんだと思いますか? 選り好みせずにいったんは行動してみる。自分は直感を信じるタイプで、直感とタイミングとご縁をすごく大事にしています。だからその倍以上に失敗があるというか。直感を信じて失敗したことも沢山あります。 意識していることは「打算的ギブ」ですね。「モチベーション革命」を書いた尾原さんに学んだことです。これも朝渋の運営をしていたからこそ尾原さんともディスカッションができましたし、とても毎回のイベントを楽しみにしています。 「朝渋」を覗いてみる

社会人4年目の今だから答えられる。失敗を通してたどり着いた私の働き方

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ、第一回目のレポート後編です。 第一回目のゲストは月岡愛里(つきおか あいり)さんです。第一部では月岡さんへのキャリアインタビューをご紹介しました。第二部では参加者から月岡さんへの質問を中心に話を進めました。 >>前編の記事はこちら<< 良いプロデューサーは「人を使う天才」   Hさん:ネット配信のテレビ局で優秀なメンバーと働いていらっしゃったというお話でしたが、どんな人のことを優秀だと思いますか? 私のいた部署のように、企画やプロデュースなど全体を統括して責任をとる部署においては、言い方は悪いですが「人の使い方が抜群にうまい人」が優秀だと私は思います。番組のプロデューサーは自分で映像を撮ったり編集したりする訳ではないので、そういう技術を持った人たちにいかにやりたいことを伝え、動いてもらうかというのがとても重要でした。 ただ、自分よりできる人に率直に意見を言って、満足いくアウトプットが出るまで何度もやり直してもらうのってとても申し訳ないし、気を遣います。 それを嫌な感じに聞こえないように配慮して、「この人(このプロデューサー)のためだったらもう一回頑張ろう」と思ってもらえる力がある人が優秀なのだと思います。相手に敬意を示すことを忘れず、自分のやるべきことはきちんとやった上で、言うべきことを言う。そういう「バランスの天才」のような上司がいたので、今もお手本にしています。 嫌いにはならなかったんですか? 正直、全力でアウトプットを出すよう向き合わされるので大変でした。でも嫌いになりきれないんですよ。 ヒット作を生むために正しいことを言う人でしたし、その人自身も全力で向き合っていたので。他の人が遠慮したり手を抜いたりするところで絶対にそうせず、結果を出すために何でもやる人だったので、みんなが何とかやらなきゃ!という気持ちになるんだと思います。 転職のモチベーションは「不安」 Sさん:転職してモチベーションが下がった理由はありますか? 前職から全く違う広告業界に転職したので、自分の知見や技術がまだない中で、成果を出した、役に立ったという実感がまだ得られる状況ではないからだと思います。 転職のモチベーションは何でしたか。次で何かやってやろう、もしくは不安、どんな感じですか。 当時やっていた仕事と違う技能も身につけなきゃ、もう少し違うことができるようになった方がいいのではないか、という不安と、新しい業界への好奇心という感じだったと思います。 『働き女子』という言葉への疑問   Kさん:世の中で輝いている女性ほど、女性差別などの社会問題に着目するイメージがあります。自分は男性という性で生きてきて、気づいていないところがたくさんあるんだろうなと思います。着目するきっかけが何かあったんでしょうか。 女の人は働いているだけでいわゆる「働き女子」「キャリアウーマン」みたいに言われます。「働き男子」とは言われないのに。ということは基本的にこの社会は「男性が構成している場所にに女性が入ってきたから、“女性のポスト”を用意してあげている」という前提になっているんだなと社会に出てから気づきました。 このような空気感は、仕事を頑張れば頑張るほど、どんどん日常的に感じるようになるもので、仕事を得て働いている女性にとってはよくある話です。「それを乗り越えてこそ」と思う人もいれば、気にしないようにしている人、「私は黙らないぞ、文句を言っていくぞ」となる人もいて、考え方は分かれると思いますが、興味を持たざるを得なくなっていくのは多くの人に共通すると思います。私も、「これ私が男性だったら言われなかったのかな」と思う小言とか、悔しいことも色んな場面でありました。そのような小さな積み重ねがあって、ちゃんと嫌なことや理不尽なことは言っていかないといけないと思うようになったのだと思います。 社会問題に興味があるなら飛び込むのもあり Sさん:新卒の学生で「自分は社会問題に興味がある。でも新卒でそういう仕事をしている業界に飛び込むのはちょっと怖いから、一旦、広告業界やメディアなどのコンテンツを作る会社に入って、発信する力をつけてから、社会問題に直接対峙するような事業を自分で作るなり、そのような事業をやっている会社に入るなりすることを考えているんです。」という相談がよくあります。月岡さんは、学生時代から社会問題とかソーシャル活動に興味があったんですか? 大学時代は田舎から出てきたばかりだったので、一旦興味があることを何でもやってみていた段階でした。フリーペーパーを作ったり、テレビ局で働いたり、バイトで着ぐるみを着たり、本当に色々なことをして面白かったです。そして社会人になって、世の中には自分の知らない世界があるんだなということをさらに知って…社会のことに関して目を向けられるようになったのはその後くらいでした。 私は、せっかく興味を持てることがあるんだったら、そこで色々やってみたり発信してみたりしてもいいのではと思いますけどね。一旦、広告やメディアに行く、という人が多いんですね。 Sさん:そういう学生が多い気がします。広告業界で仕事をしながら、副業でライターとして記事を書く仕事をするっていう人も結構います。そういうキャリアもありかなとは思いますね。 私は自分が何に向いていて何ができて、どれくらい働くと限界で、どのくらい働くのがちょうどよく楽しいのかが、ようやく最近わかり始めたところなんですよね。最初からバチっとハマる仕事や完璧な状態を目指してしまうと、何を選ぶのが正しいのかよくわからなくなるのではとも感じます。一度、興味のあることをとことんやってみたらいいんじゃないでしょうか。 倒れる前に、ご自愛する戦い方を見つけることは可能? 20代は男女問わず、スターマリオのように「寝なくても仕事できるわ!」という状態になって、突然倒れてしまうというようなことをよく聞きます。月岡さんの言葉で言う『ご自愛しない戦い方(無茶)』をしてしまう若者は多いですよね。一度、倒れないとわからないものなんでしょうか。それとも、そうなる前に立ち止まって、ご自愛する戦い方(無茶をしない方法)を見つけることが可能なのか、月岡さんはどちらだと思いますか。 スターマリオ状態になっているときは冷静ではないので、一度倒れるというようなショック療法的な出来事がないとなかなか自分を客観視できないのかもしれません。ただ、私は早めに休んで復帰できたので幸運でしたが、倒れたことをきっかけに心身を壊してしまって、前のような働き方ができなくなってしまう人もたくさんいるので、絶対にオススメはしたくないですね。そういう辛さを味わう人が少しでも減った方がいいなと思います。 ではどうするかというと、「ビジネスマンもある意味アスリートの一種」という考え方がもっと定着するといいなと思っています。アスリートの喜びは、勝負に勝つこと、新記録を出すことです。これが仕事だと、成果を出す、プレゼンを通す、などです。アスリートは練習が終わったらストレッチをしますし、当たり前に適度な休みをとりますよね。もちろん食事や睡眠の管理も。それらができてこそ一流だと言われます。そういった考えが定着しているので、オリンピック選手が試合の前日に、深夜までものすごい量の走り込みをするなんてことは絶対ありません。アスリートと全く同じとまではいかないにしても体が資本であることには変わりないので、ビジネスマンにもそういう価値観が広まると、スターマリオ状態になる人は減るし、そういう人を「頑張っている」とみなすこともなくなるのかなと思います。世の中の常識や空気感が変わるのが一番いいですね。 しかし、すぐに世の中は変わらないので、私のように一回倒れて生還した者が「こうなったら大変だぞ」ということを伝えるのは大事かなとも思っています。とはいえ働きたい人にとっては休むことが逆にストレスに感じてしまうこともあります。世の中の役に立てていない、自分のスキルを向上できていないというストレスが出てくるのです。私もそういうタイプなので、休む、寝るなどの『守りのご自愛』と、時間内に効率的に仕事を終わらせる、自分の知識を増やすためにスクールに行く、などの『攻めのご自愛』が必要で、その両輪で回していけるのがかっこいい大人なのかなと最近思っています。 いいですね、『両輪のご自愛』。 どちらかだけだとダメで、バランス調整をその都度自分と相談しながらきちんとできる人が、「仕事のできるビジネスマン」なのかなと思います。 小さなアクションが自分の感覚も変える   Kさん:社会問題にあまり興味がありません。僕一人が頑張ったところで解決するのか、という疑問があり、あんまり興味がわかないのです。周りを巻き込んで色々な活動をするとか、どのような結果になれば、頑張ってよかったなと思えるのでしょうか。 私は一人旅が好きなのですが、先日千葉の房総を一人で旅行しました。房総を選んだのは、台風で大変な被害を受けて旅館のキャンセルが相次いでしまい、経営に困っているという話を聞いていたからです。どうせ好きな一人旅に行くんだったら、そのように助けが必要なところを選ぶことで世の中にもいいことがあるし、自分も楽しい旅行ができるし、双方にとっていいんじゃないかな、と思います。なかなかいいアイデアなのでこれからも一人旅をする際にできる範囲で続けたいと考えています。 旅行先一つ選ぶのも、自分が何を応援したいのか、小さな一歩でもよりよい社会に近づくかどうか、というのを考えて選んだら、なんとなく社会に積極的に関わっている気持ちになります。自分一人が何かをやったところですぐに世の中は変わりませんが、自分が納得いく選択をしたという事実があれば、人生に対してより誠実でいられるのではないでしょうか。災害や世の中の様々な不条理に直面したときに、webの署名をする、少しだけ募金をする、といった小さなことを積み重ねていくと、自分が何を大事にする人間で、どういう世の中になってほしいのかがクリアになっていきますし、世の中と関わりながら生きているんだなという感覚になってきます。それが社会と関わって生きていくことなのかなと感じています。 Kさんも苦しくない範囲でちょっとずつアクションを起こしてみると世の中の見え方も変わってくるのかもしれません。あくまで自分が楽しくやれる範囲からで良いと思います。 長い人生、失敗してもなんとかなる では、最後に読者の皆さんに伝えたいことなどがあれば、お願いします。 社会人4年目にしては色々経験して、自分のちょうどいい働き方がようやくわかってきました。仕事はやってみないとわからない、会社には入ってみないとわからない、そんなことだらけです。キャリアに関する本を読んでも役に立たないこともあります。何回失敗しても大抵なんとかなりますし、色々悩みながら模索する人を微力ながら応援したいと思っています。 「人生100年時代」とか「老後までに2000万円貯めなきゃいけない」とか言われているので、幸か不幸か社会人人生もどんどん長くなっていますし、最初の数年で色々あってもへこたれずに、休み休み自分にあった方法を探していきたいですよね。私と似たような境遇の人もたくさんいるでしょうから、記事を書いたりこうやってお話をしたりして、働きやすい社会作りの端っこの方を担えたらいいなと思います。

新人での活躍から一転、どん底へ。そしてキャリア復活の先に見えてきたものとは。

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジを開催いたしました。 第一回目のゲストは月岡愛里(つきおか あいり)さんです。メガベンチャー企業での経験を経て、現在は広告代理店にてプランナーとして活躍されています。今回のキャリアラウンジのメンバーは人事の仕事をしている社会人2年目のKさん、人材サービス会社やレースクイーン、ライターなど様々な仕事を同時進行でこなしているHさん、メディア編集をおこなっているSさんです。 業種、職種の異なるメンバーでどのような話が飛び出したのか、キャリアラウンジ第一回目のレポートです。第一部では月岡さんへのキャリアインタビュー、第二部では参加者から月岡さんへの質問を中心にご紹介します。 色々な経験を積んだ学生時代 月岡さんはどんな学生時代を過ごしていましたか。 大学時代はフリーペーパーを作ったり、テレビ局カメラアシスタントのアルバイトをしていました。フリーペーパーは大学の外の組織で、大学生が集まって、私はライターなどをやっていました。 最初の会社は某ITメガベンチャーということですが、なぜそこを選ばれたんですか。 コンテンツ制作に興味があって、最初はマスコミも考えましたが、テレビ局は企画の仕事ができるようになるまで下積みが長いと聞いていました。バイトでTV局の厳しさを知っていたのもあり、十数年の下積み時代は私には耐えられないなと思って、就活では若いうちから様々なことを任せてもらえそうなIT系の会社を中心に受けることにしました。そして、ご縁があり、某ITメガベンチャーに入社しました。 入社後、話題作と関わる!しかし、その働き方は… 某ITメガベンチャーではどのような仕事をしていましたか。 入社一年目はメディア事業部に配属され、ライターや編集などの仕事をやっていました。 入社2年目の秋に、ネット配信のTV局に異動になり、番組の企画制作を担当しました。前述のように元々マスメディアに興味がありましたが、地上波の局よりも比較的早い段階から企画に携われたり、裁量を任せてもらえる部分が大きいのではと感じましたね。同世代のなかで一番早く自分の企画で番組を作りたかったので通常の業務の合間を縫って積極的に企画を出しました。 ネット配信のTV局では、どんな感じで仕事をしていましたか。 あるヒット番組のチームに入ることになり、社内外ともに優秀なメンバーのなかで働くことになりました。 その時の自分は、会社の最前線の部署にいるという充実感、番組のヒット、視聴者からたくさんの反響がある喜び、業界の雰囲気などでランナーズハイのような状態になっていたと思います。 言ってみれば、スターマリオ状態です。その時は、「一回休むと休みに慣れてしまうから、土日も働いていたほうが仕事モードを継続できていい」という謎理論のもとに働いていました。 なるほど、実際、その理論で働いている20代は多いですね。 結構いると思います。そういう働き方をすることで、「自分は頑張っているぞ」という自己肯定感が湧いてきちゃうんですよね。 業界的にどうしても土日に仕事が入ることも多く、休みになった日は家で死んだように寝る、というような生活でした。まだ自分にとってちょうどいい働き方と休み方をわかっていなかったのだと思います。 そして、ある日身体に異変が。 ある日、突然どん底がやってきたと伺いました。どんなことがあったんですか。 そんな働き方を続けていたある時、朝起きたら突然背中が痛くなって、息ができない状態になってしまったんです。「これ、やばいやつだ」と思って病院に行ったら案の定働きすぎだったようで、「仕事を休んだ方がいい状態」だと言われ、会社を2ヶ月休職することになりました。気づいたらコンビニで店員さんに「レシートいらないです」って言う気力もなくなっていて、そんな自分にかなりショックを受けました。いわゆる「お暇」なので旅行した方がいいのかなぁと思って旅行代理店にも行ったんですけど、店員さんと喋れなくて帰ってきてしまう、というようなこともありました。もともと話すのが好きな方なのですが、休職して最初の1~2週間くらいは文字通り「どん底」って感じでした。 自分がそんな風になるなんて信じられなかったのですが、幸い周りの色々な人が助けてくれたこともあり、ちゃんとご飯食べて、寝て、規則正しい生活をしたら、どんどん体調も良くなっていきました。2ヶ月の休職期間のうちの後半1ヶ月は国内外に旅行しまくるくらい元気に過ごしていました(笑) 2ヶ月で完全に元に戻りましたか? しっかり休んだので、自然と「働きたいな」という気持ちが湧いてきました。もともと仕事は好きだったので、働くのが完全に嫌になったというわけではなく、まとまった休息が必要だったんだと思います。ちょうど休む前に出していた企画が通って、番組にできそうな段階まで来ていたのもあって、それを担当するために仕事に復帰しました。 その番組はいま第三弾まで続いています。自分の成果物として企画、制作できて本当に良かったと思っています。 2ヶ月で復帰、自分の働き方を冷静に見つめる 復帰後の働き方はどんな感じでしたか。 私は一回休んで同じ部署に戻り、運よくそれなりの成果も残せました。しかしスターマリオ状態が終わって、2ヶ月間冷静に自分に立ち返る時間を持った結果、自分にとって一番働きやすいやり方や業界は何か?と考え直すようになりました。この仕事自体は好きでしたが、長く社会人として働き続けるのであれば、好きな仕事をしつつも自分に合った仕事と生活のリズムを保てるやり方を模索していくべきだと思ったんです。そんな考えから、次の職場を探すようになりました。 転職活動の主なツールはTwitter 転職活動はどのように進めましたか。 メディアの編集長やベンチャー企業の社長など絞って3~4社ぐらい話を聞きました。ほぼTwitterのDMで連絡をとっていたと思います。転職エージェントに登録することも考えましたが、DMの方が話が早いかなと思ってそういう手段をとりました。業界にもよると思いますが、こういう手段もありだと思っています。 次の目標は、社会問題を知るきっかけとなるコンテンツを作ること ロールモデルや理想とする形といったものはありますか。 「この人みたいになりたい」というロールモデルはいませんが、周りに男女問わずかっこいい生き方をしている先輩や友達がたくさんいるので、良いところを参考にしながら自分に合った働き方を探しているところです。 これまで記事や番組などの企画の仕事をしてきたので、自分も痛感した働き方の問題や、女性の生き方にまつわる問題について知るきっかけになるコンテンツを作っていきたいと思っています。そのためにいまジェンダーやフェミニズムについて勉強中で、本を読んだり勉強会に参加したりしています。 最後に、学生就活生の時代を振り返って、某ITメガベンチャーに入社してよかったなと思うことや、当時の自分へのアドバイスはありますか? 完璧な職場はないと思いますが、キャリアの第一歩として、某ITメガベンチャーはとてもいい職場だったなぁと思います。社会人として大切な考え方をたくさん教えてもらいました。 例えば、『信頼残高』=信頼は貯金であるという考え方は大切にしている教えの一つです。メールや依頼ごとの返信を早くする、時間を守る、頼まれたことにちょっとプラスアルファして返す、というようなことの積み重ねで、自分の信頼残高が貯まっていきます。残高が増えれば、大きい仕事が来たときに「その子に任せてみようかな」と思ってもらいやすくなりますよね。誠実な対応の積み重ねがチャンスを呼び寄せるという素敵な教えだと思います。会社は変わっても、そういう教えは自分の財産になっています。

就職活動挫折組だった私がキャリアカウンセラーになるまで

第二部:会社との思いがけない出会いとキャリアカウンセラーの仕事 現在、株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍中の望月奈津美さん。そんな彼女も実は就職で大きな挫折を経験している一人です。第一部では大学時代、初めての就職活動、挫折を経ての内定、新規開拓営業のお話を伺いました。第二部では、営業の仕事を始めて2年半くらいの時に起きた転機、転職活動中に思いがけない出会いをした現在の会社、そしてキャリアカウンセラーの仕事について伺います。 仕事は面白いけれど、退職しようかな... ー転職を考え始めたのはいつごろですか。 はっきりと退職を意識し始めたのは、入社2年目の後半、3年経つ半年前くらいですね。「会社を辞める」タイミングはかなり考えました。自分の年齢、経験年数、会社の繁忙期など色々加味して「今のタイミングだよな」と思ったのが入社3年目の前半ごろ。このころから本格的に他の会社を調べ始めました。 ー転職を決めた理由は? 一つの理由が決めてというよりは、どちらかというと小さな要素がたくさん重なって、ジワリジワリと考えるようになりましたね。結婚して子どもを産んでも働きたいって思っているので、今の仕事をずっと続けられるのか自信も持てませんでしたし。 また、新規開拓営業をやっていて、ダイレクトに企業全体にというよりはもう少し範囲を絞った個人などに対して働きかける方が、一案件に対してじっくり時間をかける性分の自分にはあっているかなとも感じました。自分のやった仕事に対して、返ってくる結果も個人の方が感じやすいですしね。 ー「やっぱり転職をやめよう」と思うことはなかったんですか? タイミング的に色々重なって、もう少し会社にいたら、別の案件も出来るかも、と思うところはありました。でもそうなると、その後、4年、5年は仕事を続けていく可能性もあり得ます。このとき私の年齢は26歳だったので、複数年別の案件をやってから転職するとなると30歳は超えます。正直、それでは遅いのでは無いか、と考えました。であれば、やっぱり今転職するしかない。そう決意して転職することに決めました。 ー前職を辞めてから、少しお休みをして転職活動をされたんですか。 いいえ、少し大変ではありましたが、仕事をしながら並行して転職活動行なっていました。辞めたのは、今の会社(株式会社UZUZ)への入社が決まってからです。 転職活動は情報集めから ー転職しようと決めてから、まずどんな行動を取りましたか。 周りに転職活動を経験している先輩や知人がいたので、まずはどういう風に転職を進めたのかを聞きました。 ーもう転職活動した人に相談したということですね。 そうです。それから、求人広告を見たり、グーグルで検索したりしました。知人から5〜6種類程、おすすめの媒体を教えてもらったので調べてみたりしましたね。 UZUZとの思いがけない出会い ーおすすめされた媒体の中に株式会社UZUZがあったんですか。 いや、そうではないですよ。UZUZとの出会いは偶然によるところが大きいんです。通勤電車の中で求人媒体を見ていたとき、あまり詳しくは覚えていないんですが何かの拍子にバナーをクリックしたんだと思います。そしたら質問が出てきたんです。「女性か男性か」と「年代」と「第二新卒か既卒か」だったかな?気軽な気持ちで選んでいたら、「登録しました」となったのがUZUZだったんですよ。後日連絡がきて、面談日程を組むという話になりましたが、UZUZって何?なんて読むの?と思いました。笑 ーそうですよね、CMをやってるわけでもなく、初めて聞きますもんね。 そこから自分でUZUZについて調べました。面談してもらうのなら、UZUZはどういう分野に強いのか見ないといけないなと思い、HPに飛んだんです。そしたら、HPが結構おもしろくて!社員インタビュー記事があり、ニュース記事があり、ブログもあり、色々調べているうちに、UZUZという会社を受けてみたいと思うようになりました。なので「ごめんなさい、(人材紹介のための)面談を辞退します。採用選考に進みたいです。」と連絡をしました。 ーUZUZで(人材紹介のための)面談ではなくて、選考試験を受けたいと思ったポイントはどんなところでしたか。 大きかったのは社員のインタビュー記事です。面白くて全部読みました。結構、過去に何かあった人が多くて、就活に挫折した経験がある人もいて、私も挫折しているので、よく気持ちがわかり、近しい部分があるのを感じました。UZUZで働いている人たちの人柄に惹かれたのが一番のポイントです。 ーオフィスに行って、実際に社員の方々に会ってもその印象(人柄)は変わりませんでしたか。 はい。オフィスを訪問した時に人事担当者と話して、自分の適性についても考えることがありました。「自分は何がそこでできるかな」と考えたときに、「営業をやってきたところの意識(関係性を作る)は使えるな」と感じました。そして、仕事の中での大変な部分やビジネスモデルなども理解した上で入りました。 そして、キャリアカウンセラーへ。 ー面接をクリアし、実際入ってみてどうですか。 キャリアカウンセリングは本当に難しいなぁと感じます。生身の相手ですので、考えが変わったり、周囲の影響による心境の変化などもありますし。だから私自身も、100%相手に対して正しい答えを出せているわけではないと思います。 ー人様のキャリアのことを支援するのはとても責任が大きいですよね。 そうですね、責任重大です。企業と求職者のミスマッチを100%ゼロにはできませんが、限りなくミスマッチしない結果に近づけたいと思っています。大事なのは求職者の方が今何を考え、何に悩んでいるのか、どういう仕事をしたいのか、どんな働き方や将来を作っていきたいのか明らかにすること。この点を一緒に整理しながら言語化していくんですが、これがとても難しいです。最初は本音で話してくれないこともあるので、そこを解していきながら関係性を作っていくように意識をしています。 「質問されたからなんとなくとりあえず答えてるけど、よく分からないです……」という人もいるので、本人の中にある潜在的な軸になる部分を見つけるのは簡単ではないですね。 ー軸を見つけるために、意識していることや聞いている質問などありますか。 将来や先のことだけでなく、過去から全部お聴きするようにしています。その中で、「その人がどういう判断をしてきたかの癖」を探るようにしています。 キャリアカウンセラーのアプローチの仕方 ー日々のキャリアアドバイスのお仕事で、「やりたいことがないんです」というような相談を受けた時、どんな風にアドバイスされていますか。 一概には言えないですが、既卒の方に多い傾向がありますね。「やりたいことがコレだ!と確信が持てるものを見つけるのって時間がかかるし、脳みそも使うし、そもそも考えているだけでは分からない。仕事をして経験を積みながら見つけていこう。足踏み状態だけが続くと”年齢は重ねるのに経験は空っぽな人”になってしまう、経験した先で新しい見え方がしてくるものだよ。」とアドバイスしています。 ただ、無闇に仕事を選んでしまうのもまた違うので、本人と方向性をしっかり話した上で、どういう経験を積んでいくことが思い描く将来像に近づくのか、はしっかり押さえます。 まずは、専門学校や大学での経験や、アルバイト経験などを聴いて、求職者の方が得意なことや活かせる経験など、過去のバックグラウンドを一緒に作っていきます。 第二新卒の方に対しては、職務経験や転職理由などをお聴きし、次のフィールドでは何を求めていきたいのかもお聴きして、方向性を見つけていきます。 あとは、「一生」とか「10年後、20年後」といった大きなスパンで考えずに、5年後、3年後、2年後でもいいから、短いところで期間を定めて、どうなっていたいのかを考えて貰うように提案する場合もあります。 ー求職者の経験やタイプによってアプローチ方法が異なるのですね。ありがとうございます。 迷ったらまずは「行動」してみる。 ー最後にいくつか質問をさせてください。日々面談されていて、求職者にはどんな方が多いですか。就職活動で挫折している人が多いなど、傾向はありますか。 私同様、新卒時の就職活動でうまくいかずに挫折して既卒となられている方もいますし、数ヶ月〜半年という短期離職の方もいます。在職中ですがもっとキャリアアップしたいという考えで転職検討されている方もいます。多いのはそういった方々ですね。 ー“キャリアアップ”はポジティブな動機なので、割とわかりやすいですよね。しかし就職活動がうまくいかなくて挫折してしまった、あるいは入社した会社を数ヶ月で離職してしまった方の中にも、次の職探しで“うまくいく人”と“うまくいかない人”がいると思います。その差はどんなところにあると思いますか。うまくいくための法則、コツみたいなものがもしあれば、それもお聞かせください。 コツ...難しいですね。自分自身で上手くいかない要因や短期離職してしまった要因を認識できて、それを修正していけるかどうか、は大きいです。 また、行動する、しないも大きいかなと思います。考え続けて足踏みしてしまう人は結構多いですね。「もう少し考えます」という人も多いのですが、考えているだけでは分からないと思うので、行動して企業の説明会に行ってみる、面接を受けて、そこで逆質問をガンガンしまくるなど、そういうことはやってほしいなと思います。それをやるかやらないかで、就活するまでの期間や伸びも変わってくるので、情報収集の一つの手段として、「行動する」こと、つまり目で見てくる、聞いてくるというのは違ってくるかなと感じています。 ーそうなんですね。考えて足踏みしている時間があったらどんどん行動することで、結果的に気づきや発見、学びも大きくなり、自分のキャリアも前に進んでいくよ、ということですね。本日は、ありがとうございました。 UZUZにキャリア相談してみる

就職活動挫折組だった私が脱「片想い就活」を経て内定をもらうまで

出版社の面接に落ちまくった私が脱「片想い就活」で掴んだ営業職 学生時代、「何がやりたいかわからない」、「働きたい業界や職種がない」、「どの企業も同じように感じる」、「自分に何ができるかわからない」、など就職活動中に悩んだ方も多いかもしれません。実際、会社という組織に属して働いたことがないのに、入社後の自分を想像するのは難しいでしょう。 一方の企業もせっかく人を採用しても、新卒3年以内に会社を辞めてしまう人が多いと嘆いています。この理由として、企業と就活生の間に「ミスマッチ」が生まれていることが挙げられます。 初めての就職活動ではもちろん、転職活動においても「自分の選んだ方向はあっているのか」と不安はつきものです。そんなときに、時には厳しく、時には優しく寄り添って自分の進路について考えてくれる人がいると心強いですよね。 現在、株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍中の望月奈津美さん。彼女も実は学生時代、就職活動が全くうまくいかず、落ち込んで悩んでいた一人です。そんな経験があるからこそ、現在キャリアカウンセラーとして求職者の気持ちを理解し、サポートできます。 望月さんの就職活動と現在のお仕事についてお話を伺いました。記事は二部構成で、第一部のこの記事では、望月さんの大学時代の過ごし方と初めての就職活動について、第二部では転職活動と現在のお仕事について焦点をあてていきます。 好きなことをやって過ごした学生時代と「片想い就活」 ー学生時代はどんなことをやられていたんですか。 3つのサークルを掛け持ちしていました。音楽系サークル、地域の自然について考え、地域の人とともに行動するサークル。そして一番力を入れていた、地域の中・高生を対象に、学校の枠に囚われずやりたいと思っていることを応援し、それをサポートするサークルです。サークルが楽しくて、正直、仕事や就職についてあまり考えていませんでした。 ーでは、就職活動はどうされたんですか。 自分は何が好きなんだろうというのを最初に考えましたね。漫画やアニメ、写真集などがとても好きだったこともあって、お恥ずかしながら、なんとなく出版業界に目が向くようになりました。しかし目指してみてわかったのは、出版業界はそんな甘いものじゃないということ。熱意があって、出版業界に強い思い入れを持っている人が多かったですし、当然、地頭や経験値も自分より高い人ばかりでした。当時の私は全く歯が立たなくて、ことごとく「お見送り」が続いていました。 ー今の自分が、当時の自分にアドバイスするとしたら、何と言いますか。 「好き」だけで選ぶ一方通行な「片想い就活」はうまくいかない、ということですね。何もマーケット(市場)のことを知らずに、気持ちだけで走ってしまっていたところがありました。そうではなくて、もう少し業界のことを調べて、「どんな人材が求められるのか」、「どんな経験をしていたらそこに行けるのか」、といったところを長期的にしっかり、もっと前から準備して臨むべきだったなと思います。 第一志望の会社に最終選考で落ちてしまい、落ち込んだ日々 ー第一志望の会社に4次選考で落ちてしまったと伺いましたが、詳しくお聞きしてもよろしいですか。 はい、出版社の営業職で、最終選考まで残れたので頑張ろうと思っていました。一次選考から三次選考では筆記や面接試験などをおこない、最終選考は社長と役員が4〜5人ずらっと並んでいる面接でした。しかし、結果はダメでしたね。そこの出版社が出している出版物がビジネスマン向けのものだったんですが、「まだまだ読み込みが甘い」と社長から人事の方へ指摘があったようで、会社への愛着がないと思われたのかもしれません。 第一志望の会社だっただけに、受かったら行きたいなと思っていたのですが……。最終選考の5日後くらいに人事の方から「落ちた」という連絡を電話でもらいました。ちょうど他社の面接帰りで、そのときは悲しすぎて、思わず電車の中で泣いてしまいましたね。 この会社に落ちてから、出版業界だけを見るのはやめました。 ーその後の就職活動は? うまくいかず、結構落ち続けていました。もちろん出版業界だけではなく、他も受けたのですが、書類で落ちたり、面接がうまくいかなかったりという時期が続きましたね。就職活動へのモチベーションが落ちて、とても悲観的になっていました。「私は社会で必要とされていないんだなぁ」って。 ー何社くらい落ちたんですか。 見ていた業界が自分にあっていなかったのかな、ちょっと高望みしすぎたかなと思い、40〜50社程チャレンジしたんですが……。結局どれも上手くいかなかった記憶です。 ーなんでも望月さんは、とある本で気持ちを奮い立たせたそうですが... はい。先ほど、第一志望の会社に落ちてしまった話をしたかと思うんですが、この会社の人事の方から、電話でこんなことを言われたんです。 「ウチがだめだったからといって、就活自体がダメだったというわけではないですよ。次のフィールドでどこかに入社して、うまくいくことを祈っていますね」と。 「お祈り電話」ではあったのですが、他にもたくさんフィードバックをいただきました。私はその電話に救われた部分があって、とても嬉しかったので、後日、手紙を書いたんです。その後日返信がありまして、本が同封されていました。 その本は人事担当の男性社員の方が自費出版されたもので、その中に「後悔(後で悔いる)」ではなくて、「考えを改める」という「考改(こうかい)」と捉えよう、みたいな話があって。これを読んだとき、もう一回就職活動頑張ろう!と思いましたね。 就職活動を再開して、ついにOA機器会社の内定をもらう ー就職活動は一旦休まれたんですか? はい、一週間くらい休憩して、すぐ再開しました。そこから業界を変えていき、内定をもらえるようになりました。その一社が前職のOA機器会社の新規開拓営業です。 ーそこに決めたポイントは? 商材の幅広さですね。OA機器と複合機だけではなかったので、自分で営業して、売れたら面白いだろうなと思いました。 地道な営業活動の開始 ー新規開拓営業ではどんな風に働かれていたんですか。 行動あるのみ、「新人は質より数だ!」と思って働いていました。日々飛び込み訪問をして、会社の中に部署も色々あるので、組織図を探り、ここに行ったら、次こっちに行って、どんどん横に展開していくというようなことをやっていました。関係性を築くことを一番意識して、一人だけでも窓口になってくれる人が出来て仲良くなったら、「他部署の責任者と繋げてもらおう」という感じで行動していました。 ーお客様との関係はゼロからですものね。実際、関係性作りや新規開拓営業はいかがでしたか。 そうですね、とりあえずは、行く→電話する→行く→会う→話す→メールとハガキでお礼→次回も会う、というようにひたすら“行動”でした。小さなことでも良いので接点を作ることを意識していましたから、下調べして、相手が興味を持ちそうな商材カタログを片手に訪問して……を繰り返しましたね。泥臭い営業を続けて、段々と「じゃあ、ちょっと話聞いてあげるよ」となり、そこから徐々にお客様との関係性を築いていった感じです。 楽しかった大学時代、希望の出版業界に入れなかった就職活動前半戦。落ち込み悩んだ後、業界を変えて就職活動を再開し、内定をもらえるようになった就職活動後半戦。 望月さんは、OA機器会社に入社し、新規開拓営業の仕事に一生懸命がむしゃらに取り組みました。その努力の甲斐あって、お客様との関係もゼロから築き、話を聞いてもらえるようになります。自社の商材を購入してくれるお客さんも増え、順風満帆のように見えた彼女の営業キャリア。 しかし、OA機器会社に入社して2年半くらい経った頃、彼女の心境に変化が訪れます。キャリアカウンセラーになるまでのストーリーは2部に続きます。 UZUZにキャリア相談してみる

若いうちにしかできない「手を挙げる訓練」をしろ –「不登校10年」の小幡和輝からU-29世代へのメッセージ #アンレールな私たち

キャリア選択が多様になる現代。これまで主流だった「大企業神話」は平成とともに周縁を告げ、意志ある選択をした若者が躍動する時代へと変化していきます。 連載「#アンレールな私たち」では、一見ユニークでありながら当たり前になっていくであろうU-29世代の活動を取り上げ紹介していきます。新しい「あたりまえ」がやってくる足音を、本メディア「U-29」がいち早く届けていきます。 今回は、約10年間の不登校を経験したしたのちに高校3年生で起業、地方創生を軸にさまざまなプロジェクトを手掛ける小幡和輝さんにインタビュー。不登校時代のエピソードや、アンレールなU-29に送る言葉をいただきました。 Text by なまっちゃ   知っているのにバカにされる。個性を受け入れない雰囲気に嫌気がさした なまっちゃ:小幡さんは約10年間不登校を経験していました。そもそも、なぜ学校に行かなくなったのでしょうか? 小幡和輝さん(以下、小幡):不登校になったきっかけは同年代の友達との価値観の違いからでした。小学生時代は、遊び相手が5つ年上の兄とその友達だったので、同年代の友達と趣味嗜好が合わなくなってきていることを感じていたんです。 中学生と遊んでいたほうが楽しいし勉強になるのになんで学校に行かなければいけないんだろうと思うようになっていきました。 なまっちゃ:身近にいる人によって価値観は変わってしまいますよね。 小幡:年上の影響を強く受けていたので、同年代の「ノリ」が理解できずに苦しかったのを覚えています。 小学2年生のとき、同じクラスの人が「”3‐5”はなんだ?」と意地悪で僕に聞いてきたことがありました。僕は中学生と勉強を一緒にしていたのでマイナスの概念を知っていて、「‐2だよね」と普通に答えたんです。 すると友達はバカにした口調で「何いってるの?マイナスなんかないよ」と。知っていることをひけらかすと受け止められたのか、しらけた雰囲気になってしまったんです。 正しい答えを言っただけでバカにされる。ショックを受け、少しずつ同年代とのコミュニケーションを避けるようになっていきました。そんなそんな小さなショックが重なり、少しずつ学校に行きたくないなという気持ちが強くなってきました。 なまっちゃ:そうだったんですね。 小幡:当時の僕は「価値観が違う」と言語化はできていませんでしたが、「なんかちがうな、楽しくない」と学校生活に対して思うようになっていきました。だんだんと学校を休みがちになり、クラスから居場所がなくなっていき…本格的に不登校になりましたね。   “学校にいく理由”を探すことが難しい時代になってきている なまっちゃ:時代が変化にしていくにつれ、学校の存在意義も変わってきたように思います。小幡さんは当時と現在の学校の在り方をどのように考えていますか? 小幡:僕が通っていた時代やそれ以前の学校は、とても大きな役割を担っていたと思います。知識は学校に行かないと学ぶことができないし、友達も学校でしか作ることが出来ませんでした。学校に行かないとできないことが、当時はたくさんあったんです。 しかし、ここ10年くらいでインターネットとSNSが急速に発展し、学校でしか出来ないことを探す方が難しくなってきました。勉強はオンラインスクールでパソコンがあればできますし、友達もSNSで作ることができますよね。同年代が集まる場としての学校の“価値”が、SNSに代替されているのだと思います。 なまっちゃ:なるほど。すると、もう学校に価値はないのでしょうか? 小幡:いえ、コミュニティとしての価値を失ったとしても、学校に通った方がいい理由は2つあります。 1つ目はコスパがいいこと。日本中どこに行っても、学校では統一されたレベルの教育をほぼ無料で受けることができます。クオリティが担保されている教育を無償で受けることができるのはかなりの価値があると思っています。 2つ目は視野が広がること。もし学校に行かずに独学で学んでも、自分の興味関心ばかりに取り組んでしまい知識に偏りが出てしまいます。さまざまな分野を網羅的に学べる学校に行き、いろいろな価値観に触れることは、大人になってから大きな財産となってくれるでしょう。 なまっちゃ:SNSには代替できない学校の価値があるんですね。しかし、小幡さんはさまざまなメディアで「学校に行きたくなければいかなくていい」と仰っています。 小幡:はい。学校以外にも学ぶ場はたくさんありますし、友達を作る機会もあります。学校に行きたくなければいかなければいい。ただ、そのときに親が子供に不登校をしてもいいんだよという雰囲気をだせるような関係を築くことが大事だと思っています。 なまっちゃ:なるほど。 小幡:不登校の子達がのびのびとできる居場所を模索するためには、親子の“信頼関係”が必要不可欠です。ある意味、子どもの将来のためには「不登校になれる環境」を作った方がいいのかもしれません。   学校に「有給休暇」を なまっちゃ:これから学校が子供たちにとって価値ある場所になるためには、どのような取り組みを行えば良いのでしょうか。 小幡:学校でも会社と同じように有給休暇を取り入れればいいと思っています。 なまっちゃ:有給休暇? 小幡:不登校の大きな課題1つに、1回不登校になってしまうと外に出にくくなってしまうことがあります。数日間学校を休むだけで周囲の目が気になり、欠席した子自身が劣等感をすごく感じてしまうんですよね。しかし、有給休暇があれば気負いなく休むことができるし、周りも休んだことを変に思いません。 なまっちゃ:なるほど。学校に有給休暇制度ができるだけで、子供たちの心はだいぶ軽くなる気がします。 小幡:友達と喧嘩してどうしても行きたくない日も、これまでは学校に行かない理由にはなりませんでした。しかし、体調に関わらず、本人が行きたくない日はある。そのときに有給休暇があれば「今日、有給を使ったから学校休むね」と親に気負いなく言えますよね。理由を周りから求められることがありません。とりあえず学校を休むことは、かなり心に余裕をもたらしてくれると思っています。   不登校の「先」をつくる なまっちゃ:「#不登校は不幸じゃない」というハッシュタグ活動をSNSで企画し、多くの注目を集めました。今後、小幡さん自身はどのような活動をしていきたいと思っていますか? 小幡:これからの活動のテーマは不登校の“先”を作ることです。現在、多くのひとにとって不登校は「避けたい」もの。世間的にネガティブなイメージが強く、将来の不安を感じてしまいがちです。 なまっちゃ:もし自分の子供が不登校になったら、社会復帰できるのか不安になる気持ちはわかる気がします。 小幡:しかし、不登校だった子供が自立して稼げるようになる未来が見えていれば、不登校でも許される。不登校の子供たちが学校に行かない時間を使って、クラウドワークスなどで仕事を取ってきたり、BASEでオンラインショップを展開していたり…。現代では不登校の子が仕事をこなすことはすごいことだと思われますが、それが当たり前になるように、僕は仕組みを作ろうと思っています。フリーランス的な働き方を、不登校の子にも選択肢として与えてあげられたらなと。 なまっちゃ:とても新しい考え方ですね。 小幡:今の時代は「個人」でも生きやすい時代。特に若者はノーリスクでチャレンジできる恵まれた環境にあります。不登校をきっかけに、学校とは違った楽しさを知ってほしいですね。   『手をあげる訓練をしよう』U-29世代へ贈る言葉 久保田:U-29世代に、小幡さんから何かお言葉を頂戴したいと思います。 小幡:多くの若者と対話していて感じることですが、最初の一歩を踏み出すことにすごいハードルを感じてしまう人が多いです。だけど、行動してみないと何も変わりません。とにかく20代のうちに色々とチャレンジして行動して欲しいと思います。 なまっちゃ:チャレンジといっても、最初はどうすればいいのかわからない人が多いと思うので、具体的なアクションとかあれば教えていただきたいです。 小幡:手を挙げる訓練を日頃からしておくことだと思います。自分の目の前にチャンスが転がっていたときに、条件反射的に飛びけるように習慣付けておくことが大事なのではないでしょうか。 そして、条件反射的に飛びついたとしても、その出会いを「チャンス」に変えられるとも限りません。例えば会いたい人がいてメッセージを送ったときに、そのひとが会いたくなるかどうか、魅力的だと感じるかどうかも大事です。相手のことを考えた、自分の「見せ方」を考えてほしいと思います。 なまっちゃ:素早く動きつつ、自分の「見せ方」を意識することも大切なんですね。最後に、現代の若者へメッセージをいただけますでしょうか。 小幡:僕は不登校のとき、学校に行かずにずっとカードゲームをやっていました。しかし、カードゲーム大会の主催をしたり、好きなことに対してアクティブに動いていったところ、自分に自信をつける訓練ができたと思っています。誰しもが最初は手をあげるのが怖いと思います。しかし、一歩踏み出した先にやって良かったなと思う出来事は必ずある。ぜひやりたいことがあったら、消費する側ではなく生産する側になってください。 失敗しても、そのあとにリカバリーができれば、それは成功のためのプラスの材料になります。しかし、失敗して諦めてしまった時に、失敗になってしまうのです。自分は他の人と違うから…とチャレンジをしないのではなく、どんどん手をあげ続けてチャレンジして行動して欲しいと思います。 不登校から立ち直させるのではなく、不登校でも生きれる方法を提示する小幡さん。そんな小幡さんの活動は、不登校な子供達の生きる選択肢をつくることにとどまらず、自分がアンレールかもしれないという不安や悩みを抱えている人にも一歩を踏み出す勇気を与えてくれるのではないかと、インタビューをしていて思いました。 そんな小幡さんが出版した「学校は行かなくてもいい」には、アンレールになってしまった人たちへ贈る言葉が詰まっています。ぜひ、読んでみてください。

ネット炎上中にUSJしても気付かれなかった。ゆうこすの #何者でもない時代

社会の第一線で活躍し、自身で道を切り開き進んでいく人々。彼らの姿は私たちの未来に多様な選択肢をもたらしてくれるが、現在の自分と比較して「私にはできない」と悲観してしまうことも少なくない。でも、もし憧れのあの人の「何者でもない時代」を知ることができたら—— 。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #何者でもない時代 。今回のゲストは、YouTuberやインスタグラマーとして活躍し、株式会社KOSを手がける経営者としても注目される“モテタレント”菅本裕子さんこと、ゆうこすさんです。 ゆうこすさんは高校生でHKT48としてアイドルデビューを果たし、さらにミスiD準グランプリに輝いています。そして現在はYouTuberにインスタグラマー、さらにはプロデュース業も行うなど、現在は業界を越えて大活躍。SNSを開けば、彼女の名前を目にしない日はありません。 そんなゆうこすさんは、かつて「肩書きだけがあって、自分は何者でもないと気付かされた」と過去を振り返ります。正解も間違いもないこの時代に、自らで旗を立てSNSを駆使して駆け抜けていく彼女の「何者でもなかった時代」に迫りました。 Text by 佐々木希海 Edit by Mitsufumi Obara   肩書きがあっても、何者にもなれなかった —— ゆうこすさんの「何者でもない時代」について、お伺いしたいです。ゆうこすさんは高校時代にアイドルとしてデビュー、そしてミスiD準グランプリを経て、YouTuberやインスタグラマーとしても活躍されています。さらに最近は、プロデュース業も行われている……。経歴を拝見すると、「何者でもなかった時代」の想像が全くつきません。 菅本裕子(以下、ゆうこす):たしかに、いわゆる「肩書き」は早い時期からあったかもしれません。ただ肩書きがあったからといって、「何者になれていたか」といえば、そうではないんです。仕事も全然なくて、ニートでした(笑)。 —— ゆうこすさんにも、そんな時代があったんですね…!肩書きがあったからといって、生活が変化するわけではないと。 ゆうこす:周りからの見え方は変わりましたが、完全に“肩書き負け”だったと思います。私自身の中で何か変わったり、語れるものができたわけでもない。むしろ、肩書きがあるからこそ、自分は「何者でもない」ことに気がついたんです。 当時は“元HKT48の人”、“準ミスiDの人”という肩書きでしか、私を認識してもらえていませんでした。ちゃんと私のことを「ゆうこす」として知ってた人は果たしていたのだろうか…という感じです。これってやっぱり「何者でもない」ってことですよね。 —— では、ゆうこすさんにとって、アイドル時代も、準ミスiD時代も「何者でもなかった時代」であると。 ゆうこす:はい。肩書きを得ても、自分のやりたいことがなければ、「致命的だ」と気がついたんです。応援もされないし、ひいては仕事にもならない。現在のように、好きなことを仕事にできなかったので、当時はアルバイトでお金を稼いでいましたね。 「好きなことでは稼げない?」苦労時代は、挑戦する前から甘えてた —— ゆうこすさんは、現在「好きを仕事に」されていらっしゃいます。アルバイトをしていた頃は、そうした発想はなかったのでしょうか? ゆうこす:「好きなことが仕事になる」とは到底思えなかったんです。「好きなことは不安定なもので、お金が稼げないものだ」と決めつけ、挑戦することをしませんでした。 ……でも、真剣に考えてみたら、稼ぎ方なんていくらでもあるじゃないですか。クラウドファンディングもあるし、サイトの開設だって簡単にできるようになった。結局、好きなことがお金にできなかったのは、稼ぎ方を考えずに甘えていた自分のせい。——足りないのは“柔軟な頭”だったんです。 —— たしかにマネタイズ方法はたくさんありますが、覚悟して一歩を踏み出すのは難しいですよね。それができなかったことを「自身の甘え」だと言い切れるゆうこすさんの強さに驚いています…。どのような思考の変化があったのでしょうか? ゆうこす:固定概念やプライドを捨て、「自分の好きなこと」をとことん追求してみたんです。 たしかに、すごく覚悟のいることかもしれません。でも、やりたいことや好きなことがある人は、一度勇気を振り絞っていろんな方向から稼ぎ方を考えてほしい。意識的に考え方を変えてみると、視野が広がるんです。 —— とはいえ最初は結果もついてこないですし、「何やってるの?」なんて視線を向けられ、続けるのが難しそうです。 ゆうこす:最初からうまくいくことなんて、そう多くありません。なので、何かを始めたときは、SNSで「成功だけ」を発信したくなりますよね。でも、それは本当にもったいないことです。 好きなことを始めたら、成功も失敗も全て発信してください。すると、応援してくれるファンが生まれます。応援してくれる人に巡り会えると、次の一歩が大きく踏み込めるようになるので。 事実、私にとってファンの存在は、「好き」を続ける、そして「好き」を仕事にするための大きな支えになっています。 —— ゆうこすさん自身、発信することで、失敗した経験はあるんですか? ゆうこす:アイドル辞めた直後のSNSでは、「多くの人に好かれなくっちゃ!」と思っていたので、ありのままの自分を発信できなかったんです。Twitterのフォロワー数は多くても、本当に私のことを応援してくれる人たちや、会いに来てくれる人たちはほとんどいない状態でした。 でも、無駄なプライドを全部捨て、本当に思ったことを発信するようになってからは、本当の意味で応援してくれるファンが増えました。以来、ありのままの自分でいられるようになりましたね。失敗経験があったことで、今の発信スタイルになっています。 アカウントを作る前に炎上を怖がるってどういうこと?(笑) —— やりたいことがあるのに飛び込めない…という人も少なくありません。事実、行動を起こす前から、怖がってしまうことが私にもよくあります。自分の弱い心が挑戦の足かせになることが多いのですが、何かアドバイスをもらえませんか? ゆうこす:似たような相談を何度か受けたことがあります。「こういうことをしていきたいんですけど、もし炎上したらどうしよう?」と。 でもいろいろ話を聞いてみると、まだアカウントも作ってない状態で炎上を恐れていたりするんですよ(笑)。 みんな、起こるかも分からないことに怯え過ぎてると思います。それに、たとえ炎上したとしても、みんなすぐに忘れます。……最近あった炎上騒ぎ、覚えてますか? —— 覚えてないですね…すぐ忘れてしまいます。 ゆうこす:そうなんですよ。人の失敗なんてすぐ忘れてしまうし、思ったより誰も自分のことなんて気にしていないんです。 私はかつてネット炎上を経験したことがあります。ただ、その最中にUSJに行っても、誰にも気がつかれなかったんですよね。自分の「自意識過剰さ」が恥ずかしくなりました。 失敗を恐れて何もできないより、その失敗をもプラスに転換して発信できたらむしろ成功になると思うので、ポジティブに頑張ってほしいですね♡ 垂直の壁に向かって走るのはやめよう。夢を叶えるには、夢への階段をつくるべし —— 何者かであろうとするから、何者にもなれない…そんなジレンマを感じました。まずは、ずべこべ言わず行動しないと何も変わらないんですね。 ゆうこす:そうですね。「自分でレールを引いて頑張りたい人」って、100人中10人くらいです。そして、実際に行動する人は、1人いるかいないか。行動している人は意外と少ないので、行動するだけで差をつけられます。みんなより一歩前へ行けるんです。 でも、「行動する」のは難しいことではありません。人を変えるのは難しいですが、自分を変えるのは簡単。「やればいいだけ」です。 —— ゆうこすさんからすると、やらない理由がわからないくらい? ゆうこす:そうですね。もちろん行動に失敗はつきものですが、経験値が得られるので、成長確率も上がります。たとえ大きな失敗をしても、行動をしない99人とは違う人間になれています。 だから、そんなにマイナス思考にならずに、まずは動いてみるべきです。 —— これから行動を起こし、夢を追いかけていく人たちに伝えたいことはありますか? ゆうこす:「夢への階段」をつくってください。夢を叶えた人に共通するのは、叶えたい目標から逆算して階段を作っているということなので。 —— 階段とは具体的にどのようなものでしょうか? ゆうこす:夢を叶えるために、達成しなくてはいけない細かい目標のことです。 夢を叶えるためには小さな目標を一歩づつ達成する必要があるのに、多くの人がそのことを忘れています。ただひとつ、一番大きな夢だけを見ているんです。 それって、垂直な壁に向かって走っている状態なんですよ(笑)。その壁を登りきるための階段を用意してあげないと、壁の高さに挫折してしまうことも少なくありません。まずは小さな目標を決め、それを達成してください。本当に小さなことでいいんです。 たとえば漫画家志望の人は、自分の友達に見せて「面白い」と思ってもらうとか、その次はネットに掲載してみるとか。「手塚賞とるぞ!」と大きな目標だけを立てるより、ずっとモチベーションを維持できると思います!

話題の「黒塗り広告」は、こうして生まれた。ーーGO飯塚政博 #期待のルーキーに聞いてみた

  年功序列や終身雇用を前提とした“守りの選択肢”ではなく、自らの意志で人生の岐路を潜り抜け、“攻めの選択肢”でユニークな働き方を実践している若者がいる——。 U-29.comが「いま話題の企業で働く、若手社員にスポットライトを当て」20代の働き方にヒントを届ける企画 #期待のルーキーに聞いてみた 。初回のゲストは、株式会社GOの飯塚政博さんです。 飯塚さんは、広告・PRを数多く仕掛け世間から注目を集める株式会社GOに今年新卒入社された若手プランナー。2018年の夏に東京メトロ国会議事堂駅、霞ヶ関駅をジャックしたことで話題となったケンドリック・ラマーの来日広告を手がけ話題になるなど、早くも才能の片鱗をのぞかせています。そんなユニークな働き方をする業界屈指の期待のルーキーに、“いまなにを思い、今後どうしていくのか”を聞いてきました。 Text by 川尻疾風   就活失敗、大学2留。そして、創業間もないスタートアップへ。飯塚政博の数奇なキャリア ーー飯塚さんのこれまでを、大学時代から遡ってお聞かせください。 飯塚政博(以下、飯塚):もしかしたら、僕は多くの社会人に比べると、数奇なキャリアを歩んでいるかもしれません(笑)。もともと大学時代からメディアや編集の仕事に興味をもっていて、「博報堂ケトル」内の編集プロダクションでアルバイトをしていたんです。 周囲はスペシャリストばかりで、本物の職人集団と一緒に働ける理想の環境。卒業後はそのまま就職したいと思っていたのですが…残念ながら新卒での募集はされておらず、悔しい思いと共に就職活動をはじめることになりました。 ーー以前から、メディアや編集の道を希望されていたんですね。 飯塚:そうですね。ただ、編プロで働いてはいたものの、職業としての編集者になりたいというより「エディトリアルな感覚を活かせる仕事をしたい」といった気持ちを強く抱いていました。“広義の意味での編集者”になりたかったんです。 就職活動中は、ラジオ局とリクルートを目指していました。ラジオ局を目指したのは、昔から大好きなラジオ業界を新しい概念と組み合わせることで盛り上げられないか考えていたから。リクルートを目指したのは、エディトリアルな感覚を武器に新しいビジネス創生に挑戦できると思っていたからです。しかし、結果的に希望に合う企業からの内定はもらえず、就職活動に失敗しました。 ーー卒業後の進路はどうされたんですか? 飯塚:就職浪人はしなかったものの、就職活動とは別に留年することに。「なにか打ち込みたいものがあったんですか?」とよく聞かれますが、普通に単位が足りず卒業できなかっただけです(笑)。しかも留年は通算2回目。慶應義塾大学の経済学部に通っていたのですが、本当に数学が苦手で、学生時代はとにかく劣等生でしたね。 そこで、なにか新しいことをはじめようと思っていた際に出会ったのが、創業したばかりのGOだったんです。 ーーGOには、どのような経緯で入ることになったんですか? 飯塚:代表の三浦が独立したニュースを目にし、応募要綱なんてないのに、勝手に会社のメールアドレス宛てに「勉強させてください」と直談判しました。今でこそ「GO」は会社としての評判や認知度が広がってきましたが、当時はまだ創業まもないスタートアップ。 具体的なプロジェクトをみて興味をもったというより、広告×スタートアップの領域で「既存の会社とは違った仕事を体験できそうだ」と感じ、思い切ってメールしたんです。 大変なことは「ない」。“絶対的な期待”があるからこそ全力で働ける ーーインターン時代には、どんな業務を行なっていたんですか? 飯塚:企画を出し、先輩の企画書作成アシスタントをして、会社全体の雑用をする。この3つが主な業務でした。求められる企画のレベルは高く、はじめて自分の企画が通ったのはインターンして約3ヶ月ほど経った頃でしたね。 今回「期待のルーキー」といった文脈で呼んでいただいたのは嬉しいですが、未だにアイデアへのダメ出しは多くて…本企画の趣旨に合った話ができないと思い取材を受けるか迷いました。案件によっては、先輩に迷惑をかけていることも多々あって、なんとか食らいつこうと頑張る毎日です(笑)。 ーー今年の春から新卒入社されたとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか。 飯塚:インターン時代は慣れない業務も多く、ただ目の前のことに全力で取り組んでいました。そしたら、ある日会社の方から新卒入社の一号として正式にメンバーにならないかと誘ってもらえたんです。同期がいないのはもちろんのこと、社内に20代は自分しかいません。 社員は名だたる企業出身の一流プレイヤーばかりなので、正直ついていけるか不安で判断を先延ばししたかった(笑)。ただ、「GOなら、面白いことができる」と確信し、入社を決めました。インターンの時期から最前線で働くことができ、早くから打席に立てたことが、なによりやりがいとなっていたのです。 自分が働いた分だけ、その努力が組織に還元されていく。肌感覚でそう感じた経験が、僕の背中を押してくれました。 ーー現在の仕事内容と、インターン時代で変わったことはありますか? 飯塚:基本的には変わっていません。強いて言えば、GOが組織として拡大したことによって、組織全体の風土づくりを担う「グラウンドコントロール」のメンバーが加わったこと。よりプランナーとしての業務を中心に、進められるようになりました。 GOでは案件ごとに、クリエイティブディレクターとプロデューサー、プランナーの計3名からなるチームを組みます。そしてメンバーで企画を練り、それをクライアントにもっていくことで業務を進めていくのです。案件ごとに満足できるクオリティに仕上げなければいけないし、関わる案件も次々と増えていくので毎日とても充実した日々を過ごしていますね。 ーー仕事の上での苦労することをお聞きかせください。 飯塚:僕が担当したケンドリックラマーの広告でいうと、企画自体は割とすぐにできましたが、そのあとの苦労が多くて。センシティブな内容を東京メトロなど各ステークホルダーを巻き込んで実行しなくてはいけなかったので、プロデューサーを中心に細やかな調整を積み重ねました。 ーー飯塚さん自身は、仕事でどんな時が嬉しかったり大変だったりするでしょうか? 飯塚:最初の企画出しで、良いアイデアを出せると死ぬほど嬉しい。大変なことでいうと…特にないですね。 ーーえっ、ないんですね! 飯塚:もちろんフィジカルな面で大変なことはありますが、メンタル的には感じることがなく、毎日楽しく仕事をしています。大変な瞬間があっても、むしろ心地よい刺激だと思うくらい。「いつかこの経験が活きて、大きな仕事につながるだろう」といった絶対的な期待のもと、仕事ができているからかもしれません。 僕がGOで働く理由。「変化と挑戦にコミットメント」して社会に影響を与える ーー最後に、今後の将来についても教えてください。 飯塚:僕自身は、「コミュニケーションの技術を武器に、社会に大きなインパクトを残せる仕事がしたい」と思っています。 それは、広告のように具体的なアウトプットをつくることかもしれないし、企業や行政の組織改革のために新しいルールをつくっていくことかもしれない。ひと口に「コミュニケーション」といっても、さまざまな可能性と選択肢があると思います。 形式にこだわらず、ブランドのあらゆるアセットをフル活用して「人々に影響を与えて、社会が前進する力を生みたい」です。 飯塚:僕は昔から“グランジ”と呼ばれる音楽ジャンルが好きで、既存の化石みたいな価値観に、疑問を投石する意志の感じられるものに惹かれていました。 広告やPRなどのコミュニケーション領域に強く関心を持ったのも、昨年話題となったヤフーの銀座での広告(※補足:ソニービルに、東日本大震災の津波と同等の高さとなる広告を出したもの。)に感動し、「こういったものを生み出していきたい」と思ったことがきっかけでした。 GOのステートメントは「変化と挑戦にコミットメントしていく」こと。企業がなにかしらの変化を求められ挑戦しなければいけないときに、その後押しをするのがGOが存在する理由です。社員としてではなく、僕個人としてもこのステイトメントに深く共鳴しており、今後も体現していきたいと考えています。

ゼクシィ元編集長は、パソコンの電源が入れられなかったーー伊藤綾 #私のライフラインチャート

人は、人生を一度しか生きることができない。ゆえに、心の底から願う人生であっても、勇気を持ってその一歩を踏み出すことは難しい。もし、誰かの人生を追体験することができたら——。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #私のライフラインチャート 。第2回のゲストは、『ゼクシィ』元編集長の伊藤綾さんです。 伊藤さんは、カスタマーインサイトをつかんだ企画の数々でヒットを飛ばし、編集長に就任した凄腕の編集者。しかし「集団行動ができなかった」過去や、就職活動に失敗し続けた経験があるそうです。決して順風満帆とはいえなかった人生から、自分の仕事を作り出していく人材に変化できた理由は? Text by U-29編集部   インタビューが始まる前に、まずはライフラインチャートを描いてもらった。人生を振り返ってみると、過去に大きく3つのターニングポイントがあったそうだ。 集団行動に馴染めなかった幼少期。今も耳に残る、“涙のOb-La-Di, Ob-La-Da” 西村創一郎(以下、西村):急激に落ち込むポイントが3点。こちらが、今振り返ってみて思う「人生のターニングポイント」ですね。まずは4歳のとき、最初のターニングポイントについてお伺いさせてください。 伊藤綾(以下、伊藤):幼稚園に入園した歳なのですが、初めての集団生活に全く馴染めなかったんです。幼稚園に行くととにかくお腹が痛くなってしまうので、大半の時間を保健室で過ごしていました。 お昼ご飯の時間になると、『Ob-La-Di, Ob-La-Da』が園内に流れます。みんなとご飯を食べるという、当たり前のことができない苦い思い出が、音楽と紐づいてしまったんです。『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を聞くたびに「自分はダメな子なんだ」と考えてしまうようになりました。大人になった今でも、思い出してしまいますね! 西村:そんなエピソードがあったんですね。幼稚園に通えなかった日々からは、どのように脱出したのでしょうか? 伊藤:ある日、先生が「今日から、お腹が痛くても保健室には行けません」と私に宣告したんです。当時はまだ幼かったので、反論することもできませんでした。世界が終わったように感じたことを覚えています(笑) 選択肢がなくなったので、もうみんなと同じように生活する以外なかったのだと思います。ただ、あまり覚えていないんです。 西村:辛かった経験が、記憶から消えているんだと思います。僕も幼少期のエピソードを覚えていないので、綾さんと同じです。 伊藤:きっとそうだと思います。その日から、なんとか集団生活を行えるようになりましたが、小学校〜大学卒業まで、これといって何か目立つほど成し遂げたことはたぶんほとんどないんじゃないかなと思います。就職活動も、ことごとく失敗しました。 西村:就職氷河期の真っ只中だったことが影響しているのでしょうか? 伊藤:たしかに就職氷河期でしたが、同期に比べても私は、全然ダメだったんです。 西村:新卒では出版社に入社されていますよね。経緯をお伺いできますか? 伊藤:料理に関連する書籍を製作している出版社に入社したいと考えていたので、街の本屋さんに出向き、最後のページに書いてある電話番号に自分から連絡したんです。募集をしている出版社は人気があり、落ちてしまうと思ったので、あえて募集の告知をしていない企業に絞っていました。 するとたまたま、小さな出版社が「来週試験があるから、よかったらどうぞ」と。たまたま面接がなく、試験の成績で合否が決まるとのことでした。死ぬ気で問題を解き、なんとか内定をいただくことができたんです。 悔しさを跳ね返そうと、仕事に魂を燃やす。カスタマーになって初めて知った、本当の意味での幸せ 西村:入社後は、どのような業務に従事されていたのでしょうか? 伊藤:思い出深い仕事の一つに、初めて1冊丸ごと編集担当した料理本があります。与えられた企画が「小さな焼き菓子とテディベア」。焼き菓子の作り方と、小さなテディベアの熊のぬいぐるみの作り方が一冊で分かる、画期的な?本でした。 西村:切り口に困りそうな本ですね(笑)。 伊藤:「お菓子とクマって、どうしたらいいの?」と思いましたよね(笑)。でも、やるしかない。最初はクマの作り方とスコーンの作り方を表紙に掲載しようとしていたんですが、ちょっと企画を変えて、スコーンをカヌレにしました。というのも、当時カヌレがブームになっていたんです。でも、カヌレの作り方を載せている本はあまり流通していなかった。チャンスだと思いましたね。 そこで、表紙に大きくカヌレの写真を載せて売り出したところ、なかなかのヒットになったんです。もう、鼻が高かったです(笑)。就職活動がとことんうまくいかなかったのに、バレンタイン商戦を目前に、新人が大活躍しているわけですから。 西村:では、社会人になってから、これまでの不振が嘘のように変化していったと…? 伊藤:実は、そう上手くはいきませんでした。喜んでいられるのも束の間で…。 忘れもしません、バレンタインの前日です。本を購入したお客様から「カヌレが膨らまない」と電話がかかってきました。「本に書いてある通りにつくっているのに、うまくできない。どうしたらいいのでしょうか?」と。 オシャレな写真を掲載することに必死になり、詳細が分かるものになっていなかったことが原因です。そして私自身も、その質問に答えられなかったんです。浮き足立っているのが恥ずかしくなりました。 西村:カスタマーとしての視点が足りていなかったことを、身を以て痛感したわけですね。 伊藤:その通りです…。紆余曲折あり、その後、仕事を辞めて兵庫に移り住んだのですが、そのときに改めて当時の失敗を思い返す出来事がありました。自分で毎日ご飯を作るようになり、その時の私の生活には、オシャレさよりも、懇切丁寧に過程を紹介している本が一番役に立つのだと知ったんです。 西村:具体的に、エピソードを教えていただけますか? 伊藤:料理本を見ながら炊き込みご飯を作っていたのですが、本に掲載されている塩の分量が、なんだか多いなと思ったことがありました。後からレシピが間違っていたことがわかったのですが、初心者なので、とりあえず書いてある通りに作ってみました。炊き込みご飯だったので、途中で味見ができなかったんですね。食べてみると、やっぱり味が濃すぎる。とても悲しい気持ちになりました。当たり前のことなのだけれど、その日の私にとっては、とにかくおいしいきのこご飯を作ることが大事でしたから。材料費も毎日やりくりしていました。 そこで、カヌレの失敗を思い出したんです。お客様にとって大事なことって何だろう?って。素敵な写真とともにカヌレの作り方を紹介することがお客様の幸せになると思っていたけど、それだけでは足りなかった。嬉しくなることと、幸せになることは、似て非なるもの。本当の意味でのカスタマー視点を考えたことが、私の第二のターニングポイントになりました。25歳の出来事です。 編集者から、編集長へ。「二の腕が細くなるドレス」より、ゼクシィが伝えたいこと 西村:第二のターニングポイントを受け、どのように人生が変化したのでしょうか? 伊藤:専業主婦を経て、もう一度働こうと決めました。東京に戻ってきたタイミングで、仕事先を探していたところ、目に入ったのがリクルートの契約社員の求人です。 編集者経験があったことが幸いし、無事に内定をいただくことができたのですが、私が最初にしたことは「パソコンの電源の入れ方を質問すること」です。ITリテラシーが全くなく、ちょっと機種が違うとわからないし、パワーポイントやエクセルを使ったこともなかった。仕事をしようにもできないことが多すぎました。 幼少期に、『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を聞くたびに心が暗くなる経験をしたのと同様に、ゴミ収集車の音を聞くとお腹が痛くなりましたね。とにかく、よくトイレに行っていました(笑) 西村:かつての「嫌な思い出」が再び繰り返されてしまったと。 伊藤:そうなんです!配属先が『ゼクシィ』を製作する部署で、同部署では企画を発表するコンクールがあります。しかし自分に自信がなく、納得して提出できる企画が一本も作れませんでした。 1年に1回、上司や先輩社員が人間ドックで出社しない日があるのですが、その日を心待ちにしていましたね(笑)。自分には何もできないのではないかと考えてしまうくらいに、仕事ができなかったんです。 西村:社会人になってからも、そうした憂鬱な日々があったんですね。しかし、『ゼクシィ』の編集長として活躍されました。どのようなきっかけがあったのでしょうか? 伊藤:ずっと現場にいたり、いつもお客様と話をすることを叩き込まれたからではないかと思います。たとえば、新郎新婦がお色直しで入場するときに、緊張で肩がブルブル震えている光景を目の当たりにしました。その姿は、結婚式の写真を見るだけでは分かりません。 ほかにも、親御さんへのメッセージを読み上げる感動のシーンの裏にも、いろいろあるわけです。結婚式の企画を考える際に喧嘩があったり、料理を決めるのにもゴタゴタがあったり。美しく見える結婚式ですが、その過程で、たくさん泣いたり、笑ったりしているリアルがある。 嬉しさと幸せだけでなく、コンプレックスや、緊張や、たくさんの感情が渦巻いている。その事実に圧倒的に触れ続けることで、少しずつヒットする企画が打てるようになりました。 西村:顧客が本当に欲していることを“肌感覚”で掴めるようになったと。 伊藤:そうですね。もう一点、現場経験を積んだこと以外にも、自分の病気も転機になっています。 双子を出産し、その後、数万人に一人が発症する病気を発症してしまい、重篤な状態になってしまったんです。その後なんとか回復しましたが、退院した後にはすぐ育児があります。病気になったときは「生きているだけで幸せだ」と感じましたが、それでも病後の新しい両立生活はやはり大変で、めげそうになりました。 そうした経験をしたことで、結婚式だけではなく「その次の日からはじまる生活」、結婚そのものについても目を向けたとき、ゼクシィがどのような存在であるべきかを真剣に考えるようになりました。「3時間の結婚式から60年の結婚式へ」や「プロポーズされたら、ゼクシィ」というコピーを作ったのはこのころですね。ゼクシィにできることは限られているのだけれど、それでも、結婚が決まった時からはじまっていくお客様の新しい生活の、何を祈るようなメディアでありたいのか、という問いが自分の中にありました。 苦しい「今」は、宝物の「過去」に変えられる 西村:カヌレのエピソードではないですが、ただインサイトを追うのでなく、カスタマーに憑依できるようになったと。 伊藤:もちろん、インサイトを汲み取ることも大事です。それまでは「二の腕が細く見えるドレス」など、ヒットするための企画を必死に考え、コツコツ結果を積み重ねてきました。ただ、役に立つ、ということから一歩進んだ、サービスの世界観や価値・目的も同時に考えるように変化していったのではないかと思います。 西村:なるほど。現在のご活躍の裏には、大変な苦労や、失敗の積み重ねがあったんですね。 伊藤:就職活動しかり、うまくいかないことや、失敗もたくさんあるけれど、今振り返れば、一つひとつの失敗が私へのメッセージだったと考えたりもできます。そしてそう思えるのは自分自身しかいないのではないかなと思います。パソコンの電源すら分からなかったあの日の劣等感も、カヌレのエピソードも同じで、そこから何かが生まれていく契機でもある。だから、そのときは残念なメッセージに受け取れても、いつか本当の意味が分かるときが来るんだと思っているんです。

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